2015年05月31日

近著



◎近著



・最新小説集『霧の犬 a dog in the fog(鉄筆刊)

霧の犬カバー差し替え.jpg
(クリックで拡大)

著者:辺見庸

発表作品(収録順):
T「カラスアゲハ」75枚
U「アプザイレン」40枚
V「まんげつ」10枚
W「霧の犬 a dog in the fog」(鉄筆創立記念書き下ろし作品)216枚
(全266頁)

装幀:名久井直子
原画:長谷川潔
ISBN:978-4-907580-02-5
定価:本体1,800円+税
発売日:2014年11月21日(金)
株式会社鉄筆
〒112-0013
東京都文京区音羽1-17-11花和ビル310
電話&FAX 03-6912-0864
携帯電話 080-1002-2044
メールアドレス teppitsu@ybb.ne.jp
担当者:渡辺浩章
〈作品紹介〉
http://kimugoq.blog.so-net.ne.jp/2014-12-11


・エッセイ集『反逆する風景』鉄筆文庫

カバー「反逆する風景」鉄筆文庫.jpg

著者:辺見庸
解説:藤島大
装丁:トサカデザイン(戸倉巌、小酒保子)
ISBN:978-4-907580-01-8
定価:本体700円+税
発売日:2014年10月30日
(注)2014年12月8日に放送されたインターネットラジオOTTAVA(オッターヴァ)の番組(OTTAVA Salone、プレゼンター:林田直樹)で、思いもかけず、本書『反逆する風景』と版元の鉄筆が紹介され、you-tubeのアーカイブにアップされました。本の推薦と紹介などは、最後の10分くらいだけです。
https://www.youtube.com/watch?v=_BwqTn2xfak&feature=youtu.be


・対談本『絶望という抵抗――辺見庸✕佐高信』(週刊金曜日刊

絶望という抵抗、書影1.jpg


ISBN:978-4-906605-99-6
定価:1500円(税抜き)
発売日:2014年12月8日
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2015年04月24日

連載開始




◎「1☆9☆3☆7」の連載第9回



・2015年1月30日発売の週刊金曜日が、辺見庸作、私記「1★9★3★7――『時間』はなぜ消されたのか」の連載を開始しました。第1回は、序章にあたる「はじめに」で、本連載の梗概として、1937年という「過去」と2015年「現在」の相関、堀田善衛の小説『時間』などをつうじて南京の大虐殺をとらえなおすことの意味、記憶と忘却について、ニッポンとニッポン人はいったいなにをし、なにをしなかったのか――を記しています。原稿ぜんたいで最終的に350〜400枚になるみとおしです。連載の掲載は原則、毎週。つごうにより隔週です。「1★9★3★7」は「イクミナ(征くみな)」戦争へ――とお読みいただければ幸甚です。3月27日(金)発売号は連載第9回(第2章)を掲載しています。主な内容は――▼かぞえきれない細部▼悲しげにゆがんだ「愚かな顔」▼戦争の「個人化」▼『生きている兵隊』の堪えがたさ▼鮮やかな斬首シーン――などです。
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2015年04月23日

インタビュー


◎共同通信インタビュー

2015年1月初旬におこなわれた共同通信インタビュー記事が全国加盟各紙に掲載されています。添付したのは、2月8日付の新潟日報「転換期を語る――暴力が噴出 歴史的危機」。(インタビュアー:沢井俊光記者。撮影:中野智明カメラマン)

共同通信インタビュー.pdf


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2015年04月16日

書評


◎図書新聞、中国新聞、西日本新聞などが『霧の犬』書評掲載

2015年1月10日付「図書新聞」(第3189号)が、政治学者・宮崎悠氏による『霧の犬』(鉄筆)書評「ファシズムは下から用意される」を掲載しています。また1月11日付の中国新聞は文芸評論家・横尾和博氏執筆の書評を、2月1日の西日本新聞は作家・姜信子さんの書評を載せました。北海道新聞は2月8日の紙面で「世界の終焉 現代に警鐘」と題する文芸評論家・吉田和明の書評を掲載しました。
2015.1.11中国新聞書評
西日本新聞書評.pdf


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2015年04月15日

12/14インタビュー掲載


◎神奈川新聞がロングインタビュー掲載

衆院選投開票日にあたる2014年12月14日(日)の紙面で、神奈川新聞が今回の選挙などについての辺見庸ロングインタビューを掲載しました。

神奈川新聞インタビュー.pdf

同紙電子版URL:
https://www.kanaloco.jp/article/81601/cms_id/116317
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2015年04月10日

神奈川大学評論


◎神奈川大学評論に寄稿

2014年12月13日発売の「神奈川大学評論」第79号に「デモクラシーとシデムシ」18枚を寄稿しました。

『神奈川大学評論』
〒221-8686 横浜市神奈川区六角橋3-27-1
TEL:045-481-5661
FAX:045-481-9300
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2015年03月23日

日録2―3



私事片々
2015/03/24〜

路地.jpg

・シドン。エベレストにのぼった。カレ「弱気をだすなよ。それがあらゆるデモクラットの欠点だ。きみも否定できまいが、ドイツはファシズムの外見を呈するにいたるまでは、ぜんぜん民主的な外見をもっていた」。1937第14回2テイク。小津関連本など注文。肩痛。(2015/03/24)

ボケの花.jpg

・ダフネ。エベレストにのぼった。1937第14回若干。(2015/03/25)

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・LSV。モクレン、ヒカンザクラ、スズラン。ミスド。エベレストにのぼらなかった。19時すぎに1937第14回送稿。この回もしんどかった。(2015/03/26)

モクレンとヒカンザクラ.jpg

・S君と約5(6?)年ぶりで会う。ランチ。ずいぶんおしえられる。ISのことなど印象を訊く。現実感がないという。世界といふ現象はもうどこも現実感をなくしているのではないか。勝ち負けがあるとすれば、完敗。「我が軍」的情勢についても。争点が融けている。対立のモメンタムが完全解除されている。敵味方の関係性も解除。ふらつき、眩暈。マヒ。野中君から14回の感想。ちゃんと感じている。エベレストにのぼらなかった。『麦秋』。小津はおそるべき加害と堪えがたい恥辱の記憶を時間をかけてついに無化した、傑出した監督であり、記憶の超A級戦犯である。記憶消しのゾンダーコマンドス部隊長である。幾百万の人殺しと強姦犯たちが小津にたすけられたことか。なんらの良心の呵責もなく。記憶の墓をあばけ!(2015/03/27)

ハナダイコン.jpg

・感覚障害・激。タヌキ。タクシー。循環器内科。かへり歩き。LSV。ハナダイコン。シドン。山中貞夫のこと。マルホランドDR.のヤマブキ咲いた。1回目失敗するも、2回目、エベレストにのぼった。「1★9★3★7」第15回着手。(2015/03/28)

シドンの帰り.jpg

・1★9★3★7についてメールあり。〈岡真理『記憶/物語』で、映画において言語化しえないものは映像化しえない、という部分があった。ここで考察の対象となっているのは、いずれも、ナショナルな物語化の欲望が作品と共犯しているような、そういう作りの映画(例えば、戦争で不条理に死んだ人について、国家や国民がかれの死は英雄的で勝利に貢献したという意味の充填をし肯定する物語)。たしかに文中で挙げられている作品に関しては、言語(物語)化しえないものは映像化しえない、という仮説があてはまるが、「1937」第13-14回と考え併せるとき、必ずしもそうではないと思った。つまり、ある出来事の語りえない余剰部分も場合によっては映像により表現され得る、ただしそれは再現とは異なる、そして、作り手の作為に反して伝わる余剰もあると〉……。シドン。エベレストにのぼった。

 男がいた。ベンチに猫背の老人がいた。わたしはみなかった。かれもみなかった。(2015/03/29)












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2015年03月18日

日録2-2



私事片々
2015/03/17〜

氷とグラス.jpg

・第13回送稿。シドン。エベレストにのぼった。夜中にBSドキュメンタリー「ヒトラー 権力掌握への道 前編」再放送みる。ゾクゾクする。米フォード社の創業者ヘンリー・フォードが熱烈な反ユダヤ主義者であったこと。フォードはヒトラーを敬愛し、1922年という早い時期から、外国人としてはじめてナチに資金援助をしていたこと。既知のことでもおどろく。2、30年代というのは現時点からみると、あまりにも生々しい。(2015/03/17)

茶色のビークル.JPG

・カフェ・コルカタ。肩痛。エベレストにのぼった。犬がYさんに変な声で吠える。声音で御せるとふんでいるのだろう、あきれるほど演技的な声。犬は差別している。そうおもわれる。午後も肩痛。「異形の者」。BS「ヒトラー 権力掌握への道 後編」再放送みる。ドイツ財界も知識人もあの男について、たかをくくっていた。あの男も、首相になるや、しきりに「平和」をかたっていた。(2015/03/18)

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・だれもがじぶんのなかに「群衆」をもっている。わたしのなかの「群衆」はいま、ぜんいん、たおれふしているか眠るかしている。エベレストにのぼった。この国は敗戦後70年なのに、たとえばだが、「東条英機 権力掌握への道」さえ(映像素材はいくらでもあるのに)つくることができなくなってしまった。外部弾圧ではない。みな、みずからがみずからを弾圧している。現段階で、あの男は楽々圧勝である。「1★9★3★7」第14回着手。(2015/03/19)

路面の林.jpg

・午前の参院予算委員会で、民主党の若い議員が、あの男たちがすすめている安保法制の「整備」について、「日本の法秩序を根底からくつがえすクーデターだ」とひとり抗議した。そのとおり。あの男はクーデターの首謀者であり、基本法の精神からいって、逮捕相当である。しかし、「クーデター」の声はあっというまに議場の壁にすいとられた。あの男は口もとをゆがめてせせらわらっている。チンピラがなにを言うかーーという、余裕の顔つき。そらそうだろ。岡田も前原も細野もレンホーもツジモトも、「クーデター」とまでは本気でおもっちゃいない。おもっていても、向こう傷おってまで喧嘩する度胸も思想もありはしない。でも、現下の安保法制「整備」が公明党もかんだクーデターでなくてなんなのだ。オバマ夫人をよびクリントンをよびケネディ大使をよび、天皇と大地震被災地を利用しまくり、メディアを手玉にとるクーデター首謀者が、おどろくなかれ、grace under pressureをかたる。バカマスコミがあの男の活動を、官邸の思惑どおりに、嬉々として演出し、報じてやっている。やつはテロで日本人が殺されるたびに内心ほくそ笑み、権力基盤をかためている。うちづづくすべての災厄は、あの男の養分になる。わたしのなかの「群衆」は戦々恐々としている。おすすめ。BS世界のドキュメンタリー「ヒトラー 権力掌握への道(原題はAPOCALYPSE HITLER)前後編(仏)」。未来は過去にある。カフェ・コルカタ。エベレストにのぼった。(2015/03/20)

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・上が寝静まるまでおきているので寝不足。野中君夫妻、侏儒とランチ。ダークチェリータルトをすすめる。マルホランドDR.にとつぜんモクレンが咲いているのにおどろく。SGWパーク。ナノハナにおう。エベレストにのぼらなかった。(2015/03/21)

ピンクのツバキ.jpg

・カフェ・チッタゴン。エベレストにのぼった。「新・反時代のパンセ」第16回執筆。夜中『秋刀魚の味』。変態映画。いらだちをきれいさっぱり消しさる一貫した詐術。過激な日常平穏主義。暴力をせおうやさしみの病性。凶暴で野卑な映画。(2015/03/22)

立ち木.jpg

・「ヒグマ出没注意!」だという。シドンで梅川さんたちとお茶。もうひとりの名前わからずじまい。過去把持。ずっとかんがえる。1年上の松本孝子さんだったか。1年のちがいはかなり大きい。坂道の前方右側をあるいてゆく。ときどきこちらをチラリチラリとふりかえる。毛が一本飛んでくる。それでよいのだ。うえには躑躅園があったはず。行きはしなかったが。×××につき、お話ししたくおもいおりさうらう。多幸感か。むかし、かなりちかくで泳いだ。泳げるふりをした。水中から浮かぶとき、こちらの頭が松本さんの腹のあたりにさわった。偶然。履歴書などもうどうでもよい。なんの根拠もなく一瞬できまる。エベレストにのぼった。「犠牲者は死ぬ前に貶められる必要があった。それは殺人者がみずからの罪を重く感じないためであった」(Levi)。とすれば、話があうか。(2015/03/23)



















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2015年02月14日

日録2―1



私事片々
2015/03/10〜

蜘蛛の巣.jpg

・昨夜、ねしずまってから花田清輝読む。たぶん学生時代以来。けふ午前中シドン。エベレストに左ルートからのぼった。明日、第12回終えるよてい。(2015/03/10)

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・「1★9★3★7」第12回送稿。疲れた。4周年。ますます荒む。バカメディア遮断。花田は学生のころに感じたよりも、いま読んだら、文がよほど達者であることがわかった。だが、達者であることがいやなのだ、というおもいはむかしとかわらない。饒舌にすぎて、思考が下降してゆかず、躓かず、ツルツルと滑るのが、すきではない。侏儒体内を砂嵐吹く。シドン。エベレストにのぼった。クリームパン(96円)食う。夜、侏儒母たおれるの一報あり。(2015/03/11)

礎石.jpg

・「……〈偏見〉が必ずしも個人の実存にとどまるとはかぎらない。国家間の軋轢によって、一つの民族が同一の命運に苛まれるとき、もしくは、一つの民族がこぞって〈権威〉と認める権威によって進路を糾合されるとき、個々人の〈体験〉はすぐれてトータルな、民族的〈偏見〉でもありうるのである」(キム・シジョン「ほの白いほら穴の風」)。クリームパンR(96円)2個食う。かけら、犬にやる。侏儒福岡。肩痛。麻痺&感覚障害。ヘロヘロ。スカンク亭にいくもイタチたちで満席。しかたなく家にもどる。エベレストにのぼった。ふもとのベンチで男がひとりでカップ麺を食べていた。「断言・反覆・感染」(ル・ボン)。公正で合理的な主張が群衆をうごかしているのではない。断言・反覆・感染・翼賛・権威・朕――1937年は完璧だった。5年後には飢えるなんてだれもおもっていなかった。断言・反覆・感染・翼賛・権威・朕――2015年も完璧になりつつある。今後2年もたたずに崩壊するなんてだれもおもっていない。本2冊注文。(2015/03/12)

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・安倍首相「番組それぐらいで萎縮、情けない」予算委(朝日新聞デジタル 3月12日(木)20時57分配信)安倍晋三首相は12日、昨年11月のTBSのニュース番組に出演した際の発言が、報道への圧力ではないかと指摘されたことについて、「(番組への)圧力と考える人は世の中にいない。番組の人たちはそれくらいで萎縮してしまう人たちか。極めて情けない」と述べた。12日の衆院予算委員会で、民主党の細野豪志政調会長の質問に答えた。首相は衆院解散を表明した昨年11月18日の番組で、街頭インタビューでアベノミクスに批判的な発言が多かったことについて、番組で「おかしいじゃないですか」などと発言していた。首相は12日の予算委で、発言について「選挙前に報道は正しくしてもらいたい。例えば、私がその番組の関係者に電話してクレームをつけるのとは違う」と述べた。さらに「(番組内で)私の考えに反論があれば、そこで反論すればいい」と語った(文脈よくわかりませぬが、引用終わり。下線は引用者)。以下、アベ語の和文超訳。〈わたしのやうなテイノウファシストにちょっと凄まれたぐらいで、キンタマ縮みあがってオタオタしてるようじゃ、まあ、君たちはそろいもそろってだらしがない。あきれたよ。即刻、報道なんかやめて、官邸おかかえの三文芸者にでもなったらどうなの?えっ、もうなってます?そっか。じゃ、ちゃんと踊りなさいよ(失笑)。でもさ、あんたがたみんなビビっちゃって12日のTBSニュースでは一言も反論なし。笑わせるじゃないの。だいたいホソノなんてハナクソのほざくことなんざ、痛くも痒くもないぜ……(また失笑)。わたしのケツの穴でも舐めてなさひ。いやさか、いやさか〉。ダフネ。ミモザの花がついに咲いた。昨日には咲いていたのかもしれない。エベレストに右ルートからのぼった。43クリームパンR(ソルビン酸K入り、消費期限2015/03/13、96円)食う。犬にすこしあげる。犬、およろこびになられる。「1★9★3★7」第13回着手。(2015/03/13)

ミモザ満開.jpg

・シドン。ほぼ満員。右ルートよりエベレスト登頂成功。けふ脳出血(in新潟)から11周年。感慨とくになし。「かもめかもめ」をおもふ。ポコはどうしているのだろう。(2015/03/14)

巻きつかれたポール.jpg

・ダフネ。ミモザの花はゆっくりゆっくりふくらむ。根方の花壇に、ごく小さな幣束が細木にはさんで2本立ててある。なぜ、とはとくにおもわないけれど、すこし気になる。御幣というのはなんだかこわい。いやだね。「1★9★3★7」第13回なかごろまで。無事に終える自信もないまま、そろそろじぶんが終わりかけているのにもかかわらず、まだ書きつづけている。この終盤には、旅がよいのか、執筆がよいか。きまっている。旅ができないからにはしかたがない。時間を無限化された等質な量であるとかんがえたのは近代だった。そのとき、人間はもうこわれはじめていたのだ。付箋がほしい。それと中国侵略日本軍の、のべ人数。エベレストにのぼった。(2015/03/15)

けふのユキヤナギ.jpg

・シドン。「1★9★3★7」第13回。エベレストにのぼった。「汝の母を!」20回ほど読みかえす。泰淳は1931年5月30日東京中央郵便局でビラまきをして、丸の内署の巡査に検挙されている。35年4月にも、目黒署に45日間勾留されている。(2015/03/16)










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日録2―0



私事片々
2015/03/03〜

ピンボケツバキ.jpg

・昨日「1★9★3★7」第11回の2テイク目までやる。つらいものがある。長い隧道の先に、すこしの光もみえない。いまさらもどるわけにはいかないから、けふも手探りで、前だか後ろだかわからない暗がりをあるく。昨日緒方さんがS君の面会にいった。メールを頂戴する。アレルギーで顔が赤かった、と。昨夜、侏儒となにかだいじな話をした。いま、じぶんがいったいどのような立ち居ふるまいをしたらよいのか、わからなくなる、と侏儒は言った。わたしは、その問題意識がただひとつの答えではないのか、と応じた。侏儒は語った。むかしのひとたちは、たとえば30年代後半(の実時間に)、どうしたのか、なにを話していたのか、なにを恥じたのか……とおもう。だから、梯明秀の『戦後精神の探求』もベンヤミンも参考になる・・・・・・・そんな話。昨日、井原さんからメールがあった。今朝、カナダからメールがあった。零下25度だという。けふ午後、サンクトペテルブルクからメールと写真。ネヴァ川が白く凍っている。むかし、あのうえをあるいた。レニングラードにはモスクワから列車で行ったのだった。携帯、PCは百害あって一利なしだ。ひとびとは連絡不通であるべきなのだ。カフェ・シドン。エベレストにのぼった。(2015/03/03)

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・たしか、カフェ・シドンにいった。昨日、Sさんから「1★9★3★7」第10回をめぐり大事なご指摘。エベレストにのぼった。(2015/03/04)

ツルニチニチソウ.jpg

・「1★9★3★7」第11回送稿。誤表記あり、あとで差し替えなければならない。1937年の断腸亭日乗は「八月廿四日。晴また陰。午後曝書。夜浅草散歩。今半に夕飯を喫す。今宵も月よし。十時過活動館の前を過るに看客今正に出払ひたるところ、立並ぶ各館の戸口より冷房装置の空気道路に流出で冷なるを覚えしむ。花川戸の公園に至り見れば深更に近きにも係らず若き男女の相携へて歩めるもの多し。皆近鄰のものらしく見ゆ。 余この頃東京住民の生活を見るに、彼等は其生活について相応に満足と喜悦とを覚ゆるものの如く、軍国政治に対しても更に不安を抱かず、戦争についても更に恐怖せず、寧これを喜べるが如き状況なり」と。また約3か月後は「十一月十九日。快晴。・・・・・・・今秋より冬に至る女の風俗を見るに、髪はちぢらしたる断髪にリボンを結び、額際には少しく髪を下げたるもの多し。衣服は千代紙の模様をそのまま染めたるもの流行す。大形のものは染色けばけばしく着物ばかりが歩いてゐるやうに見ゆるなり。売店の女また女子事務員などの通勤するさまを見るに新調の衣服(和洋とも)を身につくるもの多し。 東京の生活はいまだ甚しく窮迫するに至らざるものと思はるるなり。戦争もお祭さわぎの賑さにて、さして悲惨の感を催さしめず。要するに目下の日本人は甚幸福なるものの如し」。むかしから、民衆はこうなのだ。漱石もそうだが、しれっとそれを眺めて、ちょこちょこ皮肉るだけの彽徊趣味とやらが日本の最高の知性とは笑わせる。エベレストにのぼらなかった。(2015/03/05)

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文民統制は確保=安倍首相(時事通信3月6日12時40分配信)「安倍晋三首相は6日午前の衆院予算委員会で、防衛官僚(背広組)が自衛官(制服組)より優位としてきた規定を見直すことに関連し、『国民によって選ばれた首相が(自衛隊の)最高指揮官であり、同じように文民である防衛相が指揮する構造になっている』と述べ、文民統制(シビリアンコントロール)は確保されているとの認識を強調した。首相は『自衛隊の活動は国会の決議も必要だし、国の予算も国会を通らなければならない。これこそがシビリアンコントロールだ。国民から選ばれた首相が最高指揮官だということで完結していると言ってもいい』と強調した。民主党の小川淳也氏への答弁」(時事引用終わり)。これって、ようするに、無血クーデター成功ってことじゃないですか。一方、国民とマスメディアのみなさまにおかれましては、「軍国政治に対しても更に不安を抱かず、戦争についても更に恐怖せず、寧これを喜べるが如き状況なり」である。エベレストにのぼった。「1★9★3★7」第11回差し替える。ばかばかしいアンケートに、よしゃあいいのに、答える。けふもまたかくてありなむ。(2015/03/06)

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・この国にはもう抗体がなくなった。とんでもない男を首相にしたものだ。あの男の言う「切れ目のない……」というフレーズが怖い。諸君、「三矢研究」を知っているか?1963年、自衛隊統合幕僚会議が極秘におこなっていた机上作戦演習で、正式名は「昭和三十八年度総合防衛図上研究」。3本の矢どころではない。最終的に核戦争をも想定した自衛隊制服組による朝鮮有事秘密研究だった。65年、社会党の岡田春夫がこの研究の存在を国会で暴露し、大問題になった。事実上の無血クーデター下にあるげんざいでは、朝鮮有事研究どころか、第2次朝鮮戦争へのニッポン参戦体制がととのえられている。秘密保護法の煙幕のなかで、なかば公然と。あの者たちはやりたいのだ。どうしてもやりたいのだ。尻馬にのる者はいくらでもいる。さて、抗うか、抗えるか、沈黙するか、いっさいを拒むか、狂うか、佯狂者となるか、笑い死にするか、耳栓をし、アイマスクをするか、バートルビーにでもなるか。困ったもんです……ではもうすまない。くるものがきたのだ。ひたすら過去に学べ。雨中、傘をささずにカフェ・シドンへ。わたしのなかで、なにかが音たてて崩れ、潰え、そして、そのために、かえってかくじつに、なにかが生きた。そのような読書経験をなんどかした。そのうちのひとつを「1★9★3★7」第12回に書こうとおもう。マスコミの戦後70年企画は、知るかぎり、ことごとくだめだ。このクニのどうにもならない加害の歴史を、主体をはっきりとさせて、照射しないのではどうにもならない。未来はない。友人Gさんよりけふ、以下のようなメールがきた。時節がらとても重要なので、ご本人の許可なしに全文を引用する。「辺見様 ブログに触発されて言いたくなりました。〈切れ目のない安全保障…〉。何と何の切れ目がないのか?平時と戦時。ということは、論理的には平時を戦争の一形態ととらえるということだ。社会的諸活動の一切を軍事としてとらえるということだ。切れ目のない安全保障とはそういうことだ。こういう精神のありようを戦争狂war-mongerというのではないのか。狂っている。完全に狂っている。興奮し高揚している。安倍は自分のことを首相だと思っていないんじゃないのか。安倍が今日版〈大本営〉だと思っている国家安全保障会議(日本版NSC)の最高司令官閣下になりきっている。稲田、山谷、高市など愛国婦人会やほとんどの自民党の連中も気分は完全に戦時。目を血走らせ興奮している。そして、巷はさしたる陰も鬱も不安もなく、安倍たちを誘っている。スターリンに反対して反ファシズム統一戦線を呼びかけたトロツキーが直面した歴史的局面と同質の条件下にわれわれは叩き込まれている。しかも、マルクスやレーニンの権威も労働者階級の栄光もボロボロ。でも、考えようによってはそれもまたラジカルな解決への条件でもある。真理獲得の必須条件は無知の徹底であるわけだし、労働者の解放の条件は、鉄鎖のほかに失うべき何物もない喪失の徹底であったわけだから。われは無なり。されば一切たるべし。Gより。怒りをこめて……」。わたしはエベレストにのぼった。(2015/03/07)

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・「1★9★3★7」第12回着手。カフェ・シドン。エベレストにのぼった。侏儒がきた。シュークリームを食べた。あの男を首相にしたことをわれわれは一生悔やむだろう。歴史には、論理的整合性ではかたづけられない、「妖気」というものが、路面からひときわ濃くただよう、とくべつな時期がある。狂気が正気をしずかにのみつくす、戦争へとつづく時期。もうのっぴきならないのに、のっぴきならないとかんじることのできない時期。いまがそれだ。あの男を首相にしたことを、われわれは一生悔やむだろう。たたかわなかったことを一生後悔するだろう。いまはとてもではないが、後代にひきわたすことのできない、もっとも恥ずかしい時期だ。わたしは小津安二郎がきらいだ。そんなことを話した。(2015/03/08)

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・「1★9★3★7」第12回2テイク目から4テイク。よくよく練らないといけない。眠い。不可触絶対光景について。カフェ・シドン。エベレストにのぼった。昨夜は上階で中毒患者でもあばれているような尋常でない騒ぎが2時間ほど断続して、かんがえるべきことがすべてふきとんだ。眠れず。けふは昼からうるさい。早くどこかへひっこさないといけない。が、いまは無理だ。こうやっていても時はすぎてゆく。(2015/03/09)










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2015年02月12日

日録1―9



私事片々
2015/02/24〜

2月23日のスイセン.jpg

・終日「1★9★3★7」第10回執筆。石川達三、ほとほといやになる。いやでも過去をふりかえらざるをえない。いやなものをたくさん読まなければ、「1★9★3★7」は書けやしない。天皇制ファシズムの、古い古い吐瀉物、排泄物のようなもの。沈殿していたその声、その音、そのにおいが、いま拡散し活性化している。ひとはどこまででも狂うことができる。どこまでも堕ちる。再三再四、狂い、再三再四、堕ちる。ぜったいに、ぜったいに過去に学ばない。かならずくりかえす。「戦後70年談話について検討する有識者会議」もそうだ。じぶんは気にならないから、あなたがたも気にしなくてよい、気にすべきでない――という発想は古来、ファシストか鉛のように無神経なスターリニストのそれであった。あるいは、たんにメディアの端末と化した、被害者でもありなにより加害者でもある民衆の強圧。いずれ新しい「不敬罪」か、それにかわるものができるだろう。内面の機制としては、とっくのむかしから不敬罪はある。すべての最悪条件がでそろいつつある。エベレストにのぼらなかった。(2015/02/24)

咲きはじめのツバキ.jpg

・父は江蘇省の常熟(チャンシュー)にいたことがある。陸軍少尉として。昨夜、父の書いた文章を読んでいて、はじめて知った。知りたくなかったから、いっまで読まなかった。常熟は『生きている兵隊』の部隊が1937年11月、南京にいたるまえに、戦闘をし、虐殺をし、掠奪をし、強姦をした場所だ。父がそこにおもむいたのは44年であり、場所はおなじでも、時間がちがうといえばちがう。だが・・・・・・・と口ごもる。対中侵略戦争のシーンは、亡父の記憶から、わたしの記憶の川へとながれ入る。夜の記憶の川へ合流する。「1★9★3★7」では、そのことを省くわけにはいかない。Sさんから「1★9★3★7」にかんする長い感想文をいただく。大部分、ふかく首肯。感謝。昨日、學燈社『國文學』とどく。エベレストにのぼった。上階は依然、というか、まえよりもうるさいが、ひっこしの暇もない。「1★9★3★7」に忙殺されて、かえってたすけられているのかもしれない。(2015/02/25)

錆びたホイール.jpg

・「1★9★3★7」第10回を送稿。すでに3章分160枚以上だが、闇夜にひとりで泥をすくっているようなもので、すくってもすくっても底がみえるということがない。暗い泥沼にたって、両手で汁粉のような泥をすくうのである。指のあいだから過去の泥がボトボトとこぼれる。なにをしているのか、とわれにかえる。だが、やめられない。腰をかがめて泥をすくう。なんのために、とはおもわない。上階は日ましにうるさい。犬もおびえる。脅威である。リベットを打っているような音。神経症になりかかっている。この音がなかったらどんなに楽だろうか、とおもうけれども、このテーマにほんきでとりくむ意欲がどうもわかない。このテーマはかんがえる気もしない。このテーマは、でも、けっこう哲学的なのだ。ガンガンガン。頭にリベットを打たれながら原稿を書く。わざと顔面をゆがめて笑ってみたりする。どのみち最善の状態などない。わけもなくまだ生きており、最善以下、最悪以上の泥沼で、けふも泥をすくっている。指のあいだから過去の泥がボトボトとこぼれる。なにか、かくじつに、すがれているものをかんじる。エベレストにのぼらなかった。(2015/02/26)

街灯の影.jpg

・カフェをでた。正面にキンモクセイの見える角をまがろうとした。足音。ふりむいたら、カフェの、知りあいの店員だった。両手で眼鏡をささげもっている。わたしのだ。裸眼であるいていたのだった。視界がどうせひどくかすんでいるから、かけてもかけなくてもおなじ感覚なのか。すみません、ぼけちゃって……と言ったら、青年は笑顔でちいさく首をふった。カフェ・シドンに眼鏡をわすれたのは、たぶん、これで3度目だ。雨後の晴天だけれど、ミモザの花にはほとんど変化がない。ただ、なにかが着実にすがれていく。感じる。じぶんだ。すがれてゆくのはわるくない。なんだかまっとうな気もする。エベレストにのぼった。クリームパン食べる。おいしい。犬にひとかけらあげる。Yさんの友人が子宮がんらしい。いのる。秋田雨雀のことをかんがえる。文言をすこし憶えている。10数年前のひっこしで本をなくした。あれは藤森さんからいただいたのだったか。注文した。ジャンクメールがやっととまった。ものみな狂おし。(2015/02/27)

ミラー.jpg

・秋田雨雀の本¥160円、配送料および手数料¥257、合計¥417の連絡あり。いまはだれも読まないのだろうか。もったいない。いつ着くのか。もう知っているある文言を、現物でかくにんしたいだけだ。ああした表現はいますっかりなくなった。雨雀は転向者だったか、忘れた。雨雀をおもったのは「侏儒の言葉」を読んでいて、だ。日々、連想ゲーム。藤森さんからは小山内薫の本も頂戴した。ほとんど読まなかったが。Hさんが朝、米国に出発。米国のどこかは知らない。カフェ・シドン。ぼやっと父のことをおもう。エベレストにのぼった。上階で相撲とりが熱心に四股をふんでいる。もう春場所か。午後、避難ばしごと消火器の点検にくる。おだやかな青年。犬をケージに。吠える。午前中とつぜん、上階ベランダから避難ばしごがガラガラとたれてきたときは、もっとはげしく吠えた。まえおきなしに上から縄はしごがおりてくるのに、吠えない犬がいるとしたら、そちらのほうがすごくおかしい。ひとのいないはしごが上からたれてくるというのは、構図そのものがとても怖い。「1★9★3★7」第11回にはいろうとおもふ。言説がいきなり縮んだ。思想表現の自由は、外圧がくるよりさきに、個々人が閉じている。言説の深度は、ときとして1920年代よりもない。全面的にばかげている。恐怖が大きな尻尾をひきずって街をのそのそとあるいている。みなが見えないふりをしている。死は近い。いや、もう死んでいる。第11回のファーストテイクをやる。(2015/02/28)

夜景.jpg

・梯明秀「知性の『どん底』とインテリの自由」(1937年12月 京都大学新聞『戦後精神の探求―告白の書ー所載』)読む。文中に「上海の占拠から南京政権の膺懲へ」とある。それなりの事実認識とつよい危機感。大虐殺はご存知なかったであろうが、日本国内の知性の決定的頽廃は痛烈に意識されていた。「知性の凡ゆる現実形態が、いけないのだ。要するに、インテリゲンチアの自由な意識が、活動的であってはならないのである」。もはや悲鳴である。京大新聞はよくこれを載せたものだ。しかし、特高の目を意識した意図的韜晦はあろうが、後段はなにか怪しい。「対中侵略戦争」は梯のなかでどのていど明確に意識されていたのか。1938年、梯は逮捕され、わりあいあっさりと「転向声明」を書く。しんどい。ぜんたいとしてマルクス主義の学者は戦争に不思議なほど無力であった。が、梯の『戦後精神の探求』は率直である。このひとの誠実をかんじる。犬にご飯。シャワー。「1★9★3★7」第6回ゲラ戻し。神功皇后伝説ー豊臣秀吉ー佐藤信淵ー吉田松陰ー福沢諭吉……。綿々たる征韓思想の成立と実践の淵源に、かつての蛮行とこんにちのヘイトスピーチ(声の蛮行→実際の蛮行予備)の淵源がある。PCに細田さんからメール。エベレストにのぼらなかった。(2015/03/01)

自転車.jpg

・「時代」なんて、わけのわからぬことばを言って、ごまかしてきたのがそもそもまちがっていた。「時代」はあるけれども、ない。いまいてほしい、いるべき人物たちが次々に亡くなり、カスだけがのこったということ。時代のせいではない。ひとのせいだ。秋田雨雀の本をたのんだのに、べつのがとどいた。「骸骨の舞跳」が読みたかったのに。しかたがない。侏儒にたのみ、国会図書館のネット閲覧でみつけてもらう。コッカイってのはせいぜいそのていどしか人間の役にはたたない。民主党まで改憲が前提みたいな議論をしている。9条などいつの間にかなきがごとし。雨雀に言わせれば、「化石しろ!」。エベレストにのぼった。(2015/03/02)















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日録1―8



私事片々
2015/02/17〜

白いスミレ.jpg

・小雨。傘をささずダフネにむかう。アパートを引っ越さなければならない。ほぼ毎日、上階から脳天に五寸釘をうちこまれるような音と子どもが駆けまわる足音がする。仕事にならない。抗議はしたのだ。まるで効果なし。抗議やめた。脳天に五寸釘を刺されっぱなしで、くらすともなく、くらす。げんかいである。げんかいって、だが、なにが〈げんかいライン〉かわかりはしない。〈げんかいライン〉をどんどん上方修正している。見こしたように上階は騒音を激化する。ガツンガツン五寸釘。〈げんかいライン〉をまた上方修正。それに、引っ越すったって、どこへ?本質的に、死に場はあっても、逃げ場はない。ヘルパーさんをどうするか。犬の散歩をどうするか。アシスタントは?ミモザのつぼみはほとんどかわっていない。あるきながら、new normalということばがポンと浮かぶ。new normal?なんだったか。ノーマルでなく、ノウムルみたく発音してみる。気どって。気どってるばあいじゃない。ニュウ・ノウムル。ダフネにつく。さかゑさん「あらーっ、オズンツァン(おじいさん)、まあだ生きてだのお?生きてだんだらJSFやんなぎゃね。つかうもんつかわなぎゃ。タマみがかざれば光なす(し)、だべさ」。わたし「んだ…んだね」。トイレ直行。ドアに「南部慰安所規則」が貼ってある。〈一、発売時間 日本時間 正午より六時 二、価額 桜花部 一円五拾銭 但し軍票を用う 三、心得 各自望みの家屋に至り切符を交付し案内を待つ〉――。トイレから田村泰次郎みたいなオヤジがずりおちたズボンをあげながらでてくる。キモい。ムッとする。急きょJSFやめる。ココア飲みながら店内テレビみる。国会中継。さかゑさん「このしとだづ、みなアダマのおがすいしとだづだよ……」。なるほど。よっぽどアダマがおがすい。タガってる。代表質問をされている主が、質問をなにも聞かずに、答弁書にじっと目をおとし、すぐ目の前で質問のまっさいちゅうというのに、一心不乱に答弁書朗読の練習をしている。声までだして。さかゑさん「こいづら、みなキヅゲェだべさ……」。わたすぃ「これこれ、そったらスンヅレーなごどゆうんもんでねぇど。クヌをアイすぃなさひ……」。(などと、後刻PCを打ってたら、モニター画面にとつぜん「話し言葉〈北海道・東北モード〉にしますか?」とでる。ここもキヅゲェ!)。次、テレビニュース。天気予報でもつたえるように、まったく、まったくこともなげに、「自衛隊の海外派遣を随時可能にする恒久法の制定につよい意欲」だと。キヅゲェどもめ。エベレストにのぼった。のぼっているとちゅうでおもいだす。new normalとは、米国のなんとかいう学者がほんとうはstagnationについて言った「新たなる常態」だった。んでもっしゃ、げんざいの世界全員狂人化だってnew normalなのだ。アパート。また、上からガツンガツン五寸釘。わたひ、天井を見あげ、やさひく微笑む。だうぞ、おすきなだけおやりなさひ……。これだってnew normal。しかしだ、「新たなる常態」化はいやだ。脱出したひ。脱出します。(2015/02/17)

たわんだ夜.jpg

・きわめて重大なこと(辺野古の海の埋めたて、自衛隊海外派兵を随時可能にする恒久法制定工作)は報道しないか、できるだけ小さくつたえ、ゴミネタ(じいさんの万引き、NHK職員のチカン、オボチャンetc.)や猟奇的事件は、さも天下の一大事のように大々的に報じ、さわぎまくり、どこからどうみても手のつけられないドアホ(ex.A or the orang utan)を、いかにも正気でマトモな人物であるかのように記事化する、いわゆる〈報道ガイドライン〉が、いつかどこかで暗黙の裡にきまったらしい。このガイドラインに、みんなが、お上からまだなんのお達しもなひはずなのに、つきしたがっている。記者といふものは、昔もいまも、ファシズムの提灯もちである。そうでなかったためしがない。3Kだけじゃなひ。バカで不勉強で無関心で傲慢で卑怯で姑息で哀れなやつらだ。これはnew normal(「新たなる常態」)みたひだが、じつは、戦前、戦中からずっとおんなじ。といふか、このたぐいのnew normalは、むしろ戦前、戦中特有の現象である。いまはまちがひなく戦前であり、広義には、世界戦争のさなかである。「私たちは昭和史からきちんと学ぼうとせず、ずっと後世までひっぱっていくのではないだろうかと、若干、考えられます」(『昭和史1926-1945』)。と、半藤一利さんが書いたのは10年前。もう「若干」どころじゃないよ。てっきり「右」系の方かとばかりおもっていた半藤さんが、いまや「左」っぽくみえたりするんだから、足下の座標がすっかりかわったのだ。家永三郎『戦争責任』(岩波現代文庫)。読みながらイライラする。「ベッド・ディテクティブ」または「アームチェア・ディテクティブ」とは、澤地久枝さん、よく言ったものだ。「わたしの戦後の原点は、己が戦争中に身をおきかつ果たした役割の痛切な自覚にあるといえるかも知れない。しかし、『戦争責任』が女子供をふくめて広く広く問われているのに反して、昭和天皇の戦争責任についてはあまり力点がおかれていないと感じる」(澤地解説「これからの課題――家永三郎『戦争責任』の示唆するもの――」)。家永の身ぶり、口ぶり(の、あるしゅのいやらしさ)をふくむ「戦争責任」とその思考方法、そして、昭和天皇への「ご進講」を家永に可能ならしめた心性、内面の問題。「戦争責任」は、断絶も切れ目もなく、そのまま「戦後責任」に連続している。気がついたら、ほらみろ、このザマだ。エベレストにのぼらなかった。(2015/02/18)

ナノハナ.jpg

・「私が終戦後の上海で、世界各国の人々の喜びの声に耳をふたがんばかりにして、滅亡について以上のように想いをめぐらしていたころの緊張は、今ではすっかり、ゆるみ、たるんでしまった。異常な心がわりもいつか、日常の用意にとってかわられた。原稿料のこと、牛肉のねだんのこと、私小説のこと、エゴイズムのことなどを、何の深さもなく、何の未来性もなく、ジャーナリズムの歩調だけの速さで、まちがいのない、手頃ななめらかさで、物憂くとりさばくようになってしまった。だが、これでいいのだろうか」「大きな慧知の出現するための第一の予告が滅亡であることは、滅亡の持っている大きなはたらき、大きな契機を示している」(1948年4月 泰淳)。だろうか?かれは出征前に獄中転向という自己内面のメツボウを経験し、出征後は中国で「不必要な殺人」(「審判」47年)を2度まで犯して再メツボウし、3度目は45年8月、上海で原爆投下を知ることにより、メツボウを追体験するも、いったい、だからといって、いかなる「慧知」の出現があったというのだ。泰淳は、ニッポンというたまらないクニでは、メツボウさえ安い売り物になり商品化されることをうすうす知っていたろう。いま、新しいメツボウの可能性は、旧いメツボウの記憶をヘラヘラとわらっている。新たなメツボウはつとに不気味な尻尾を無遠慮にみせはじめている。こんどこそヘマをしないことだ。メツボウは泰淳の言うとおり全的でなければならない。全的メツボウとは、「慧知」どころか、一切合切、なにものものこさないということだ。みるものも、みられるものも、なくなるということだ。エベレストにのぼった。(2015/02/19)

マルホランドDR.の夜

・もういけない。坂道をころがっている。ものすごいスピードだ。目眩がする。もう止まることはあるまい。座視したり他人事のように論評している局面はもうすぎた。じぶんがどうするか、あなたはどうふるまうか、だ。歴史の大転換ってこんなものだ。一見無害そうな市民たちが、主観的な「善意」から、無作為に、何気なく、この怖ろしい墜落に加担してきた。かつてすきでもない丸山眞男をしばしば引用した。たとえば、[一九五六年の手帖より]「知識人の転向は、新聞記者、ジャーナリストの転向からはじまる。テーマは改憲問題」。もうそれどころではない。国家規模の転向がすすんでいる。この画時代的転換のダイミズムと妖気。その由来がよくわかりかねる。ヤクザ者と〈正気の顔をした狂人たち〉が歴史をあやつっている。かれらは理解しない。せせらわらう。He who does not learn the past is doomed to repeat it.(Santayana) そしてそのとおり、目下くりかえしている。エベレストにのぼった。連載9回目難航。(2015/02/20)

LSVの空.jpg

・なにか、喉もとまででかかっていて、ことばにならぬうちにサッと消えてしまうもの。なにか、とても大事な手がかり。資本と権力にとって、左翼運動など、じつのところ、コバエのように「小さな迷惑」以上のものではなく、とりわけ1936年以降は、おおむねコントロール可能なものであった、という。共産(社会)主義運動参画者は、権力の意のままに、ほとんど自動的に、法則的に、陸続として思想転向してくれたのだった。転向者らはニッポンの権力構造をヌエのように多重化し、〈無中心〉化した。軍部や国家主義者は、その野望を実現するために、大資本をひつようとした。おなじように、大資本は、資本のために、ただそれだけのために、国家主義、天皇制と天皇崇拝、軍国主義、すなわち「戦争」と狂人たちをひつようとした。われわれにはそういういう過去がある。げんざいは、つまり、そのくりかえしではないか。それでは、憲法9条とはなにか。9条はなんであったか。じゅうぶんに答ええたためしはあるか。昨夜おそく、自問した。憲法9条とは、わたしにとって、なにか。かんがえた。じゅうぶんに答ええた。憲法9条は、余人は知らず、わたしにとって、ぜったいに不可欠な思想である。「1★9★3★7」連載第9回送稿。LSVにいく。エベレストにのぼらなかった。(2015/02/21)

街灯.jpg

・生活クラブ連合会の月刊誌『生活と自治』の連載エッセイ「新・反時代のパンセ」第15回送稿。1924(大正13)年発表の芥川の作品をつかう。コビトのヒント。大発見あり。芥川はほんとうにおもしろい。ダフネ。右上半身が攣る。エベレストにのぼった。(2015/02/22)

歯車.jpg

・「1★9★3★7」連載第10回目着手。ひとしきり「生肉の徴発」についてかんがえる。これは石川達三の「創作」ではあるまい。じっさいに、にこにこしながら言われていたのだろう。語の発生の起源、伝播のぐあいはどうだったのか。恥は?『生きている兵隊』が内側から発しているのは、反戦でも反軍でも絶望でもない。じつに堪えがたいまでの、手のつけられない「もりあがり」である。「猿蟹合戦」読む。エベレストにのぼった。(2015/02/23)













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2015年02月09日

日録1-7



私事片々
2015/02/10〜

悪夢.jpg

・じつに簡単なことだ。あの、世にもおぞましいヘイトスピーチを、表ではいかにも困ったふりをして、裏でしっかりとささえているのが自民党である。そのトップが毎日、ジュクジュクと分泌している毒液が社会の全域を腐食しているというのに、かれの支持率は50%以上だという。目下、全的崩落のただなか。もうとりかえしがつかないかもしれない。とりかえしがつかないだろう。けふの声、ことば、身ぶりをどうするか。by the way、佐野学は1929年6月、上海で検挙され、1932年、東京地裁で治安維持法違反で無期懲役の判決。1933年、鍋山とともに獄中から、かの有名な「共同被告同志に告ぐる書」と題する転向声明書を発表。官憲はそれをマス刷りして獄中の党員らにくばって読ませたというから、むかしから権力ってのは、よっぽど反権力の上手をいっていたのだ。緻密で周到、勤勉、陰湿かつ執拗。で、転向声明は、コミンテルンの指導を拒否、今後は天皇制を尊重した社会主義運動をすすめる、という、な、なんと申しませうか、超奇抜な内容。佐野はかくて、1934年5月、懲役15年に減刑され、控訴審判決確定、1943年10月に出獄。にしても、「共同被告同志に告ぐる書」には、いまさらたまげるほかない。曰く「労働階級の大衆は排外主義的に興奮しているのでない。彼らは不可避に迫る戦争には勝たざるべからずと決意し、之を必然に国内改革に結合せんと決意している。之を以って大衆の意識が遅れているからだと片付けるのは大衆を侮辱するのみならず、自ら天に唾するものだ」「我々をかかる自覚に導いた第一衝撃は、我々の民族が満州事変以来当面した国家的出来事である。それは我々の胸にあるーー日本人の誰の胸にもある、共産党員の誰にもあるーー日本人意識を目覚ました。……我々は日本民族が、独立不羈の大民族として人類の社会生活を充実的に発展させた過去の歴史的民族的誇りを感じ日本民族の優秀性について確信を獲得した」「我々は『君主制廃止』のスローガンの大誤謬であったことを認めて、きっぱり捨てる。皇室に対し我々の認識が著しく一面的なりし事、大衆が皇室に対し抱く社会的感情と全く背馳するものであったこと……を潔く承認する。民族的統一と社会的発展とを如実に表現した日本国家は、民族を形成する広汎な勤労大衆の下から力を基礎として築かれている特質が著しく階級と階級との露骨に闘い合う組織体でなかったし、外部に対し奴隷生活をしたことが一度も無い。皇室の連綿たる存続は日本民族が独立不羈に、しかも人類社会の発展段階を正常且つ典型的に発展し来った民族歴史を事物的に表現するものだ。皇室がかくも統一的な民族生活の組織体としての国家の中枢たることは極めて自然である」云々。これからまた、こうなるのでせうか。すでにそうなっているという説もある。前後左右裏表のわからない妖怪がたくさん横行している。野中君と打ち合わせランチ。エベレストにのぼらなかった。眠気。(2015/02/10)

天井裏.jpg

・ああ、吐き気がする。「憲法改正の歌」という、それは、もうどうにもならない歌がある。けふまで知らなかった。知るひつようもなく、ずっと知らないでいるほうがよかった。ともおもうが、なんだか迂闊だったな、と感じないでもない。作詞はあのヤスヒロ・ナカソネ、作曲明本京静。1956(昭和31)年4月、東京宝塚劇場でその歌の発表会があったらしい。うたったのは、歌のおばさん、安西愛子。引用するのもケガラワシイけれど、1番はこんな感じ。「嗚呼 戦いに打ち破れ/敵の軍隊進駐す/平和民主の名の下に/占領憲法強制し/祖国の解体はかり(謀り?)たり/時は終戦六ヶ月」。2番「占領軍は命令す/若しこの憲法用いずば/天皇の地位請け合わず/涙をのんで国民は/国の前途を憂いつつ/マック憲法迎えたり」。3番省略。4番「国を愛する真心と/自ら立てて守るべき/自由と民主平和をば/我が憲法に刻むべし/原子時代におくれざる/国の理想も刻まばや」。ニッポンも核武装しようといふことか。5番「この憲法のある限り/無条件降伏続くなり/マック憲法護れとは/マ元帥の下僕なり/祖国の運命拓く者/興国の意気に/挙らばや」。マックはハンバーガーじゃでなくてマッカーサー。大勲位受章の御仁のニッポン語。なんたるお粗末。それもさることながら、「この憲法のある限り/無条件降伏続くなり/マック憲法護れとは/マ元帥の下僕なり……」の文言のひどさよ。対米永続無条件降伏&「下僕」状態は、憲法ではなく、あんたらが米国に平身低頭してつくったんだろうが。しかしだ、この歌を作詞した男が1982年、 第71代首相になるのだから、今日の惨状はむかしから約束されていたようなもの。そのときの外相はと言えば、現恐怖党党首Aの父。他人事ではなひ。敵のほうがジミチな努力をしてきたのだ。こんなバカげた歌をこしらえた男を首相にしたのはコクミンであり、いままさに恐怖党とその党首Aに平和憲法解体をゆるしているのもコクミンである。ヘイトスピーチをやりたいほうだいにさせているのも、心根の腐ったコクミンである。バカコクミンとマスメディアは、ひとりのこらず不作為犯なのである。エベレストにのぼった。(2015/02/11)

浄夜.jpg

・昨日、大道寺将司さんの新作を読む。体力の衰えと抗がん剤のつらさのなかでみちびきだされた一句一句。その深みに息をのむ。目が洗われ、こころが静まった。獄中に景色があり、獄外にはない。獄中に思想の海原があり、獄外はもう涸れた。今春、なんとしても会いにいかないといけない。けふ、マヒ、視床痛。エベレストにのぼらなかった。(2015/02/12)

赤化ツバキ.jpg

・ダフネ帰りに生け垣のツバキをみたら、花弁の朱が花粉を染め、葉っぱにも朱が映っているのでおどろいた。コビトは電線にオウムがとまっているのを見た。きのう『昭和戦争文学全集』別巻「知られざる記録」を読む。そのうち1939年に書かれた有名な旅団長(終戦時、陸軍中将)の手記に目をうばわれる。およそわるびれるところなし。「……したがって抵抗するもの、従順の態度を失するものは容赦なく殺戮した、終日各所に銃声がきこえた」。殺戮は他者の非道を非難する語感をおびているとおもっていた。「殺戮した」とじぶんから誇らしげに、かつ、事務的に述べた例をはじめてみた。「殺」はもともとバサッと斬首することであり、「戮」は手足など身体をバラバラにするという漢語。これをあわせて、むごたらしく多くの人を殺すこと、となり、大量殺戮はあっても少数殺戮はない。罪の意識は皆無だったのだ。恬として恥じていない。そうだったのだ。さんざっぱら殺しておいて「大元帥陛下万歳を三唱し奉る」だとさ。うむ、助詞がただしい。「大元帥陛下万歳を三唱し奉る」ではないのだ。おい、フクシュショーを名のるエテ公、知ってるか?いやさかいやさか。エベレストにのぼった。(2015/02/13)

樹と青空.jpg

・葉むらのすきまに青空が透けて、青がこちらがわにとろっと洩れてきている。神経がだいぶやられている。いや、まだそこまでではないかとおもいなし、だが、夜半に、危ないな、これはそんなにもつまいなと感じ、感じても詮ないとあきらめて、しばらく「歯車」を読み、寝る。「1945年に終わったものとは何だったか。『終わったいくさ』とは何だったのかということについては、私は『帝国』だと。かつて『大日本帝国』と自称していた『帝国』というものが『終わった』と考えるべきだと思います。また同時にそれは45年に『終わった』はずであったのが、実は終わっていない」「……実際には『帝国』の権力ときわめて連続性の強い権力構造というものを温存し、存続させてきてしまった」(高橋哲哉・ブックレット『アジア侵略のルーツ――近代日本の歴史認識を問う――』=9条の会・さいたま編=から)。これは敗戦後60年のときの講演(2005年8月14日)で話された。帝国の「存続(と復活)」の予言は的中している。ニッポンは戦争に懲りておらず、もしくは、かつて懲りたことをケロリと忘れている。エベレストにのぼった。(2015/02/14)

シェード.jpg

・家永三郎『太平洋戦争』(岩波現代文庫版)。「いわば十五年戦争は治安維持法の国際版であったと言えるのではあるまいか」。むむむ。エベレスト登頂2度失敗。3度目、左尾根(泥濘)からトライ、成功。右尾根(草地)よりおりる。昨夜、ラ・タベルナ・コビトで食事。(2015/02/15)

瓦礫.jpg

・「みんなひどくぴりぴりしていました。世の中がひっくり返ろうとしているところへきて、なぜだか強く身に危険を感じて不安になる――あたりが、どこもかもが危なかったのです。夜をただわけもなく怖がる、そんな極端なときにしか感じないたぐいの〈危険〉です。思い出せば、道を歩くみなさん真っ青な浮かない顔で、何かの前触れだとか、これから先のこととかささやくのですが、どなたもわざわざ繰り返したり、聞いたことにうなずいたりはなさいませんでした。国中はこれからとんでもない罰を受けるかのようで。星空の奥の深い闇から吹き流れる冷ややかな風に、人は暗くうら寂しいところで震えていました。四つの季節がめぐるなか、悪魔のような異変が起こる――時は秋で、暑さがいつまでも引かず、誰もが胸に抱くのです。この世界、いえもしかするとこの宇宙は、もう暴走するだけではないのか。わたしたちの知る神さまも、神さまの天候を操る力も、あるいはあずかり知らぬ力も、もはや及ばないのでは……」(NYARLATHOTEP H.P.Lovecraft 大久保ゆう訳)。そんなときです、おちょぼ口のあの男が、一頭の老けたオランウータンをつれてやってきたのは。何者なのか、本音はなにか、だれにもわかりません。「我を失い、感じるままのひとつの影が、手ならぬ手のなかでもだえ苦しみ、真夜中をいくら過ぎても、何も見えずにただ回るだけ。あたりには腐りゆく生き物、死んだ世界の死体だらけの、かつて街であった傷跡、死者をおさめる風が青ざめた星空を吹きぬけ、星々がわずかに輝く。あらゆる世界を超えてきた、化け物じみた何かの、ぼんやりとした幻。けがれた寺院の半分だけ見える柱は、空間の下の名状しがたい岩を足場として、光と闇の全域を超えた、めくるめく何もない空に向かってそそり立っています。そしてこの宇宙のおぞましい墓場にこだまする、くぐもる狂おしい太鼓の音、高く単調にかすれゆくこの世ならぬ笛の音。その源は、時の彼方の、人知を超えた、光なき複数の部屋。やがて呪わしい太鼓と笛の音に合わせ、そこでゆるやかに、無様に、そして愚かしく踊るのは、つつやみの、巨大な究極の神々――目もなく声もなく、心もない怪物の塊、そいつが化けて現れたものこそ……」(同)ニャルラトホテプ、すなわち、わたしたちが造ったのに、造ったものにわたしたちがのっとられ、もうそれを消すこともできなくなった「狂気」なのです。ダフネ。「もう何年ももつまいな……」。歳とった父娘らしい男女の、男がどろっとつぶやき、女がうなずいていました。エベレストにのぼりました。(2015/02/16)









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2015年02月02日

日録1―6



私事片々
2015/02/03〜

空と梢.jpg

・どうぞ、かってにきみひとりで「リベンジの旅」にでかけてください。もしもきみが捕まっても、われわれは身代金をぜったいに支払わない。交渉もしません。きみが、人質を故意に見殺しにし、米国にたたえられたように。いや、ちょっと待ってくれ、少しなら、身代金を払い、交渉もするだろう。きみだって人命の一種だろうから。でも、われわれは、「イスラム国」の主要な製造元のひとりである米政権の支持を必要としない。人命と自由は、国家よりも何百万倍も大事である。わたしはあらゆる種類の死刑に反対する。哲学的にみて、きみ、スィンゾー・アベは目下、諸悪の根源か、それにかぎりなく近い存在なのである。例によって深みに欠ける以下の米紙記事。顔写真をまちがえて拡大すると、はげしい嘔吐と悪寒をもよおすことがあるのでご注意!人質殺害は「ニッポンにとっての9.11」とわめくアベ配下のうさんくさい「元外交官」。つまり、ヌッポンも「米愛国者法」と同等の法律を成立させ、一切の人権を国家管理下において監視・制限しろということかね。事態は急速度に悪化している。これぞヌッポン伝統のうるわしきゼンタイシュギである。ただいま、御用新聞、御用テレビ、御用評論家、御用作家、御用学者、御用コクミンどものオンパレード!スィンゾー・アベ、きみの当初からの作戦どおりです。締めくくりに、どうぞ、きみひとりで「リベンジの旅」に旅だってください。おたっしゃで。エベレストにのぼった。
http://www.nytimes.com/2015/02/02/world/departing-from-countrys-pacifism-japanese-premier-vows-revenge-for-killings.html?hp&action=click&pgtype=Homepage&module=first-column-region®ion=top-news&WT.nav=top-news
(2015/02/03)

夜の投影.jpg

・わたしはダウンを着ているのに、夏物の薄地のジャンパーを着て、猫背にしてよろよろとあるいている老人をみた。手に生のサンマ(だとおもう。ナイフではない)を1尾もっている。尻尾がブラブラしている。なぜかはわからない。ベガ―ではない。ベガ―はこのクニではなりたたない。丁寧なことばで事務的にしめだされる。せんだって、NHK出版がとつぜん、拙著『私とマリオ・ジャコメッリ―――生と死のあわいを見つめて』の絶版を通告してきた。死亡通告みたいに。なにもおどろきはしなかったが、ああ、寒いなとおもった。2008年5月に教育テレビが放送したものを下地にして、翌年に刊行された、なんとなくすきな本だった。オビに「虚無と孤独の底から立ち上がる表現への渇望 自由への意思」とある。担当編集者だった高井さんが丹精してこしらえた本。高井さんは繊細なひとだ。いくつかの詩もおりこまれている。番組も、とびきり腕のいいディレクターとすばらしいカメラマン、編集マンたちが、ごく静かに、しかしそれぞれの熱をこめて、自由に、じっくりと完成させた。音楽もよかった。プロたちのよい仕事だった。あれから7年。たった7年。なにも変わらないようで、すっかり変わった。ぞっとするほど変わった。鳥肌がたつほどに変わった。吐き気がするほどに変わった。売れのこり、死亡宣告された本は、これから寒天下をあてどなくさまよう。それはジャコメッリらしいともおもう。これで自由になった気もする。エベレストにのぼらなかった。連載「1★9★3★7」(週刊金曜日)8回目を送稿。(2015/02/04)

夜のハボタン.jpg

・言語表現の容量が急速に収縮し萎縮している。1945年敗戦からこれまででおそらく最低のレベルではないか。国会でごくとうぜんの質問をしただけで、〈テロリストの脅しにくっすることになる〉〈敵を利することになる〉式の答弁で、逆ににらみつけられ、すごまれて、野党がすくみあがっている。みんながビビっている。一方で、ときならぬ「国家意識」の吹きこみと膨張。「つぎつぎになりゆくいきほひ」とはこのことだ。イエス、あれですあれ、上に「ファ」のつくあれ、ファッキン・ファシズムである。エベレストにのぼらなかった。(2015/02/05)

ミモザ・スカイ.jpg

・狂える時代とイカれた民衆は狂える指導者を産む。産んだ。狂える指導者は狂える時代とイカれた民衆を産む。産んだ。いくときもくるときも、一足飛びなのだ。あれよあれよ。軍国主義への道はかく整備されていく。時代はとびきりのアホたちを必要としている。ニッポンのばあいは、ファシズムの底流に、つねに「無常観の政治化(politization)」(堀田)がひそむ。「『諸行無常』の観念は、一方では『なりゆくいきほひ』のオプティミズムとはげしく摩擦しながら……むしろ不断の変化と流転の相のもとに見る『古層』の世界像と、互に牽引し合うという奇しき運命をもった」(丸山)。もっともっと悪化するだろう。この政権は沖縄をどこまでもおとしめている。100パーセント正体をさらけだしている。感情をむきだしにしている。戦後最悪の政権である。怖ろしい。昨夜、ひとしきり死に方について話した。「行旅死亡人」がよいのでは、という意見があった。そうはうまくいかない。エベレストにのぼった。(2015/02/06)

切り花.jpg

・「……琉球やまことに日本の頸動脈、/万事ここにかかり万端ここに経絡す。/琉球を守れ、琉球に於て勝て。/全日本の全日本人よ、/琉球のために全力をあげよ。/敵すでに犠牲を惜しまず、/これ吾が神機の到来なり。/全日本の全日本人よ、/起って琉球に血液を送れ。/ああ恩納ナビの末孫熱血の同胞等よ、/クバの葉かげに身を伏して/弾雨を凌ぎ兵火を抑へ、/猛然出でて賊敵を誅戮し盡せよ……」(「琉球決戦」)。と、書いたのは高村光太郎だった。1945年4月2日に高村がこの詩(!?)を書いたとき、硫黄島の日本軍はすでに全滅していた。そのとき高村は「賊敵を誅戮し」みずからも死ね、と沖縄にとんでもない檄をとばしたのだ。夥しいひとびとが殺された。自死をしいられもした。沖縄とはなにか?沖縄とはなんなのだ。2015年2月、知事がわざわざ会いにきても会ってもらえない沖縄とはなにか。官房副長官ごときが、いやいやたった10分会っただけで門前払いか。全日本の全日本人よ、沖縄をどこまで侮辱すれば気がすむというのだ。なんということだ。なんという無礼だ。梯明秀『戦後精神の探求――告白の書』。エベレストにのぼった。(2015/02/07)

石化ーサルスベリ.jpg

・いま、からだのなかを砂嵐がふいている。そうだろう。こちらはからだがネジリ飴だ。このクニはなんだかさっぱり見なれぬクニになった。このクニのことをわたしは知らない。存じ上げませぬ。梯明秀『戦後精神の探求――告白の書』(勁草書房1975年版)のP95「第三章 時局の精神的断層」は興味深い。P170「6 転向者のイロニー」、P182「7 戦争の精神的遺産」は要再読。この歳になって、わからないことばかりだ。わからないことばかりを発見して、わかろうとしているうちに、すぐに時間切れになる。目がかすむ。わからないことが幾重にも埋まり、土中にかくされている。表土しかみえていない。エベレストにのぼった。(2015/02/08)

落下.jpg

http://www.47news.jp/CN/201502/CN2015020701001721.html
じぶんを「ファシスト」ですと公言する「ファシスト」は、きょうび、ごく稀である。ファシストはいまやぬけぬけと「反ファシズム」を語って恥じない。九か国条約、パリ不戦条約をやぶって満州を侵略して中国大陸侵攻を一気に拡大、国際連盟から脱退、ナチス・ドイツと軍事同盟を結び、「自存自衛」「大東亜の新秩序建設」のためと称して太平洋戦争に突っぱしり、おびただしい人びとを死にいたらしめた歴史を、すこしでも反省するどころか、南京大虐殺も従軍慰安婦の強制もなかった、極東軍事裁判はまちがいと否定するこの男の言のいったいどこを、コモロフスキ大統領よ、信じるのかね。「反ファシズム」とは笑わせる。東条英機内閣の商工大臣や軍需次官をつとめ、戦犯被疑者として巣鴨拘置所に入所した岸信介の(オツムにかなりの難ある)外孫は、ただいま戦争の亡霊を墓場からひきずりだすのにいそがしく、憲法9条を完全に破壊して日本を軍事強国化しようとしているのに。コモロフスキ大統領よ、ちゃんとしたブリーフィングをうけにゃあかんよ。エベレストにのぼった。(2015/02/09)









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2015年01月27日

日録1-5


私事片々
2015/01/27〜2015/02/02

樹と空.jpg

・友よ。想おう。「・・・・・・私がある場所について語るとき、その場所は消滅している。/私がある人について語るとき、その人はもう死んでいる。/私が時間について語るとき、時間はすでに存在しない」(J.B『なぜ、すべてがすでに消滅しなかったのか』塚原史訳 筑摩書房)。やつらが野蛮というなら、サイクス・ピコ協定はもっと野蛮ではなかったか。やつらが極悪非道というなら、米軍のイラク爆撃はその数万倍も残忍ではなかったか。ファルージャでなにがなされたか。やつらがペテン師というなら、ABとその仲間は、まけずおとらずの暴力的詐欺師集団ではないか。ABとその仲間は、沖縄の選挙結果をまったく歯牙にもかけず、暴力的に基地建設をすすめている。いまなにがもっとも危険なのか。いまどんな脅威がせまっているのか。人びとはABをえらんだことのツケを今後、延々としはらわなければならない。連載8回目。泰淳「審判」と川西政明さんのエッセイおよび『武田泰淳伝』照合、チェック。発見あり。ダフネ。エベレストにのぼった。(2015/01/27)

ツバキのつぼみ.jpg

・エリトリアのことをプレトリアと言いまちがえていた。ちょっと傷つく。アスマラの時間はいまも、水飴のようにゆっくりとながれ、東京よりもよほど「まとも」だそうだ。そうだろうな。けふ、「イスラム国」のことを常識のつうじない「モンスター」と呼ぶ学者だか評論家だかがいた。じぶんたちは「常識」のわかる非or反モンスターとでもおもっているのだろうか。モンスターが産まれきたときの産婆は米欧だったのに。「現代は昔のものと元どおりのものを〈クローン〉にして生きている」(ドゥギー「パニックの記」)。官邸前だったか、人質解放をもとめてあつまった人びとが「ウサギオイシカノヤマ……」とうたったのだそうだ。寒気がした。「無変化のよそおいをした全面的変化(崩ー壊)がおきている」。エベレストにのぼった。(2015/01/28)

車と白煙.jpg

・2日ほどまえにフリッツ・ラング監督の『M』(1931年)をみる。おもしろかった。ストーリー展開、編集、カメラアングル、演技、映像のメタファー、テンポ……どれをとっても「いま」よりみおとりしないだけでなく、むしろぬきんでたものがある。ファシズムは、にもかかわらず、成長した。「時間」は「現在」よりすすんだり遅れたりするものなのか。エベレストにのぼらなかった。(2015/01/29)

しもばしら.jpg

・世界には世界によって堕胎された「反世界」というものが、ほぼかならず、ある。antiworld。反粒子的世界。ホルヘ・フランシスコ・イシドロ・ルイス・ボルヘス・アセベードの世界。「汚辱の世界史」。たとえば、「忌まわしい鏡」。「われわれの住む世界はひとつの誤謬、ぶざまなパロディーである。鏡と父性とは、パロディーを増殖し確認するがゆえに忌むべきである。嫌悪こそ第一の徳である」。わたしたちはいま、わたしらの世界(母胎)がわれしらずボットンと流産した反世界をみせつけられている。悲しみ、怒り、(ときにはふとどきにも)楽しみ、消費し、次の劇的展開を期待しながら……。気がつくと、玉座のまえの裁判においては、ハートのジャックが女王のタルトをぬすんだ嫌疑で起訴されており、白ウサギが裁判官役の王たちのまえでもっともらしい顔で罪状を読みあげている。指つめろ!いや、死刑だ!アリスは陪審員の動物たちにまじって裁判を見物しているうち、じぶんのからだがどんどん大きくなりはじめていることを感じる。マツコDXのように。裁判では証人として変態帽子屋、ニセ公爵夫人の料理人がよびだされ、3人目の証人としてアリスの名がよばれる。反世界はそんなようなものだ。われらの世界のすぐとなりには反世界が、われらが世界のへその緒とつながって延々とのびている。延安だって、かつてはじゅうぶん反世界であった。人民が飢えているというのに毛沢東らはポーカーをしていた。鉄砲から政権がうまれる。労農赤軍=PKKA(エールカーカーアー)も、かがやかしい反世界として、おびただしいひとびとを殺戮した。で、忘れまい。「皇軍」は中国における「もっとも野蛮な反世界」であったのだ。気まぐれな斬首と24時間のべつまくなしのビンタと強姦をだれよりもこのんだ反世界。おどろくべき歴史観と非人間観と手前勝手な(反)世界観と壮大な忘却。その頂点にエンペラーを後生大事にいただいていた。そうではないかね、安倍君。この機にじょうじて9条をかんぜんにつぶす気かね?そうしたら、どうなるか気がついているのかね。「汚辱の世界史」でも読みたまえ。世界が反世界を堕ろしたのだ。米国が日々だらしなく流産しつづけているもの。欧州がけふも堕ろしつづける「人権」と貧困とテロルと反イスラムと反移民。ぶざまな無限パロディー。そして、反世界こそが現世界を産んだのである。いつも血だらけの流産なのである。わたしらはみな畸形である。ああ、また孕んだのだな。そのくりかえし。ウサギオイシカノヤマ……とかハナハサク……はやめたまえ!その歌はキミガヨとともに、反世界の呪わしい弔歌であることに、まだ気がつかないのかね。安倍君、ぼくは君と君のコクミンがきらいだ。エベレストにのぼらなかった。(2015/01/30)

タクシーにて.jpg

・『M』には時代の妖気がただよっていた。小津安二郎の『生まれてはみたものの』には、言わずもがな、一片の狂気も妖気も殺気もありはしない。前者は1931年、後者はその翌年の映画である。31年には柳条湖事件がおき、32年には桜田門事件、第一次上海事変、5.15事件あり、ドイツ総選挙でナチスが圧勝し、堺利彦が世情にたえかねたかのように「発狂」している。時代は「いま」と質こそちがえ、あきらかに狂ってきていた。じつのところ、「1★9★3★7」は「1★9★3★1」であるべきであったのだ。それは先刻承知している。小津安の映像がうめこんでいる「時間」には、なにかいかがわしいうごめきがある。なんだろう。石原吉郎の詩集の表題ではないけれど、それは「日常への強制」である。執拗な強制。丸山の言う(おそらくニッポン・ファシズム固有の)「執拗な持続低音」(basso ostinato)は、小津安映画のちゃぶだいと食器と箸、畳と縁側、しつこい無音とみえない性器たち、それらを舐めつづけるカメラアングルに、きれめなくながれている。けふ、はじめておもった。小津安の映画はひどく猥褻である。卑猥であり、あまりにもおしつけがましく、とんでもなく〈反動的〉だ。ダフネ。エベレスト冠雪。滑落の危険性あり、登攀をひかえた。(2015/01/31)

夜のビークル.jpg

・第三部 日本は「共産主義を撲滅する」1殺人教育 「日本を導く唯一の精神は神道である」(平沼騏一郎男爵)/(本文)サーマン・アーノルド曰く――「平和な社会にも戦争に劣らぬ兇行がある」と。およそいかなる人間も日常生活を続けていく上には、さまざまな形での兇行をおかさずには済まないであろう。また、いかなる人種も戦争に際しては野蛮性にたちかえりやすいものであろう。しかし、以上のことは認めることはできても、この世界のいずこにおいても日本の軍隊ほど人間の堕落した姿を念入りに、そして全く組織的に暴露しているものはないということは、否定しようにもすることのできぬ事実なのである。……/日本軍の正体がどうもとらえにくいのは、一に日本人の中に、人種的に関連のあるイゴロット人の場合と同じく、医者と首刈人が今もなお併存しているからである。イゴロット人は爆撃機など持っていないからよいようなものの、この軍隊は首刈時代の伝統を残していながら、近代医学の技術と戦争「科学」をマスターしているのである(エドガー・スノー『アジアの戦争 (The Battle for Asia) 』=1941=年、引用終わり)。いやはや、あまりといえばひどい言い方じゃないか。しかしながらだ、柳条湖事件―盧溝橋事件―南京攻略(大虐殺)―武漢作戦へとつづいた「皇軍」の(行軍しながら殺しまくる)残虐な侵略拡大のプロセスを、被侵略のがわからみるとき、スノーの記述は、そこいらの「ヘイトスピーチ」とはまったくことなる、あまりにもリアルな事実をせおった激怒であることがわかる。目をうつしかえてみなければならない。米軍のイラク侵攻・無差別爆撃・大量殺戮。旧日本軍のアジア侵略・大量殺戮。加害者は被害者にどれほど詫びたのか。どのような責任をとったのか。記憶に時効は成立しない。憎悪と屈辱の記憶は代をついでのこっている。「われわれはすでに新しいタイプの戦争という零落の状態」にあり、「この前例のない戦争の中心にあって賭けられているのは情緒であり、この戦争は変幻自在でその形式は前代未聞である」。そうなのだと言うしかない。前代未聞の戦争。2015年現在は100年前より公正な世界をもっているわけではない。大戦争はこんごにくるにしても、平時下の装いのなかで、目下、世界はまぎれもなく戦時中なのだ。第一次世界大戦後の英国の中東政策はかつて、「三枚舌外交」とよばれたほどにインチキだった。屈辱の記憶は各所で爆発しつつある。約100年もまえの列強の不正の数々に「われわれ」は責任を負えはしない。けれども、わたしは「われわれ」ではない。とりわけ、Aのしつらえる「われわれ」にくみすることはできない。〈陰惨な言語不通状態〉を嘆くまえに、米国とその有志連合にたいするひとびとの憎悪と不信の深さとその由来を知るべきではないのか。Aの凶相はつとに今日の到来をやくそくしていた。そうではないか。悲劇の招来は目にみえていた。かけがえのない人命よりも、Aは米国と有志連合への「信義」を優先した。かよわい人命よりも国家意思をためらいもなくえらんだ。Aに〈悲劇の主人公〉を演じさせてはならない。Aが〈殺す風〉の風上にいたのはあきらかだ。あの命をすくうためになにをしたというのだ。どれほど懸命に工作し腐心したというのだ。そうすれば危機に瀕したあの命がどうなるのかを知りつつ、米国と有志連合側に、これみよがしにすりよったのは、いったい、どこのだれだ?かれはいま内心ほくそえんでいる。労せずして9条を扼殺できると。9条のないニッポンは、ただの〈ゴロツキ国家〉になるだろう。われわれはAの「われわれ」ではない。われわれは、消されたあの命につながる、ひとりひとりのわたしである。エベレストの雪凍結。登頂断念。(2015/02/01)

白いふちどりのチューリップ.jpg

・「あらゆる場所で、世界の連続性に亀裂が生じている。個別的なものが、存在するという裸形において浮きたっている」(E.L)。しつこい口臭。たぶん、けさのカイワレダイコンの。マルクス主義のオプティミズム。「共同体の構造的な掟というべきもの。暴力の回帰的な性格。宗教的なものの、のりこえがたい性格に理解をしめさない」「歴史的な危機が到来するたびに、民族的アイデンティティが階級的アイデンティティを凌駕する」(R.D)――のはなぜなのか。そうなのだろうか。わたしにはよくわからない。ダフネ。エベレスト、右稜線からのぼった。いま、光ワラジムシが、どこかでそれとなくうごいているようだ。音はない。非在と存在のあわいを這っている。やがて消えよう。光ワラジムシが。そうであるにすぎない。とにかく眠ることだ。(2015/02/02)










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2015年01月20日

日録1―4



私事片々
2015/01/20〜

オレンジ色のユリ.jpg

・ザ・マンモス・ホスピタル(TMH)にいった。ごくたんじゅんに眠剤と精神安定剤をもらいに。ただそれだけでよかったのだ。MSつきそい。けふ6歳誕生日の犬は留守番。ザ・マンモス・ホスピタルは全フロア戦場だった。どうしてこうなってしまうのか。ここはいったいなにがしたいのか。TMHの最終目的はなんなのだ。ここでかつて下痢のAをみたことがある。ここはAたちの城なのだ。ホスピタルといふのに、どこにもすこしの安らぎもない。腹から自転車のチューブみたいなはらわたをもりもりとはみだした患者が担架ではこばれてゆく。どいて、どいてえ!廊下にずるずるとはらわたをひきずっている。タイヤ痕がつく。ひとのはらわたくらいお腹にかくしてやれないものか。手でもってあげたらどうなのだ。みな目が血走っている。顔がひきつっている。車椅子がぶつかってくる。ガッチャーン!医者がどなりちらしている。看護師が金切り声をあげている。「2時間待ちよーっ!もうパンクなのよーっ!戦争なのよ!」。MSがしきりにグチる。ここはなどてこげんに大便くさいとですか。そんなこと知らない。むかしからだ。むかしからクソくさいのだ、ここは。前立腺肥大の元プロレスラー(恐怖党員)が採尿紙コップからオシッコをぼとぼと床にこぼしている。機械がしゃべっている。「ではじめのおしょうすいではなく、チュウカンニョウをてきせつにごサイニョウくださいませ」。おれはたんじゅんに眠剤と精神安定剤をもらいにきただけなのに、2時間半待たされ、あげくに採血、採尿を命じられる。つかれて抵抗できず。めんどうくさいので、MSのチュウカンニョウを採尿カウンターにおいてくる。クワガタムシみたいな医者(恐怖党員)にさんざいばられ、いやみを言われ、やっと眠剤と精神安定剤をもらえることになるが、自動ゼニ支払機がえらいこんでいて、300人も列をつくっている。暴動おきない。ぜったいにおきなひ。みんなザ・マンモス・ホスピタルで死にたいのであらう。それが本望なのであらう。MSに車椅子をもってきてもらう。待っていたら、場内アナウンスあり、25番窓口へ。3階の産科のドクターがあなたを待っている。と、言われたって困る。産科?わたすぃはだれもふぁらませてはいなひ。それに、感覚障害とマヒがこうじてもう歩行不能だ。産科⒏番の前で1時間待たされる。呼ばれる。入る。ラクダ顔の医者(恐怖党員)。「あなたさまは7年前に精子バンクにあなたさまのご精子保存をご依頼なせれまひたね?」。わたすぃ「……!?」。おぼえがなひ。そう言ふと、看護師(恐怖党員)がむかしの「依頼状」というのをもってくる。MSがのぞきこむ。わたすぃのサインかわからない。脳出血で大腸がんその他をわずらったずぃぶんが、精子バンクに精子をあずけるわけがないではないか。そのむね、言ふ。それどころではなひ、と。いや、あなたさまのサインがあります、とラクダ。ぅわたすぃ「で、その精子は元気なのですか?」。ラクダ「わかりかねます。生きているとしても、1個か2個……。元気がなひですから……」。ああ、ヤバい。7年間の精子保管名目で恐怖党に数十万イエン、いや100万イエンもふんだくられるのじゃなかろうか。おれはたんに眠剤と精神安定剤がほしいだけなのに。もふ、いいです。その精子を破棄、いや、廃棄します、と言う。ならば、お金いらない、とラクダ。にやにや笑っている。保存依頼ご精子廃棄合意書2通にサインさせられる。結局、なんだかわけがわからない。精子がかわいそふな気もする。いまわかるのは、イスラム国つぶし名目で、Aがジャパン国防軍ジブチ基地を拡大・恒久化し、海外派兵どころか海外基地増強をはかっていることだ。年内にもジャパン軍部隊は海外で戦闘参加するかもしれない。やる気だ。やりたひのだ。とっくに目にみえていたことではないか。イスラム国に動機と口実をあたえたのはAである。わざと挑発したのだ。イスラム国の蛮行実力阻止を理由に、9条がつぶされる。ザ・マンモス・ホスピタルはなんの目的もなく狂いつづける。ああ、ウンコくさい。エベレストにのぼらなかった。(2015/01/20)

ビルディング.jpg

・「9・11は想像力を乗り越えていたのである」。あの有名なコメントをいまおもいだしているひとがいるとしたら、少なくともテレビのコメンテーターよりずっとましである。「――テロリズムは全能性を獲得したパワーの内部分裂の表現として解釈できる(世界システムそのものに内在するグローバルな暴力)」「だから、ブレヒトがファシズムについて語ったのとまったくおなじように(ファシズムはファシズムと反ファシズムによって構成される)、テロリズムの全体は、テロリズムと反テロリズムによって構成されているのだ」「テロリズムが狂信主義と暴力を体現しているとしても、テロリズムは、それを非難する者の暴力と彼らの無力さの具現化である」(ボードリヤール『悪の知性』塚本史+久保昭博訳)。世界はテロリズムを憎むと言いながら、みずからの腹にテロリズムをつねに胚胎している。テロリストの胎児をそだてておきながら、その撲滅(子殺し)を語っている。なによりも、フィクション以上のスペクタクルとホラーを、世界はブルブル震えながらエンジョイし、消費しつつある。エベレストにのぼった。第5回目のゲラをもどした。(2015/01/21)

ザマンモスホスピタル.jpg

・第6回確定稿送る。けふも連載「1★9★3★7」を書いていて、ふとおもふ。ジュネーヴ条約もハーグ陸戦条約もあったものではない。そんなものいっさい無視。国際的準則ゼロ。ノーヒューマンライツ。武力をもって平気で他国におしいる。よくもまあ、あんなにもひとの首を刎ねるものだ。逆らう者は容赦しない。もっぱら首をねらう。悪夢が現実を食いやぶる。あれれ!?どこかのクニのむかしに似ていないか。いにしえの「祖型」というのでしょうか。Aはなぜ、なにをしに、なにを予測して、イスラエルにいったのか。無知と傲慢とひとりよがり。エベレストにのぼらなかった。コビト虐待されているらしい。(2015/01/22)

紫色の枯れたような花.jpg

・強風をついて右尾根からエベレスト頂上アタック。少々冒険だったがなんとか成功。うれしくはない。ここが、世界のどことも地つづきではないことをねがう。もう害されていない時間はどこにもない。知ってはならないこと、見てはならないことどもを、たっぷりと見知ってしまった者は、ヒイラギとともに凍え死ぬよりほかはない。葉腋によくにほふ白い小花をポツリとつけ、核果はいずれ紫黒色に熟するとしても、時間はもう毒されてしまったのだ。とっくの昔に。(2015/01/23)

ミモザの空.jpg

・おぼつかないのだ。黒い穴だらけだ。よるべないのだ。うそだらけ。あやういのだ。情けないのだ。いぶかしいのだ。いかがわしいのだ。ふいに攣るのだ。なにものもないのだ。あるかにみえて、ただ、ひたすらないのだ。ただ、ひたすらあるようにみえるのだ。罠だらけ。かれとかれらは、あらかじめ、それを知っていた。知らされていた。なのに、あの日はじめて知ったふりをしてみせた。かれとかれらは、いったいどこにいて、だれのために、なにをしていたというのだ。かれとかれらは、あらかじめ、それを知っていた。たすける気など、はなからなかった。しかし、たすける気があるふりをしてみせた。どうふるまえばヒーローになれるか、話しあわれた。かれとかれらは、あらかじめ、それを知っていた。知らなかったふりをしつづけた。その時点で、あのできごとは、すでに終わっていたのかもしれない。それでもいいと、かれとかれらは判じた。問題は、できごととわたしが、なぜ、どこで、いかにかかわるか、または、なぜ、すこしもかかわりあいがないか、だ。午前、循環器内科。MS 。あるいてダフネ。ミモザをみる。エベレスト左尾根から登攀。散髪。「あ」がいた。マスクをしていたが、すぐに「あ」とわかった。ていねいにやわらかくゆっくりと洗頭。第7回なおし。明日送稿予定。「非道徳的道徳国家」(藤田省三)のタームをなぞる。夜『瀆神』めくる。文言のかくにん。「資本主義はおそらく、罪を浄化するのではなく罪を着せる信仰の唯一の事例である」(ベンヤミン)が引用されている。「宗教としての資本主義」は、「これまで存在した宗教のなかでおそらく最も極端で絶対的なものである」し、それには「休止も仮借もない」。つまり「宗教としての資本主義」こそが、諸宗教のなかで、もっとも残忍なものだということ。内閣府の世論調査で「死刑はやむをえない」と容認するひとのわりあいが80.3%だったことが公表される。このタイミングで。だから、ちかく執行するということか。(2015/01/24)

夜の街.jpg

・たんじゅんなことだ。かれは、人命よりも「国家」がだいじであると、ほとんど躊躇もせずに、宣言したのだ。戦いたいのだ。有志連合軍とそのボスにたたえられたかったのだ。結果はみえていた。歴史が逆巻いている。憲法が停止されている。かれは戦争の世界化傾向を抑止・回避する方途をさぐるのでなく、戦争の世界化に拍車をかけている。憲法はかれにより停止され、「例外状態」が恒常化している。事態はもっと腐爛するだろう。Aの面相が変わった。なんという凶相!エベレストにのぼった。連載第7回目送稿。(2015/01/25)

ミモザ.jpg

・安倍政権はますます本性(地金)をさらしはじめている。Aは「イスラム国」の毒を浴びて、ますます猛っている。奇貨おくべし。内心そうおもっている。世論はいともかんたんに操作されている。安倍政権はただひどいだけでなく、怖い。肉体的な恐怖をかんじさせる。零時からBSのアイヒマン裁判みる。なんどみても発見あり。連載8回目着手。MSのおかげで川西政明さんのコラム(2006年)すぐに入手。たすかる。エベレストにのぼった。(2015/01/26)







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2015年01月13日

日録1―3



私事片々
2015/01/13〜

車中からの眺め 共同のかえり.jpg

・昨晩は95枚以上送った。疲れぬけず。今後どうするか。向井君からは、やる気のわくよい感想をもらった。お父さんが胃瘻をするかどうか、これから主治医と話すらしい。そういうことが、いまの原稿と精神の深みでかんけいしているとおもう。向井君の父上が胃瘻をするかどうかと、わたしが南京の大虐殺の原稿を書く構えには、たぶん、なんらかのかかわりがある。身体的な実感。母もいずれその課題にぶつかる。正午、イタメシ屋でナイロビの中野君、舟越と会う。またナミブ砂漠の話。あざやかな煉瓦色とシャレイ・ブルーの空を脳裡にみる。中野君がエベレストをみたいというのでつれてゆく。「意外に低い」といわれる。いっしょにのぼる。中野君は明日東京を発つ。(2015/01/13)

かわたれどき.jpg

・終日『忠誠と反逆――転形期日本の精神史的位相』。昂奮した。むかし『現代政治の思想と行動』を読んだころ、これほどのおもしろみをかんじなかった。吉本がバカにしたものを尻馬にのってバカにするだけではだめだったのだ。一知半解で、謙虚さに欠けた。まずしっかり読みこんで、学ぶ姿勢がなかった。あらさがしばかりしていた。批判は、まず読みこまないとだめだ。昨夜、父の書きのこしたものを多数発見。鉛の棒でぶんなぐられるほどの衝撃だった。父は出征後まちがいなく南京の「金陵部隊」にいた。士官を志願し、合格し、少尉になり、戦闘に参加し、ポツダム中尉になった。敗戦後、戦友会にもでていたかもしれない。大虐殺時と年代がずいぶんちがうけれども、父と南京をむすびつけたくなかった。無意識に記憶に蓋をしていた。知りたくなかったのだろう。だが、そうもいかなくなってきた。私記「1★9★3★7――『時間』はなぜ消されたのか」は、今月末から、週刊金曜日に連載されることになった。最終的に350〜400枚くらいか。媒体として適切かどうかわからない。すきではない。すきな媒体などない。媒体がどうのこうのと言っている余裕はない。犬とともに、引っ越しをかんがえざるをえなくなった。面倒くさいがやむをえない。まだまったくあてはない。決心だけ。だが、遠からずかならず引っ越す。きのう、あなたは若いとき学生運動をやっていたのに、就職して公安担当記者になってがんばったのはなぜか、と聞かれた。そのことも「1★9★3★7」に書く。Tさんには、読んで、きびしくご批判いただきたい。予定どおりなら今春就職するK君にも。K君にいちど会いたいものだ。かれのほうが世界を知っているはずだ。話を聞きたい。エベレストにのぼらなかった。中野君が発った。搭乗1時間前にメールをくれた。(2015/01/14)

雨のデッキ.jpg

・第1回のゲラ戻す。すでに3月分くらいまではあるらしい。この間にできるだけ多くストックをためて、居場所をみつけ、引っ越さないといけない。どこまでも逃げることだ。昨夜「丸山真男とアソシエーショニズム」(2006年、柄谷行人)をぼんやりと読む。読んでいると、こちらの思考の穴にいやおうなく気づかされる。かえって丸山のこれまでみえなかった文のちからを知る。「執拗な持続低音」(basso ostinato)に、ニッポン・ファッショの通奏低音を聞く。そういうことだ。なにひとつ、どれひとつ、新しくはない。現政権はただひたすらに危険である。「なりゆく」「なりまかる」ものを、たたきこわさないといけない。こちらがこわされるにしても。エベレストにのぼらなかった。(2015/01/15)

雨の階段.jpg

・第2回最終稿もどす。「『万世一系』のイデオロギー的な強みは、『一君万民』という単独者の支配(モノ・アルキア、中華帝国の場合)にあるよりは……皇室が、『貴種』のなかの最高貴種(primus inter pares)という性格によって、社会的に支えられていた、という点にあった」。なるほど、強権支配は不要でもある。その点、中国よりもつよい。なぜなら社会が皇室を綿のようにつつみ、支えているのだから。社会が、国家権力になりかわり、反皇室をそれとなく弾圧(成敗)してくれるのだから。このばあいの社会とはマスメディアを筆頭にふくむ。「『永遠者』の観念に代位する役割」か。ヌッポン帝国のマスメディアとマスは、おそろしいいきおい=いきほひ=で劣化している。「フルビネクは1945年3月初旬に死んだ。彼は解放されたが、救済はされなかった。彼に関しては何も残っていない」の文章がすきだ。いつ読んでも、とてもすきだ。静まる。アパートさがし進展なし。エベレストにのぼらなかった。(2015/01/16)

辺野古のゲート前.jpg

・第4回までゲラ送稿。きのう、カフェの帰りに汚いトラ猫をみた。ノラだ。植えこみの陰。お腹がぼわーんと大きくなっていた。地面につきそうなほどたれさがっている。ぎっしりと仔猫をはらんでいる。とても重そう。仔猫たちが腹のなかでもぞもぞとうごいていた。そうみえた。写真を撮ろうとおもったが、なんとなく撮るのをやめた。M君のお父上、胃瘻は危険なのでやめて、経鼻になるらしい。父が生きていれば、M君のお父上と同い年であることに気づく。1922年生まれの、うすれゆく記憶。こうやって歴史が激変している。時間が目下こわれている。こわされている。昨夜、B君から久しぶりにメール。とてもうれしかった。どこからかとおもえば、辺野古基地ゲート前。写真。米兵があるいている。沖縄2紙の記者はいたけれど、「本土」の記者はいなかったらしい。そういうことだろう。けふ、Dさんから手紙。年末に送った本が検閲のためにやっと着いたらしい。気合いでエベレストにのぼった。ダフネで、あれはたぶん、英国人がはなしていた。気味悪いほど甘い声で「コックローチ……」と言うのが聞こえた。日野啓三さんの『時間』評(1955年)を、苦労のすえみつけてもらった。さすがによいものだった。感謝。(2015/01/17)

トウキョウ.jpg

・昨日、ナイロビの中野君からメール。ATMにカードを入れたまま忘れてきたが、盗まれることなく、カードが銀行にとどけられていてびっくりしたという。来週アスマラにいくらしい。たしか紅海にちかい2000メートル以上の高地だ。あの街をあるきたい。丈の高いビルはなかったはずだ。けふダフネ休みのため、額縁屋のある路地のずっと奥の「kikiya」にはじめてはいる。大きく深いカウチにすわる。客はいないようだ。ホリイジュウコウさんが店番をしていて、ベトナムコーヒーを供される。ぼくはおどろかない。ホリイジュウコウさんは、とっくに亡くなったぼくの伯父である。アラン・ラッドにどことなくにていて、ときどきうすく恥ずかしそうに笑いはするが、ほとんどしゃべらないひとだ。だから、声がどんなだったか憶えていない。全人生で500語も声にして話したかどうか。それでいて陰にこもるということもなく、いつも静かにたちはたらいていた。kikiyaでもそうだ。かれはだまって拭き掃除をしている。ホリイジュウコウさんほど無口で誠実で勤勉で温厚で目だたないひとをみたことがない。戦争にいっていたと聞いたことがある。ホリイジュウコウさんがどうやって戦争をしていたのか、さっぱりイメージがわかない。「犬をあずけてアスマラにいきたいのです」。ティグリニャ語で言ってみた。ホリイジュウコウさんがふりむき、笑ってうなずいてくれた。どこにもたくらみはない。エベレストにいったが、親子連れがいたので、のぼらなかった。アパートさがし進展なし。犬とアスマラに住んだっていいのだ。星がきれいそうだし。(2015/01/18)

炎FullSizeRender.jpg

・『もの食う人びと』や『水の透視画法』を編集した木村剛久さんが、じしんのブログで拙著『霧の犬 a dog in the fog』を論じているのにけふ気づく。
http://kimugoq.blog.so-net.ne.jp/2014-12-11
木村さんはたいへんな読書家で、本を軽々にほめたりけなしたりしないひとなので、すこしおどろく。霧の犬はわたしからはなれて、勝手にあるきまわり、友人たちに〈あの薬〉をくばっているらしい。1月10日の宮崎悠氏による図書新聞書評を読んでもそれ(服薬ぶり)がわかる。1月11日づけ中国新聞の『霧の犬』書評も、宮崎氏のとはもちろん味がことなるけれども、ずいぶんまっとうだった。犬とコビトのおかげだ。あすは犬の誕生日。エベレストにのぼった。対談本、ちょっぴり重版がきまったらしい。『霧の犬』は重版していない。しなくていい。犬誕生日前夜祭。コビトが犬用バースデーケーキをもってくる。(2015/01/19)








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2015年01月06日

日録1―2



私事片々
2015/01/06〜

1月6日の樹.JPG

・寝不足で3枚ほど。ついつい横道にそれてしまう。「海ゆかば」をしらべていて、CD「海ゆかばのすべて」とかいうものをちょっとだけ試聴。みんなが絶賛のそのCDのアマゾンレビューに、堂々☆1個のみをつけているひとのかきこみがみごとでビックリ。タイトルは「日本の純真な若者を大量殺戮に追いやった狂宴の序曲」で、大伴家持批判にはじまり、「死だけを浮かび上がらせて、あなたのためなら火のなか、水の中もいとわず、いつでも死にます、なんて言えるのは三文小説の安せりふか、やくざ映画を見すぎた、三下やくざぐらいのものである。こんな歌を歴史のくずかごから取りだして、お国のため、天皇のため、聖戦のため、大東亜共栄圏のため、八紘一宇のためと言って、青少年に死を覚悟することがあたかもすばらしいことのように思わせた、当時の軍部・為政者・社会上層部の人々の罪は深い。また報道関係者の人々も同罪」と切ってすてる。同感。このひと、ほかのレビューもおもしろく、とくに『葉っぱのフレディ』(やはり☆1個だけ)批判はひねりがきいていて、かつ、よみこみも深い。この本がじつは「葉っぱさん」を冒涜している、悪書中の悪書……という断じかたにも惹かれる。かとおもうと、なんとかいうひげそりに☆5個あげていたりしていて、わろた。エベレストにのぼらなかった。(2015/01/06)

葉っぱのフレディ.jpg

・2枚ほど。ダフネ。コーヒーきれる。夜、上階がうるさい。困りはてる。抑える。疲弊する。明日、共同通信インタビュー。零時くらいまで準備。エベレストにのぼった。たしか、のぼったとおもう。デパス2錠、レンドルミン1錠。(2015/01/07)

夕暮れ.jpg

・たすかった。コビトがプリントをもってきてくれる。10時。沢井君と舟越が車でむかえにくる。沢井君とは5年ぶり(らしい)。共同のビルの上のどこかの広い個室でインタビュー。舟越同席。ナイロビの中野君が写真。中野君、沢井、舟越、じぶんの現在位置がふしぎだった。質問は的を射ていた。問いに答えあり、だ。イスラマバード、カブールをおもいだす。ウィーンも。亀山さんが亡くなったという話を聞く。水のなかにいるようだ。薬のせいなのか、すこしもいらだたなかった。ながの君がナミブ砂漠のことを憶えていていてくれてうれしかった。よい時間がながれた。わたしは、もう時間に連続性がなくなった、と言ったらしい。だから、いまの、この瞬間しかあてにならないと。エベレストにのぼらなかった。(2015/01/08)

黄昏.jpg

・坪井秀人著『声の祝祭――日本近代詩と戦争』(名古屋大学出版会)によると、ずばり「大本営発表」と題する「詩」が、かつて、近藤東というひとによって発表された。〈「大本営発表」は厳として/よけいなことは語らない/しかし/その一句の中に/千万の言葉のよろこびとかなしみがかくされてゐる/その一句の中に/千万のひとのよろこびとかなしみがかくされている〉……。近藤東は後記で「(大東亜戦争により)詩は独り楽しむものでなく、大らかに声を挙げて読まれるべきだという気運が生じた」と述べているという。この極度にばかげた「詩」についていろいろ難じるのは易いし興味がない。もとよりヌッポンの詩の朗読てのは鳥肌がたつ。ただちょこっと気になる。「大本営発表」は、その〈声紋〉の祖型が、あれに似ているのじゃないかと。あれだよ、あれ。「愛するひとのために」。〈保険にはダイヤモンドの輝きもなければ/カラーテレビの便利さもありません/けれど目に見えぬこの商品には/人間の血が通っています/人間の未来への切ない望みがこめられています〉……。〈「大本営発表」にはダイヤモンドの輝きもなければ/カラーテレビの便利さもありません/けれど目に見えぬこの商品には/人間の血が通っています/人間の未来への切ない望みがこめられています〉てなぐあいに声紋がかさなる気がするんですけど。向井君から電話。原稿、意気阻喪。ダフネ。エベレストにのぼった。犬の目つきがじぶんに似てきたとおもふ。(2015/01/09)

コンクリート.jpg

・4枚ほど。ダフネ。向井君TEL。お父さん、嚥下がたいへんらしい。つきそっていないと危険。エベレストにのぼった。顔小コビト。聖アウグスティヌス調べてくれる。(2015/01/10)

黄色のユリ.jpg

・5枚くらいか。半藤一利氏「……新聞やテレビや雑誌など、豊富すぎる情報で、われわれは日本の現在をきちんと把握している、国家が今や猛烈な力とスピードによって変わろうとしていることをリアルタイムで実感している、とそう思っている。でも、それはそうと思い込んでいるいるだけで、実は何もわかっていない、何も見えていないのではないですか。時代の裏側には、何かもっと恐ろしげな大きなものが動いている。が、今は『見れども見えず』で、あと数十年もしたら、それがはっきりする。歴史とはそういう不気味さを秘めている……」(『昭和史 1926−1945』)。あと数10年もたたなくたって、すでに「恐ろしげな大きなものが動いている」のは歴然としている。かつては右寄りにみえた半藤さんが、いまやずいぶんまっとうにみえるのだから、時代の土台がじつに劇的にシフトしたのだ。史上最高5兆円の軍事費!こともなげにつたえるメディア。「恐ろしげな大きなものが動いている」のに、みようとしない。気づこうとしない。中野君たちとあさって会うことにした。エベレストにのぼらなかった。(2015/01/11)

パンジー.jpg

・送稿。疲弊。衰弱。朦朧。上階うるさい。いつまでもうるさい。怒ると疲れるから、怒らない。つくづく、ついてないなとおもふ。家。ほとんどあきらめ。マヒ、ますますひどい。マヒ、マヒマヒひどくなる。心頭滅却すれば火もまた涼し、じゃん。と、犬に言われる。なんかちがう気がする。でも、犬はいいやつだ。貯金はないけど、ユーモアがある。いちばんだいじだ。エベレストにのぼらなかった。(2015/01/12)







        




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2014年12月30日

日録1―1



私事片々
2014/12/30〜

2014年12月30日のひかり.jpg

・ダフネ。久しぶりにエベレストにのぼった。しばらくとりつかれたように南京大虐殺関連の資料を読みあさっているうち、気がついたら目が灼かれていた。かなり知っていたつもりだったのに、読めば読むほど打ちのめされ、想念がズタズタにこわされた。人柱(の立てられかた)。絨毯(の敷かれかた)。あまかった。あまかったかもしれない。ひとりではとうてい負えぬ記憶、情景。だが、どのみち迂回はできなかった。いきあたるべき光景。朝、薬がきれたのだろう、夢みる。途方にくれる。コビト九州。(2014/12/30)

チューリップ.jpg

・左手だけで梱包をひらくのはたいへんだった。が、やっとでてきたタバコくさい浜田知明作品集(「取引・軍隊・戦場」)をみて感銘をうける。萎えていたきもちに、ひとすじ水脈がとおる。エベレストにのぼらなかった。コビトが告解。コビトママにキレたらしい。赦免。(2014/12/31)

サザンカ落花.jpg

・企画提案の撤回をM君に連絡。返事はまだ。資料を読んで打ちのめされているばかりで、なぜ、いま、どう打ちのめされたのか、いままでなにをかんがえ、なにをしていたのか、記憶を整理して書きしるす意欲がわかない。書けない。浜田知明は第37師団にいたのだろうか。かつて中国山西省で田村泰次郎と知りあったのであろうか。田村が洲之内徹と山西省で友人関係になったのは知られている。洲之内コレクションに浜田のエッチング「刑場(B)」と「副校長D氏像」があるというのは、田村―洲之内―浜田の、山西省にはじまる縁からか。頭をひやさないといけない。イアン・ブルマ『戦争の記憶』にツェランの「死のフーガ」がでてくる。「ホロコーストを正面からあつかった小説、劇、映画は(ドイツでは)ほとんどといっていいほど見当たらない」という。ドキュメンタリー、歴史書、展示物、証言はこのかぎりではない。創作があまりないのだそうだ。なぜだろう。日本でも大虐殺、三光作戦を正面からとりあげた創作で、ほんとうによいものは、いまのところ見あたらない。事実のサイズが巨きすぎて、創作の容器にはいりきらないことはある。それだけではなかろう。加害の側の思考の病質。想像力のげんかいがためされて、「失格」の判定がでたのだ。〈神輿〉と〈役人〉と〈無法者〉――の連携が政治となる構造はいまも変わらない。母親が犬にカズノコを食わせようとしていたという。「死のフーガ」をまた、いますぐ、読もう。読んだ。エベレストにのぼらなかった。(2015/01/01)

2014年1月20日の爆撃跡.JPG

・風邪気味つづく。M君からメールと電話で返事。お父上が入院中の病院から。企画撤回通知にたいし、「詩的フラグメント」みたいなものでいいからやらないかと逆提案。うまいことをいう。気のそそり方を知っている。結局、撤回を撤回することに。サブタイトル変更、締切延長でなんとなくおりあう。ギブアップするとこちらの精神的ダメージがおおきいということはある。やれるかまだわからない。コビトから電話。だいぶストレスがたまってきているようだ。ものみな静かにこわれゆく正月。ものみな静かにまっとうに狂いゆく日々。エベレストにのぼらなかった。(2015/01/02)

霜柱.jpg

・エベレストにのぼらなかった。風邪いくらかなおる。「1★9★3★7」再開。すこし進めた。PL飲む。コビト風邪らしい。(2015/01/03)

スイセン?.jpg

・3日ぶりに外出。エベレストにのぼった。病院にむかう途次のM君と電話。原稿原案どおりにする件。締切延長などの件。コビト帰る。コビトとはコ(イ)ビトの略かとメールで聞かれる。笑う元気もない。目がかすむ。「積屍」のひとつとなって下からみあげること。(2015/01/04)

昨日みた花.jpg

・3、4枚書く。左手で漢和中辞典をめくり、やっとこさ箱におさめる。辞海は手がしびれて途中でギブアップ。風邪抜けず。Mとはなす。正月休みあけで故郷から帰ってきた「街のひと」のインタビューって、戦後70年なにもかわっていない。いや、戦中も戦前もおなじだったかも。「温泉に入っておせち食べてゲームとかして、のんびりしました」。うそつけ。「認知症の親の介護でもうヘトヘト。だって、戸棚にウンコいれてたりするんですよ。最後はキレて、バカヤロウってどなっちゃいましたわ」とか「親に手をあげっちゃって自己嫌悪です。もう最低……」とかないのか。あるさ、いくらでも。あっても編集で消される。日常は完璧に偽造される。M「かのじょの目にはなにがみえてるんだろう……」。視界がまぼろしに占拠されている。それは、いわば、普遍的だ。エベレストにのぼらなかった。(2015/01/05)











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