2015年03月04日

連載開始




◎「1☆9☆3☆7」の連載開始へ



・2015年1月30日発売の週刊金曜日が、辺見庸作、私記「1★9★3★7――『時間』はなぜ消されたのか」の連載を開始します。第1回は、序章にあたる「はじめに」で、本連載の梗概として、1937年という「過去」と2015年「現在」の相関、堀田善衛の小説『時間』などをつうじて南京の大虐殺をとらえなおすことの意味、記憶と忘却について、ニッポンとニッポン人はいったいなにをし、なにをしなかったのか……を記しています。原稿はすでに95枚ほどまでできており、ぜんたいでは350〜400枚になるみとおしです。週刊金曜日の掲載は原則、毎週。つごうにより隔週です。「1★9★3★7」は「イクミナ(征くみな)」戦争へ――とお読みいただければ幸甚です。
【お知らせの最新記事】
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2015年02月14日

近著



◎近著


・エッセイ集『反逆する風景』鉄筆文庫

カバー「反逆する風景」鉄筆文庫.jpg

著者:辺見庸
解説:藤島大
装丁:トサカデザイン(戸倉巌、小酒保子)
ISBN:978-4-907580-01-8
定価:本体700円+税
発売日:2014年10月30日
(注)2014年12月8日に放送されたインターネットラジオOTTAVA(オッターヴァ)の番組(OTTAVA Salone、プレゼンター:林田直樹)で、思いもかけず、本書『反逆する風景』と版元の鉄筆が紹介され、you-tubeのアーカイブにアップされました。本の推薦と紹介などは、最後の10分くらいだけです。
https://www.youtube.com/watch?v=_BwqTn2xfak&feature=youtu.be


・最新小説集『霧の犬 a dog in the fog(鉄筆刊)

霧の犬カバー差し替え.jpg
(クリックで拡大)

著者:辺見庸

発表作品(収録順):
T「カラスアゲハ」75枚
U「アプザイレン」40枚
V「まんげつ」10枚
W「霧の犬 a dog in the fog」(鉄筆創立記念書き下ろし作品)216枚
(全266頁)

装幀:名久井直子
原画:長谷川潔
ISBN:978-4-907580-02-5
定価:本体1,800円+税
発売日:2014年11月21日(金)
株式会社鉄筆
〒112-0013
東京都文京区音羽1-17-11花和ビル310
電話&FAX 03-6912-0864
携帯電話 080-1002-2044
メールアドレス teppitsu@ybb.ne.jp
担当者:渡辺浩章
〈作品紹介〉
http://kimugoq.blog.so-net.ne.jp/2014-12-11



・対談本『絶望という抵抗――辺見庸✕佐高信』(週刊金曜日刊

絶望という抵抗、書影1.jpg


ISBN:978-4-906605-99-6
定価:1500円(税抜き)
発売日:2014年12月8日
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2015年01月31日

書評


◎図書新聞、中国新聞が『霧の犬』書評を掲載

2015年1月10日付「図書新聞」(第3189号)が、政治学者・宮崎悠氏による『霧の犬』(鉄筆)書評「ファシズムは下から用意される」を掲載しています。また1月11日付の中国新聞は文芸評論家・横尾和博氏執筆の書評を載せました。
2015.1.11中国新聞書評
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2015年01月30日

12/14インタビュー掲載


◎神奈川新聞がロングインタビュー掲載

衆院選投開票日にあたる2014年12月14日(日)の紙面で、神奈川新聞が今回の選挙などについての辺見庸ロングインタビューを掲載しました。

神奈川新聞インタビュー.pdf

同紙電子版URL:
https://www.kanaloco.jp/article/81601/cms_id/116317
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2015年01月28日

神奈川大学評論


◎神奈川大学評論に寄稿

2014年12月13日発売の「神奈川大学評論」第79号に「デモクラシーとシデムシ」18枚を寄稿しました。

『神奈川大学評論』
〒221-8686 横浜市神奈川区六角橋3-27-1
TEL:045-481-5661
FAX:045-481-9300
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2015年01月27日

日録1-5


私事片々
2015/01/27〜

樹と空.jpg

・友よ。想おう。「・・・・・・私がある場所について語るとき、その場所は消滅している。/私がある人について語るとき、その人はもう死んでいる。/私が時間について語るとき、時間はすでに存在しない」(J.B『なぜ、すべてがすでに消滅しなかったのか』塚原史訳 筑摩書房)。やつらが野蛮というなら、サイクス・ピコ協定はもっと野蛮ではなかったか。やつらが極悪非道というなら、米軍のイラク爆撃はその数万倍も残忍ではなかったか。ファルージャでなにがなされたか。やつらがペテン師というなら、ABとその仲間は、まけずおとらずの暴力的詐欺師集団ではないか。ABとその仲間は、沖縄の選挙結果をまったく歯牙にもかけず、暴力的に基地建設をすすめている。いまなにがもっとも危険なのか。いまどんな脅威がせまっているのか。人びとはABをえらんだことのツケを今後、延々としはらわなければならない。連載8回目。泰淳「審判」と川西政明さんのエッセイおよび『武田泰淳伝』照合、チェック。発見あり。ダフネ。エベレストにのぼった。(2015/01/27)

ツバキのつぼみ.jpg

・エリトリアのことをプレトリアと言いまちがえていた。ちょっと傷つく。アスマラの時間はいまも、水飴のようにゆっくりとながれ、東京よりもよほど「まとも」だそうだ。そうだろうな。けふ、「イスラム国」のことを常識のつうじない「モンスター」と呼ぶ学者だか評論家だかがいた。じぶんたちは「常識」のわかる非or反モンスターとでもおもっているのだろうか。モンスターが産まれきたときの産婆は米欧だったのに。「現代は昔のものと元どおりのものを〈クローン〉にして生きている」(ドゥギー「パニックの記」)。官邸前だったか、人質解放をもとめてあつまった人びとが「ウサギオイシカノヤマ……」とうたったのだそうだ。寒気がした。「無変化のよそおいをした全面的変化(崩ー壊)がおきている」。エベレストにのぼった。(2015/01/28)

車と白煙.jpg

・2日ほどまえにフリッツ・ラング監督の『M』(1931年)をみる。おもしろかった。ストーリー展開、編集、カメラアングル、演技、映像のメタファー、テンポ……どれをとっても「いま」よりみおとりしないだけでなく、むしろぬきんでたものがある。ファシズムは、にもかかわらず、成長した。「時間」は「現在」よりすすんだり遅れたりするものなのか。エベレストにのぼらなかった。(2015/01/29)

しもばしら.jpg

・世界には世界によって堕胎された「反世界」というものが、ほぼかならず、ある。antiworld。反粒子的世界。ホルヘ・フランシスコ・イシドロ・ルイス・ボルヘス・アセベードの世界。「汚辱の世界史」。たとえば、「忌まわしい鏡」。「われわれの住む世界はひとつの誤謬、ぶざまなパロディーである。鏡と父性とは、パロディーを増殖し確認するがゆえに忌むべきである。嫌悪こそ第一の徳である」。わたしたちはいま、わたしらの世界(母胎)がわれしらずボットンと流産した反世界をみせつけられている。悲しみ、怒り、(ときにはふとどきにも)楽しみ、消費し、次の劇的展開を期待しながら……。気がつくと、玉座のまえの裁判においては、ハートのジャックが女王のタルトをぬすんだ嫌疑で起訴されており、白ウサギが裁判官役の王たちのまえでもっともらしい顔で罪状を読みあげている。指つめろ!いや、死刑だ!アリスは陪審員の動物たちにまじって裁判を見物しているうち、じぶんのからだがどんどん大きくなりはじめていることを感じる。マツコDXのように。裁判では証人として変態帽子屋、ニセ公爵夫人の料理人がよびだされ、3人目の証人としてアリスの名がよばれる。反世界はそんなようなものだ。われらの世界のすぐとなりには反世界が、われらが世界のへその緒とつながって延々とのびている。延安だって、かつてはじゅうぶん反世界であった。人民が飢えているというのに毛沢東らはポーカーをしていた。鉄砲から政権がうまれる。労農赤軍=PKKA(エールカーカーアー)も、かがやかしい反世界として、おびただしいひとびとを殺戮した。で、忘れまい。「皇軍」は中国における「もっとも野蛮な反世界」であったのだ。気まぐれな斬首と24時間のべつまくなしのビンタと強姦をだれよりもこのんだ反世界。おどろくべき歴史観と非人間観と手前勝手な(反)世界観と壮大な忘却。その頂点にエンペラーを後生大事にいただいていた。そうではないかね、安倍君。この機にじょうじて9条をかんぜんにつぶす気かね?そうしたら、どうなるか気がついているのかね。「汚辱の世界史」でも読みたまえ。世界が反世界を堕ろしたのだ。米国が日々だらしなく流産しつづけているもの。欧州がけふも堕ろしつづける「人権」と貧困とテロルと反イスラムと反移民。ぶざまな無限パロディー。そして、反世界こそが現世界を産んだのである。いつも血だらけの流産なのである。わたしらはみな畸形である。ああ、また孕んだのだな。そのくりかえし。ウサギオイシカノヤマ……とかハナハサク……はやめたまえ!その歌はキミガヨとともに、反世界の呪わしい弔歌であることに、まだ気がつかないのかね。安倍君、ぼくは君と君のコクミンがきらいだ。エベレストにのぼらなかった。(2015/01/30)

タクシーにて.jpg

・『M』には時代の妖気がただよっていた。小津安二郎の『生まれてはみたものの』には、言わずもがな、一片の狂気も妖気も殺気もありはしない。前者は1931年、後者はその翌年の映画である。31年には柳条湖事件がおき、32年には桜田門事件、第一次上海事変、5.15事件あり、ドイツ総選挙でナチスが圧勝し、堺利彦が世情にたえかねたかのように「発狂」している。時代は「いま」と質こそちがえ、あきらかに狂ってきていた。じつのところ、「1★9★3★7」は「1★9★3★1」であるべきであったのだ。それは先刻承知している。小津安の映像がうめこんでいる「時間」には、なにかいかがわしいうごめきがある。なんだろう。石原吉郎の詩集の表題ではないけれど、それは「日常への強制」である。執拗な強制。丸山の言う(おそらくニッポン・ファシズム固有の)「執拗な持続低音」(basso ostinato)は、小津安映画のちゃぶだいと食器と箸、畳と縁側、しつこい無音とみえない性器たち、それらを舐めつづけるカメラアングルに、きれめなくながれている。けふ、はじめておもった。小津安の映画はひどく猥褻である。卑猥であり、あまりにもおしつけがましく、とんでもなく〈反動的〉だ。ダフネ。エベレスト冠雪。滑落の危険性あり、登攀をひかえた。(2015/01/31)






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2015年01月20日

日録1―4



私事片々
2015/01/20〜

オレンジ色のユリ.jpg

・ザ・マンモス・ホスピタル(TMH)にいった。ごくたんじゅんに眠剤と精神安定剤をもらいに。ただそれだけでよかったのだ。MSつきそい。けふ6歳誕生日の犬は留守番。ザ・マンモス・ホスピタルは全フロア戦場だった。どうしてこうなってしまうのか。ここはいったいなにがしたいのか。TMHの最終目的はなんなのだ。ここでかつて下痢のAをみたことがある。ここはAたちの城なのだ。ホスピタルといふのに、どこにもすこしの安らぎもない。腹から自転車のチューブみたいなはらわたをもりもりとはみだした患者が担架ではこばれてゆく。どいて、どいてえ!廊下にずるずるとはらわたをひきずっている。タイヤ痕がつく。ひとのはらわたくらいお腹にかくしてやれないものか。手でもってあげたらどうなのだ。みな目が血走っている。顔がひきつっている。車椅子がぶつかってくる。ガッチャーン!医者がどなりちらしている。看護師が金切り声をあげている。「2時間待ちよーっ!もうパンクなのよーっ!戦争なのよ!」。MSがしきりにグチる。ここはなどてこげんに大便くさいとですか。そんなこと知らない。むかしからだ。むかしからクソくさいのだ、ここは。前立腺肥大の元プロレスラー(恐怖党員)が採尿紙コップからオシッコをぼとぼと床にこぼしている。機械がしゃべっている。「ではじめのおしょうすいではなく、チュウカンニョウをてきせつにごサイニョウくださいませ」。おれはたんじゅんに眠剤と精神安定剤をもらいにきただけなのに、2時間半待たされ、あげくに採血、採尿を命じられる。つかれて抵抗できず。めんどうくさいので、MSのチュウカンニョウを採尿カウンターにおいてくる。クワガタムシみたいな医者(恐怖党員)にさんざいばられ、いやみを言われ、やっと眠剤と精神安定剤をもらえることになるが、自動ゼニ支払機がえらいこんでいて、300人も列をつくっている。暴動おきない。ぜったいにおきなひ。みんなザ・マンモス・ホスピタルで死にたいのであらう。それが本望なのであらう。MSに車椅子をもってきてもらう。待っていたら、場内アナウンスあり、25番窓口へ。3階の産科のドクターがあなたを待っている。と、言われたって困る。産科?わたすぃはだれもふぁらませてはいなひ。それに、感覚障害とマヒがこうじてもう歩行不能だ。産科⒏番の前で1時間待たされる。呼ばれる。入る。ラクダ顔の医者(恐怖党員)。「あなたさまは7年前に精子バンクにあなたさまのご精子保存をご依頼なせれまひたね?」。わたすぃ「……!?」。おぼえがなひ。そう言ふと、看護師(恐怖党員)がむかしの「依頼状」というのをもってくる。MSがのぞきこむ。わたすぃのサインかわからない。脳出血で大腸がんその他をわずらったずぃぶんが、精子バンクに精子をあずけるわけがないではないか。そのむね、言ふ。それどころではなひ、と。いや、あなたさまのサインがあります、とラクダ。ぅわたすぃ「で、その精子は元気なのですか?」。ラクダ「わかりかねます。生きているとしても、1個か2個……。元気がなひですから……」。ああ、ヤバい。7年間の精子保管名目で恐怖党に数十万イエン、いや100万イエンもふんだくられるのじゃなかろうか。おれはたんに眠剤と精神安定剤がほしいだけなのに。もふ、いいです。その精子を破棄、いや、廃棄します、と言う。ならば、お金いらない、とラクダ。にやにや笑っている。保存依頼ご精子廃棄合意書2通にサインさせられる。結局、なんだかわけがわからない。精子がかわいそふな気もする。いまわかるのは、イスラム国つぶし名目で、Aがジャパン国防軍ジブチ基地を拡大・恒久化し、海外派兵どころか海外基地増強をはかっていることだ。年内にもジャパン軍部隊は海外で戦闘参加するかもしれない。やる気だ。やりたひのだ。とっくに目にみえていたことではないか。イスラム国に動機と口実をあたえたのはAである。わざと挑発したのだ。イスラム国の蛮行実力阻止を理由に、9条がつぶされる。ザ・マンモス・ホスピタルはなんの目的もなく狂いつづける。ああ、ウンコくさい。エベレストにのぼらなかった。(2015/01/20)

ビルディング.jpg

・「9・11は想像力を乗り越えていたのである」。あの有名なコメントをいまおもいだしているひとがいるとしたら、少なくともテレビのコメンテーターよりずっとましである。「――テロリズムは全能性を獲得したパワーの内部分裂の表現として解釈できる(世界システムそのものに内在するグローバルな暴力)」「だから、ブレヒトがファシズムについて語ったのとまったくおなじように(ファシズムはファシズムと反ファシズムによって構成される)、テロリズムの全体は、テロリズムと反テロリズムによって構成されているのだ」「テロリズムが狂信主義と暴力を体現しているとしても、テロリズムは、それを非難する者の暴力と彼らの無力さの具現化である」(ボードリヤール『悪の知性』塚本史+久保昭博訳)。世界はテロリズムを憎むと言いながら、みずからの腹にテロリズムをつねに胚胎している。テロリストの胎児をそだてておきながら、その撲滅(子殺し)を語っている。なによりも、フィクション以上のスペクタクルとホラーを、世界はブルブル震えながらエンジョイし、消費しつつある。エベレストにのぼった。第5回目のゲラをもどした。(2015/01/21)

ザマンモスホスピタル.jpg

・第6回確定稿送る。けふも連載「1★9★3★7」を書いていて、ふとおもふ。ジュネーヴ条約もハーグ陸戦条約もあったものではない。そんなものいっさい無視。国際的準則ゼロ。ノーヒューマンライツ。武力をもって平気で他国におしいる。よくもまあ、あんなにもひとの首を刎ねるものだ。逆らう者は容赦しない。もっぱら首をねらう。悪夢が現実を食いやぶる。あれれ!?どこかのクニのむかしに似ていないか。いにしえの「祖型」というのでしょうか。Aはなぜ、なにをしに、なにを予測して、イスラエルにいったのか。無知と傲慢とひとりよがり。エベレストにのぼらなかった。コビト虐待されているらしい。(2015/01/22)

紫色の枯れたような花.jpg

・強風をついて右尾根からエベレスト頂上アタック。少々冒険だったがなんとか成功。うれしくはない。ここが、世界のどことも地つづきではないことをねがう。もう害されていない時間はどこにもない。知ってはならないこと、見てはならないことどもを、たっぷりと見知ってしまった者は、ヒイラギとともに凍え死ぬよりほかはない。葉腋によくにほふ白い小花をポツリとつけ、核果はいずれ紫黒色に熟するとしても、時間はもう毒されてしまったのだ。とっくの昔に。(2015/01/23)

ミモザの空.jpg

・おぼつかないのだ。黒い穴だらけだ。よるべないのだ。うそだらけ。あやういのだ。情けないのだ。いぶかしいのだ。いかがわしいのだ。ふいに攣るのだ。なにものもないのだ。あるかにみえて、ただ、ひたすらないのだ。ただ、ひたすらあるようにみえるのだ。罠だらけ。かれとかれらは、あらかじめ、それを知っていた。知らされていた。なのに、あの日はじめて知ったふりをしてみせた。かれとかれらは、いったいどこにいて、だれのために、なにをしていたというのだ。かれとかれらは、あらかじめ、それを知っていた。たすける気など、はなからなかった。しかし、たすける気があるふりをしてみせた。どうふるまえばヒーローになれるか、話しあわれた。かれとかれらは、あらかじめ、それを知っていた。知らなかったふりをしつづけた。その時点で、あのできごとは、すでに終わっていたのかもしれない。それでもいいと、かれとかれらは判じた。問題は、できごととわたしが、なぜ、どこで、いかにかかわるか、または、なぜ、すこしもかかわりあいがないか、だ。午前、循環器内科。MS 。あるいてダフネ。ミモザをみる。エベレスト左尾根から登攀。散髪。「あ」がいた。マスクをしていたが、すぐに「あ」とわかった。ていねいにやわらかくゆっくりと洗頭。第7回なおし。明日送稿予定。「非道徳的道徳国家」(藤田省三)のタームをなぞる。夜『瀆神』めくる。文言のかくにん。「資本主義はおそらく、罪を浄化するのではなく罪を着せる信仰の唯一の事例である」(ベンヤミン)が引用されている。「宗教としての資本主義」は、「これまで存在した宗教のなかでおそらく最も極端で絶対的なものである」し、それには「休止も仮借もない」。つまり「宗教としての資本主義」こそが、諸宗教のなかで、もっとも残忍なものだということ。内閣府の世論調査で「死刑はやむをえない」と容認するひとのわりあいが80.3%だったことが公表される。このタイミングで。だから、ちかく執行するということか。(2015/01/24)

夜の街.jpg

・たんじゅんなことだ。かれは、人命よりも「国家」がだいじであると、ほとんど躊躇もせずに、宣言したのだ。戦いたいのだ。有志連合軍とそのボスにたたえられたかったのだ。結果はみえていた。歴史が逆巻いている。憲法が停止されている。かれは戦争の世界化傾向を抑止・回避する方途をさぐるのでなく、戦争の世界化に拍車をかけている。憲法はかれにより停止され、「例外状態」が恒常化している。事態はもっと腐爛するだろう。Aの面相が変わった。なんという凶相!エベレストにのぼった。連載第7回目送稿。(2015/01/25)

ミモザ.jpg

・安倍政権はますます本性(地金)をさらしはじめている。Aは「イスラム国」の毒を浴びて、ますます猛っている。奇貨おくべし。内心そうおもっている。世論はいともかんたんに操作されている。安倍政権はただひどいだけでなく、怖い。肉体的な恐怖をかんじさせる。零時からBSのアイヒマン裁判みる。なんどみても発見あり。連載8回目着手。MSのおかげで川西政明さんのコラム(2006年)すぐに入手。たすかる。エベレストにのぼった。(2015/01/26)







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2015年01月13日

日録1―3



私事片々
2015/01/13〜

車中からの眺め 共同のかえり.jpg

・昨晩は95枚以上送った。疲れぬけず。今後どうするか。向井君からは、やる気のわくよい感想をもらった。お父さんが胃瘻をするかどうか、これから主治医と話すらしい。そういうことが、いまの原稿と精神の深みでかんけいしているとおもう。向井君の父上が胃瘻をするかどうかと、わたしが南京の大虐殺の原稿を書く構えには、たぶん、なんらかのかかわりがある。身体的な実感。母もいずれその課題にぶつかる。正午、イタメシ屋でナイロビの中野君、舟越と会う。またナミブ砂漠の話。あざやかな煉瓦色とシャレイ・ブルーの空を脳裡にみる。中野君がエベレストをみたいというのでつれてゆく。「意外に低い」といわれる。いっしょにのぼる。中野君は明日東京を発つ。(2015/01/13)

かわたれどき.jpg

・終日『忠誠と反逆――転形期日本の精神史的位相』。昂奮した。むかし『現代政治の思想と行動』を読んだころ、これほどのおもしろみをかんじなかった。吉本がバカにしたものを尻馬にのってバカにするだけではだめだったのだ。一知半解で、謙虚さに欠けた。まずしっかり読みこんで、学ぶ姿勢がなかった。あらさがしばかりしていた。批判は、まず読みこまないとだめだ。昨夜、父の書きのこしたものを多数発見。鉛の棒でぶんなぐられるほどの衝撃だった。父は出征後まちがいなく南京の「金陵部隊」にいた。士官を志願し、合格し、少尉になり、戦闘に参加し、ポツダム中尉になった。敗戦後、戦友会にもでていたかもしれない。大虐殺時と年代がずいぶんちがうけれども、父と南京をむすびつけたくなかった。無意識に記憶に蓋をしていた。知りたくなかったのだろう。だが、そうもいかなくなってきた。私記「1★9★3★7――『時間』はなぜ消されたのか」は、今月末から、週刊金曜日に連載されることになった。最終的に350〜400枚くらいか。媒体として適切かどうかわからない。すきではない。すきな媒体などない。媒体がどうのこうのと言っている余裕はない。犬とともに、引っ越しをかんがえざるをえなくなった。面倒くさいがやむをえない。まだまったくあてはない。決心だけ。だが、遠からずかならず引っ越す。きのう、あなたは若いとき学生運動をやっていたのに、就職して公安担当記者になってがんばったのはなぜか、と聞かれた。そのことも「1★9★3★7」に書く。Tさんには、読んで、きびしくご批判いただきたい。予定どおりなら今春就職するK君にも。K君にいちど会いたいものだ。かれのほうが世界を知っているはずだ。話を聞きたい。エベレストにのぼらなかった。中野君が発った。搭乗1時間前にメールをくれた。(2015/01/14)

雨のデッキ.jpg

・第1回のゲラ戻す。すでに3月分くらいまではあるらしい。この間にできるだけ多くストックをためて、居場所をみつけ、引っ越さないといけない。どこまでも逃げることだ。昨夜「丸山真男とアソシエーショニズム」(2006年、柄谷行人)をぼんやりと読む。読んでいると、こちらの思考の穴にいやおうなく気づかされる。かえって丸山のこれまでみえなかった文のちからを知る。「執拗な持続低音」(basso ostinato)に、ニッポン・ファッショの通奏低音を聞く。そういうことだ。なにひとつ、どれひとつ、新しくはない。現政権はただひたすらに危険である。「なりゆく」「なりまかる」ものを、たたきこわさないといけない。こちらがこわされるにしても。エベレストにのぼらなかった。(2015/01/15)

雨の階段.jpg

・第2回最終稿もどす。「『万世一系』のイデオロギー的な強みは、『一君万民』という単独者の支配(モノ・アルキア、中華帝国の場合)にあるよりは……皇室が、『貴種』のなかの最高貴種(primus inter pares)という性格によって、社会的に支えられていた、という点にあった」。なるほど、強権支配は不要でもある。その点、中国よりもつよい。なぜなら社会が皇室を綿のようにつつみ、支えているのだから。社会が、国家権力になりかわり、反皇室をそれとなく弾圧(成敗)してくれるのだから。このばあいの社会とはマスメディアを筆頭にふくむ。「『永遠者』の観念に代位する役割」か。ヌッポン帝国のマスメディアとマスは、おそろしいいきおい=いきほひ=で劣化している。「フルビネクは1945年3月初旬に死んだ。彼は解放されたが、救済はされなかった。彼に関しては何も残っていない」の文章がすきだ。いつ読んでも、とてもすきだ。静まる。アパートさがし進展なし。エベレストにのぼらなかった。(2015/01/16)

辺野古のゲート前.jpg

・第4回までゲラ送稿。きのう、カフェの帰りに汚いトラ猫をみた。ノラだ。植えこみの陰。お腹がぼわーんと大きくなっていた。地面につきそうなほどたれさがっている。ぎっしりと仔猫をはらんでいる。とても重そう。仔猫たちが腹のなかでもぞもぞとうごいていた。そうみえた。写真を撮ろうとおもったが、なんとなく撮るのをやめた。M君のお父上、胃瘻は危険なのでやめて、経鼻になるらしい。父が生きていれば、M君のお父上と同い年であることに気づく。1922年生まれの、うすれゆく記憶。こうやって歴史が激変している。時間が目下こわれている。こわされている。昨夜、B君から久しぶりにメール。とてもうれしかった。どこからかとおもえば、辺野古基地ゲート前。写真。米兵があるいている。沖縄2紙の記者はいたけれど、「本土」の記者はいなかったらしい。そういうことだろう。けふ、Dさんから手紙。年末に送った本が検閲のためにやっと着いたらしい。気合いでエベレストにのぼった。ダフネで、あれはたぶん、英国人がはなしていた。気味悪いほど甘い声で「コックローチ……」と言うのが聞こえた。日野啓三さんの『時間』評(1955年)を、苦労のすえみつけてもらった。さすがによいものだった。感謝。(2015/01/17)

トウキョウ.jpg

・昨日、ナイロビの中野君からメール。ATMにカードを入れたまま忘れてきたが、盗まれることなく、カードが銀行にとどけられていてびっくりしたという。来週アスマラにいくらしい。たしか紅海にちかい2000メートル以上の高地だ。あの街をあるきたい。丈の高いビルはなかったはずだ。けふダフネ休みのため、額縁屋のある路地のずっと奥の「kikiya」にはじめてはいる。大きく深いカウチにすわる。客はいないようだ。ホリイジュウコウさんが店番をしていて、ベトナムコーヒーを供される。ぼくはおどろかない。ホリイジュウコウさんは、とっくに亡くなったぼくの伯父である。アラン・ラッドにどことなくにていて、ときどきうすく恥ずかしそうに笑いはするが、ほとんどしゃべらないひとだ。だから、声がどんなだったか憶えていない。全人生で500語も声にして話したかどうか。それでいて陰にこもるということもなく、いつも静かにたちはたらいていた。kikiyaでもそうだ。かれはだまって拭き掃除をしている。ホリイジュウコウさんほど無口で誠実で勤勉で温厚で目だたないひとをみたことがない。戦争にいっていたと聞いたことがある。ホリイジュウコウさんがどうやって戦争をしていたのか、さっぱりイメージがわかない。「犬をあずけてアスマラにいきたいのです」。ティグリニャ語で言ってみた。ホリイジュウコウさんがふりむき、笑ってうなずいてくれた。どこにもたくらみはない。エベレストにいったが、親子連れがいたので、のぼらなかった。アパートさがし進展なし。犬とアスマラに住んだっていいのだ。星がきれいそうだし。(2015/01/18)

炎FullSizeRender.jpg

・『もの食う人びと』や『水の透視画法』を編集した木村剛久さんが、じしんのブログで拙著『霧の犬 a dog in the fog』を論じているのにけふ気づく。
http://kimugoq.blog.so-net.ne.jp/2014-12-11
木村さんはたいへんな読書家で、本を軽々にほめたりけなしたりしないひとなので、すこしおどろく。霧の犬はわたしからはなれて、勝手にあるきまわり、友人たちに〈あの薬〉をくばっているらしい。1月10日の宮崎悠氏による図書新聞書評を読んでもそれ(服薬ぶり)がわかる。1月11日づけ中国新聞の『霧の犬』書評も、宮崎氏のとはもちろん味がことなるけれども、ずいぶんまっとうだった。犬とコビトのおかげだ。あすは犬の誕生日。エベレストにのぼった。対談本、ちょっぴり重版がきまったらしい。『霧の犬』は重版していない。しなくていい。犬誕生日前夜祭。コビトが犬用バースデーケーキをもってくる。(2015/01/19)








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2015年01月06日

日録1―2



私事片々
2015/01/06〜

1月6日の樹.JPG

・寝不足で3枚ほど。ついつい横道にそれてしまう。「海ゆかば」をしらべていて、CD「海ゆかばのすべて」とかいうものをちょっとだけ試聴。みんなが絶賛のそのCDのアマゾンレビューに、堂々☆1個のみをつけているひとのかきこみがみごとでビックリ。タイトルは「日本の純真な若者を大量殺戮に追いやった狂宴の序曲」で、大伴家持批判にはじまり、「死だけを浮かび上がらせて、あなたのためなら火のなか、水の中もいとわず、いつでも死にます、なんて言えるのは三文小説の安せりふか、やくざ映画を見すぎた、三下やくざぐらいのものである。こんな歌を歴史のくずかごから取りだして、お国のため、天皇のため、聖戦のため、大東亜共栄圏のため、八紘一宇のためと言って、青少年に死を覚悟することがあたかもすばらしいことのように思わせた、当時の軍部・為政者・社会上層部の人々の罪は深い。また報道関係者の人々も同罪」と切ってすてる。同感。このひと、ほかのレビューもおもしろく、とくに『葉っぱのフレディ』(やはり☆1個だけ)批判はひねりがきいていて、かつ、よみこみも深い。この本がじつは「葉っぱさん」を冒涜している、悪書中の悪書……という断じかたにも惹かれる。かとおもうと、なんとかいうひげそりに☆5個あげていたりしていて、わろた。エベレストにのぼらなかった。(2015/01/06)

葉っぱのフレディ.jpg

・2枚ほど。ダフネ。コーヒーきれる。夜、上階がうるさい。困りはてる。抑える。疲弊する。明日、共同通信インタビュー。零時くらいまで準備。エベレストにのぼった。たしか、のぼったとおもう。デパス2錠、レンドルミン1錠。(2015/01/07)

夕暮れ.jpg

・たすかった。コビトがプリントをもってきてくれる。10時。沢井君と舟越が車でむかえにくる。沢井君とは5年ぶり(らしい)。共同のビルの上のどこかの広い個室でインタビュー。舟越同席。ナイロビの中野君が写真。中野君、沢井、舟越、じぶんの現在位置がふしぎだった。質問は的を射ていた。問いに答えあり、だ。イスラマバード、カブールをおもいだす。ウィーンも。亀山さんが亡くなったという話を聞く。水のなかにいるようだ。薬のせいなのか、すこしもいらだたなかった。ながの君がナミブ砂漠のことを憶えていていてくれてうれしかった。よい時間がながれた。わたしは、もう時間に連続性がなくなった、と言ったらしい。だから、いまの、この瞬間しかあてにならないと。エベレストにのぼらなかった。(2015/01/08)

黄昏.jpg

・坪井秀人著『声の祝祭――日本近代詩と戦争』(名古屋大学出版会)によると、ずばり「大本営発表」と題する「詩」が、かつて、近藤東というひとによって発表された。〈「大本営発表」は厳として/よけいなことは語らない/しかし/その一句の中に/千万の言葉のよろこびとかなしみがかくされてゐる/その一句の中に/千万のひとのよろこびとかなしみがかくされている〉……。近藤東は後記で「(大東亜戦争により)詩は独り楽しむものでなく、大らかに声を挙げて読まれるべきだという気運が生じた」と述べているという。この極度にばかげた「詩」についていろいろ難じるのは易いし興味がない。もとよりヌッポンの詩の朗読てのは鳥肌がたつ。ただちょこっと気になる。「大本営発表」は、その〈声紋〉の祖型が、あれに似ているのじゃないかと。あれだよ、あれ。「愛するひとのために」。〈保険にはダイヤモンドの輝きもなければ/カラーテレビの便利さもありません/けれど目に見えぬこの商品には/人間の血が通っています/人間の未来への切ない望みがこめられています〉……。〈「大本営発表」にはダイヤモンドの輝きもなければ/カラーテレビの便利さもありません/けれど目に見えぬこの商品には/人間の血が通っています/人間の未来への切ない望みがこめられています〉てなぐあいに声紋がかさなる気がするんですけど。向井君から電話。原稿、意気阻喪。ダフネ。エベレストにのぼった。犬の目つきがじぶんに似てきたとおもふ。(2015/01/09)

コンクリート.jpg

・4枚ほど。ダフネ。向井君TEL。お父さん、嚥下がたいへんらしい。つきそっていないと危険。エベレストにのぼった。顔小コビト。聖アウグスティヌス調べてくれる。(2015/01/10)

黄色のユリ.jpg

・5枚くらいか。半藤一利氏「……新聞やテレビや雑誌など、豊富すぎる情報で、われわれは日本の現在をきちんと把握している、国家が今や猛烈な力とスピードによって変わろうとしていることをリアルタイムで実感している、とそう思っている。でも、それはそうと思い込んでいるいるだけで、実は何もわかっていない、何も見えていないのではないですか。時代の裏側には、何かもっと恐ろしげな大きなものが動いている。が、今は『見れども見えず』で、あと数十年もしたら、それがはっきりする。歴史とはそういう不気味さを秘めている……」(『昭和史 1926−1945』)。あと数10年もたたなくたって、すでに「恐ろしげな大きなものが動いている」のは歴然としている。かつては右寄りにみえた半藤さんが、いまやずいぶんまっとうにみえるのだから、時代の土台がじつに劇的にシフトしたのだ。史上最高5兆円の軍事費!こともなげにつたえるメディア。「恐ろしげな大きなものが動いている」のに、みようとしない。気づこうとしない。中野君たちとあさって会うことにした。エベレストにのぼらなかった。(2015/01/11)

パンジー.jpg

・送稿。疲弊。衰弱。朦朧。上階うるさい。いつまでもうるさい。怒ると疲れるから、怒らない。つくづく、ついてないなとおもふ。家。ほとんどあきらめ。マヒ、ますますひどい。マヒ、マヒマヒひどくなる。心頭滅却すれば火もまた涼し、じゃん。と、犬に言われる。なんかちがう気がする。でも、犬はいいやつだ。貯金はないけど、ユーモアがある。いちばんだいじだ。エベレストにのぼらなかった。(2015/01/12)







        




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2014年12月30日

日録1―1



私事片々
2014/12/30〜

2014年12月30日のひかり.jpg

・ダフネ。久しぶりにエベレストにのぼった。しばらくとりつかれたように南京大虐殺関連の資料を読みあさっているうち、気がついたら目が灼かれていた。かなり知っていたつもりだったのに、読めば読むほど打ちのめされ、想念がズタズタにこわされた。人柱(の立てられかた)。絨毯(の敷かれかた)。あまかった。あまかったかもしれない。ひとりではとうてい負えぬ記憶、情景。だが、どのみち迂回はできなかった。いきあたるべき光景。朝、薬がきれたのだろう、夢みる。途方にくれる。コビト九州。(2014/12/30)

チューリップ.jpg

・左手だけで梱包をひらくのはたいへんだった。が、やっとでてきたタバコくさい浜田知明作品集(「取引・軍隊・戦場」)をみて感銘をうける。萎えていたきもちに、ひとすじ水脈がとおる。エベレストにのぼらなかった。コビトが告解。コビトママにキレたらしい。赦免。(2014/12/31)

サザンカ落花.jpg

・企画提案の撤回をM君に連絡。返事はまだ。資料を読んで打ちのめされているばかりで、なぜ、いま、どう打ちのめされたのか、いままでなにをかんがえ、なにをしていたのか、記憶を整理して書きしるす意欲がわかない。書けない。浜田知明は第37師団にいたのだろうか。かつて中国山西省で田村泰次郎と知りあったのであろうか。田村が洲之内徹と山西省で友人関係になったのは知られている。洲之内コレクションに浜田のエッチング「刑場(B)」と「副校長D氏像」があるというのは、田村―洲之内―浜田の、山西省にはじまる縁からか。頭をひやさないといけない。イアン・ブルマ『戦争の記憶』にツェランの「死のフーガ」がでてくる。「ホロコーストを正面からあつかった小説、劇、映画は(ドイツでは)ほとんどといっていいほど見当たらない」という。ドキュメンタリー、歴史書、展示物、証言はこのかぎりではない。創作があまりないのだそうだ。なぜだろう。日本でも大虐殺、三光作戦を正面からとりあげた創作で、ほんとうによいものは、いまのところ見あたらない。事実のサイズが巨きすぎて、創作の容器にはいりきらないことはある。それだけではなかろう。加害の側の思考の病質。想像力のげんかいがためされて、「失格」の判定がでたのだ。〈神輿〉と〈役人〉と〈無法者〉――の連携が政治となる構造はいまも変わらない。母親が犬にカズノコを食わせようとしていたという。「死のフーガ」をまた、いますぐ、読もう。読んだ。エベレストにのぼらなかった。(2015/01/01)

2014年1月20日の爆撃跡.JPG

・風邪気味つづく。M君からメールと電話で返事。お父上が入院中の病院から。企画撤回通知にたいし、「詩的フラグメント」みたいなものでいいからやらないかと逆提案。うまいことをいう。気のそそり方を知っている。結局、撤回を撤回することに。サブタイトル変更、締切延長でなんとなくおりあう。ギブアップするとこちらの精神的ダメージがおおきいということはある。やれるかまだわからない。コビトから電話。だいぶストレスがたまってきているようだ。ものみな静かにこわれゆく正月。ものみな静かにまっとうに狂いゆく日々。エベレストにのぼらなかった。(2015/01/02)

霜柱.jpg

・エベレストにのぼらなかった。風邪いくらかなおる。「1★9★3★7」再開。すこし進めた。PL飲む。コビト風邪らしい。(2015/01/03)

スイセン?.jpg

・3日ぶりに外出。エベレストにのぼった。病院にむかう途次のM君と電話。原稿原案どおりにする件。締切延長などの件。コビト帰る。コビトとはコ(イ)ビトの略かとメールで聞かれる。笑う元気もない。目がかすむ。「積屍」のひとつとなって下からみあげること。(2015/01/04)

昨日みた花.jpg

・3、4枚書く。左手で漢和中辞典をめくり、やっとこさ箱におさめる。辞海は手がしびれて途中でギブアップ。風邪抜けず。Mとはなす。正月休みあけで故郷から帰ってきた「街のひと」のインタビューって、戦後70年なにもかわっていない。いや、戦中も戦前もおなじだったかも。「温泉に入っておせち食べてゲームとかして、のんびりしました」。うそつけ。「認知症の親の介護でもうヘトヘト。だって、戸棚にウンコいれてたりするんですよ。最後はキレて、バカヤロウってどなっちゃいましたわ」とか「親に手をあげっちゃって自己嫌悪です。もう最低……」とかないのか。あるさ、いくらでも。あっても編集で消される。日常は完璧に偽造される。M「かのじょの目にはなにがみえてるんだろう……」。視界がまぼろしに占拠されている。それは、いわば、普遍的だ。エベレストにのぼらなかった。(2015/01/05)











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