2014年11月30日

年内の出版予定



◎年内の刊行予定


・エッセイ集『反逆する風景』鉄筆文庫

カバー「反逆する風景」鉄筆文庫.jpg

著者:辺見庸
解説:藤島大
装丁:トサカデザイン(戸倉巌、小酒保子)
ISBN:978-4-907580-01-8
定価:本体700円+税
発売日:2014年10月30日

・最新小説集『霧の犬 a dog in the fog(鉄筆刊)

著者:辺見庸
収録作品:
@「霧の犬 a dog in the fog」(鉄筆創立記念書き下ろし作品)216枚
A「カラスアゲハ」75枚
B「アプザイレン」40枚
C「まんげつ」(書き下ろし)10枚

装丁:名久井直子
ISBN:978-4-907580-02-5
定価:本体1,600円+税(予価)
発売日:2014年11月11日(予定)
株式会社鉄筆
〒112-0013
東京都文京区音羽1-17-11花和ビル310
電話&FAX 03-6912-0864
携帯電話 080-1002-2044
メールアドレス teppitsu@ybb.ne.jp
担当者:渡辺浩章


・対談『絶望という抵抗――辺見庸✕佐高信』(週刊金曜日刊

発売日:2014年11月初旬
posted by Yo Hemmi at 14:49| 刊行予定 | 更新情報をチェックする

2014年10月21日

日録1―5



私事片々
2014/10/21〜


センニチコウ.jpg

・沼気ふつふつとわきたつドブのような世界。まったくかたるにあたいしない。にもかかわらず、こちらとすぐ地つづきというのだから、どうにもならない。陋劣をあげつらうと、いつのまにか、こちらも陋劣になっている。黙っていても、意思することも意識することもなしに、忌まわしい大罪にまきこまれていく。しかし、罪とあやまちについては、他者のせいや共同責任にするのではなく、「個々人がみずから責任をおわなければならない」とレーヴィは言った。さもなければ、文明の痕跡がきえるから、と。そんなものはきえていい。だいいち、ほとんどない。「個々人がみずから責任を……」とは、たぶん、わたしがわたしの責任を、いま……ということだ。Aが平気で存在していられるのは、Aら他者たちの問題であるとともに、わたしの陋劣ともかかわる、ということだ。エベレストにのぼった。昨夜、「霧の犬 a dog in the fog」の著者校正と追加を鉄筆社に送る。けっきょく216枚ほどになった。つかれる。つかれるしかない。(2014/10/21)

きのうの花.JPG

・「早く首つれ朝鮮人!」「朝鮮人は呼吸するな!」「よい韓国人も悪い韓国人もどちらも殺せ!」「殺せ、殺せ、朝鮮人!」ーー。「朝鮮で売れない売春婦が日本にきて客をとった。それが慰安婦だ!」ーー。このしゅの演説やシュプレヒコールを「言論表現の自由」と言うのだろうか。首相Aは、表現の自由とのかかわりもあるという。首相Aがえらんだ国家公安委員長は、こうした醜悪なシュプレヒコール、街宣活動の実行責任者らと長年昵懇のあいだがらである。警察のトップが極右レイシストと親密なかんけいーーそれがこの国だ。国家公安委員長はカトリック信者にして神道政治連盟国会議員懇談会の幹部。靖国だいだいだいすき。聖歌もうたえば軍歌もうたう。日蓮宗系とも統一教会系ともかんけいあるとか。節操もなにもあったもんじゃない。朝鮮人死ねとさけぶレイシストたちのまえを、われかんせずととおりすぎる市民。良民。極右レイシストを黙ってささえる良民。ドイツでもネオナチのかくれた支持者は反ネオナチをよそおう市民という。良民はあやしい。「朝鮮人は呼吸するな!」という命令形日本語の奇抜な発想および含意とそうさけんだ者の、そうさけんだときに脳裡にうかんだ画像的イメージはどうだったのか。精査せよ。ことばと歴史と累代の気づかざる情念。関東大震災のとき、トビ口で朝鮮人を惨殺したイメージか消えていない。どす黒い悪気流の発生源には、Aとその仲間たちがいる。わたしたちはからだをはって極右レイシストたちとたたかう用意があるのか。極右レイシストたちは「天皇陛下万歳!」という。マスメディアとともに皇后傘寿をことほぐ。朝日新聞は皇室特集がとりわけだいすきである。天皇皇后は、おそらく意思に反し、異様なまでの神格化のストーリーにとじこめられている。これら諸現象の関係式をしめせ。なにがおきているのか。反吐がでないか。いつかコリアンの友人に酔って言ったことがある。あなたがたはおどろくほど寛大だ。わたしがコリアンだったら、일본사람を孫子の代までゆるしはしない。えっ、日本人のなにをゆるさないのか、と反問された。答えた。あの「声」だよ。モクソリ목소리だよ。友人に皮肉られた。「あの」じゃなく「この」でしょう。そうなのだ、チョウセンジンハ、コキュウスルナ、チョウセンジンハ、シネというときの不気味な抑揚、声調、それを音声としてとらえてしまうじぶんの聴覚と言語基盤がつくづくいやになる。ほんとうにいやだ。やつらはほんの少数の例外だ。わたしたちとなにもかんけいがない。そんなかんがえもいやになる。やつらの声はわれわれの昏い奥からのなんらかの派生なのだから。「声についてかたる必要があるとすれば、私はたったひとつの不在の声を選ぶであろう」と書いたのはだれだったか。沈黙、鳴りやんだ音の傷痕……についてかたろう。それはそうなのだけれど……。エベレストにのぼらなかった。(2014/10/22)

9月に見た花.jpg

・気配ということばを知らなかった。子どものころ、たぶん知らなかった。あるいは、ことばを知ってはいたのに、子どものあやつることばではなかったからか、つかいはしなかった。ことばをつかいはしなかったが、ありとある幽かな気配にとりかこまれてくらしていた。気配はふとかんじるか、なにもかんじないかの危うい識閾をかすめていくふたしかななにかであり、それゆえ、記憶にはのこらないか、かりにのこったとしても、ごくあいまいである。意識という作用がゆっくりとはたらきだしたり消失しはじめたりする境界。そうしたものがあるらしいと知ったのも、ずいぶん長じてからである。あの東北の大震災とくに大津波の気配と、海が黒くもりあがる情景を、半世紀もまえに、子どもの識閾でかんじていた。ほんとうなのだ。というと、わらわれるけれども、わらうな、とむきになるわけにもいかない。わらわれるしかないのだ。子どものころにはウスバカゲロウが意識の境をふらふらととんでいったりとんできたりした。ウスバカゲロウはいつもかすんでいた。ウスバカゲロウをウスバカゲロウとはよばず、カミサマトンボとよんでいた。カミサマトンボもいまおもえば気配であった。なにか不安定で危うい気配であった。あのころは麦の穂の影も潮騒もアリジゴクの巣も小鳥のさえずりも、たえずなにかを幽かにささやいていた。そういえば、きのう、ユキムシ(雪虫)のことをかいた短文をよんでいて、ヒヤリとした。どうしてかよくわからない。むかしはあれをたしかワタムシといっていた気がする。ワタムシもわたしにはなにかの気配だった。でも、ウスバカゲロウのような、よからぬ気配ではなく、どこか陽性の幻であった。短文には、ところが、「ためしに、ユキムシの翅をこすってみたら、白っぽい表のなかに黒っぽい裏が浮かんできました」とある。ぼうっとしていた識閾を小さな影がかすめた。わたしはワタムシをたなごころにとらえたことはある。そのまま死なせてしまったこともあるかもしれないな。わすれているのかもしれないな。だが、体長5ミリかそこらの小さな虫である。翅をこするまでしたことは、たしか、ない。それはおもいもつかなかった。数秒間落ちつきをうしない、ひと呼吸して、ああ、これは譬喩なのか、とおもいなす。やや当惑したまま。無垢そうでいたいけにみえるものにだって、仔細にみれば、暗ぐらとした「裏」がある。ということか。よくわからない。他者の経験の投影である。よくわかることができるはずもない。ワタムシの記憶をたぐる。それをみた海辺の集落は、津波にきれいにあらわれた。すっかりなくなってしまった。カミサマトンボだけでなく、ワタムシたちも50年後の災厄を聞こえない声でつたえていたのだろうか。このさき、ユキムシをみることはあるかな。おそらくあるまいな。まんまんいち、ユキムシをつかまえたとしても、翅をこすってみることもあるまいな。裏も表も、ユキムシのせいではない。一片の土地と小さな虫たちの苦痛。バルトークはそれこそを問題にした。わかるけれど、よくわからない。あやふやな識閾をユキムシとウスバカゲロウがとんでいる。ゆききしている。かすんでいる。でも、はっきりとわかっていることはある。ユキムシの「裏」じゃない。災厄はきているということだ。さらに大きな災厄がくる。なにも終わってはいない。Aは災厄そのものなのだ。気配は世界に充満している。エベレストにのぼらなかった。(2014/10/23)
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2014年10月13日

日録1―4



私事片々
2014/10/14〜2014/10/20

ピンボケ・ハナミズキの実.jpg

・放送大学で亀山郁夫さんがラスコーリニコフと現代のテロリズムのかんけいに言及していた。みたのは再放送分かも。だが、ジャーナリスティックにすぎて鼻白む(ドストエフスキーがそもそもジャーナリスティックなのだ)が、敷衍可能の原型がまったくないではない。わかりやすいっちゃ、わかりやすい。ただし、現代のテロリズムは、反テロ戦争をとなえる米国とその有志連合が一方的につくりだしたCG的イメージである。もっとも大量のテロを組織的にじっこうしてきたのは米国であり、テロをもっとも声高に非難するのも米国である事実は、ラスコーリニコフを現代のテロリズムにむすびつけるのが牽強付会であることをしめしている。テロリズムにはそれぞれ異質な100以上の「定義」があり、テロリズムとは、じっさいには定義のあたわない政治的なことばかレッテルにすぎない。反ナチ運動をナチスはテロリストとよび、中国の抗日ゲリラを、中国を侵略した日本軍はテロリストあつかいして「共匪」とよんだ。ひどいもんです。現代の最悪のテロリストはさしずめ金融資本と投機屋ではないか。それらを守るために反テロ戦争はある。貧乏人は資本の合法テロでかんたんに屠られる。イチコロ。このしくみは昔日よりげんざいのほうが非情でシステマティックだ。亀山郁夫さんの講義の資料でつかわれたロシア映画『罪と罰』は未見。みていて、馬殺しの夢をおもいだす。「霧の犬 a dog in the fog」でとうしょイメージしていた犬殺しのシーンを挿入しわすれたことにも気づく。わすれたのではなく、無意識に忌避したのだろうか。犬殺しのイメージはいつか別途かけばいい。生きていればだが。ところで、まいどAの話で恐縮ですが、Aは不快であり、ふひつようである。Aは最悪だ。Aはばかだ。Aはコンプレクスのかたまりだ。うらはらに不遜で傲慢だ。Aはみえすいている。Aはジンミンをじぶんよりもよほどアホで操作可能だとおもっている。チョチョイノチョイだと。Aはアナルだ。ケツメドだ。ケツメドが、でも、ジンミンを支配している。Aはますます図にのっている。ひとびとは、だからこそ、じつは、Aをとてもひつようとしているのではないか。ドイツ民衆がナチスをひつようとしたように。あとになってすべてをヒトラーのせいにするために、ヒトラーをひつようとしたように、われわれ卑怯なジンミンは、Aをいまひつようとしている。きったねえケツメドを。マヌケぶりを笑いたおし、いつかみんなで罵倒するために。すべてをAのせいにするために、Aをひつようとしている。「霧の犬 a dog in the fog」には、ほんの一例ですけど、そんなこともかいてあります。謎の猫背の小男「エンペ」も登場します。読んでね。鉄筆社がつぶれませんやうに!印税もらえますやうに!エベレストにのぼった。(2014/10/14)

黄色いバラ.jpg

・わたしが詩をかき読者に曲をつけていただいて歌にする企画をすすめています。年内に完成のよていで。悲しい歌です。詳しいことはまたお知らせします。さて、みなさん、電話の調子がどうもおかしい。メールもおかすいです。たえず監視されているやうです。まえからそうでしたが、Aが政権をにぎってからは監視活動がとくにはげしい気がします。うんざりする。けれども、ほうってもおけない。ご存じのとおり、特定秘密保護法はとんでもない法律である。だれがなんと言おうと、反対です。そこでおもいだすのが「情報保全隊」。自衛隊に「情報保全隊」というのがある。これがですね、イラクへの自衛隊派遣(海外出兵)に反対したおおくのひとびと(市民運動関係者、記者、映画監督らをふくむ)を秘密りに調査・監視していたじじつは意外に知られていない。どころか、「情報保全隊」なる秘密監視機関の存在じたいが隠されていたため、いっぱんに監視活動も問題にされてはいなかった。民主党政権でも「情報保全隊」をあまり問題視せず、むろん改組もされなかった。その調査・監視活動は2013年の仙台地裁の判決で違法とされたが、組織は依然解体されていないはずだ。「情報保全隊」の活動が司法でとりあげられたのは、共産党への内部文書のていきょうからだといわれる。むろん、特定秘密保護法のない2007年ごろのことだ。秘密保護法下では自衛隊の情報収集活動そのものをいわゆる特定秘密とし、したがって、内部告発は「秘密漏洩」とされる。取材もヘチマもありゃしない。監視に抗議するとうぜんの活動も秘密保護に反する違法行為とされて、重罰を科されることになる。すべてが逆転する。主客が転倒するのである。悪名高いかつての治安維持法は、体制の変革、私有財産制度の否定を目的とする結社の組織者と参加者を処罰するためにあったが、じょじょに反政府、反国策的な思想や言論の自由の弾圧の手段として利用され、尾行、監視、予防検束、拷問が日常化していった。治安維持法は1945 年に廃止されたけれども、2014年12月10日に特定秘密保護法として生まれかわり、施行されることにあいなる。あきれることには、特定秘密保護法を可能ならしめたA政権特製の「情報保全諮問会議」なるインチキ会議の座長が、読売新聞グループのもうろく独裁者ナベツネ。特定秘密保護法はつまり、読売や極右・公安機関紙S紙などの全面的バックアップにより、いかにも民意を反映しているかのごとく登場するわけである。Aをただのアホだとおもってなめたらあかんぜよ。正真正銘のアホはアホですが、主要マスコミ各社のキンタマにをぎっている。主要マスコミ各社はA政権にキンタマにぎられてエヘエヘよろこんでいる。他にもAが特派したマルキ印NHK会長以下、経営委員会のサイコパスどもが特定秘密保護法を応援している。総元締めは憲兵隊長スガ。民主党は自民党予備軍。社民党はもはや完全絶滅危惧種。どちらをむいてもファシストばかり。大ヌッポン帝国はいままさに、「ふやけた戦時」なのでありますっ!総員起立、カシラー、右むけ右!クソタレ総理にむかって、ふかぶかと礼!じぶん、けふ、エベレストにのぼりませんでしたっ。(2014/10/15)

バラ.jpg

・わたし「あの気管のよくない子、あれからどうしたかな?」。友人「ああ、あの子、午後、大ホールでちょっとみかけた気もしますけど……」。わたしと友人「………」。友人「あのう、そういえば、ことしの6月、庭のバラの木の巣に、ヒヨドリが卵産みました」。わたし「何個?大きい?」。友人「2個……、これ、写真」。わたし「わっ、すごい!こういうの早くおしえてくれなきゃ困るよ」。友人「………」。わたし「………」。そんな話をきのふ、した。うまく流れない。それでよい。そのほうがよひ。どうということはない。「……」は沈黙。あるいは空白、すき間。たぶん「あとから吃りつつなぞられる世界」(ツェラン)。下線部分はなんだかいやらしい。ジャーナリスティックでだめ。昼、感覚障害ひどい。つげ義春のまんがだ、まるで。必殺するめ固め。のまま、マックへ。このまえの女性いない。レジNO2。フィレオフィッシュ319円、アンコパイ124円、ミルク185円。計628円(内消費税46円)。旧喫煙コーナーへ。まえにもなんどかみたことのある白髪の老婆のとなりにすわる。老婆「こんにちは!」。わたし「こんぬちわわん!」。老婆「DVD注文したかね?」。わたし「どのDVD?」。老婆「じぶんのことだよ。あたしゃ知らない」。わたし「ああ、『死神の谷』か。まだ……」。老婆「それじゃないよ」。わたし「じゃ『M』かな」。老婆「いっしょにみようよ」。わたし「やだね……」。老婆「ふん、いろいろかすむかね?」。わたし「うん、かすむね」。老婆「たいてい、かすむわね」。帰ってヒヨドリのYouTubeみる。6月の卵だったら、もうとっくに巣だっているだろう。ダフネできのふの朝刊みかける。「信頼回復と再生のための委員会」発足、だと。なんのことだろうか。「新聞週間がはじまった。うしなった信頼を取り戻すため、身を切るような出直しに取り組む覚悟を新たにする」。悪文。これを写経しろといふのか。だれの、だれにたいする、どのような信頼が、なんのために、失われたのか。信頼はそもそもあったか。「身を切るような出直しに取り組む覚悟を新たにする」。くっせえクリシェ。鼻がまがる。歴史修正主義の怒濤におまえたちも呑まれた。極右政権とその提灯もちメディアに、偽善新聞が戦わずして惨敗したということだ。なぜそういえないのだ。「身を切るような出直しに取り組む覚悟を新たにする」だと。当方の知るかぎり、朝日の下っぱのだれもそんなことおもっちゃいない。だれも身を切る覚悟なんかない。その価値もないからだ。世間のみなさまに、ご心配、ご迷惑をおかけして、ほんとうに申し訳ありませんでした。礼。30秒。腹のなかでべーっと舌をだす。あれとおなじ儀式。予定調和。沈香も焚かず屁もひらない、どころか、ぜったいに波風たてない社外委員4人厳選。これが禊ぎのつもりか。首相Aはおのれのきったないケツを、トイレットペーパーがわりに、朝日で拭いたってことだ。そんなていど。「あとから吃りつつなぞられる世界」である。ヒヨドリの卵をおもう。エベレストにのぼった。(2014/10/16)

キンモクセイ2.jpg

・一本道をいく。だれもいない。あれはなんだろう。ゆくてに赤い点々がみえる。左手にフェンスにかこまれた更地があって、その縁のシイの樹のしたあたりに、むやみに大きなカラスがいて、こちらをみている。このところやつの気がたっているので、こちらは遠慮してとおまわりしている。よしよし、それでよし。カラスはまんぞくげだ。赤い点々にたどりつくまえに、背後からやわらかな風がふいてきて、いっしゅん、かぎなれたにおいをかぐ。あきあきするほどかぎなれた香り。そのなまえが、のどもとからもう半身をのぞかせているのに、いえない。赤い点々が気にはなるけれど、背後の植えこみにぎゃくもどり。きのふをおもいだす。きのふはウサギの目がパラパラと地面にちらばっていたのだ。風でおちたハナミズキの実たち。血の散乱。けふはもうない。植えこみの暗がり。木枝と葉むらにかくれて、なにかがいる。じっと息をひそめている。顔をちかづける。おかっぱのコビトだった。だまってたっている。ひとりだ。身長30センチほど。右の人差し指と親指でわざとらしく「コ」の字をつくっている。これは、どういうことなんだ。なにしてるんだ。答えない。そういう性格なのだ。むずかしい性格。たちさろうとすると小声で「ブルーノ・ベッテルハイム……」という。わたしがさっきかんがえていたことを、声でなぞったのだ。そうやって能力をみせつけようとする。とてもかなわない、とおもわせようとする。かんしんをひこうとする。コビトまたささやく。「スヌデ…スヌデ…」。やめろよ、とわたしはいう。「スヌデ…スヌデ…モウイイ…」と、コビトはけしかける。やりすぎだ。わたしは無視して一本道をあるきだす。赤い点々を目標にする。「セカイタイセンデハナク、センソウノセカイカナンデス……」「世界大戦ではなく、戦争の世界化なんです……」。植えこみの闇から声がきこえてくる。「モウ、スヌデ…スヌデ…」。キンモクセイの闇にコビトがたっている。わたしの気をひこうとして。赤い点々が大きくなる。「アカツメクサ…」。「センニチコウ…」。「スヌデ…スヌデ…」。うるさい、とおもふ。キンモクセイの闇からコビトの声。「ウルサイ…」。「ヒザ、イテエ…」。キンモクセイがにおう。エベレストにやっとのぼった。(2014/10/17)

センニチコウ.jpg

・きのふ、根津の中村さんから情報。指つめた、ニンチなりかけの、すごく小さいおじさんとか、交番とか、ホテル・サンコウとか、泪橋とか。若い巡査とか、根津ほんとはきらいだとか。理屈じゃねえんだよ、熱いお茶をいれてあげるかどうかなんだよ、とか。昔をおもいだす。南千住から根津にいったことがある。やりに。おやりになりに。チッタゴンのあとだったかまえだったか。はっきりしない。なにかんがえてたんだか。なにもかんがえてなかったんだか。三ノ輪駅から地下鉄で夜中に何回か根津にいった。キオスクでビタCドリンク買ったよ。南国のトウモロコシごちそうになった。甘かった。空の鳥かごがなかったかな。あったな、たしか。小鳥ではなく、キュートなリスがいて、なついたんだけど、逃げたの。落ちこんだわ。そう聞いたのではなかったか。かわいいリスよ。ニホンリスかタイワンリスか。わからない。チッタゴンの霧。そこには、たしかにいた。このことばこそおそろしい。3度言ったら、げんじつになる。2行の反歌。朝、暗いうちにかへる。かえってインスタントラーメン食って寝る。かよってたってわけじゃないんだけどさ。とおかったな。根津。でも、中村さんってだれだろ?あのトウモロコシ、中村さんがお茹でになった、ってことだろうか。まさかね。やったとか、やってないとか。どうでもいい。おもひだせない。おもひだせないくらひなら、さいしょからやるな、おやりになるなよ、ってことだ。トウモロコシはおぼえてるのだ。いや、トマトだったか。あおむいたとき頭上に垂れていたベージュのカーテン。カーテンのむこうの霧。チッタゴンの霧。神社、いかなかった。とおもふ。美術館なんか、あるのも知らなかった。夜ばっかりで、あんましおぼえてない。「シェルタリング・スカイ」。ビデオ返さなきゃ。でも、ひっこしでなくしました。すみません。返信する。いま、左膝が痛いのです、となきつく。とても痛いのです。右の脚もだめです。あと、ついでに、まんなかもだめです。根津に夜這いして罰当たりまひた。いまぜんぜん夜這いしてません。イザリですから。いちおう同情をかおうとしてみる。憐れみをこう。だめもと。やっぱり同情されない。いろいろランダムになきついてみる。肩も痛ひのです。ペインクリニックもだめでした。だめもときよみ。「とっとと死になさいよ……」と言われる。すごくしずかにゆっくりと。オ・ス・ニ・ナ・サ・ヒ・ヨ。英訳すっと、fuck you、asshole! けふ、えべれすとにのぼった。ゲラ、めんどくさい。(2014/10/18)

サザンカ2.jpg

・マックの旧喫煙室。ババアがいた。となりにすわる。そこしかあいていないから。右腰をボリボリかいている。痒いのか。訊く。知りたいわけじゃない。たんなる愛想。あいさつ。ババアなにか言ったが、聞こえない。におう。なんだかわからない。ああ、仏壇か。コーヒーうまいか訊かれる。下剤だよ。ババア笑う。エへへへへへ。また右腰をかく。仏壇のにおいが、そこからしてくる。そんなに痒いか。乾燥肌でね。右腰の粉がとんでくる。老い粉。息つめる。老い粉を避けようと、まえかがみになりボクシングのウィービングとダッキングをしているうち、左膝がまたガクリとはずれて激痛。イテテテ。左膝さする。ババアにいわれる。お風呂はいりなよ。いれたげよか。よけいなお世話だよ。ババア問う。ジョゼフ・ド・メーストルって煮ても焼いても食えない反動かね。そんなにひどいやつかね。知らないね。シオラン読むのやめたのかね。ああ。なして。うるさいな。こんどバコバコしようか。69とか。ごめんだね。老い粉入りコーヒーのむ。くそまずい。エベレスト。頂上にガキがいたのでのぼらなかった。(2014/10/19)

ダフネ帰りの黄色い花.jpg

・ダフネ1号店に行ったら、さかゑさんの顔がおかしい。目が青いのだ。青灰色。カラーコンタクトというやつか。ヤギみたいだ。アブサンたのんだら、「まずJSFさくっといこ!」ときた。膝が痛くて、と弱音をはくと、ほな、JSF温熱治療コース―しよ、というので、ビッコひきひきトイレへ。内鍵かけて使用中。さかゑさん左膝にまたがり、体重をかけずに左膝そのものをみずからに包摂する。膝がずぼずぼとめりこんでいく。熱い。たしかに温熱療法である。膝だけだったのがだんだん腿、ふくらはぎのあたりまで温熱の闇にのまれたとき、ほのかにサロメチールのにおい。「なかに湿布薬ぬりこんであるのよ」とさかゑさん。なるほど、痛みやわらぐ。¥2000。青い目のさかゑさん「医療行為はみとめられていないのでだまっててね」。エベレストにのぼった。おりたらまた膝痛。夜、肩痛も。(2014/10/20)








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2014年10月07日

日録1―3



私事片々
2014/10/07〜2014/10/13

金魚.jpg

・右脚をかばっていたら、ついに左膝をいためた。くそ、いてえ。びっこをひきひき生きてたら、はや10年間がたっていて、右だけでなく左もやばくなったということだね、と犬にはなしたら、さうだよ、おっちゃん、さういふことなのだよ、といわれた。けふも「神奈川大学評論」の原稿。「SはPである」の命題形式は「SはPであるべき」を意味せず、むしろ「SはPではない」の可能態をふくみもつ、てなことを書いたりした。繋辞「である」がすっかりだめになった。おれの膝みたいに。「げんじつは理性である」は、ほんらい、「げんじつは理性ではない」をおびているのに、「げんじつは理性であるべき」までいっちゃっている。A政権はたしかにげんじつではある。だがそれは「理性である」でも「理性であるべきである」でもない。たんにくつがえされるべきげんじつである。友人と横断歩道をわたる。友人になんとなくおいこされる。そのうち信号が赤になる。水たまりにたちんぼう。友人はわたりきっている。おいてけぼり。数分間の景色。微茫なながめ。あいまい。目のかすみ。不確定。なにも悪意はない。そのことをちゃんと書くのに、時間が50年ぶんいるかもしれない。そのことだけを書くのに。そんなものだ。「神奈川大学評論」の原稿は明日送ります。そのつもりです。エベレストにのぼった。(2014/10/07)

帰り道10月8日.jpg

・「神奈川大学評論」の原稿約18枚送る。うれしい。やれ、ウレジヤ共和国!なしてうれしいかというと、左膝をダメにして、痛くてひーこらいっていて、原稿どころじゃなかったのに、必死こいてかいたから。犬にもよくやったね、セニョール、っていわれた。かきたいようにかきました。載るかどうかわかりませんが、載ったらよんでね。たしか来月発行号。書店で売ってるか不明。神奈川大学って、若いころ取材でいったことがある。いまはどうかわからないが、自由で、苦学生がおおくて気に入った。おもしろい先生がいたっけ。けふは闇よりもっと深い闇のことをかいた。われわれがいま、前代未聞の戦争状態にあるってこと。「イスラム国」のこと。ぞくぞくするということ。説明不能の世界になったこと。A政権のおぞましさ。そういったことを気ままにかかせてもらった。だから、載るかどうか自信がなひです。もしも載らなかったら、当ブログにて全文発表します。にしても、膝があかん。膝って痛みがすごく深いです。右麻痺で左膝もパーならどうすりゃいいの、と犬に問うたら、犬、まいった魚は目でわかる、だって。いよいよますます本格的ヨイヨイです。ほとんどぶったおれそうになりながら、けふ、エベレストにのぼった。コビトが病院につれてくといっている。眼科、整形外科、消化器外科、放射線科、神経内科、ただの内科、泌尿器科……リンダ、もうわけわかんない。でも、ごくまれにではあるが、夜半にボッキしたりするのである。笑うしかなひ。ははは。(2014/10/08)

ハナミズキの実2014年10月9日.jpg

・「神奈川大学評論」の原稿を差し替える。ややふえる。なんてことないのに、こだわっている。なんてことないから、かえってこだわるのか。よいことだ。メールくる。「玉稿拝受」。ひざまずいてマガタマ2個を両のたなごころにのせて頭をたれる所作を連想。載るかどうかわからない。なにがあってもおかしくない。Aだけじゃない。すべてのケツメドが怪しい。きのふだったか、予算委員会でAがとつじょ気色ばみ「失礼じゃないか!」とさけんだ映像をみた。その形相。ファシストがあるがままのファシスト面をしただけなのに、いまさらドキリとしたのはなぜか。おもわず戦慄したのだ。地金をありていにさらしただけなのに。やっぱりなあ、このアホ本気でやるんだな、とおもったのだ。Aはほんとうはもっと凄みたいのだ。ひとびとを恫喝したいのだ。Aよ、やれよ。いばれよ。脅せよ。もっと尻尾をだせよ。凄みかたとそのタイミングがわからなかったら、チンパンジーの副首相にでもきくことだ。ハナミズキの実をみた。感嘆。こんなに赤いのができるんだな。去年もおなじことをいったらしい。いいじゃない、毎年新鮮で。コビトにいわれる。それから、あの世の話。あなたはひとにはまんべんなくきらわれてるから、ひとの天国にはいけない。それはきびしいね。でも、犬にはすかれてるから、犬の天国(犬天)にいけばいい。犬天で犬とはしりまわれば。どう、お尻のにおいかぎあえば。マクドにいった。あんこのはいったあげものみたいのを食った。顔色のあまりよくない女性が、手にもったパンをじいっとみながら半時間もそのパンを食べていた。が、そのパンはいっこうに減っているようすがない。胸を衝かれた。床屋にいった。エベレストにのぼった。ネットで「イスラム国」とかいただけで公安の自動検索にひっかかるらしい。かんがえたりしゃべったり妄想したりしただけでヤバいことになる。想像罪か。まして本格的に調べたり関係者に取材したりしたら、事情聴取に家宅捜索。ほう。イスラム国、イスラム国、الدولة الإسلامية‎、ad-Dawlah al-ʾIslāmiyyah、イスラーム国、イスラム国……。膝いてえ。(2014/10/09)

葉の露.jpg

・あの起訴はまっとうではない。しかしだ、毎度のことだけれども、どう読んでもジャーナリズムの筋をとおしているとはおもえない、いわゆるヨタ記事のたぐいを載せた事実上の極右・公安機関紙S紙が、おくめんもなく「言論の自由」をかたらって、被害者面、英雄面をしているのはどんなものか。あきれはてる。あれが言論の自由にあたいする立派な記事か、子どもにだってすぐにわかるだろう。低劣!ところが、秘密保護法でも集団的自衛権行使容認でも大した反対をしなかった公益社団法人・日本記者クラブが、このたびは、はげしくいきりたって韓国にたいし抗議声明をだす。日本新聞協会編集委員会とやらも「起訴強行はきわめめて遺憾であり、つよく抗議するとともに、自由な取材・報道活動が脅かされることを深く憂慮する」と、世にいう「上から目線」声明。カス番組ばかりながしている日本民間放送連盟もまた「表現の自由と報道の自由は民主主義社会に欠くことのできないものであり、韓国で取材活動をおこなう同じ日本の報道機関として、つよく懸念している」と、さもえらそうに報道委員長談話を発表。なーんだ、きみらはみんな嫌韓ファシストのお仲間だったってわけか。「表現の自由と報道の自由と民主主義社会」だと!?笑わせるなよ。この国のどこに「表現の自由と報道の自由と民主主義社会」があるのかね。「日本軍創設」を主張し、故土井たか子さんを「売国奴」よばわりする超反社会的 psychopath=極右連中がいまでもNHK経営委員に堂々といすわっている。のっとっている。ファシストたちのわが世の春だ。首相Aは「ヘイトスピーチとはいえ表現の自由とかかわりがある」とのたまい、国家公安委員長は嫌韓ファシスト団体と以前から文字どおり昵懇のあいだがら。昵懇だからこそ、Aにより国家公安委員長ににんじられたのだ。昵懇とは、ねんごろということだ。ねんごろとは、大辞林によれば、(サルの副首相よく聞け)@心のこもっているさま、手あついさまA親しいさま、とくに、男女がなれ親しむさまB程度がはなはだしいさま、度をこしているさま――である。首相Aおよび国家公安委員長、嫌韓ファシスト団体は、すなわち、「ねんごろなかんけい」ではないか。おまえたちはとりわけBの「程度がはなはだしいさま、度をこしているさま」に該当する。あれしきのヤジでAにすごまれて、キンタマちぢませてビビりあがった民主党よ、おまえらはファシスト2軍である。ヒトラーやドラキュラやチンパンジーや psychopathたちの国会。こいつらのために税金や受信料をはらうひつようがあるだろうか。ところで、申しおくれたが、「神奈川大学評論」の依頼でかいた原稿のタイトルは「デモクラシーとシデムシ」である。エベレストにのぼった。(2014/10/10)

ネコノヒゲ.jpg

・整形外科と眼科に。コビトつきそい。感謝。左膝レントゲン。散瞳。眼底写真。黄斑上膜と白内障。まだ手術するほどではない、と。鎮痛剤、湿布薬もらう。歩きはあいかわらずだめ。ボーッとしている。一昨日マックにいた女をけふもおもう。手にもったハンバーガーだけをじいっとみていた。ひとり。たぶん若い。貧しそうだ。おしゃれらしいおしゃれもしていない。眉毛がこい。まわりをみない。店内をみわたさない。携帯もみていない。手にしたハンバーガーから目を逸らさない。食べているようだったが、ハンバーガーはさっぱり減っていない。だとしたところで、べつにふしぎではない、とおもう。前歯で1ミリ食べては、手中のハンバーガーの微減のぐあいをしずかにかくにんしていただけなのかもしれない。かのじょには、ごくうすい笑みがうかんでいるようにも、まったく無表情のようにもみえた。なにかおかしい気もするが、とりたてておかしくもない。これが世界だ。世界があるとすればの話だが。カネッティの『眩暈』の冒頭は、「君、なにしてるの?」だ。こたえは「なんにも」。「君、なにしてるの?」はよけいなお世話なのだ。マックのスタッフ募集のポスター。「ここで生きる……」だったか。夜、テレビをつけて歯をみがく。一青窈というひとがはなしている。つまらない。たいくつ。消そうとしたら、「ハナミズキ」を作詞したきっかけを訊かれて、「9.11があって……」と言っている。えっ。編集されているから脈絡がよくわからない。脈絡なんかないのかもしれない。聞きちがいだろうか。ツインタワーにつっこんだひとたちのきもちをおもって……あのひとたちにだって家族がいたろうし……と話している。テロリストたちのことだ。ハイジャック機につっこまれて死んだ多数のひとびとのことは、たしか、ひとことも言わなかった。「ハナミズキ」の詩の文言は9.11となにもかんけいがないようだが。あの歌の下地に9.11とテロリストたちのことがあったと聞いて、かんがえがたぶん、身軽なのだな、メディアにあまりとらわれていないな、とおもう。9.11のテレビ映像をみながら、あの日、ネコをだいて泣いたというひとをおもいだす。乗客やツインタワーの犠牲者たちがかわいそうで泣いたのだとばかりおもったら、ではなくて、死を賭してつっこんだ犯人たちが哀れでかわいそうだから泣いたのだという。世界というものを「善」と「悪」で分割したり概括したりしない。世界的できごととのかかわりは、もっともらしく概括されたマスメディア製の正義からではなく、とらわれない「個」の、ふるえる感性でかんじる。それが不思議であやうくおもしろい。ハンバーガーに見入っていた女性、「ハナミズキ」と9.11、9.11の映像のまえで泣きながらだきしめるネコ……世界とひとの交錯とは、概括不能であるとき、説明不能とみとめるとき、正直な「個」が乱反射して、かえって生の風景が狂おしくたちあがる。エベレストにのぼらなかった。(2014/10/11)

カラスにおどされ別の道でみたフヨウ.jpg

・カシの樹のしたをとおったら、カラスに脅された。去年もだった。去年はカシの樹をはなれてもしつように追いかけられた。子犬ほども大きなハシブトガラス。カラスはおもしろい。先日はカーカーでなく「ゲロゲロ」と鳴いていた。ガマガエルがいるのかとおどろいて、みまわしたら、カラスだった。おかしい。どういうつもりかわからない。このところおちつきなくよく鳴く。せわしなく飛ぶ。けふは頭上すれすれを低空飛行。たぶん子育てのさいちゅうなのだろう。「ゲロゲロ」はひな鳥をあやしていた声か。あるいは赤ちゃんを笑わせていたのか。けっきょくはわからない。あのかのじょは手にしたハンバーガーになぜああも長時間じっとみいっていたのか。「ハナミズキ」と9.11のかんけいについて、一青窈がいったいなにをいいたかったのか。大したことではないだろう。大したことかもしれない。大したことの端緒かもしれない。けっきょくはよくわからないのだ。わたしもかのじょたちも。気が触れているといえば、気の触れていないものなどいない。「人間は、つねに人間的なもののこちら側か向こう側のどちらかにいる。人間とは中心にある閾であり……」(アガンベン『アウシュヴィッツの残りもの――アルシーヴと証人』)、人間の本質なるものは存在しない。エベレストにのぼった。「霧の犬」の決定稿を、あすまでつくらないといけない。しかし、いったんはなれてしまうと気がのらなくなる。よくかんがえれば、なにも無理してつくらなくてもよいのだ。これだって、じつは「しないでいられること」のひとつだ。いまやあらゆるひとびとが順応性という流れにのっている。市場も権力もひたすら順応をしいている。こんにち、国会議員のように生き生きと生きるのがいっしゅの精神の失調か異常である時代には、いやだからしないこと、できないこと、無力であること、無能なこと、しないでいられること……に居直る方法があってよい。手にもった120円ほどのハンバーガーを半時間もみつめ、さまざまなおもいをめぐらすこと。すばらしい。だが、権力は(Aだけではない。民衆や市民という痴呆権力も)かのじょをいつまでもそうはさせておかないだろう。反社会的不作為かサボタージュか施設に収容すべき患者とみなすだろう。しないでいられることから、人間をひきはなそうとする。凝視をやめさせる。思索と妄想を遮断する。「こうした無能力=非の潜勢力からの疎外は、何にも増して人間を貧しくし、自由を奪い去る」(「しないでいられることについて」『裸性』)。そうなっている。(2014/10/12)

ススキ.jpg

・さっき「霧の犬」最終稿送る。213枚。きりがない。疲れた。終わりの風景のヴァリアント。どこまでも果てがない。まったくきりがない。新刊『霧の犬 a dog in the fog』は来月、鉄筆社のハードカバー第1号として刊行される。内容は、@「カラスアゲハ」75枚A「アプザイレ」40枚B「まんげつ」10枚C「霧の犬 a dog in the fog」213枚――の4作品。配列もこのとおり。装幀は名久井直子さん。カバー、扉ふくめかんぜんにおまかせ。長谷川潔のエッチングを原画とさせていただく。ひとりではとてもできなかった。からだがボロボロだし。鉄筆社の渡辺浩章氏とコビト&gagaに、なにからなにまでたすけてもらった。『霧の犬 a dog in the dog』は『青い花』(角川書店)からずっとつづいている濃霧のながれだ。救いない濃霧。渡辺浩章氏とコビト&gagaは、執筆上のあらゆるわがままと冒険をゆるしてくれた。かきたいようにかいた。狂いたいように狂った。けっきょくは、すきかきらいか、だ。渡辺浩章氏とコビト&gagaは逃げない。鉄筆社はこれであえなくつぶれるかもしれない。つぶれたら、またさいしょから裸踊りだ。サンバカーニバルだ。ターラーラーラーラララーーラーラ・ターラーラーラーラララーラーラ・ラーラーラーラーラララー・サンバ・デジャネイロ・サンバ! うーっサンバ! エベレストにのぼらなかった。(2014/10/13) 









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2014年09月07日

日録1ー2



私事片々
2014/09/07〜

駅前の花.JPG

・エベレストにのぼった。犬のクッションを買った。イチジクを食った。JST朝、リベリアのながの君からメールがきた。写真2枚。疲れぬけない。きのう、はじめてゴキブリがでた。犬、雷におびえてゴキブリに反応せず。6割弱。(2014/09/07)

黄色い花.JPG

・逃れられないのである。正直、気が滅入る。憂うつである。どうしたらよいか、はっきりとはわからない。だが、このことにはとうてい無感覚ではいられない。逃れることはできない。このことを受けいれる、真に納得できる思想がもしあるのなら、触れてもみたい。できれば折り合ってもみたい。だが、ない。さがしてもない。これに関し納得できる思想はまったくないのだ。したがって、どうあっても折り合うことはできない。どうにかしなければならない。書かなければならない原稿がある。だが、ひとたびこの予感にとらわれると思考は停止する。思念のカタストロフィに全身が凍りつく。予感?それどころではない。ほんとうは確信である。これをくつがえすことのできる材料はいま、ひとつとしてない。あれば奇蹟である。新法相は死刑執行命令書に、いつでも勢いよくハンコを押すであろう。バン!死刑執行命令書の文面はつぎのとおり。「東京高等検察庁検事長 ××× 平成××年×月×日上申に係る×××に対する死刑執行の件は、裁判言渡しのとおり執行せよ。平成26年×月×日 法務大臣 松島みどり」。なんというひどい文章だろう。これ一枚でひとが縊り殺される。宇宙がひとつ消される。新法相はかつて「人権は被害者にあって、加害者にはない」「法務省は法で6ヶ月以内に(死刑を)執行すると明記してあるのに、なぜそれ通りに執行しないのか。法務省が法律違反をするなど、あってはならない」などと言いきっている。再審請求中の死刑囚にたいする死刑執行もやりかねない。命を処理したいのだ。抹消したいのだ。殺したいのだ。なんとかして生かしたいのではない。この女性は絞首刑執行命令をためらわないだろう。新法相は国家の名による殺人を少しも躊躇せずに貫徹するだろう。このクニの世論は、あろうことか、死刑執行をよろこぶ。バカげたことに、内閣支持率があがる。新法相はこれまで踏みこまなかった「領域」に足を踏み入れるといわれる。領域とは死の領域だ。それは年内にもあるだろう。どうすればよいのか。どうにかできないのか。どうもしなくてよいのか。どうもしなくてよいとおもわない。まったくおもえない。エベレストにのぼった。(2014/09/08)

9月9日の花.JPG

・……夫レ家ヲ愛スル心ト國ヲ愛スル心トハ我國ニ於テ特ニ熱烈ナルヲ見ル。今ヤ實ニ此ノ心ヲ擴充シ、人類愛ノ完成ニ向ヒ、獻身的努カヲ效スベキノ秋ナリ。惟フニ長キニ亘レル戰爭ノ敗北ニ終リタル結果、我國民ハ動モスレバ焦躁ニ流レ、失意ノ淵ニ沈淪セントスルノ傾キアリ。詭激ノ風漸ク長ジテ道義ノ念頗ル衰へ、爲ニ思想混亂ノ兆アルハ洵ニ深憂ニ堪ヘズ。然レドモ朕ハ爾等國民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等國民トノ間ノ紐帶ハ、終始相互ノ信ョト敬愛トニ依リテ結バレ、單ナル~話ト傳說トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現アキツ御ミ~カミトシ、且日本國民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル觀念ニ基クモノニモ非ズ。 朕ノ政府ハ國民ノ試煉ト苦難トヲ緩和センガ爲、アラユル施策ト經營トニ萬全ノ方途ヲ講ズベシ。同時ニ朕ハ我國民ガ時艱ニ蹶起シ、當面ノ困苦克服ノ爲ニ、又產業及文運振興ノ爲ニ勇往センコトヲ希念ス。我國民ガ其ノ公民生活ニ於テ團結シ、相倚リ相扶ケ、ェ容相許スノ氣風ヲ作興スルニ於テハ、能ク我至高ノ傳統ニ恥ヂザル眞價ヲ發揮スルニ至ラン。斯ノ如キハ實ニ我國民ガ人類ノ祉ト向上トノ爲、絕大ナル貢獻ヲ爲ス所以ナルヲ疑ハザルナリ。……御名御璽 昭和二十一年一月一日 1946年元旦、戦犯朕ニ、イケシャーシャート上記ノ事ドモヲ宣ワレ、嗚呼アリガタヤ、嗚呼アリガタヤ、ト感涙ニムセンダ我國バカマスコミ並ビニ爾等アホ國民ノ成レノ果テガ現在ノ爲體ナリ。今朝ハ沖縄弐紙ヺ除く日本國全紙ガ無批判提灯記事滿載、且戦犯朕々ヲ称揚、報道報國ノ實ヲアゲ、無恥卑劣厚顔ニシテ權力ノ走狗ノ傳統ニ恥ヂザルノ眞價ヲ發揮スルニ至レリ。馬鹿者ドモ、恥ヲ知レ。「今ヤ實ニ此ノ心ヲ擴充シ、人類愛ノ完成ニ向ヒ、獻身的努カヲ效スベキノ秋ナリ」トハ、朕サン、自他國民二千数百萬人ヲ殺シテオヒテ、能ク言ヘタモンダヨ。何ガ「人類愛ノ完成」ダ。廣島、長崎ピカドンカラ半年モ閲セズニ能クモマア言ッタモンダヨ。朕、恥ズカシクハナイヒノカ。イヤハヤ呆レタヨ。「詭激ノ風漸ク長ジテ道義ノ念頗ル衰へ、爲ニ思想混亂ノ兆アルハ洵ニ深憂ニ堪ヘズ」等ト、朕々、アンタニャ言ハレトウナヒ。吾、寧ロ、詭激ノ風遂ニ長ズルコトヲ待望スルナリ。今ヤ安倍戰爭政權ヲ倒スベキノ秋ナリ。爾等國民ニ告グ。起テ、起テ、安倍戰爭政權打倒ニ起テ。朕ハ起ツナ。天皇ヘーカ萬歳、萬萬歳。ケフ、エベレストニノボッタヨ。ナガノ君タチ、リベリア脱出、バルセロナ着。(2014/09/09)

キキョウ.JPG

・昨日悲しいことがあった。(2014/09/10)

薄桃色の花.JPG

・喪の気分のまま、9月30日「霧の犬 a dog in the fog」210枚を脱稿。一昨日まで多少の改稿、昨日ほぼ完成。ゲラでさらに1枚ほど追加予定。ほっ。激激激疲労。コビト&gagaにはかなりたすけられた。多謝。鉄筆社の刊行スケジュール(来月中旬)になんとかまにあいそう。装幀は『眼の海』などでもお世話になった名久井直子さん。長谷川潔のエッチングを原画にするらしい。最新小説集のタイトルを当初の「カラスアゲハ」から「霧の犬 a dog in the fog」に変更、鉄筆社も諒承。けふ、エベレストにのぼった(2014/10/04)

赤とんぼ.JPG

・「神奈川大学評論」の原稿、途中まで。狂気をじじつとしてみとめなければ、驀進する歴史のリアリティーはみえてこないだろう。近代的概念としての「主体」は爆砕された。そのことにより、まもるべき規範も破砕された。のこるは資本の法則のみである。もっとも暴力的なのがそれだ。エベレストにのぼらなかった。(2014/10/05)

カマキリ.jpg

・「今日われわれは戦争状態にあり、われわれは皆そのことを、政治的なものの外へ失墜し、堕落しようという瀬戸際で感じている。われわれはすでに新しいタイプの戦争という零落の状態にあり、そこでわれわれはあらゆる理由において人間であることを恥ずかしく思っている」(ベルナール・スティグレール『象徴の貧困――ハイパーインダストリアル時代』新評論刊)。まったく同感。悪夢と現実がいれかわっている。「神奈川大学評論」の原稿つづき。明日締め切りだったっけ?体調不良。昼寝。犬が親のような目でみていた。S紙は公安機関紙だな。あれはもう新聞ではない。冷たいイカ刺しが食ひたひ。エベレストにのぼらなかった。(2014/10/06)



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2014年08月30日

日録1―1



私事片々
2014/08/30〜

空に咲く花 8月30日.JPG

・昨日朝、大腸内視鏡検査のための大腸洗浄液を病室で飲んでいるときに、2人に死刑が執行されたことを知る。いつも不意だ。だれか顔をかくした、たぶんまだ若い役人が、いい調子で「国家」を体現している。こうやって日常の虚を衝いてくる。梅ジュース味の溶液の入った紙コップをもつ手がふるえる。怒りからか。悲しみからか。いや、たぶん屈辱からだ。どうにもならない日常にいることの辱めからだ。日常はじつにうまくしくまれている。死刑の執行を知ったからといって、わたしは腸内洗浄をやめない。なんどもなんどもトイレにいく。じぶんをからっぽにする。だれも日常の手をやすめはしない。なんとなく死刑の共犯にされていく。それどころか、共犯とさえおもわない。死刑を生ゴミ処理ほどにも感じはしない。気にしない。だれもさほどにじぶんを恥じてもいない。みな、いつものようにランチを食うだろう。コーヒーを飲むのだろう。夕刻前には死刑など忘れるだろう。夜にはテレビのニュースでもやらない。日常はすこしも壊れやしない。わたしは数時間後、車椅子で内視鏡センターに運ばれ、血圧を測られ、麻酔の点滴をされ、検査台によこたわり、肛門にゼリーを塗られ、「それでははじめます」と告げられ、尻から黒く冷たい管を突っこまれる。「痛くないですかあ……」。ひとが2人、縊り殺されたというのに。「痛くないですかあ……」。「ガスだしてくださいよお……」。わたしはなにをしているのか。なにをされているのだろう。いったい、なにをしたくてこうしているのか。意識がうすれる。絞首刑にされた男たちは、もう遺体を浄めてもらっただろうか。荼毘にふされたか。執行担当刑務官は二日酔いか。吐いたか。音もない。におわない。なにも残らない。それで、みながたすかっているのだ。けふ午後、昨日の死刑について、ある善人が遠慮がちにつぶやいた。すこぶるつきの善人が。「だれかがやらなくちゃならないんですから……」。それにたいし、がまんしてなにも言いはしなかった。ただ、顔にみるみる残忍な怒気がわいた。たとえようもなく残忍な。それがじぶんでわかった。抑えなかった。怒気がわくにまかせた。悪意がないというのは手がつけられない。エベレストにのぼった。(2014/08/30)

死刑執行日のガード下.JPG

・せめて死者たちに聴かせてやれよ。だめだ?あの歌のなにがよくないというのだ。あのだみ声がわるいか。タバコくさいか。酒くさいか。シャブくさいか。なら、おまえは聴くな。とっとと帰れ。金勘定でもしとれ。A SONG FOR YOU . レオン・ラッセル。なにが悪い。みかが今朝、リベリアに発った。正解。おれも行きたかったな。誘ってくれてありがとう。中野君、会えなくてごめんね。ほんとうは会えたんだけど、気持がずいぶんたてこんでました。ハルさんは昨日、光化門広場に行った。ドットウの絵の話、よかった。新聞なんかじゃわからない。危機がほんとうに危機であるとき、それは危機を感じられなくなったとき。エベレストにのぼった。尾根で1970年のA SONG FOR YOUが聞こえてきただけのことだ。1970年の、だ。タバコをのんだ。深々と吸った。うまかった。しびれた。(2014/08/31)

今年最後のセミ.JPG

・鉄筆文庫版『反逆する風景』のまえがきを書く。送稿した。締め切りは3日。a song for youがまだ耳についている。なぜだ。声だ。いまはジジイのレオン・ラッセルが若かったころのあの声。憂うつな喇叭。なにが悪い?江ノ島のきったない岩にへばりついたフジツボのような、ダメな肛門にみまがう、おちょぼ口をした男Aに、つきしたがう者どもはどうぞつきしたがえばよい。フジツボ口とそれによってなされたかもしれない美しい国のクンニ(訓尼)についての連想を、詩なり俳句にする者はそうしろよ。ああ気色わるい。Aよ、おれは早く、いや即刻だ、おまえに消えてもらいたい。民主主義とかなんとか以前の、これは人間生理の問題だ。おれはおまへとおまへの仲間をどこまでも差別する。である以上、おまえたちもおれを徹底的に差別するだろう。結構。OK牧場。どちらかがぶっ倒れるまでやりませう。けふはレオン・ラッセルの声を耳から消去するべく四苦八苦。気がついたら、カート・コバーンのCome as You Areが耳にびったしはりついていた。そこで一句。訓尼するアホがあたまに屁をひられ。臭桜子。エベレストにのぼった。寝る前、キャメル3本喫った。うまひ。Take a rest, /as a friend, /as an old memoria,/memoria, memoria,memoria…(2014/09/01)

ムラサキシキブ9月1日.JPG

・黄色い柚子を1個、上着のポケットに入れて、イカを釣りにゆくのだ。真面目で冗談のない透明なマイカを。エンペラがうねうねし、ぴらぴら光る。わたしゃスルメイカを釣りにいきまする。イイダコの形の、赤い疑似餌は、むこうに用意してある。おれはまっ黄色の柚子を1個もっていけばいい。あとはぜんぶほっぽって(ここが肝心)、犬連れでイカを釣りにゆくのだ。ぜんぶほっぽって、ね。融通のきかないマイカちゃん。さっぱりもりあがらないマイカちゃん。サングラスかけ、くわえタバコでイカを釣る。ラークだ。海を見ながらラークを喫う。イカ釣りにはラーク。釣ったらすぐにさばいて塩辛。指にイカ墨。黄土色の肝。ペロペロ舐めます。うまひ!柚子かける。柚子入れる。ぽっぽ焼き用の七輪も醤油も日本酒もむこうにある。犬にはイカを食わせない。腰抜ける。もりあがらない話をぶつぶつ話す。けふ、エベレストの近くまで行ったが、清掃中だったため、のぼらなかった。清掃?だからどうしたというのだ。歯医者に行った。オタバコハオヤメニナッタホウガ……。やかましい。郵便局の青年が本を1冊届けてくれた。とびきりの笑顔で。白水社の新刊、マリオ・ジャコメッリ『わが生涯のすべて』。郵便局の青年、昨日の拙句をよっぽど気に入ってくれたか(なら、よい趣味だ)、満開のダリアのようにうれしそうだった。こんどダフネ1号店に誘おうかな。JSFに。午後、南口に爆撃があった。(2014/09/02)

疾走.JPG

・死者なお死す。ひとしきり窩主(けいず)買いの「窩」についてかんがえる。また、ローマ数字についておもふ。ex. XVIII。朝っぱらから電話。鶯谷でラブホテルをやってるW(67)から。地獄におちた夢を見たという。やっぱりな、とおれ。気がついたら、ゴールデンハムスターになって、閻魔様が裁判長の地獄法廷にいた。他にも被告ハムスターが2匹いた。閻魔様から3つのうち1つをえらべと厳かに命ぜられる。@おぼちゃんの「窩」Aタカエチサナヘの「窩」Bフジツボ男Aの「窩」ーーの3つの「窩」のうち1つを選択し、そこに頭から入れ。てな命令。そりゃふつう迷わず@をえらびますよね。うん、そうだな、そりゃ人情だな。Wおよび他の2匹、即@選択。したらば、これがひっかけつうか罠で、そういうスケベ根性だから地獄にくるんだ、アホども!とか言われて、A、すなわちタカエチの「窩」行き決定。Wをふくむハムスター3匹が順番にタカエチの穴に入ることになった。ひどい話だ。ずっとそこで暮らさなければならない。少なくとも、次の大ガス噴射ないし大排泄がなされるまでは。Bのケツは多忙のよしでアヴェイラブルではなかった。それは、ま、よかった。「窩」は音読みで「ka」。慣用で「wa」だが、閻魔様は「wa」と発音なされ、尻の窪みから肛門、直腸へとつづく暗く生温かい洞窟をいっかつして「窩」一字で表現されていたらしいが、おぼちゃんゆきを失敗したWは、もうただただ落胆するばかりだった。で、閻魔様に「おそれながら……」と泣き泣き願いでた。せ、せめて、わたくすぃめをタカエチさんのケツメドのいちばん外側にいさせてくださいませ。どうか、内側はご勘弁ねがひますっ!泣訴。ところが閻魔様、ひどいへそ曲がりだから、わざとWをサナヘさんのケツの闇の内側つうか一番奥に配置。死ぬほど臭いし熱いし、しかしながら、ここは地獄、勝手に死ぬこともゆるされない。Wクソまみれとあいなり、息もたえだえになって、ひょいと前の(つまり3匹のうち真ん中の)ハムスターの顔をみやれば、な、な、なんとそれはやはりクソまみれのわたしだった。だから、すぐにお報らせしなければ、と早朝の緊急電話となったんだと。そんなこと言われたって、どうすりゃいいんだ。Wしみじみいわく。「善行」をつむしかなひですねぇ。いやだ、まっぴらだ、とわたし。こうなったら、徹底抗戦だ、と啖呵を切る。電話を切る。だが、不吉な話が尾をひく。この破砕された「世界内」の位置とは、だれがどんなえらそうなことを言ったって、やつらのケツメドのなかということなのだ。どうあっても屈辱はまぬかれない。おぼちゃんの「窩」はもはや望むべくもない。タカエチかフジツボ男Aか、下手したら、次なるシニガミ・マツスマミドリのケツメドのなかといふ完全絶望的世界内で、ウンコにまみれてもがくしかないなんて!だが、これがコクミンの冷厳な現実だ。そうした世界内にあって、いったい、だれが、どんな根拠で、自由たりうるといふのだ。今朝ハルさんたちはチョンジュに発った。チョンジュには行ったことがない。もうイカ釣りにしか望みはない。柚子だ。それだけだ。左手でイカ釣り。すべて、すべて、ほっぽる。ほっぽります。死者なお死す。なんどでも死ぬ。「霧の犬」を書き上げて、ここから引っ越そう。なんとかして。「霧の犬」はいらだたせない。もういい。たくさんだ。こりごりだ。しおどきだ。おれは犬をつれてイカ釣りにゆく。金色に光る柚子を1個、買う。透明なイカよ。正直なマイカよ。キラキラ水の跳ねるのをまなうらにえがく。おれは静かにイカを釣る。それだけだ。もういい。エベレストにのぼった。へんにぬくい。おかしい。空気がただならない。あっ、ここも世界内=肛門なのだ。(2014/09/03)

花壇の蝶.JPG

・ぞっとした。松島みどり法相(元朝日新聞記者)が初閣議後の記者会見で「死刑執行に署名することも覚悟して、この職を引きうけました。議論は必要かもしれないが、国民の考えにもとづいた制度として必要だと考えています」と語り、死刑制度に肯定的な意見をしめした、というよりも、テレビで見ると、死刑執行をこれからもバシバシやります、といふ口ぶり。谷垣前法相は計11人の絞首刑執行を命じ、つまり、11人を国家の名において次から次へと縊り殺し、「死に神」として自民党幹事長に。松島は特定秘密保護法(実質上の治安維持法)の具体的運用にものりだす。およそファシスト政権で死刑と思想・言論統制に不熱心だった党などなかった。イカ釣りなんかしてる場合だろうか。コビトがきて、犬とともに中央口ミスドに。新商品麻婆麺たのむ。からひ。コビト、唖者なので念波で問うてくる。「あの女って、吸血鬼に、バンパイアに似てません?」。真っ赤な新法相マズシマのことだ。そう、似てる。いやな顔だ。が、ここは諭す。「これこれ、そんなことを言うものではないよ。マズシマさんもひとりのヌングェンなのだよ……」。コビト「あいつ、きっと来月までに死刑執行やりそう……。殺す気マンマンだよ。カクリョーたって、みんなチンカスか腐れマン✕ばっかしじゃん」。わたし「えっ?」。コビト「クサマンばっかりよ。あほくさっ!」。肉まんを1個追加オーダーした。わたしたちはみな、あいつらのケツメドで死ぬのだ。あいつらのケツメドのなかでクソまみれになり、税金をはらわされ、血を吸われ、さんざバカにされて死ぬのだ。それでいいのかどうか。それでいいというかんがえかたもありうる。いはゆる達観といふやつだ。ここをケツメドとおもわない思想をはぐくむ。ここはアベのケツメドなんかじゃなく、ほんとうは天国なのだ。ほら、うつくしい海があるよ。イカを釣ろう。柚子があるよ。すなおになろう。やさしいきもちになろう。冗談ではない。ここはケツメド以外のなにものでもなひ。エベレストにのぼらなかった。(2014/09/04)

白い花9月初旬.JPG

・ルドナヤプリスタニのことを少し書いた。声のこと。チョンジュからメールがあった。あれはたぶんチョンジュからだ。モンロビアからも短いメールがあった。エベレストにのぼった。草が刈られていた。夕刻までにからだが疲れきった。(2014/09/05)

タマムシ9月5日.JPG

・1匹の生きたタマムシがきのう午前コビトにひろわれた。水を飲まされた。タマムシは薄緑の液をひとつぶ吐いた。夕刻までは生きていた。けふ、昆虫ではなくひとの顔をした医者の病院にいく。エベレストにのぼらなかった。着替える。手紙なし。ソウルからメールがあった。2シーン以上書く。ヤマパンのエクレア食った。わちきにもくんなまし、といふので犬にひとかけらあげた。(2014/09/06)









posted by Yo Hemmi at 13:50| 私事片々 | 更新情報をチェックする