2015年01月01日

12/14インタビュー掲載


◎神奈川新聞がロングインタビュー掲載

衆院選投開票日にあたる2014年12月14日(日)の紙面で、神奈川新聞が今回の選挙などについての辺見庸ロングインタビューを掲載しました。

神奈川新聞インタビュー.pdf

同紙電子版URL:
https://www.kanaloco.jp/article/81601/cms_id/116317
【お知らせの最新記事】
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2014年12月31日

神奈川大学評論


◎神奈川大学評論に寄稿

2014年12月13日、衆院選投票日前日に発売される「神奈川大学評論」第79号に「デモクラシーとシデムシ」18枚を寄稿しました。よろしかったらご高覧ください。

『神奈川大学評論』
〒221-8686 横浜市神奈川区六角橋3-27-1
TEL:045-481-5661
FAX:045-481-9300
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年内の出版予定



◎年内の刊行予定


・エッセイ集『反逆する風景』鉄筆文庫

カバー「反逆する風景」鉄筆文庫.jpg

著者:辺見庸
解説:藤島大
装丁:トサカデザイン(戸倉巌、小酒保子)
ISBN:978-4-907580-01-8
定価:本体700円+税
発売日:2014年10月30日
(注)2014年12月8日に放送されたインターネットラジオOTTAVA(オッターヴァ)の番組(OTTAVA Salone、プレゼンター:林田直樹)で、思いもかけず、本書『反逆する風景』と版元の鉄筆が紹介され、you-tubeのアーカイブにアップされました。本の推薦と紹介などは、最後の10分くらいだけです。
https://www.youtube.com/watch?v=_BwqTn2xfak&feature=youtu.be


・最新小説集『霧の犬 a dog in the fog(鉄筆刊)

霧の犬カバー差し替え.jpg
(クリックで拡大)

著者:辺見庸

発表作品(収録順):
T「カラスアゲハ」75枚
U「アプザイレン」40枚
V「まんげつ」10枚
W「霧の犬 a dog in the fog」(鉄筆創立記念書き下ろし作品)216枚
(全266頁)

装幀:名久井直子
原画:長谷川潔
ISBN:978-4-907580-02-5
定価:本体1,800円+税
発売日:2014年11月21日(金)
株式会社鉄筆
〒112-0013
東京都文京区音羽1-17-11花和ビル310
電話&FAX 03-6912-0864
携帯電話 080-1002-2044
メールアドレス teppitsu@ybb.ne.jp
担当者:渡辺浩章
(注)本書については2015年1月中に図書新聞が書評を掲載する予定です。


・対談本『絶望という抵抗――辺見庸✕佐高信』(週刊金曜日刊

絶望という抵抗、書影1.jpg


ISBN:978-4-906605-99-6
定価:1500円(税抜き)
発売日:2014年12月8日
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2014年12月17日

日録1―13



私事片々

2014/12/16〜

青い光.jpg

・エベレストにのぼった。Tさんから対談本を批判するメール。(2014/12/16)

サザンカ12月17日の.jpg

・エベレストにのぼった。(2014/12/17)

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2014年12月09日

日録1−12



私事片々
2014/12/09〜2014/12/15

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・カフェにいくとちゅう、やかましい選挙カーがきた。ハチマキをした赤ら顔のオヤジが窓から顔をだして白い手袋の手をふっている。「もう少しです。あと一息です。勝たせてください。がんばります。最後までがんばりぬきます……」。頭からラウドスピーカーをすっぽりと被せられたような大音量。たまらず「うるさい、バカヤロー。ファック・ユー!」と声をあげると、選挙カー「ただいま、ご町内の男性の方から、あたたかいご声援をいただきました!ありがとうございます。ありがとうございます。信念の男×××、最後の最後までがんばります!」。こちらがなにをどうしようとも、むこう側のいいようにはめられる。キャッチ=22だ。投票しようと棄権しようと、巨大政党の大勝がすでにしてきまっている。投票しようと棄権しようと、悪政を手つづき的にみとめることになる。あたりまえだ。人民がこぞって痴呆化しているそんな時期を選びに選んで、恣意的に国会が解散され、最高権力者が選挙のテーマをじぶんの都合にあわせて勝手に決めて選挙がはじまったのだ。やるまえからすべてがほぼみえている。それならば、この選挙はなんのためのものか。6日の秘密保護法反対デモの主催者には新聞労連も名前を(名前だけは)つらねていた。では、新聞記者が何人きたというのか。ふざけるな。新聞社労組の講演講師に右翼(ex.田母神)をまねいて「両論併記」だといいはる時代だ。新聞協会にも新聞労連にも、もはやなんの「信」もない。「報道報国」の国策報道の時代に逆もどりしつつある。いや、もっと悪い。むかしはまだちっとは「恥」というものがあったらしい。いまは恥もヘチマもありゃしない。弱く貧しく虐げられた者たちはぜったいに報われはしない。弱く貧しく虐げられた者たちは、選挙のキャッチコピーにつかわれるだけで、選挙が終われば、社会からとうぜんのごとくに切り捨てられる。カフェで聞こえてきた会話。声の若さからしてまだ30代なかばか。まるで携帯の買いかえのことでも話しているようだ。○「それで……さんがさ、おまえ、俺と境遇が似てるよなってかわいがってくれたんだよ」×「そうなんだ」○「いや、俺のはたいしたことないんだけどね、親父がDVっていうだけだから」×「え、そうなんだ…」○「うん、子どものころからおふくろが殴られて、顔中血だらけにしてるの、毎日みてたし。目に青タンできて、鼻の骨とかふつうに折れてさ」×「……へえ、それで、いまも、ふたりとも……」○「ああ、おふくろは10年前に交通事故で死んだんだよ。バイクにひかれて頭うって死んじゃった。死んだよ」×「ああ…へえ…それで、いまはその暴力ふるってた親父さんとふたりで暮らしてるの?」○「親父は73でさ、46の内縁の女ってのこさえて家でてった。だから俺、いま一人で家住んでるんだよ」×「へーえ……」○「新百合ヶ丘ってさ、神奈川で住んでみたい町ナンバーワンなんだよ、すっごく環境いいとこだぜ。広いし。親父が家は好きにしていいっていうから……」。会話、耳にこびりつく。ひとのからだと新百合ヶ丘の家のつなぎ目がわからない。母親はバイク事故ではなく自殺したのではないか。根拠はない。なにも根拠はないのだ。帰り道、アガンベンのことを想う。脈絡がない。世界には脈絡がない。でも、脈絡があるようにもおもえる。無脈絡の脈絡が。アガンベンはいい。いちど会いたいものだ。「われわれイタリア人は今日、正統性の全面的不在という条件のもとで生きている」「いまや、自らの空虚と自らの唾棄状態とを剝きだしにしていない権威も公的権力もない」「……実際には、すべての陰謀は、現代にあっては、すでに構成されている秩序に利するべく図られている」「悔悟がイタリア人にとって唯一の倫理的経験なのだから、イタリア人には、真なるものの関連は恥であるもの以外にはない。しかしその恥は、それを感じるべきだった人びとよりも生き延び……」。もっとましな翻訳ができないものか。だが、この「イタリア人」を「日本人」に置きかえるのは少しも乱暴ではない。正統性の全面的不在は「正当性の全面的欠如」とも言える。このたびの解散、総選挙は、この文脈で言えば、すでに構成されている秩序を利するべく練られた「陰謀」ないし「策謀」である。マスメディアはあげてこの陰謀と策謀に加担している。恥が、恥を感じるべきひとより永く生き延びるとは、恥が、おどろくべきことには、「理論上の真理のように、客観的かつ非人称的に」なることだという。然り。ニッポンにあっても事情は同じい。われわれには「国民」という強制の前に、「個人」である権利がある。個人のみが、ただ個人のみが、恥を感じることができる。正当性が全面的に欠如した選挙は、陰謀と策謀と根拠なき強制によってくみたてられた犯罪にほかならない。したがって、わたしは犯罪であるこの選挙をみとめない。わたしは、この選挙を「棄権」ではなく、きっぱりと「拒否」する。秘密保護法をぜったいに拒否する。エベレストに左コースからのぼった。(2014/12/09)

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・2014年12月10日。昼。官邸前。うねり深まる思索のゆきつく結果、ここにたどりいたったわけではない。「場」を選ぶという高度の思慮にもとづき、ここにいるのでもない。凡庸きわまる思念の空回りにも厭いて、見当識いよいよあやしくなり、この世でもっとも愚にもつかぬ場所に、けふはついにくるはめになったのだ。さて。わたしの主敵はそこにいたのか。肉を打つ不気味な音は聞こえたか。骨の砕ける音は。「世界的大変容」の謎の手がかりはそこにみえたか。血で血を洗う戦闘はくりひろげられていたか。味方らしき者はいたか。血の声は聞こえたか。血の雨はふっていたか。うたうべき歌、発すべき叫びはあったか。語るべきことばが聞こえたか。そこは〈いま死すべき場所〉でありえたか。染まるべき血潮はあったか。回答不能。失笑。ふふふふ。「というわけで今日、思考ははじめて、いかなる幻想もいかなる可能なアリバイもないなかで、自らの任務に直面している」(アガンベン「政治についての覚え書き」)。そう。じぶんのあたまとことばでかんがえるほかない。それをたしかめるためにここにきた、と言い訳はできる。しかしだ、きてはみるものだ。首相官邸のこんな近くのビルの谷間に、まるで毒キノコのような「料亭」がいくつもあったとは。謀議と策謀。この国には潜在的犯罪者でない政治家はただのひとりもいない。敵はだれだ、敵は。官邸前。その空間にあるヒトという無痛覚の有機体。肉のない、乾き、黄変した骨たち。干からびたカサカサの皮袋たち。それらはもう爆発しない。起爆しない。不発弾でさえない。さんざつかいふるされたことばを、さんざつかいふるされた声帯で話す。着実に踏襲される、うじゃじゃける心の濁りとごまかし笑いの方法=政治。着実に踏襲され、さんざつかいふるされたことばでないと安心しないわれら市民。敵はだれだ、敵は。われわれは聖なる市民だ。政治家の謀議と策謀のために、税金をはらいつづける聖なる2等市民だ。真に聖なる、ただ死へと捧げられているだけの有機的供物だ。2014年12月10日。官邸前。なにかの崩落の気配はあったか。不規則な衝突と倒壊の気配は。狼藉の気配はどうだ。ない。不穏だったか。不穏ではなかった。発言者が言う。秘密保護法が施行されても、今後、機能させなければよい。まだ希望はある。現政権はわれわれを怖れている。だから、14日、投票しよう。希望を捨ててはならない。さんざつかいふるされたことばを、さんざつかいふるされた声帯で、あくことなく話す。1960年も1970年もそうだったのだ。だれも敗北と敗北の因をみとめない。人民も支配者も。敵はだれだ、敵は。「われわれはすべての人民の破産の後に生きている。それぞれの人民はそれぞれのしかたで破産した」。破産の後の荒野。それぞれに演繹しよう。イメージしよう。われわれはすべての人民の破産(戦争)の後を、まんまと生き延び、そして、またも破産(戦争を)しようとしている。2014年12月10日の官邸前は、予想どおり、思考の磁場ではまったくなかった。よくよくおもえば、そこが思考の中心であろうはずもない。ここが思考の中心であってはならないのだ。思考の磁場はもっと低く、目にはみえない昏い隅にある。それをたしかめただけでも、きたかいがあった。ああ、けふは麻痺がひどい。痛い。半身が凍てついている。まっぷたつの子爵だ。背後でヒソヒソ声。たぶん、わけしり顔。あのね、ここだけの話だけどね、Aはじつは膵臓がんらしいんだね。どうせ自壊するよ。背中が腐る。こんな人民はダメだ。ほんとうにダメだ。昨夜の若者たちのほうがよかった。知ること、より深く知ろうとすること、表現すること、想像すること、創造すること――の権利を手わたさない。そんなことを訥々と話した青年がいたらしい。そう、そういうことなのだ。かれが万万一がんならば、わたしは快癒を祈る。快癒したら、打倒してやる。敵はだれだ、敵は。敵は、人民だ。われわれ(わたし)だ。エベレストにのぼらなかった。(2014/12/10)

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・唐突ですが。「天地は 広しといへど 吾が為は 狭(さ)くやなりぬる 日月(ひつき)は 明(あか)しといへど 吾が為は 照りや給はむ 人皆か 吾のみや然る わくらばに 人とはあるを 人並に 吾も作るを 綿も無き 布肩衣の 海松(みる)の如 わわけさがれる かかふのみ 肩にうち懸け 伏廬(ふせいお)の 曲廬(まげいお)の内に 直土(ひたつち)に 藁(わら)解き敷きて 父母は 枕の方に 妻子どもは 足の方に 囲み居て 憂え吟(さまよ)ひ 竃(かまど)には 火気(ほけ)ふき立てず 甑(こしき)には 蜘蛛の巣懸(か)きて 飯炊(かし)く 事も忘れて ぬえ鳥の のどよひ居るに いとのきて 短き物を 端きると 云えるが如く 楚(しもと)取る 里長(さとおさ)が声は 寝屋戸まで 来立ち呼ばひぬ 斯くばかり 術(すべ)無きものか 世間(よのなか)の道 世間を憂しとやさしと思へども 飛び立ちかねつ鳥にしあらねば……」。山上憶良「貧窮問答歌」である。「天地は広いというけれど、わたしには狭くなってしまったのか。太陽と月は明るく照っているというが、わたしのために照ってはくれないのだろうか。他の人も皆そうなのだろうか。それともじぶんだけなのだろうか。たまたま人として生まれ、人なみに働いているのに、綿も入っていない麻の袖なしの、しかも海松のように破れて垂れさがり、ぼろぼろになったものばかりを肩にかけて、低くつぶれかけた家、曲がって傾いた家のなかには、地べたにじかに藁を解きしいて、父母は枕の方に、妻子は足の方に、じぶんを囲むようにして、悲しんだりうめいたりしている。かまどには火の気さえなく、甑(蒸し器)には蜘蛛の巣がはり、飯を炊くことも忘れ、かぼそい力のない声でせがんでいるというのに、〈短いものの端を切る〉ということわざのように、木の枝のむちをもち(徴用のためにやってきた)里長の声が寝室にも聞こえる。これほどまでに世間とはどうしようもないものなのだろうか。この世の中をつらく耐えがたく思うけれども、飛んでいくこともできはしない。鳥ではないのだから……」。奈良前期にはこうしたリアルな貧困があった。憶良(660〜733ごろ)はここまで慨嘆していた。「世間を憂しとやさしと思へども 飛び立ちかねつ鳥にしあらねば」。なんてことだ。「憂しとやさしと」とは、じつに身もやせるように耐えがたい、ということである。だけど、この世とは死なないかぎり縁は切れない。小鳥みたいに飛んでいくわけにはいかないのだから。いや、いまは民主主義があるのだから、14日、選挙にいけ、投票しろ、だと!?選挙にいっても自公で3分の2、自民単独でも300(!)だと、まだ投票もしていないのに、主要メディアが失望とアパシーの種をまきちらしている。その「解説」とやらの、まあ、お粗末なこと。「自民が今回、300議席を超す勢いなのは、消極的な気持ちでも投票先に自民を選ぶ人が多いからだ。投票態度を明らかにした人をみると、『他よりはよさそう』という層では、選挙区の投票先は自民候補が最多。比例区でも47%が自民で、19%の民主を大きく引き離し、特に比例区を中心とする自民議席増の見通しにつながっている」(朝日新聞)。なんすか、これ?なにが言いたいのか。自公で3分の2、自民単独でも300確定と、未然に決定づけられた運命に、なんらの得心もなくしたがうことを、議会制民主主義でござい、というのでございますか。アホか。議会制民主主義も国民国家も民族自決も世界中で破綻している、となぜ書けないのだ。人民は政治権力者にもてあそばれている、となぜ言えないのだ。なんのための選挙、なんのための間接民主制、なんのためのニューズメディアか。議会制民主主義の盲点と弱点を、悪党どもがこれ幸いと利用しているだけではないか。奈良前期にあった「リアルな貧困」は形をかえていまもある。みえないだけ、みせないだけ、みようとしないだけだ。「世間を憂しとやさしと」おもふ貧者や弱者は、身も心も疲れはて、デモにも集会にも投票にもいかないのだ。だとしたら、「人民」とはなんだろう。人民という「同じ一つの語が、構成的な政治主体を名指すと同時に、権利上はともかく事実上は、政治から排除されている階級をも名指している」(ジョルジョ・アガンベン「人民とはなにか」)ことに注意しなければならない。zoe(ゾーエー、生物的な生)しかもたされていない人民は、日本だけでなく世界中でふえている。選挙は、事実上いかなる権利も奪われた「剥きだしの生」を決して救いはしない。万葉の時代には「生と死が現在とは全くことなった輪郭をもっていた」(阿部謹也『「世間」とは何か』)という。それはそうであろう。万葉の時代には、だいいち、ひとがこんなにもいたずらに長く生きるというより、生かされはしなかった。万葉の時代には、しかも、苦しみと貧困は、はっきりと剥きだされて可視的であり、短い射程で死に直結していたであろう。by the way、ああ、阿部謹さん、紫綬褒章なんかもらうなよ。「斯くばかり術無きものか世間の道」ってさ、阿部謹さんもみずから実証しちゃ、ワヤやん。14日は例によって例のごとく、開票即自民圧勝ってか。共産党は倍増とやらで、これまた例によって例のごとく、なにやらスターリン主義的独善のかほりゆかしき「勝利宣言」ですか。それでですね、いったいだれが、どのように救われるというのだ?エベレストにのぼらなかった。(2014/12/11)

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・揺りうごかされている。はらわたがズキズキと痛む。痛みのすき間に悲しみの虫のようなものがはいまわる。K.Iさんが日本を捨てるというのだ。メールをもらった。本人に無断で一部を紹介する。「来春、私と妻は……に移住します。1986年、チェルノブイリ原発事故の年に結婚し、話しあって子どもをもつことをあきらめました。3.11以降、妻は九州か沖縄に避難したがっていたのですが、私に外国という決断を促したのは、6月29日新宿での、抗議の焼身自殺未遂の方の行動でした。そして、その後の報道の無視と沈黙。さらに、7月1日の『集団的自衛権の行使を容認する閣議決定』が私にとって決定的な要因でした」。オレンジ色の火の玉の映像を憶えている。「6月29日新宿での、抗議の焼身自殺未遂の方の行動」とは、埼玉県の男性(63)が、背広にネクタイ姿で、JR新宿駅南口付近の歩道橋の鉄枠をよじのぼり、とつぜん、小型拡声器で演説をはじめた。「70年間平和だった日本がほんとうに大好きでした。集団的自衛権で日本はダメになってしまう!」。男性は野次馬に、なんどか「私の話を聞いてください」とうったえ、与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」の一部を朗読した後、ペットボトルに入ったガソリンのような液体をかぶり、ライターで火をつけ焼身。消火器で火は消されたが、重傷。東京新聞がこれを大きく報じた。が、NHKなどはつたえもしなかった。世間はこのできごとをすぐに忘れた。いや、もともとできごとを知らなかったかもしれない。ネットには「消火器代と歩道橋修理費払え」という書きこみがあったらしい。状況とじぶん。昔風に言えば、シチュアシオンとアンガージュマンの関係をおもう。いつもおもっている。わたしも、いまのシチュアシオンにはほとほと厭気がさしている。端的に言って、おさらばしたい。シチュアシオンとアンガージュマンの関係はサルトルの時代から一変し、錯綜し、個々の主体の存立と主体性の自覚と立証がほとんど不可能になってきている。あるべき対立と相克、違和を、それらがたしかに現前するにもかかわらず、全メディアが総がかりでないかのようにみせるのが現在である。「現代は、人民を分割している亀裂を埋め、排除された者たちという人民を根源的に消滅させる試み――容赦のない、方法的な試み――にほかならない」(「人民とは何か?」)。わたしたちは政治参加の法的権利を有するといわれながら、じっさいには、政治から合法的に排除された、市民と言うより2等市民であるほかない。その不条理を真剣に突破するには、ある日、歩道橋上でだれも聞いていない演説をし、焼身自殺をはかって狂人あつかいされるか、K.Iさんのように、この国を脱出するかしかない。焼身自殺未遂者もK.Iさんも、切実だったのだ。いままさに切迫していると感じる能力があった。シチュアシオンとアンガージュマンの関係。はなはだしい懸隔。状況とそれから疎外される自身の生身。表現不能なほどに深まる溝。メールにはさらに「〈この国〉以外なら、何処でも良いのです。〈気分は亡命〉というのも大袈裟で、情報を断ち、国を捨て、土地を離れ、ただ単に身軽に暮らしたいだけなのです」とあった。わかる。この国には、たんに政治権力の問題だけでない、菌糸のように、ヌエのように名状しがたい、視えない暗幕がある。それはファシズムと言えば済むような実態でも現象でもない。「他のファシズム」だけでなく、「内側と下からのファシズム」が増殖中である。この国は、こういう言い方が許されるならば、ただいるだけでも堪らないほど厭な、あまりにも低級な空間になりつつある。「斯くばかり術(すべ)無きものか世間(よのなか)の道」「世間を憂しとやさしと思へども 飛び立ちかねつ鳥にしあらねば」。憶良はそうでも、われらは怒り、怒りくるい、憤怒の果てに、この国を捨てる覚悟をきめなければならない。K.Iさんご夫婦は発て!飛び立ちかねつ鳥にしあらねば、わたしは、ここで呻きつづけるしかない。正直に言おう。わたしは安倍政権が怖い。身体的にも精神的にも、この政権とそれをとりまく状況に恐怖を感じている。K.Iさん、ただ、あまりにも怖いからこそ、わたしはここから逃げることができないのです。一例。世耕官房副長官が記者会見で、京都朝鮮学園周辺での街宣活動をめぐり在特会の上告をしりぞけた最高裁決定について「いわゆるヘイトスピーチとされる言動について、民事的な救済がはかられうるということが示された」と評価した。というのは、ニュースの骨ではない。かれは「評価」なんかしていない。最高裁判決など、じつは屁ともおもっていないのだ。ヘイトスピーチの規制については「言論や表現の自由との関係で 難しい問題もある。国会での各党の検討や、国民的な議論の深まりを踏まえて考えていくことになる」と開きなおったところが、このニュースの肯綮なのだ。つまり、ヘイトスピーチの主と国家権力は、暗渠でむすばれているのである。怖い。K.Iさん、ここまで老いたわたしは、だからこそ、ここを脱出できないのです。死ぬまでみまもります。けふ、コビト第1病院。肺炎予防注射。わたしが「投票棄権」ではなく「投票拒否」とブログに書いたことに、コビト、しきりに首をかしげている。情勢はそんなにあまいものではない。「陰謀的な選挙」であることは事実だけれど、いまは、この流れをせめてとどこおらせようとする「次善の策」で対応するしかないのではないか。返事はしなかった。コビトがなにを言いたいかはわかる。切迫しているのだ。情勢がとても切迫しているということを、わがこととして感じることだ。エベレストにのぼらなかった。(2014/12/12)

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・榛葉英治『城壁』読了。はなから小説として読んでいたわけではないが、大虐殺については、だれがどのように書いても、諸事実のひとつひとつが物語のフレームを突きやぶってしまう。資料のぜんぶにあたったわけではない。しかし、事実をみとめる者もそうでない者も、後人が納得しうる水準(深み)にまでは考察も思索もたっしていないとおもわれる。なぜなのか。わからない。なぜかがほのみえるまでは、結局、読むのをやめることができない。林房雄の『城壁』評価が、やはりうさんくさいものであることも『城壁』を読んでみてわかった。1937年12月12日深夜、南京陥落。同13日、「皇軍」が「残敵掃討作戦」開始。凄惨。奈落。ひととして目をうたがう光景が延々としてつづく。そこからながれた時間は、ひとをして「目をうたがう」ことさえやめさせてしまった。1937年12月の「消去」は、漂白されたいまの救いのない空虚につながる。1937年12月13日付東京日日新聞 (毎日新聞の前身)の「百人斬り競争」記事をみる。まず野田巖少尉 、向井敏明少尉の写真。写真キャプションにおどろく。「刃こぼれした日本刀を片手にした両将校」。大見出しは「百人斬り超記録 向井106――105野田 両少尉さらに延長戦」。まるでいまのスポーツ紙だ。人殺し競争は結局「ドロンゲーム」となり、少尉らは新たに「150人斬り競争」をはじめたという内容。77年前のきょう、侵略戦争現場での日本刀による人殺し競争が、バスケットの試合のようにおもしろおかしく、そしてさも得意気に報じられていたのだった。殺されたのは、捕虜や無辜の農民たち。新聞は売れた。「百六対百五のレコードを作って……」という、浮かれきった文言もみえる。心が痴れている。軍だけではない、大新聞も教育界も畜生道に堕ちていた。 鹿児島市の小学校では副教材で「百人斬り競争」を皇国戦士の英雄譚として紹介し、「血わき、肉おどるような、ほがらかな話であります」と讃えた。戦後70年、ひとは正気なのか。いまは正気なのか。どこが正気なのか。エベレストにのぼらなかった。(2014/12/13)

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・はっきりした自覚と覚悟をもって、なんども自問しつつ、選挙をボイコットした。棄権したのではなく、積極的に投票を拒否した。理由は、2014/12/14付の神奈川新聞が掲載したロングインタビューで話したとおり。インタビュー記事の主見出しは「目を見開き耳澄ませ」。小見出しは「策謀的選挙」「見込み違い」「内なる特高」「感性の戦争」……。あたりまえだが、すべてわたしが話したことばである。事実上の憲法改悪および途方もない解釈改憲の追認をせまる策謀的選挙に、わたしはどうあっても加担できない。いい歳をしたテレビの解説者がとんでもない暴言を、こともなげに、さらりと言ってのけた。ドキリとする。人間はここまでバカになったか。バカになったのだ。〈投票者にはインセンティブを、棄権者にはペナルティをあたえるようにしてはどうか……〉。神奈川新聞インタビューで、わたしは語義矛盾を承知で、現状を「民主的な全体主義」と言った。これがそうだ。「投票者にはインセンティブを、棄権者にはペナルティを」も、マスメディアがかもす下からのファシズムにほかならない。マスコミは民主主義をスタティックな状態ないし固定的な制度であるかのように誤解している。誤解もなにも、おそらくなにもかんがえていないのだろう。民主主義はスタティックな状態でも固定的な制度でもありえない。民主主義とは動態である。民主主義は、それをかちとるための人間の絶えざる運動とわれわれ諸個人の、それぞれ独自の、めいめいが独自であるべき、身ぶり、目つき、口ぶりをふくむ、主体的意思表示の全過程のことをいう。〈わが党に投票すれば暴走がストップする〉式の呼びかけは、本質的に民主主義とはことなる。それは「民主的な全体主義」と親和的ななにかではないか。さて、まんまと安倍一味の策謀にのっかり、いいようにもてあそばれて、選挙結果は(ほぼ予想どおり)これこのとおり。ファシズムは上からだけのしかかってくるのではない。この選挙を機に、この国の全民的自警団化はますます進むだろう。貧者と弱者はますますのけものにされるだろう。ひとびとは投票所にゆき、わざわざ災厄をえらんだのだ。永井龍男の短篇「朝霧」だったか、「ラセラスはあまりに幸福すぎたので、不幸を求めることとなりました」というのがあった。あれだ。神奈川新聞インタビューで、わたしは、ろくでなし子さんらの不当逮捕とそれをめぐるメディアと世間の冷笑に怒った。ここははしょられるかなとおもいながら、あえて言った。言わざるをえなかった。そうしたら、その部分もしっかりと載っていた。いまは〈小事〉とみえることこそが大事である。そのことをインタビュアの桐生勇記者は知っていた。新聞もテレビもネットも信用できない。が、神奈川新聞は投開票日当日によくこの記事を掲載したものだ。無宿者支援をしているAさんから久しぶりのメール。Aさんはじぶんを恥じつつ、責めつつ、哀しみつつ、ときにいらだちつつ、ひっそりと無宿者をたすけている。視圏にその昏い隅っこの風景が入らないのでは民主主義ではない。そして民主主義という虚妄は、視圏にその昏い隅っこの風景をさっぱり入れないものなのだ。コビト(投票にいったらしい)、gaga(投票にいかなかった)とオンブルヴェールにいく。月末で閉店するらしい。エベレストにのぼらなかった。(2014/12/14)

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・来年からはじまる雑誌連載のタイトルと第1回の締切日が、けふ決まった。ろくでもない選挙で胸くそがわるくなっていて、早く気分を仕切りなおしたかったこともあり、長年来の担当編集者とひとしきり電話で話して、すぐにこれでいこうということになった。主タイトルは「1937」または「1★9★3★7」。最終的にはデザイナーがなんとかしてくれるだろう。とにかく「1937」である。副題は、「『時間』はなぜ殺されたのか?」。つなげれば、「1★9★3★7――『時間』はなぜ殺されたのか?」といったぐあいになる。媒体は「週刊金曜日」。第1回の原稿締切は2015年1月5日。決まりだ。構想はだいぶ前からあった。だいぶ前どころか、前世紀からぼんやりとかんがえてきたことである。たねあかしはいまはしないほうがいいだろう。たねあかしはすべきでない。どうせまだ1枚も書いていないのだから。察しのよいむきは、ははーん、あれか、とおもいあたるだろう。しかし、「1★9★3★7」は、あらゆる予断を裏切るはずだ。わたしはとにかく青年期から「1★9★3★7」にずっとこだわってきた。「1★9★3★7」は、「イクミナ」である。行く皆。たとえば、イクミナ戦争へ。イクミナ提灯行列に。「1★9★3★7」の記憶と「いま」の虚構をしきりに往還する作業が、「1★9★3★7――『時間』はなぜ殺されたのか?」になるのだろう。ニッポンとはなにか。ニッポン人とはなにか。ニッポン人の心的核はなんであったか。ニッポン人はなにを犯してきたのか。なにを殺してきたのか。犯意はあったか。ニッポン人はなにをしなかったのか。ニッポン人はそれを、どう記憶し、忘却し、どう表現し、どう口を噤み、どう歪曲し、どう捨象し、暗黙の裡にみんなでどう過小評価し、それらの作用はどのように集団的に、無意識に、かつなし崩し的になされてきたのか。わたしの父はったい「誰」だったのか。それらを、一切の定式にとらわれず、自由に書く。ただ、それだけの体力がまだじぶんにのこっているのか、じつはおぼつかない。おぼつかないけれどもやるしかない。なにもやらなくても、からだは痛む。書いているほうがまだ楽なのだ。やれるところまではやらなくてはならない。愚劣な選挙のつぎはなにか?死刑執行だろう。年内か。たのむ、やめてくれ。この政権をこのままほうっておけば、秘密保護法の他に、日本版「反テロ法」もつくりかねない。令状なしの逮捕、家宅捜索、盗聴……。1937=イクミナ・ファシズム。神奈川新聞の写真、みんなに笑われる。犬までワハハハとわろた。「ニンチ入りかけの町内会のジイさんみたい」。あれは俺じゃない、と言いたくとも言えないし。エベレストにのぼった。(2014/12/15)

 





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2014年12月02日

日録1−11



私事片々
2014/12/02〜2014/12/08

12月2日のサルスベリ.jpg

・駅前がうるさくなってきた。声が風にながれていく。なにをがなっているのかわからない。がなっている当人たちも、なにをがなりたてているのか、とくとかんがえているわけでもなさそうだ。民主主義などという、これは上等なものではない。かれらはあるしゅの暴力団である。それがいいすぎなら、やつらはアドルノのいう、ラケット(racket)にちがいない。racketはじつに多義的だ。まず、「騒ぎ、騒音」である。不可算名詞としては「遊興、道楽」となる。ふむふむ、そうにちがいない。可算名詞としては、「(恐喝、ゆすり、たかり、詐欺などによる)不正な金もうけ、やみ商売、ごまかし、インチキ、詐欺」てな意味。で、総合的に「仕事」という意味にもなるというから、あんたらもいいかげん、こちらもいいかげんという、存在の本質的虚偽性が含意されているところが、ひとつの単語としてじつにすぐれている。タフなことばだ。マルホランドDr.のサルスベリ並木がやっと赤くなってきた。サルスベリというやつはほんとうにエネルギッシュだ。モクモクと咲いたり、吹雪のように散ったり、また咲きなおしたり、匂いたったり、紅葉したり、すべてを散りつくして石化したり……。万物の数量化により、人間主体から〈主体性〉がうばわれ、世界から個別の〈質〉がうばわれる。選挙もそのようなプロセスでのracketによるracketである。なんとかミクスとかにはなんの関心もない。かれらに別してお訊きしたいこともない。ただ、あるきながら、ふとおもう。このジャパンという国は、ほんとうは「ポツダム宣言」を受諾していないのではないか。ポツダム宣言は軍国主義の除去、戦争犯罪人の処罰、再軍備禁止などについて規定していたはずではなかったか。げんざい、ポツダム宣言違反事項はすくなくない。1945年8月14日にこれを受諾した、というのは夢だったのか。なぜだれもそれを質さないのか。それに、ジャパンは「サンフランシスコ平和条約」に調印したはずではなかったのか。その第11条は、「極東国際軍事裁判所(東京裁判)ならびに日本国内および国外の他の連合国戦争犯罪法廷(南京軍事法廷、ニュルンベルク裁判)の判決を受諾し……」ではなかったか。Aと自民党の大多数、野党のかなり多数も、東京裁判や南京軍事法廷判決を事実上否定し、受諾どころか、いまやせせらわらっているではないか。これはどういうことなのだ?なぜこの基本(戦後の原点)についてのかんがえを問いつめないのだろう。わたしの目には、野党がみんなして、Aと自民党をたすけ、応援しているようにしかみえないのだが、なにがおきているのだろう?昨夜、『南京事件』(笠原十九司著 岩波新書530)再読。眠れなくなった。わたしはわかっていなかった。テクストがないなどと言ったが、これはやはり第一級のテクストである。「谷寿夫(陸軍中将。南京事件の責任者および関与者とされ、死刑判決。銃殺刑)のいうように南京事件の全貌を解明し、真の責任者を本格的に究明しようとすれば、もっと上級指揮官、さらには軍中央と政府そして天皇にまでもその追及はおよんだはずである」。同感。上海派遣軍司令官・朝香宮鳩彦王は「皇族ゆえに免訴」された、というが、「皇族ゆえに免訴」とはどのような法哲学にもとづく判断なのだろう。日本の戦後のなりたちのいかがわしさが、70年の時間に堪えず、剥きだしてきている。いま、マスコミをはじめracketでない者はいない。武田泰淳「……軍国主義というのは、簡単に克服できると思ったら、とんでもない間違いで、自分で切腹するくらいの覚悟がなくちゃね、軍国主義はいかん、とはいえないんだね。その点は、ぼくは間違ってたけど……」(『私はもう中国を語らない』)。あるきながらおもう。わたしはそれでも死刑に反対である。南京大虐殺の実行責任者にたいする死刑にも。エベレストにやっとのぼった。(2014/12/02)

ギンモクセイ.jpg

・けふ投票所入場整理券がとどいた。どうしてやつらの手前勝手なデタラメにつきあわなければならないのか。呆れはてることあまりにもしばしばで、もう腹をたてる気もしない。わたしいがいのひとびとでもそうなのではないか。投票行動そのものが、いまの政権の〈正当性〉を根本から否定したくても、手つづき的にはささえてしまう仕組みになっている。わからない。ものごとはまるで理性的に合理的に、あたかも情理をつくしたうえですすめられているかのように、テレビや新聞ではつたえられている。誤報である。ねつ造である。そのことにときおりヒヤリとする。わたしはうっすら恐怖を感じつつ、しかし、いくところもなく陋巷に起きふししている。そうおもい、またギクリとする。「恐怖を感じつつ、いくところもなく陋巷に起きふししている」。これはわたしのことばではない。何年かまえにめくり、さいきんもまた繰っている(本は毎日ほとんど再読ばかり)『敗戦日記』(高見順)の、ある老婦人にかんする、1945年2月4日の文章。すでに東京爆撃がはじまっていたのだ。前月の銀座無差別空襲では遺体が街にあふれた。向島の街路に「敵性ネクタイをやめて、下駄のハナヲにかへませう」という看板があった。それを「いやな感じの愚かしさ」と高見は慨嘆する。ひどい時代だ。戦火にあっても、だが、「いい家族」はあったと日記にはつづられている。「いい家族」があったということは、〈なにげない日常〉もあったということだ。〈なにげない日常〉が戦争をささえていた。いつB-29の空襲があるかわからないというのに、「ラジオは滑稽な落語をやっていた」という。鈴本から中継もしていた。いまとおなじではないか。メディアは異常事態にさえいつにかわらぬ日常をこしらえてしまう。「恐怖を感じつつ、いくところもなく陋巷に起きふししている」人民も、とにかく情報がうそでもほんとうでも、昨日とかわらない日常をほっしている。ひとびとは真実にこだわらない。1945年2月4日の日記に、高見順は「東京の庶民に私は胸の痛くなるような愛情を覚えさせられた」と書く。南京陥落で「ニッポン勝った、また勝った、シナのチャンコロまた負けた!」と大声でさけんで大提灯行列をし、空襲でも落語を聴いてわらう「東京の庶民」たちに、胸くそがわるくなるのではなく、「胸の痛くなるような愛情」を感じたという。読んだわたしは胸くそがわるくなった。2014年12月のいまも胸くそがわるい。一方、高見は高見で、陸軍報道班員としてビルマに派遣され、1944年には南京での「第3回大東亜文学者大会」に出席し、「日本文学報国会」にも結局は参加しているのだが、庶民とともに、さしたる自省もない。歴史はながれる。大ざっぱなものだ。いちいち善悪の判断などしやしない。たちどまらない。とどこおらない。Aはだんだん演説がうまくなっている。あのしゃべりかたと表情は、だれかプロのインストラクターについて、鏡のまえで練習しているのだろう。どうしたらうけるか。いかにもわざとらしい笑顔。わざとらしい被災地訪問。手のふりかた。声音。視線のなげかた。左右中央、万遍ない顔のむけかた。群衆というのは反吐のでるような〈わざとらしさ〉をこのむものらしい。Aはときどきスゴむ。短慮と狭量が瞬間あらわになる。その点、インストラクターに注意されているはずだ。にもかわらず、Aとその一味は勝つだろう。他党があまりにも愚かで魅力がないからだ。他党は、じぶんたちの愚昧と魅力のなさをもって、群衆(と情報)操作に日夜腐心しているAとその一味を、しっかりとささえてやっている。われわれは、まんまとしてやられている。選挙が終わったら、壮大な虚脱感のなかで平和憲法体制はまたガラガラと崩れていくだろう。民主党はいうもおろか、共産党や社民党にほんとうの危機感はあるのか、どうもうたがわしい。9条のゆくえを本気で死ぬほど心配するなら、共産、社民は、なにゆえその一点で統一戦線を組み、たがいに選挙協力ができないのだ。党がハナクソほど小さくなっても、まだ自党第一主義である。あいもかわらぬ紋切り型の下手な演説。血相をかえて「努力」し工夫し工作しているのは、共産でも社民でもない。Aとその一味のほうである。ファシストはいま、すこぶる元気だ。貧乏人は、うっすら恐怖を感じつつも、しかし、いくところもなく、出口もなく、ときどき力なくヘラヘラとわらい、陋巷に起きふししている。日常はとぎれない。ながれてゆく。そして、大災厄がやってくる。エベレストにのぼった。あまりあるけないけれども、デモにいこうとおもう。(2014/12/03)

皇帝ダリア.jpg

・自由の幅が縮んでいる。目をみひらき耳をすませ。選挙後には自由がさらに縮小するだろう。いつのまにか〈特高警察〉ができてしまっている。事実である。特高はわたしたちの内と外にいる。内と外から、じしんの内と外に、たえず目をひからせている。社会的気流がおかしい。とうぜんである。自由の幅が縮んでいるからだ。「国際的対立の空間としての経済はルールなき戦争と化し、そこでは民間人と軍人の見分けはつかず、いつでも破棄できる契約が法にとってかわり、不正行為が横行している。そこでの武器は根本的に進化し、その結果この戦争は本質的に感性にかかわる戦争となった」(スティグレール『象徴の貧困』)。この「感性の戦争」は宗教戦争、民族間あるいは国家間の戦争をさまたげないどころか、これらをみちびき、それらを予告しているという。スティグレールの予言はあたっている。現時点の全体主義を古典的それと同質とかんがえるひとがすくなくない。そうだろうか?そうでもあるが、そうでもない。目をみひらき耳をすませ。現在の全体主義には新しい意匠がこらされている。現在の全体主義は〈民主的な全体主義〉なのだ。それが新しい意匠だ。ドゥルーズのいう「コントロール社会」になぞらえれば、いまは民主的でファッショ的なコントロール社会である。「感性の戦争」はすこしも誇大な表現ではない。目をみひらき耳をすませ。わたしたちの情動はじつは統制されている。権力により自己じしんにより。ろくでなし子さんらの不当逮捕を軽視し冷笑する者は、自由の幅の縮小を望む者たちにほかならない。ろくでなし子さんらの不当逮捕に怒る感性がすっかり摩滅している。そのことと秘密保護法には重大なかんけいがある。目をみひらき耳をすませ。〈民主的な全体主義〉がかかわる感性の戦争はとっくのむかしからはじまっており、いまやますます大規模になっているにもかかわらず、目にはみえにくくなっている。目をみひらき耳をすませ。〈民主的な全体主義〉は、もちろん権力が関与するけれども、権力だけがその目的意識にそうてつくりだしたものではない。権力支配下にある群衆(選挙民)が承認し生成しているものでもある。Aとその一味はいま「感性の戦争」でも、権力支配下にある群衆(選挙民)の承認をえつつ、圧勝しつつある。怖ろしいことだ。自由の幅があきらかに縮んでいる。特高がみはっている。目をみひらき耳をすませ。感性を研ぎすませ。久しぶりにT君と話す。これからの仕事のこと。どこもかしこもひどいことになっている。T君の感覚はおとろえていない。週末、秘密保護法反対のデモに参加できるかどうか、じぶんのからだに問うてみる。20メートルくらいならなんとかひとりであるけるだろう。10メートルでもよい。 週末、なんとかして秘密保護法反対のデモに参加したい。「感性の戦争」に参戦する。そうおもいながら、エベレストにのぼった。(2014/12/04)

突然の薔薇.jpg

・かつて、といってもだいぶまえ、ある美大の「卒制」展をみにいったことがある。どこまでも自由でのびやかだった。MD(マンコデッサン)というのがあった。ま、逆立ちした自画像のシリーズみたいなもの。それも堂々と展示されていた。もしも女性の陰部という人体開口部を「顔」とみたてれば、これは陰翳と曲線と凹凸に富む自画像なのである。見事であった。〈陰毛が成長するまで〉といったタイトルの、自撮り写真集もあり、こちらは、いったんきれいに剃毛した局部から、少しずつヘアがはえてきて、ついにはひとつのこんもりとした森のようになるまでの全プロセスを、開脚して数十枚さつえいしたもの。たしか、終いのほうはもう写真ではなく、じつぶつのピュービックヘアがはりつけてあったと記憶するが、みていてその自由奔放さがきもちよく、こころがやわらかになった。これらを「わいせつ物陳列」の疑いで逮捕というなら、美大全員逮捕だぜ。ろくでなし子さんらの不当逮捕事件は〈女性のかがやく美しい国〉のキャッチフレーズが真っ赤なウソであることをものがたっている。これはA政権の特徴がよくあらわれた思想表現の弾圧ととらえられるべきだ。だいいち、ケツメドAの存在そのもののほうが公序良俗に反する「わいせつ物陳列」ではないか。やつを逮捕せよ! 某紙デスクと「ろくでなし子・北原みのり両氏不当逮捕事件」についてはなす。現場の若手記者がいつまでも原稿を送ってこないので、なぜかと問いただしたら、「だって、作品に品位がなく、くだらないので・・・・・・・」と答えたという。記事に値しない、と。この事件の深刻性、重要性、今日性を、デスクはいちから説明しなければならなかったという。若手記者はキツネにつままれたような調子。おもわず〈ばかやろう!てめえなんかやめちまえ!〉と言いかけたが、コンプライアンスという自己規制でデスクは声にはしなかったらしい。聴いていてはげしい苛立ち。記者が世間の自警団なみのオツム。選挙への積極的棄権をかんがえている。「彼ら(人民)が自由なのは、議員を選挙するあいだだけのことで、議員が選ばれるやいなや、人民は奴隷となり……」(『社会契約論』)とおもうだけではない。投票行動とその結果が、憲法を無視する不正な政権をみとめることに直結し、集団的自衛権行使容認、秘密保護法、武器輸出、普天間基地移設、原発再稼働などの各重要問題で、安倍政権の方針を法的に承認したものと解釈されてしまうからだ。まさに「キャッチ=22」である。このたびの選挙は間接民主制の弱点を悪用した、戦後史を劃する「大策謀」としかみえない。飼い主が投げた餌を尻尾をふってくわえにいく犬。安倍はそのように選挙民をみくだしている。わたしは現時点で、安倍の策謀としての選挙にいくよりも、明日12月6日の秘密保護法反対デモに参加するほうがはるかに、はるかに重要だとおもう。自身をせめても納得させることができるのは、どのみち空虚さはまぬかれえないにしても、後者なのだ。投票日12月14日は、昭和天皇が中国侵略「皇軍」による南京攻略成功を大いによろこび、祝いの「お言葉」を発してから77年目の日である。安倍は知るまい。6日のデモでどれほどあるけるか予行練習してみた。50メートルはいけるか。夕刻になるとあるけなくなるのが怖いけれど、ぜったいに参加する。これはあくまでもわたし個人の問題である。M.Sとコビトに感謝する。エベレストにのぼらなかった。(2014/12/05)

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・14日の後も日常はなにごともないかのようにながれてゆくのだろう。時間のながれと継起にはっきりと目印があったり、ゴチックで警句がしるされていたためしはない。歴史はせいぜいよくても後知恵である。心におもい浮かぶことごとと現前するできごとが一致することは、めったにはない。ほとんどない。共時性はたいていは錯覚だ。14日の後にも懈怠はあり、おのれのみのみみっちい安堵も、あのれのみのいじましい幸福感とやらも、14日の以前のようにあるだろう。だが、わたしには14日の後は「実に恐ろしく青く見える。恐ろしく深く見える。恐ろしくゆらいでみえる」(賢治)のだ。ものごころついてからこれまで、これほど危険な政権をわたしはみたことがない。弱者、貧困者をこれほど蔑視し侮った政権を知らない。この国の過去をこれほどまでに反省しない政権は自民党でさえめずらしい。これほど浅薄な人間観、これほど浅はかな世界観、これほど歪んだ歴史観のもちぬし、これほどのウソつきに、ひとびとがやすやすと支配されているのをみるのは、ものごころついてからはじめてだ。以上のような理由で、わたしはこれから秘密保護法反対、安倍政権打倒、ろくでなし子さんら不当逮捕反対、言論弾圧・干渉粉砕(スローガンは個人のイメージです)のデモに参加しにいく。デモ前の集会主催者や「文化人」あいさつなどセレモニーぜんぱんは超ウザくて、戦意喪失するので、ぜんぶさぼるつもり。デモのみ、あるけるだけあるく。2004年に倒れてからデモに直接参加するのははじめて。それでは。(2014/12/06)

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・「しばらくまえまでコーンがあったけど、もうぜんぶなくなってますよ」。若い運転手が言う。コーンってなんだろう。ひとしきりかんがえて、かすかにわかりかけるのと、いやな予感がするのとが同時だった。ひょっとしたらもう終わっているのではないか。いや、そんなはずはない。デモ出発15:50。事前に電話で訊いたら、あいさつが長いので、たいてい30分かそこらは進行が遅れるという。そういうものであることはこちらも知っている。デモの参加者が最低でも5000人なら、最後尾がうごきだすのは早くたって16:30以降にちがいない。たおれるまえ、学生を連れてここにきたのは有事法制反対のデモで、緊迫感こそなかったが、6000〜7000人はいた。今回は野音で「大集会」後デモとビラにあったから、この情勢である、10000人はくるかもしれない。「ひとごみがすごいので押しつぶされないように気をつけてください」。Oさんからメールもきた。1週間ほどまえからこの日にそなえて歩行練習もしていた。ジグザグデモや乱闘になったらどうしよう。むかしの経験をたぐりイメージトレーニングもしてきた。シミュレーションというのか。紺色の4機の部隊が目にうかぶ。運動部の更衣室みたいな汗のにおい。アルミの盾がガシャガシャぶつかる音。連中は威圧するためにわざと盾で音をたてる。4機が駆け足。ザックザック。盾の角で頭を殴られ、気をうしないかける。警棒だと、こちらがヘルメットをつけていても、気絶しかねない。機動隊員のぶあつい靴で膝を蹴られ、倒れたところを、左の人差し指を踏みつけられて、指が折れた。以来、左人差し指はL字に曲がったまま。餅つきのように殴られたな。なんども。恨んじゃいない。わたしは鉄パイプも角材も火炎瓶ももっていない。もっているのは、一応、逮捕にそなえ、若干のお金と携帯と障害者手帳だけ。「脳出血、脳梗塞による右半身不随(2級)」。2泊3日を想定し、下着も新しいのをつけてきた。デモ隊の尻尾くらいはみえてもよいころだが、みえるのはクリスマスのイルミネーションばかり。白内障の目がチラチラする。クリスマスツリーが爆発している。タクシーをおりる。機動隊どころか、交通警察官もパトカーもDJポリスもいやしない。通行人にたずねる。アベックに。デモ?えーっ、なに、それ、知りません。わたしの姿に怯えている。途方にくれる。小さなデモがあるにはあったが、すぐに終わったらしい。かわたれどき。左手で電柱につかまる。からだをささえる。どうしようか。空のふちは灰色に沈んでゆき、その街のたそがれに、わたしは溶けてゆきそうだ。「おじいさん、おじいさん……」。落ち着いた女の声。「お家わかりますか?」。ふりかえると、顔の大きな女性のタクシー運転手。車を停めて近づいてくる。白い手袋。がたいの大きいひとだ。「おじいさん、お家わかりますか?話せますか?」。わかる、と答えると、「番地言えますか?」と問うてくる。半分は暗記しているけれど、ぜんぶは言えずにモグモグする。身障者手帳をみせると、ああ、よかった、ここに送りますね、と言いざま、わたしを横抱きにするようにしてしてタクシーにはこび、後部座席に乗せる。すごい力だ。かすかにカツオ節だしのにおい。それが運転手のにおいか、まえの客のにおいかわからない。タクシーうごきだす。うしろからみると男のようにたのもしい肩幅だ。女の運転手、前をみたまま、わたしに聞こえるようにつぶやく。はっきりと。一語一語。「夜は、あやしく、おちいりて……陰極線の、しい、あかり……」。僥倖だ、これは僥倖だ。わたしの口がとつぜん、くちばしっている。「運転手さん、ぼくとケッコンしてください!たすけてくださいませ」。女静かに応答。「だめなのよ、おじいさん。わたすぃ、ラオス人のおっとせーがいるのよ」。亀戸(平井だったかもしれない)の女のアパートに連れていかれる。畳にしいた布団で、ラオス人の障害者があおむいて寝ている。口の端から涎をたらしている。女の運転手、キチンから松前漬けと日本酒をもってきて、のものも、と言う。ラオス人の障害者が泡を吹きながらフエーヒエーと、なにか訴えた。女の運転手「うるさい、バカ!」と一喝。わたしたちは数の子がそれはいっぱいにはいった松前漬けをパリパリと食べながら、冷酒をのんだ。そうしたら眠くなった。女の運転手がラオス人の障害者の隣に布団をのべ、わたしを寝かせ、じぶんも横になり、川の字になったところで、ちあきなおみの「赤い花」をうたいだした。ちあきなおみそっくりだ。聞いていたら涙がでてきた。おじいさんもいっしょにうたお。女の運転手が耳もとで誘う。「赤い花、暗闇のなか……」。いっしょにうたって寝た。フエーヒエー。ブクブク。ラオス人の障害者がよこでまた泡を吹いていた。そこから先は記憶がない。けふ、エベレストにのぼった。それから神奈川新聞の桐生記者がインタビューにきた。3時間くらい。顔の大きい女のタクシードライバーのことは訊かれなかったので言わなかった。肝心なのはそれだけだったのに。あとはみんな、どことなくインチキであった。(2014/12/07)

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・12月10日の秘密保護法反対集会には、昼の部か夜の部のどちらかに参加しようとおもう。6日、寒天下、まるで揮発するように終わったというより、痕跡ものこさず消えてしまった「お焼香デモ」のリベンジを、個人的には果たさなければならない。当日は官邸前になんとかたどりつくこと。折りたたみ椅子をゲットすること。6日は皇居乾門に7万人がきたというじゃないか。有楽町に長蛇の列ができていたので、てっきりデモだとおもってならんだら、年末宝くじの売り場だった。わたし(たち)はかつてない屈辱の冬をすごしている。安倍がたか笑いしている。官邸前にいくことは、なにもわたしがだれかに課された絶対命題ではない。いかなくてもいい。たぶん、そこにいくことにはなんの効果もないだろう。無意味かもしれない。6日に味わった失望と空しさ、疎外感が、きたるべき10日にもまちがいなくまっているだろう。だからこそいこう。打ちのめされるために。やがて到来するだろう未知の光景の手がかりを求めて。やがて到来するだろう未知の光景は、決して「希望」ではない。虐げられている者らが、さらに虐げられる光景である。虐げられている者らが、さらに虐げられても、だれも意に介さない、意に介さなくても済む光景である。それは、いっさいのことがらが、それぞれの「私」抜きに、すでに「他」によって決定されてしまっている状態でもある。その状態からは〈きたるべき戦争〉のにおいがするだろう。それなのに、昨日のような今日、今日のような明日の自動的連続と自動的進行と自動的強制を、わたしは黙って受容できるかるかどうか。安倍は〈きたるべき戦争〉のにおいを、これまでのだれよりも慎みなく、無遠慮にまきちらしている。これを〈不条理な運命〉としてがまんしろというのか。いっさいが相談もなしにすでに決定されている、この〈不条理な運命〉にあらがうこと。それは戦争に抗することでもある。わたしにはまだそれに抗する力がのこっているかどうか。わからない。〈非人称のただの存在者〉にすえおかれた状態からたちあがり、それぞれのやっかいな「私」を立証するための、あがき。あがくべきである。べつに10日官邸前にいかなくてもよい。しかし、失望と空しさ、のっぴきならない疎外をたしかめるために、わたしは10日、官邸前集会にいく。エベレストにのぼった。(2014/12/08)







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2014年11月25日

日録1―10



私事片々
2014/11/25〜2014/12/01

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・いったい、いつからニッポンは「いまのように」なってしまったのですか?友人Hさんに訊かれた。「いまのように」というのは、憲法を無視し、9条をまったく歯牙にもかけず、歴史修正どころか、歴史の完全塗りかえ路線になったことを指すらしい。即答できなかった。喉もとには「ニッポンには歴史がないのだよ」という、捨てばちみたいなことばが浮かんだが、言わなかった。日本書紀伝承による神武天皇即位の日を「紀元のはじまり」とした「紀元節」(2月11日)が、天皇制維持のためのフィクションであること、1872 (明治 5)年にそれが国民の祝日とされ、その後、延々と「紀元節」が祝われ、とりわけ1940(昭和15)年には宮城前広場で内閣主催の「紀元二千六百年式典」が盛大に開催されたこと、ここに「神国ニッポン」の祝賀ムードが全国で最高潮にたっし、学校では「皇紀2600年奉祝曲」がうたわれたこと……は、ニッポン近現代史が、検証に検証をかさねられた客観的史実ではなく、「天皇制と戦争」によってゆがめられ、〈真実を無化された時間〉であることを証している。敗戦後の1948 年(昭和 23)に「紀元節」は廃止されたのだが、これとて、民衆の主体的意思と抵抗で廃止したのではない。GHQによってやめさせられたのだった。しかし、権力者だけでなく、かなり多数の民衆も、「紀元節」の情念にこだわり、「建国をしのび、国を愛する心をやしなう」とかいう趣旨で、1967 年(昭和 42)から旧「紀元節」を「建国記念日」として復活させてしまった。黒い魂の国家権力だけでなく、多数の人民も大メディアも、「神国ニッポン」のフィクショナルな心性にそまった「紀元節」からいまだにはなれることができないでいる。少なからぬ国会議員がげんざいでも西暦ではなく、「皇紀」(元年は西暦紀元前 660 年にあたるらしい!)で年をかぞえているのだ。「サムライジャパン」に「なでしこジャパン」。そんな国にそもそも歴史なんてしゃれたものがあるのかい?そうHさんに言いたかったけれど、若いひとたちの責任ではない。〈無歴史状態〉の責任は先達にある。堀田善衛「……満州事変なんていっても、いったい、いまの若い人たちが、それについてなにかを知りたいと思ってもちゃんとした歴史の本があるのかしら。きちんとした、日中戦争史さえないんじゃないでしょうか」。武田泰淳「あまりないですね」(『私はもう中国を語らない』73年、朝日新聞刊)。そのとおり。テクストはないのだ。じぶんでさがすしかない。戦後史ならいくつかある。そのひとつは、ジョン・ダワー著『敗北を抱きしめて――第二次世界大戦後の日本人』(Embracing Defeat:Japan in the Wake of World War II )。ピュリッツァー賞受賞のこの本を、首相Aは読んでいまい。「たしかに多くの日本人がほとんど一夜のうちに、あたふたとアメリカ人を礼賛するようになり、『平和』と『民主主義』の使徒となったかのような有様をみると、そこには笑うべきこと嘆くべきことが山のようにあった」。「平和」と「民主主義」は、似たようななにかがあるにせよ、戦ってかちえたものではない。じつはなにもかちえていないのだ。ふしぎな身ぶりとたちまわり(変わり身)の方法のほかは。だからこそ、ニッポンの「平和」と「民主主義」はいまだにインチキである。「たとえば原爆が投下された長崎においてさえ、住民は最初に到着したアメリカ人に贈り物を準備し……またすぐ後にも住民たちは、駐留するアメリカ占領軍軍人とともに『ミス原爆美人コンテスト』を開催したのである」。こうした歴史の大事な細部を、ロードアイランド州生まれの米国人の著書で知っておどろく、ということそのものが、わたしたちが〈自画像〉を欠く(あるいは鏡の奥をみたがらない)習性のもちぬしであることをしめしている。勉強家のHさんは、すでに目を皿のようにして読んだにちがいない。「終戦に至るまでに日本人は――日本の男たちのほとんどは、ほぼ確実に――帝国軍隊による破壊と残虐行為についてなんらかの知識を得ていた。何百万人もが海外に出ていたから、必ずしもみずから残虐行為に及ばなくても、そのような犯罪を目撃したり、噂に聞いたりはしていた」。こんなことを外国人の学者に言われるまで気づかないか気づかぬふりをするほど、ひとびととその政治的指導者は「集団的痴呆症」(ダワー)だったのか。いまもそうなのではないか。Hさんはこの本の「下」第16章の注(3)をお読みになっただろうか。それはこうです。「ドイツのユダヤ人とちがって、日本人が犠牲の対象にした人々――朝鮮人、中国人の労働者や「慰安婦」のような日本人が身近な関係をもった人々も含めて――は、日本社会の一員として受けいれられたことはなかった。『汎アジア』なるものは、ほんのわずかの例外を除いて、まったくの宣伝文句にすぎなかった」(436頁上段)。「日本人以外の死者には顔がないままだった」(289頁)のだ。首相Aのだいすきな「御英霊」とは、顔をはぎとったおびただしい他者の屍体の群れから、ゆらゆらとくゆりたつ戦中、戦前の幻である。ジョン・ダワーは東条英機を「巨大な愚者の船の船長」と形容した。おなじことばを安倍晋三氏に冠するのが妥当か妥当でないか。学生とかたりあうのも一興かもしれない。歴史をほんきで論じるとしたら、わたしたちがいまも血みどろの戦場にいるというイメージからはなれることはできない。教員だろうが記者だろうが学者だろうが、わたしのようなただのグウタラだろうが。雨。エベレストにのぼらなかった。(2014/11/25)

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・「戦後」というものをみまちがえて、ここまできたのだな。このところ、そんなおもいがつよい。悔恨というのとも痛恨とも似ているが、ことなる。ずいぶんマヌケだったなあ……という虚脱感にちかい。『時間』も「審判」も再読した。『方丈記私記』も『上海にて』も『滅亡について』も。まるではじめてのように、おどろきつつ読んだ。読書というのは、おもしろい。時代と場で読後感は変わる。さいしょにそれらを読んだとき、ケツメドAはいなかった。集団的自衛権行使容認の閣議決定などかんがえられもしなかった。「恵庭事件」というのがあった。1962(昭和 37)年北海道恵庭町の陸上自衛隊島松演習場そばの牧場のオーナーらが、演習の騒音に怒って、通信連絡線を切断し、罪に問われた事件。裁判で「自衛隊の合憲・違憲」があらそわれたのだが、67年、無罪判決!東京のバカダ大学というところであそんでいたわたしは、「法学概論」の若い講師が、顔を紅潮させ目をうるませながら、無罪判決を評価する講義をしたのを聴いて、ひととしてなにかマトモで正常なものを感じたものだ。札幌地裁判決は無罪を言いわたしたが、「自衛隊の合憲・違憲」判断につては、被告人の行為が無罪である以上、憲法判断をおこなう必要はないとして、回避したのだった。ヘリクツというのか、ものは言いようだが、裁判官もかなりマトモで正常だった。検察は上訴をせず、無罪が確定。新聞は「肩すかし判決」と批判もしたが、自衛隊違憲の論調が主流か過半をしめていたのだ。自衛隊が違憲かどうか議論していたのだから、集団的自衛権行使などもってのほかだったのだ。新聞社にもまだマシな記者がいた。ケツメドAは13歳かそこらの、たぶん、あどけないお坊ちゃまで、ケツメドなどという理不尽なことをいわれなかったころである。もちろん、秘密保護法なんてとんでもないシロモノもなかった。そのころ、武田泰淳も堀田善衛も梅崎春生も中野重治も埴谷雄高も大江健三郎も、読んだ。安心して耽読した。感心した。いま、あどけないお坊ちゃまが手のつけられないケツメドになり、また『時間』や「審判」を繰りなおし、初読のようにおどろきはしたが、なんていえばよいのだろうか、えっ、こんなもんだろうか、こんな書き方で済むのか、お気楽じゃないのか、というきもちが抜けないのだ。比較は不可能だが、フランクルやレーヴィの深度と重さが、期待するほうがおかしいのだろうけれど、ない。「人間存在の根源的無責任さ」と堀田は『方丈記私記』に書いたが、そういうことで戦争を全般的に総括し、その手法で、じぶんという「個」や天皇ら他の「個」の無責任を全的に救済し、ガンバレニッポンというどくとくの「戦後」をこしらえたのだろう。短篇「審判」へのおもいは『時間』より深い。武田という人物と自称リパブリカンの堀田さんという人間の、人間観、宇宙観、疵のちがいからか。「審判」に、分隊長が「おりしけ!」と兵隊に命じるシーンがある。「おりしけ!」。なんだか耳の奥に聞きおぼえがあるような、ないような。怖い。また父をおもう。空気銃でスズメを撃った。わたしはあたったためしがなかった。父はひとがかわったようにおしだまり、痩身を鈍色の空気に溶けこませ、まったくの無表情になって銃をかまえ、スズメが気の毒になるほど弾をすべて命中させた。かれは「プロ」だったのだ。あたるとスズメはにこ毛を宙にパッと散らし、口を半開きにして瓦の屋根をコロコロと転がってくる。赤い舌がちろっとみえた気がするが、そうおもっただけかもしれない。「審判」に再三でてくる「鉛のような無神経」は、あれとつながっていないだろうか。若いころに感じなかったことを、いまはビリビリと骨に感じる。復員後、父はあの無表情でパチンコばかりやっていた。スズメを撃つときとおなじあの目で。ひとりで。前後するが、少尉になったとき、軍刀をじまえで調達する必要があったという。歯科医の伯母がお金をだして買った立派な軍刀を「佩用」していたらしい。よく斬れる刀だったろうな。なにを斬ったのか、なにも斬らなかったのか。伯母は立派なひとだった。勤勉で、不正をにくみ、貧者からは治療費をとらない、山を愛する女医だった。伯母は立派な姉として父を戦地におくりだした。父の写真。そうおもいたくなくても、眼鏡なども、東条英機にどこか似ていた。戦後、父は記者にもどった。けれども、堀田や武田のように達者に書きはしなかった。書けはしなかった。「人間存在の根源的無責任さ」なんて、書きも、言いもしなかった。黙ってパチンコをしていた。それでなんだかたすかったともおもう。もしも、父が、堀田のように「人間存在の根源的無責任さ」などと大層なことを書き、わたしが読んだりしたら、こっ恥ずかしくて、生きてはこれなかっただろう。わたしは戦後70年をみまちがえて、70年を生きてきた。敗戦後の70年という時間は、想像をはるかにこえて、ものごとをほとんどすべて腐爛させてきたのだ。それがあまり読めなかった。エベレストにのぼらなかった。(2014/11/26)

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・「京都学連事件」というのをごぞんじだろうか。「治安維持法」と「普通選挙法」は、ジャパンでは、じつはおなじ年(1925 年=大正14)にできた(!)のだが、そのころの話。日本の「内地」では最初の治安維持法適用事件として、むかしはとても有名だった。「内地」ではなく「外地」とよばれ、ヌッポンの植民地支配下にあった朝鮮などでは、治安関連法適用ないし無理無法逮捕拘禁拷問虐殺処刑事件はいくらでもあったから、治安維持法正式適用は「内地」では最初というわけだ。ケツメドorケツメドグループ(KMG)よ、しっかり読んどけよ(ところで、げんざい勢力拡張中のKMGによくよく注意せよ!)。1925年12月、京都府警察部特高課は京都帝大、同志社大ほかの社会科学研究会(社研)会員の自宅、下宿などを急襲、家宅捜索して学生ら多数を拘束した。しかし、京大寄宿舎で立会人なしの捜索をおこなったのは許せないと大学当局が猛抗議、府知事は謝罪して学生たち全員が釈放された。このあたり、なんといいますか、いまよりよほどマシ。だが、特高がこれでひきさがるわけはない。翌年1月には東京検事局が指揮をとり、新聞報道をさしとめたうえで、各警察特高課を動員して全国的な社研会員の一斉検挙がおこなわれた。そのさい、京大の河上肇、同大の山本宣治、関学の河上丈太郎ら教員についても家宅捜索。検挙された学生のうち約40人が治安維持法および出版法違反、不敬罪で起訴された。まえおきがえろ長うなってしもて、すんまへん!このとき、林房雄(東大)も検挙、起訴され、禁固10か月の判決がくだされている。著名なるジャパンの作家、バリバリの右翼文芸評論家だった林房雄は、つまり、若き日、左翼だったのだ。林は、東大中退後、プロレタリア文学の作家として出発するも、1930年にまたも治安維持法違反で逮捕され、豊多摩刑務所にぶちこまれて、1932年 、ごたぶんにもれず、「左」→「右」へと思想「転向」して出所する。ほんでもって、1936年には、ぬけぬけと「プロレタリア作家廃業宣言」を発表。これまた、サムライジャパンのまことにもってサムライらしからぬ、恥ずかしいといいましょうか、みっともないところなのだが、ヨミウリのナベツネなる老人もチンケな転向組だし、むかしの政・財界人、作家連中には元共産党員の転向者がすくなからずいたことは、ヌッポンチャチャチャの思想史の、世界にあまり例をみない、「かくもかろきナゾ」として、若き学生諸君には(やらんだろうけど)いっそう研究にはげんでいただきたい。おっと、また脱線。言ひたいのは、林房雄のこと。1963年には『中央公論』に、あんれまあ、『大東亜戦争肯定論』を発表、大いに物議をかもした。ヌッポンとは安倍晋三氏がなんと言おうとも、戦犯が平気で首相になったり、「ペン部隊」の一員として戦争賛美詩を書きまくった詩人(佐藤春夫)が戦後、恥ずかしげもなく文化勲章(やるほうもやるほう、もらうほうももらうほう!)をもろたり、美しくもなんでもない、思想もなにもあったもんじゃない、ただただハチャメチャな「神国」なのであります。ところがだ、林房雄はただの右翼じゃなひ。漢字もろくに読めない、いまの右翼や新聞記者やサルなみの大臣(アソー)どもとちがい、なにしろ、それなりに筆がたつ。「武装せる天皇制――未解決の宿題」なんかは、わちきも夢中で読んだものだ。てわけで、ケツメドが蛇蝎のごとくきらう(ケツメドよ、そんなにきらわなくたって、朝日は創刊以来いっかんして権力と皇室の味方なんだぜ)朝日新聞が月一回の『文芸時評』を、こともあろうにだ、『大東亜戦争肯定論』の林房雄に担当させるわけである(63〜65年)。ふう……。ああ、疲れた。で、右翼の林が朝日の『文芸時評』で、南京大虐殺をテーマにした榛葉英治の小説『城壁』を「絶賛」するというから、歴史ってまさにあざなえる縄のごとくに、複雑といいますか、意想外といいますか。『城壁』は1964年、河出書房新社から箱入りの立派な単行本(装幀・朝倉摂)として刊行される。そのオビ(裏)にはこうある。「林房雄氏絶賛―――――朝日新聞『文芸時評』より(改行)『南京大虐殺事件』は『黒いナゾ』として永久に残った形になっている。これはいけないことだ。日本民族の自信を喪失させ、未来への前進の可能性をはばむ暗雲は日本人自身の手によってはらいのけるべきだ。悪は悪、罪は罪として認めなければならぬ。作者は可能なかぎりの調査と集めうるかぎりの資料のうえに、この小説を組みたてている。勇気を要する仕事によって、国民は次第に事件の『真相』に近づいて行く」。オビ(表)には「世界の歴史は戦争の裏面にあるこの真実をつたえていない(改行)『粛正せよ』の命令が意味するものは何か?捕虜の処置をめぐる人間性のすさまじい葛藤のなかに戦争の本質を鋭く抉った力作……『文芸』一挙掲載分に加筆600枚の大長編!」。南京大虐殺という巨大な風景はじつに奥が深い。堀田、武田らを読んだあとでは、ついてゆくのにいささか忍耐のいる文章ではあるが、というわけで、『城壁』をいま読んでいます。エベレストに2度のぼった。下の店でコビト、犬とパスタ食う。ピロリ菌退治後のbig fat shit(長さ約35センチ)を、コビト目視にて確認。賛嘆。通夜の客に自慢するらしい。あっ、撮影し忘れた。(2014/11/27)

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・「噴飯物」ということばがあった。「自明」ということばもあった。よくつかった。林房雄は噴飯物で、平和や民主主義みたいなものは、それらの中身をよく吟味しなくたって自明であると、なんとなくそうおもっていたのだった。南京大虐殺、万人坑、慰安婦、強制連行……はいまさら論じるまでもない、自明の歴史的事実であり、平和や民主主義みたいなものは、空気のようにここにおのずからあるものであって、エキセントリックな噴飯物たちは衆人の嘲笑のうちに消えてゆくものとばかりおもっていた。人間においてはなにひとつたしかなものはない――と、アラゴンの言った意味をよくわかってはいなかったのだ。安倍晋三氏のような現象とそこからくる社会的浸透圧のつよさをあまり想定したことはなかった。群衆や民衆やマスメディアはずいぶん愚かだなものだ。そう、ときどき感じてはいても、ほんとうにここまで「個の魂」を失うとまでは想像していなかった。人間がここまで徹底的に、完璧に、通信機器の端末と化し、資本の奴隷になるとは、そして、そうなっても毫も堕落を自覚しないとは、本では読んだけれども、予測はしていなかった。じぶんは戦後をみあやまってきたな、という慚愧の念は、こうしたところからもきている。林房雄を読んだのは勉強のためではなく、たしか、あざ笑うためではなかったか。ところが、読んでいてヒヤリとした箇所がいくつかあって、笑うどころか唇が凍えたことが忘れられない。それは、「武装せる天皇制」ということばだった。転向右翼・林房雄は「天皇制が日本人の土俗の深層から発生して、その中に深く根をおろしつつ存続しているものであるかぎり、その本質を常に平和的なものだと規定することはできない。/祭司も神官も民族の危機においては武装する。戦争が発生すれば、その総指揮官となり、終れば再び平和な祭司神官にかえる」と述べ、「明治維新から昭和敗戦に至る三代の天皇制は明らかに武装していた」と書いた。南京攻略の戦争宣伝記録映画をみていて、戦慄し、この文をおもいだした。帝国軍隊は大虐殺の現場に神官や坊主をつれていっていた。将兵と神官らは血なまぐさい虐殺現場で神事をとりおこない、南京攻略成功をだれよりも大元帥陛下=天皇に、「遙拝」という形で報告していたのだった。林は書いた。「天皇制がもし解消され消滅する時があるとすれば、それは日本国民が天皇とともに地球国家の中に完全に解消するときであろう。/その時期がいつであるか、どれほど長い、または短い時間の後であるかは、神のみぞ知る」。地球国家のなかに解消する、とはどういうことか。わからない。バカめ、なにいってやがる。若いころはそうおもった。が、この一行にすぐにつづくセンテンスには心底ゾッとした。「そこ(天皇制解消)に到る前に日本国民が再び天皇制を武装しなければならぬ不幸な事態がおこらないことを、私は心から望んでいる」。まんざら〈天皇制の再武装〉を望んでいないわけでもない口吻が気になってしかたがなかった。転向右翼・林は、火野葦平や尾崎士郎らとともに、戦争協力により、文筆家として公職追放された人物である。そのために戦後しばらく仕事をほされていた林房雄を、朝日新聞は63年から65年まで文芸時評担当に起用する。「戦後の変質と劣化」は、政治、思想、文化がもたらしただけでなく、それいじょうに、かつて戦争をあおりにあおったマスコミが誘導していたのだった。朝日によって「市民権」をえた林房雄が執筆した『城壁』にかんする文芸時評(64年7月28日)をあらためて読んでみた。バカヤロウ、なにいってやがる、とおもった。やはり噴飯ものだ、こいつは。ジャパンの戦後はかほどにイカサマだった。ヌッポンチャチャチャという国の人間たちは、天皇から役人、民草まで、わがこととして戦争や虐殺を痛烈に恥じ、死ぬほど恥じいり、他でもない、わがこととして反省したことは戦後ついぞなかったのだ。だからこそ天皇制はしたたかに残り、ニッポン再武装は戦後最高水準にたっし、ケツメドどもがいま跳梁跋扈しているわけである。エベレストにのぼった。(2014/11/28)

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・gaga病院。コビト。血液検査、X線、心電図、エコー。カフェ・緑の陰。雨でLSVあるけず。『城壁』もう食傷気味だが続行。レッドパージ。朝鮮戦争。下からの全体主義化。エベレストにのぼらなかった。(2014/11/29)

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・『生きている兵隊』の「伏字復元版」はグッドアイディアだ。集英社の「昭和戦争文学全集」で読んだときと作品のおもむきがすっかり変わった。伏字を復元するだけでなく、その箇所に傍線をほどこすことで、検閲者の視線と意図がすかしみえてくる。隠蔽――は、戦時だけではない、そして権力だけではない、天皇制国家の人間がもってうまれ、いまもひきついでいる隠微で卑怯な生理だ。隠蔽は暴力をせおっている。「生命とはこの戦場にあってはごみ屑のようなものである」。伏字だった傍線箇所の裂罅の闇に、なにをみるか。はるばる来訪したMさんとミスドでこんだん。エベレストにのぼらなかった。(2014/11/30)

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・武田「・・・・・・・日本人の場合は無間地獄に堕すんだな。キリスト教がないということ。仏教というのは、かなり慈悲の心があるはずなんですけれども、仏教では殺人を止めることが、ついにできなかった。これは宗教の問題として、とっても大きいと思うんだ。じっさいに中国の民衆を守ったのは、中国人自身のほかはキリスト教の牧師だね、民衆を保護したよ」 堀田「村の人ぜんぶを教会に収容したら、その教会に日本軍は火をつけちゃった」 武田「うん、そういうことがある。それは文化の問題ですね。そういう面を、現実的な視野において日本を考えた場合には、現在まだ直っているかどうかということは、わからないな」(73年『私はもう中国を語らない』)。かつてじっさいにあったことを「あった」と主張すること。かつてじっさいにはなかったことを「あった」といいはること。かつて歴然としてあったことを「なかった」としらばくれること。歴史はこうしていま、おおむね3つの虚実の光の波にもまれている。不可視の〈内面の内戦〉といえるほど、それは深刻な闘争である。かつてあったことを「なかった」こととして〈公的に裏づける〉、すなわちニセの歴史を生かされるのが、存外に容易であることには、おどろかざるをえない。Aの問題とはそういう問題でもある。エベレストにのぼらなかった。(2014/12/01)









posted by Yo Hemmi at 13:41| 私事片々 | 更新情報をチェックする

2014年11月18日

日録1-9



私事片々
2014/11/18〜

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・けふもルーペと赤鉛筆と『時間』をポケットにいれてダフネ1号店へ。じぶんはどうしてこうまで『時間』にこだわるのか。それはもうわかっている。あらましわかってはいるのだけれども、どこかに見おとしはないか、歳月になんとか堪え、かすれ、消えかかった小さな活字を一字一字ルーペでたどる。『時間』が文学的に、とくにニッポン文学的に、どれほどすぐれた作品か否かなどにはまったく関心がない。天皇の名において戦った15年戦争の心的、思想的堕落、あきれるほど中途半端な反省ないし無反省と、それゆえ引きずってきた70年におよぶ「戦間期」文化の空洞と腐食。それらを徹底的に対象化し、食らいついたものなど、文学にせよ思想にせよ、読むべきテクストは唖然とするほどすくないのだ。『時間』もむろん、ベストのテクストとはとうてい言いがたい。それを承知で精読したわけは、〈南京大虐殺とニッポン知識人〉の関係がどうであったかを知りたかったからであった。殺人・掠奪・強姦の3語(それのみ、あるいは加うるに、暴行、放火)がおおいつくす 1937 年(昭和 12)12 月から翌年 1 月にかけての出来事が、その後のニッポンの思想文化にどのような影響をあたえたか――これはなんとしても逃れることのできない主題でなければなかったはずである。アドルノふうに言えば、南京大虐殺後に「詩」はあってはならなかったのだ。『時間』は、この国ではそれさえじつにまれなことなのだが、その事実をそっちょくにみとめてはいる。殺・掠・姦・賊・酒・狂酔・逼淫――おびただしく、おぞましいその事実をみとめたら、つぎの思念の作業は、理のとうぜん、あれらの事件を可能ならしめたニッポン(またはニッポン人)とはなにか、天皇とはなにか、〈すめらみくに〉とはなにか、皇国史観とはなにか、〈ますらお〉とはなにか……の諸テーマにうつるべきはずのものであった。堀田善衛のいう「記すに堪えないからこそ記しておかねばならぬ」「嗜虐症的な征服支配の時代の病例」が、皇国ニッポンとニッポン人による南京大虐殺だったのだ。歴史も文学も報道もまさに「記すに堪えないからこそ記しておかねばならぬ」ものなのだ。だがしかし、堀田の『時間』は、堀田じしんの持論を見事にうらぎる。ここにはあるしゅの詐術がある。偽計といってもよいかもしれない。主人公をニッポン人ではなく外国渡航歴もある中国人インテリにしたのは、まあよい。だが惨劇を日々目にし妻子を日本兵に犯され殺されたこの主人公は、ふしぎなことに、淫獣と化した日本兵の餌食になる中国人についてはあれこれ論じつつも、「記すに堪えないからこそ記しておかねばならぬ」はずのニッポン兵の淫縦のよってきたるゆえん、かれらが負うた精神、すなわちニッポン論をはぶくのである。わずかに中国(人)にたいする「烈しい憎悪、軽蔑、それに、異常なまでの劣等優越両様のコンプレックスが渦巻いている」日本人将校の内面が表現されてはいるものの、まったくふじゅうぶんだ。ニッポンは国家と人民のために戦争をしたことはなかった。天皇のために、天皇の名のもとに「聖戦」を戦い、悪鬼もおどろく惨劇をくりひろげたのだった。ならば、皇軍兵士とはなにか。その精神の根はなにか。陛下の赤子とはなにか。堀田はそれらに答えるという危険水域にはいることを、まちがいなく、意識的に避けている。その意味では『時間』は奇妙にトリッキーである。敗戦後の知識人にあって比較的にまともといわれた堀田でさえ、国体=エンペラーを精神の不可視の根にしたニッポン(人)を対象化することが、眼力にうらづけられた技量としてできなかったのでなく、ニッポンどくとくの危険水域として回避したのだ。「某所では日兵が娘を輪姦した。娘は、顔に糞便を塗り、局部には鶏血を注いで難を逃れるべく用意をしていた。けれども、日兵たちも、もはや欺かれはしなかった。彼等は娘に縄をつけてクリークに投げ込み、水中で彼女がもがくのを喜び眺めた」。枚挙にいとまのないこうした悪夢がなぜ現実になったか。この小説の末尾は「……人生は何度でも発見される」である。失笑。わたしは敗戦後70年の、過去になにも学ばなかった空虚とその因をこの末尾にもみてしまう。けふもS君のメールとかれがひとりでつくり、ひとりで撒いたビラを読んだ。匿名的であり、非人称的であることをかれは拒み、そこからの安全な告発をはっきりと拒んでいる。じぶんがじぶんだけに固有である事実をひきうけている。そうすることで危険水域に一歩一歩入っている。ただあるだけの世界とただ存在するだけの自己は、そうすることでひらき、生き生きと活きてきている。エベレストにのぼった。(2014/11/18)

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・のっけからビロウなはなしで恐縮である。ケツメドA(以下、あまりにもバッチイのでKMAと略称)が記者会見をするというので、昨晩、犬とともにテレビのまえに座った。ケツメドが会見するとはこれはまた怪異なことではある。だが、この国では古来、政界と禁中とを問わず、異聞奇譚だらけなのであり、ケツメドといふ人体開口部が、それにたかりついてクソのかけらをなめさせてもらっては悦んでいる各報道機関政治部の男女クソバエ記者どもをまえに、なにやらグニョグニョと口のようなものをうごかして発声発語したとしても、しごく不快ではあるけれども、とくにふしぎではない。ふしぎなのはむしろ、テレビに大うつしにされたただのケツメドを、人間の顔のいちぶであると、クソバエ記者どもがうたぐりもなく納得しているらしいことなのである。サタンの肛門に接吻した魔女たちがその〈わけ〉を詰問する審問官にたいし、〈そこにも顔があるからよ〉と答えたという逸話を、クソバエ記者らはむろんしるよしもない。とまれ、KMAはなにか早口でしゃべくりはじめた。これがまんいち顔であるとしたらのはなしだが、それはしばらくみないまに、ずいぶん険阻になっていた。まぎれもない凶相である。賭けてもよい。こいつは大災厄をもたらすだろう。ジョルジョ・アガンベンの〈顔論〉をおもいだす。「真理、顔、露出、これらは今日、惑星規模の内戦の対象である。その戦場は社会生活全体であり、その突撃隊はメディアであり、その犠牲者は、この地上のすべての人民である」。アガンベンの文意は詩的直観なしには理解しがたい。だがしかし、KMAのはなしは、いうまでもなく、何人であれもっているだろう詩的直観を排泄物で窒息死させるようなものである。したがって、KMAがいったいなにをしゃべったのかを、わたしは言語としてはついに解することができなかったのだった。かろうじてひとつだけわかったのは、ケツメドがどうやら辞めるのではないらしいということだけ。わたしはケツメドがケツメドを閉じる、つまり退陣することだけを期待していた。ところが選挙だという。このままでは自公インチキ政権が勝つだろう。KMAは選挙後、集団的自衛権行使の違憲立法も、秘密保護法の強行採決も、原発再稼働も、労働者派遣法の改悪も、労働法制の規制緩和も、すべてあらためて国民の信任をえた、として胸をはって爆走していく気だろう。ただそのためのみの選挙なのだ。そうさせてよいのか。KMAは、消費税増税について、民主主義なので信を問うべきだといってのけた。ケツメドがミンシュシュギをかたるとは、わらわせるじゃないか。だいいち、集団的自衛権行使の閣議決定という重大な政策変更について、KMAはいちどでも民意を問うたか。信を問うたか。クソバエ記者どもはそのことを徹底追及したか。会見で問うたか。問いつめてはいないだろう。やはりクソバエ記者どもはAのケツメドをペロペロなめるしか能がないのである。法人税をひき下げ、消費税を上げ、社会保険料をひき上げ、社会保障をきりすて、介護保険を改悪し、生活保護費をひき下げ、非正規雇用をふやして、貧者をどこまでもしいたげ、富者をよろこばせ、格差をますます拡大し、軍備を増強し、兵器を外国に輸出する――ケツメド政策をだんじてゆるすわけにはいかない。いや、アジビラ調はやめよう。「真理、顔、露出、これらは今日、惑星規模の内戦の対象である。その戦場は社会生活全体であり、その突撃隊はメディアであり、その犠牲者は、この地上のすべての人民である」。この含意をひとりしずかに直観しよう。ケツメドの世界が、〈わたし〉とはなんのかかわりもなく、政治として平気で存在しつづけている――状態を、〈わたし〉への堪えがたい冒瀆、侮辱として怒ろう。悲しもう。いまやるべきは、Aのケツメドに、ぶっとい棍棒をぶすっとぶちこんで、息の根をとめること以外にあるだろうか。ふとかたわらの犬をみたら、もうテレビなどみておらず、ビールマンスピンのかっこうをして、片脚をぴんとあげ、アルマジロよろしく顔をふせてインブかコーモンをなめているのだった。正しい態度かもしれない。けふ、エベレストにのぼった。(2014/11/19)

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・「生活と自治」誌の連載「新・反時代のパンセ」を執筆。いつのまにか12回、つまり、もう1年がたったということだ。第12回のタイトルは「民主主義の落とし穴」。総選挙批判。むろん、Aをケツメドとは書かなかった。ほんとうはケツメドなのだけれども。週刊金曜日刊の対談『絶望という抵抗』は、装幀のおくれで、来月8日の発売にきまった。風邪気味。犬も元気なし。武田泰淳と堀田善衛の対談『私はもう中国を語らない』(1973年、朝日新聞)は、さいしょつまらないとおもったが、昨夜、落ち着いて読んだら、なかなかおもしろかった。武田は多くを話さないのだが、視線がやはり深い。疑問はあるけれども。南京大虐殺についてもわずかながら触れている。「南京大虐殺」のことばも、ためらいなくもちいられている。それが巨大な事実であったことに、長く重い中国経験者たちがなにも異をとなえていない――これこそ事実の傍証であろう。エベレストにのぼらなかった。(2014/11/20)

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・コビトから連絡あり。「新潮文庫の中古本『時間』が21日げんざい、Amazonで8000円になっている。ブログにしょっちゅう『時間』のことを書いたあなたが値をひきあげたのよ。アマゾン資本主義の活性化にひとやくかったわけよ!」となじる。唖然。ぼろぼろになったわたしの新潮文庫『時間』15刷はたったの140円。それを古本屋で300円ほどで買ったのだった。それが8000円とは理解できない。Amazonでたしかめると、たしかに8000円。出品者によると「多分初版かと思われます」というので高値がつけられたのかもしれないが、おなじく堀田善衛の集英社文庫『上海にて』の中古が「56円より」となっているのをみると、8000円はいくらなんでも法外な気がする。よいにつけわるいにつけ、出来事、事件、事故、イシュー、論議、非常事態、新現象がおきると、たちまちにしてはたらきだすのが市場原理である。市場原理は内面の刺激=活性化をテコにし、それをバネにし、培養基として、内面を深化するのではなく、じつは資本の運動を活発化していく。歓びも悲嘆も憤怒も感動も、資本の運動に吸収されていくほかない。人間のあらゆる意識(のうごき)は、ハイパーインダストリアルな21世紀資本主義の収奪と活性化のための対象でしかない。無限にカネモウケだけをしたがる、魂なき魂。それが資本の魂であり命である。ひとびとは無意識に資本の魂に従わされ、資本の運動を支えさせられている。社会の主体はもはやプロレタリアートではなく、ファシストやケツメドAでもない。社会の主体は、人間ではなく、いまや資本なのであり、ひととその意識(のうごき)は資本の自己増殖の手段でしかない。と、ここまで、おもいつめるのは、正直せつない。身も蓋もない。だが、冷厳な事実は排除できない。万象を支配している理法すなわち摂理があるとしたら、それは人倫に発するのではなく、銀河系の運動をべつとすれば、資本の法則なのだ。それでは物語にならないので、ひとは資本の〈顔〉をみまいとする。資本の運動と無縁の、うつくしいひとの物語を夢みる。が、それさえ資本の運動の賦活剤だ。あらゆる種類のエモーションは、正しいかどうかでなく、ビジネスチャンスととらえられる。嫌韓嫌中本は売れるからつくられるのであり、つくるべきだからつくられているのではない。新潮文庫の古本『時間』が8000円になったことは、南京大虐殺を背景とした堀田の『時間』の小説的、歴史的価値がみとめられたからではなく、需要に反応して商品価値が一時的にあがり、それに応じて投機的うごきがでたということにすぎまい。Amazonには、どんな美辞麗句をつらねようとも、市場原理と資本の運動(カネモウケ)以外のなにものもない。そのAmazonとどうようにやっかいなのは、Wikipediaというシロモノだ。最近の新聞記者や編集者は足をつかう取材はさっぱりで、のべつGoogleとWikipediaと首っ引きというからおはなしにならない。これもコビト情報で、わたしは不快だからまだみてもいないが、Wikipediaにはわたしにかんする項目もあり、「日本の小説家、左翼運動家、ジャーナリスト、詩人」という肩書きになっているらしい。このうち「左翼運動家」というのは何者かが最近になって、おそらくなんらかの悪意をもってくわえた、新しい「身分」であり、まことに迷惑である。わたしはブログで首相Aを「ケツメド」と書いた作家であり、その事実をかくす気もない。変人といわれようが奇人とよばれようがかまいはしないが、「左翼運動家」ではない。首相Aを「ケツメド」とののしるからには「左翼運動家」にちがいないと断じたのだとしたら、「左翼運動家」の定義(definition)も知らない者の仕業か、例によって例のごとしのネット荒らしだろう。管見では、「左翼運動家」というのは、一国の首相をつかまえて「ケツメド」などと下品に侮蔑するのはマルクス・レーニン主義に反すると自己批判をせまるような、ごくつまらない心的機制のもちぬし(ゆえに、アナザー「ケツメド」)なのである。だいたい、わたしは略歴その他をWikipediaに載せてほしいと依頼したことも、載せてもよいかとWikipediaから問われたこともないのだ。出版社からの年譜の作成依頼さえことわっているわたしがネットに自己紹介をするわけもない。だいいち、Wikipedia所載のわたしの略歴その他はまちがいだらけであり、とてもではないが引用にたえるものではない。全文削除してほしい。けれど、どうすれば削除できるか、調べるのもわずらわしい。まちがいだらけの略歴を載せたのはわたしではないのに、修正、削除のために時間をさくのもばからしい。武田泰淳「……まあ、ぼくら南京大虐殺には、直接参加してませんけれども、つまり兵隊が銃をもつという問題があるんですね。武器をもつと、ふつうの心理とは、まったくちがったものになってしまうことですよ。ふつうの市民として生活してるときは、善良でよき父である百姓や商人が、いったん銃を・・・・・・・」 堀田善衛「銃をもっていると、銃をもっていない人間は、自分たちの仲間じゃない、という感じで相対する、ということになるんじゃないか」 武田泰淳「そう、そう、それは日本人がことにひどいと思うんだ。というのはね、日本人というのは、いつでも外国人を恐れていて、おびえているんだな。そのおびえが反対に軽蔑するような態度で現れてね、恐ろしいからやっつけるんですよ」(1973年『私はもう中国を語らない』)。ヘイトスピーチの源流をおもう。1938年に陸軍省が撮らせた南京の資料映像がとどいた。午後、鉄筆から連絡。『霧の犬 a dog in the fog』がけふ、取次に搬入され、書店に到着しだい、順次発売となる。都心の一部書店では今夜から新刊が店頭にならぶ。関東地域は明日には発売、北海道や九州は、週明け月か火曜日になるという。鉄筆の渡辺氏夫妻が文字どおり孤軍奮闘している。エベレストにのぼった。(2014/11/21)

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・心臓が水をふくんだ荒縄のようなものでつよくしめつけられた。呼吸がみだれ、視界が涙でくもる。なんの涙かはわからないのだ。怒りか羞恥か恐怖か。なんてことだ!わたしたちのいまは、この過去からすこしも途絶えずに今日までつづいているのだ。21日深夜、旧帝国陸軍省と海軍省の「指導」で、国策映画会社「日映」カメラマンが1937年から翌年にかけて従軍撮影、製作した南京攻略・占領の記録映像(56分)を、あえぎながらみた。犬がなぜか映像にむかってはげしく吠えた。屍体はすべて異様なほどきれいさっぱりとかくされているのだから、「残虐な映像」ではないといえばそうなのかもしれないが、それがかえって怖い。わたしはこれ以上に残忍さ、陰惨さをおのずからただよわせてしまっている実録映像をかつてみたことがない。屍体はかくせても、空気はかくせない。日本軍将兵は、南京武力制圧とその後うちつづいたであろう血なまぐさい住民殺戮のさなかにも、南京の戦場から皇居にむかって一斉に深々と礼をするいわゆる「遙拝」をし、「天皇陛下万歳!」と三唱し「君が代」をうたっていたのである。天皇はしばしば「大元帥陛下」とよばれ、ことあるたびに万歳が三唱された。国家神道のしきたりにのっとって、従軍してきた神官が衣冠をつけて、のりとをあげ、松井石根陸軍大将(戦犯で死刑)や当時陸軍中将だった皇族、朝香宮鳩彦王(戦後は、豪邸に住みゴルフざんまい)らが玉串を奉奠する。殺した無数の中国人の霊に、ではもちろんない。靖国とおなじく、戦死した「皇軍」将兵の「英霊」に、である。玉串は榊(サカキ)ないしその代用とみられる木の枝に「四手」(しで、「紙垂」とも書く)といわれる細長い和紙をつけたもので、それがおりからの強風にあおられ、各所でたなびき、びょうびょうとうなるのが、名状できないほどの恐怖をさそう。このシーンはなぜか長回し。儀式はことごとに「天皇陛下」「大元帥陛下」の名のもとにとりおこなわれる。破壊されつくした南京の廃墟は、まえにも映像でみたことがあるが、あらためて息をのむ。ワルシャワの廃墟もすごかったが、南京の廃墟とはなにかがちがう。もう午前1時半。眠らなければならない。ヒトラーの軍隊ともムッソリーニの軍隊とも、天皇の軍隊はあきらかにことなる。なにがか?なにがちがうのだ。もの凄い殺気と妖気、胆汁質の痴れたなにか。そのなにかが、わかるようでよくわからない。画面にうつる兵隊たちの多くか、すくなくとも、なんにんかは、『時間』にでてくる〈殺〉〈掠〉〈姦〉にかかわったはずだ。『時間』にはそう書いてあるのに、醜悪なにおいが抽象化されていて、うすい。この映像は〈殺〉〈掠〉〈姦〉を周到にかくしているにもかかわらず、吐き気をもよおさせるほど野蛮なにおいが濃厚である。昭和天皇はこの映画をみたのだろうか。平成の天皇はみたか。NHKはなぜこれを全篇放送しないのか。ワルシャワ蜂起ではなく、鬼気せまる南京の記憶をなぜひとびとにみせないのか。ああ、眠らなくては。この映像56分をみたら、もしもつうじょうの神経ならばだが、「君が代」にすぐさま耳をふさぐはずだ。日の丸に目を掩うはずだ。憲法9条がなぜできたのか、憲法9条を壊すのが天人ともにゆるしがたい犯罪であることが、骨身にしみてわかるはずだ。天皇制がつづいていること、靖国が現存することが、いまさら不可解になるはずである。まともな神経の持ち主ならば。この映像は堀田の『時間』と基本的に矛盾するところがない。むしろ、『時間』の描写の足らざるを、沈黙のうちに補強してくれる。また、国策映像がかくした空白を、『時間』が補完している。中国映画『南京!南京!』とも大きな乖離がない。なんと、この国策映画、戦争宣伝映画の方が、『南京!南京!』よりも、よほどリアルで残忍な感じなのだ。侵略者「皇軍」の底知れぬ不気味を、かくしたくてもかくせていないでいるのには、ほんとうにおどろきいる。みずからの不気味を不気味とはわかっていなかったのだ。なんたる過去か!なんたるいまか!動悸がまだつづいている。2時半をすぎた。眠らなければならない。DVDの箱には『南京ー戦線後方記録映画−』とある。冒頭、「我々の同胞が一つになって闘った数々の光輝ある歴史の中でも南京入城は燦然たる一頁として世界の歴史に残るだらう。その日の記録としてこの映画を我々の子孫に贈る」の手書きの字幕。酔い痴れている。「数々の光輝ある歴史の中でも南京入城は燦然たる一頁として世界の歴史に残るだらう。その日の記録としてこの映画を我々の子孫に贈る」。悪意も羞恥心もむろん皮肉もない。天真爛漫に得意になり誇ってさえいる。ニッポンという、とんでもない主観。皇国、皇軍、神国、神州不滅という、度しがたい倒錯。いまものこる母斑。武田泰淳「ぼくは兵隊にとられて、貨物船に乗せられてね、上海のそばの呉淞(ウースン)港に上陸したわけだ。……そこに上陸してさいしょに会った中国人は、生きた中国人じゃなかった。死骸になった中国人だった。そうしてそれからズッと、まあ、半年くらいは毎日死骸を見た。食事をとるときも、寝るときも、井戸の中にも、丘の上にも、あるものはぜんぶ死骸ですからね、いやでも、その間を縫って歩かなきゃならなかったわけですよ。どこへ行っても死臭がただよっている」(『私はもう中国を語らない』)。ましてや、あのときの南京に死骸がないわけがなかった。『南京ー戦線後方記録映画ー』は死骸をかくした。しかし、恐怖にひきつった民衆の顔まで修正するほど芸は巧みではない。撮り手はニッポンというとんでもない主観と倒錯のがわから、命の危機におびえる中国民衆を、たいして意ももちずに傲然と撮影している。エベレストにのぼらなかった。(2014/11/22)

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・戦争宣伝映画『南京―戦線後方記録映画―』をみた嫌悪感がオリになって体内に沈殿し、まだときどき喉もとにわきあがってくる。わたしがもっとも怖気をふるったシーンは、戦場でも廃墟でもない。南京の戦場(というより大量殺戮現場)から、東京の皇居にむかってなされていた「遙拝」であり、戦場で「奏上」されたのりとのひびき、玉串の奉奠(ほうてん)であり、榊(サカキ)にむすばれた「四手」(しで、「紙垂」)という紙のたなびき、そのうなり声、万歳三唱の蛮声であった。「遙拝」とは、遠くはなれれた場所から神様(天皇)をはるかに、深々とおがむこと。「奏上」とはなんだ?ほかでもない、天皇に申し上げることである。この国はかつて自国民だけでなく中国や朝鮮半島のひとびとにまで「遙拝」を強いた。『中国の赤い星』を著したエドガー・スノーはニッポンの侵略と殺戮を徹底的に憎んだ。終生ニッポンを軽蔑したといってもよいだろう。日本軍を「首刈り族」とまでののしった。スノーにはニッポンにたいする生理的嫌悪さえある。そのわけは、直接には、侵略と大量殺戮にあるのはいうまでもないが、血でそめた外国の大地で、平気で神道にもとづく「神事」をとりおこなう無神経、不気味さにもあったろう、とわたしは察する。大内兵衛はかつて「天皇は開戦・敗戦の政治責任をまぬかれうるか」と設問し、否と答えた。第二に、「天皇は国民への道義的責任をまぬかれうるか」と問い、これにも、否と答えた。第三に、「アジアの民衆にたいする虐殺、捕虜虐待にかんする責任をまぬかれうるか」と問い、三たび否と答えている(「天皇の戦争責任」『中央公論』1956年6月号)。いま、どんな新聞・雑誌が「天皇の戦争責任」を問う特集を組むだろうか。組む者はだれもいないし、そのような特集を組むことは100パーセント不可能である。なぜか。たいへん危険だからだ。極右と「影の組織」がまちがいなくうごく。編集局が襲われる。ひとが殺されるかもしれない。かもしれないではない。その公算きわめて大である。1956年には堂々とできたことが、2014年にはできない。そんな社会になったのだ。敗戦後70年で、言論はいちじるしく閉じ、未来にすすんでいるのではなく、戦前、戦中にもどっているといってもよい。大内兵衛は南京大虐殺についてこう書いている。「この大虐殺が、日本軍のいかなる命令中枢から発せられたか、あるいは『軍紀の弛緩』によるものかは、今日なお疑問の部分もあるが、事実としてまったく放恣な略奪、強姦、虐殺の祝宴が大規模にくりひろげられたことは、疑いない」(集英社刊『昭和戦争文学全集』3「果てしなき中国戦線」の解説)。「まったく放恣な略奪、強姦、虐殺の祝宴が大規模にくりひろげられた」とは、もの凄い表現ではないか。スノーは「近世においては匹敵するもののない強姦、虐殺、略奪……」(『アジアの戦争』)と記した。わたしが安倍政権をこれまでのどの政権よりもかくだんに厭い、絶対的に危険視するのは、こうした歴史をまるごと否定、修正、または過小評価して、みずからは天皇の「醜(しこ)の御楯」を気どり、(南京虐殺実行部隊どうように)玉串奉奠などの「神事」をおこない、めいっぱい平成の天皇を利用し、民心とメディアをたんに権力保持のための道具とし、ウソをつきまくり、群衆をすきなだけもてあそんでいるからである。ウソの歴史につなげられる未来がまっとうであるわけがない。武田泰淳「それからね、中国全土ではない、という問題ね。点によって、あるいは細い線によって、日本軍が進んでいったわけで、全体的に殺人をやったわけではない、というけどね、その点と線との間においては、やったことなんだな」(『私はもう中国を語らない』)。武田泰淳の短篇「審判」再読。ふるえる。わたしは若いころなにもわかっていなかった。あまりに不勉強であった。エベレストにのぼった。(2014/11/23)

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・父の書棚にあったもので、はっきりと記憶している本は多くはない。坂口安吾の『堕落論』があった。泰淳の『蝮のすゑ』『森と湖のまつり』『史記の世界』『風媒花』『ひかりごけ』『快楽』などがあったのは、高校時代に父に無断で読んだので、しけった紙のにおいとともに憶えている。だが、1947年4月発表の「審判」が書架のどこかにあったのかどうか、記憶にない。「審判」は1948年に思索社が刊行した『蝮のすゑ』所収ということを知ったのは最近のことで、父がもっていた『蝮のすゑ』が思索社のものだったかは、本が散逸したので不分明だ。だが、父も「審判」を読んでいたのではないか。昨夜、集英社の『昭和戦争文学全集3』所収の「審判」をめくりながら、鈍器で頭をうたれるように、そうおもった。武田は父より早く二等兵で華中にいき、父は泰淳の後に下級将校でやはり華中にいっている。泰淳の「出征」(おもえば、これもひどいことばだな)は南京大虐殺のあった1937年で、父は40年代前半であった。謎があった。父はすっかり変わって帰ってきた。わたしは父の出征中に産まれたので、かれがなにからなににどう変わったか知らない。温厚だったひとが〈化け物〉のようになって…母はそんなふうなことを言った。泰淳も〈戦争経験〉で変貌した。そのことは川西政明著『武田泰淳伝』に詳しいが、それよりなにより、「審判」が文学作品という領域をこえて、告解というか告白というか自己告発というか、おのれへの終わりない譴責をしていること、それがあまりにも生々しいことに、わたしは、バカげたことに、この歳になって「審判」を再読してやっと気がついたのである。作中の「私」は「私」であって、泰淳ではない。「二郎」は「二郎」ではなく、じつはほぼ武田泰淳そのひとである。「審判」はあらかた実話である。そんなことにいまごろになって気がついてどうするのだ!あの武田泰淳が、中国文学専門家で、北大助教授もした泰淳が、中国でまったく罪のないひとびと、非武装の老人らを、おそらくは複数人、ガマガエルでも殺すように、ほんとうに銃で撃ち殺していたのだ。初読ではそうはおもわなかった。若いころ、わたしは戦争という異常な条件が「二郎」をそうさせたのだと、一般化してうけとって、「二郎」にムルソーをかさねてみたりはしたが、「審判」にさほどの感銘はうけなかったのだった。日給500円のラーメン屋のバイトをしていたころ。「二郎」の手紙。「故郷では妻子もあり立派に暮らしているはずなのに、戦場では自分をみちびいてゆく倫理道徳をまったく持っていない人々が多かったのです。住民を侮辱し、殴打し、物を盗み、女を姦し、家を焼き、畠を荒らす。それらが自然になんのこだわりもなく行なわれました。私には住民を殴打したり、女を姦したりすることはできませんでした。しかし豚や鶏を無だんで持ってきたりしたことは何度もあります。無用の殺人の現場も何回となく見ました」。その「二郎」の脳裡をとつぜん「人を殺すことがなぜいけないのか」という「思想」がかすめ、「もう人情も道徳もなにもない、真空の状態のような、鉛のように無神経な」感情のなかで、村民を殺す。目が見えず、耳の聞こえない老夫婦も殺した。「二郎」の手紙。「私は自分を残忍な人間だとは思いませんでした」。「人間が殺人について、または生物を殺すことについて、まじめに考えるのは殺す瞬間だけなのかもしれません」。「二郎」は殺人の事実をしばらく忘れる。ひとは殺人をしても忘れるものだという。「この行為(殺人)のただ一つの痕跡、手がかり、この行為から犯罪事件を構成すべき唯一の条件は、私が生きているということだけです。問題は私の中にだけあるのです」。バイト代はラーメンの出前を終えて帰るときに手わたしでもらった。「頂好(テンホー)」という店。100円札5枚。東京オリンピックのころ。バイトが終わるとデモにいった。空に自衛隊のジェット機がえがいた5輪が浮かんでいた。「鉛のように無神経な」感情を、戦争という特殊条件下の特別なそれとして単純化するだけで、ドロのように重く鈍い質感まではわかってはいなかった。深めようともしていなかった。「二郎」をまさか武田泰淳とはおもわなかった。まして、〈化け物〉のようになって帰ってきたという父と泰淳や「二郎」をかさねることまではしなかった。あまかった。昨夜、読後の衝撃のなかで、なにかが一気に氷解した気がした。ああ、父もこれをやったのか。ひとを殺し、殺した記憶を個人的にかかえこんでいたのか。そうかもしれぬ。そうでないかもしれない。わたしはうたがったことがあるが、怖ろしくて父に問いはしなかった。数えきれないほどたくさんの日本兵が、他国でむぞうさにひとを殺し、殴打し、女性を犯し、略奪し、戦後そのことについてみんなで沈黙し、口をつぐんでいるうちに、みんなでじぶんの行為を忘れた。加害者か被害者かすらみんなで忘れ、あの戦争から〈個人〉を消して一般化することで、ニッポンのみんなが戦争の〈被害者〉であるかのような錯覚におちいっていった。そして、いまや、「大東亜戦争」開戦時の東條英機内閣の重要閣僚にして極東国際軍事裁判においてA級戦犯被疑者とされた「鉛のように無神経な」岸信介の孫=おなじく「鉛のように無神経な」安倍晋三を、さらにおなじく「鉛のように無神経な」ニッポン国民がかつぎあげているのだ。「審判」は戦後の武田の全作品の原点である。エベレストにのぼった。(2014/11/24)


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2014年11月11日

日録1―8



私事片々
2014/11/11〜2014/11/17

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・なんという下品な光景であろうか。レッドカーペットを模した派手な照明、花火、そろいのシルクの伝統衣装。バカげている。あれは解放前の中国の金貸しが着ていたのとおなじ上衣じゃないか。金もちの強欲「老爷」(ラオイエ)=旦那。下品だ。傲然たる習近平。金もちに群がる貧乏人。老爷、给我点儿钱吧!(旦那、ちょっとお金をめぐんでおくんなせえ!)。北京のAPEC首脳会議。これでもかこれでもか。オリンピックのときとどうよう成金趣味のど派手な演出。「過ぎたるはなお及ばざるが如し」。日本のことわざではない。これは「論語」だろうが。習近平と首相Aの臭い三文芝居。金権中華帝国の頭目と頭蓋のなかに軍隊行進曲「抜刀隊」をなりひびかせたニッポン帝国主義の亡霊Aの対決!ジャジャーン。「あるもの、ある人間の、ある国の滅亡が、その全的滅亡の寸前に、その滅亡なくしてはありえなかった、まったく新しい価値、まったく新しいものを生みえなかったとしたら、滅亡に何の価値があろう。わが中国の歴史は、特に近代史は滅亡の歴史である。そのときどきに新しい価値を生んできたのだ」と、堀田善衛は『時間』の主人公の中国人に言わせた。この部分、武田泰淳の「滅亡について」(1948年)をつよく意識し、反発もした文にちがいない。武田の滅亡論にはほとんどすくいがない。徹底している。掘田の「滅亡」は、新しい価値を生むためのそれである。「滅亡の意味は、それが全的滅亡であることにある」と記した武田の滅亡は「新しい価値」なるものを措定しない。「日本の国土にアトム弾がただ二発だけしか落とされなかったこと、そのために生き残っていること」を不徹底な滅亡として残念がっているふしさえある。そのことにかえって惹かれる。掘田は、南京の「死と酒に酔い痴れた」日本兵が、1937年の闇夜に「殺と姦とをもとめて手に手に懐中電灯をもって彷徨する」地獄図絵を、あえて中国人がわから描いた。和式獣性。「わたし」の妻子はすでに兵士らに集団でレイプされ殺されている。掘田は、それでも、「全的徹底的滅亡の寸前」に生じる新しい価値をうんぬんする。わたしはそこに、戦後民主主義によりそった、いかにも掘田らしい、うしろむきなようで奇妙にマエムキな、お気楽なひびきをかんじてしまう。日本は敗戦。その後、中国は第二次国共内戦―新中国成立―大躍進(2000万人の餓死者)―文化大革命(死者無数)―改革開放―堕落した共産党主導下の成金大国化……。ニッポンはいま憲法9条を事実上放棄し、集団的自衛権を行使できる富国強兵路線。南京大虐殺も強制連行も慰安婦の歴史もあったものではない。習近平と首相Aは、おびただしい死者たちの霊を代表し、諸矛盾を揚棄して「新しい価値」をつくることができるか。とんでもない。こいつらは歴史をさらに全的滅亡へとむかわせる不吉な老爷がたである。エベレストにのぼった。右コース失敗。左コース、かろうじて成功。(2014/11/11)

10月の蝶々.jpg

・自民党がどうしたの首相Aがどうしたの、といった話はしたくないのだ。やつらがことばのもっともわるい意味あいで卑しい存在であることについては、とっくのむかしに言いあきた。〈おまえたちは卑しい!〉と何千万回さけんだところで、事態はすこしもかわらない。わたしたちは、大別して、〈ひどく卑しいもの〉と〈ふつうにナニゲにすこし卑しいもの〉の2種類しかない世界にある。おおかたは〈ふつうにナニゲにすこし卑しいもの〉の安全な地平から、もちろんすこしも命がけではなく、たいした損害も被らずに、〈ひどく卑しいもの〉を難じ、そうすることで、みずからが卑しい圏内にいないかのように錯覚したりしている。しかし、われわれはせいぜいよくても〈ふつうにナニゲにすこし卑しいもの〉以上ではありえないし、なにはともあれ、〈卑しい圏内〉から脱することはできない。〈ひどく卑しいもの〉と〈ふつうにナニゲにすこし卑しいもの〉の2種類しかないのだとしたら、ふつうにナニゲに後者を選んでしまうのが人情なのかもしれぬ。だが、そういう無意識の〈グレーゾーン選択〉こそが、じつはかえってなによりも卑しいのではないか。〈ひどく卑しいもの〉を主観的な善や皆とおなじ〈ふつうにナニゲにすこし卑しいもの〉の市民的安全圏からではなく、いっそ〈ひどく卑しいもの〉の視線で、睨みたおせ。睨み殺せ!夜更けに卒然としてそうおもうことがある。ただたんに在るだけの現実世界に、人間がただたんに在るだけというのは、おもえば、バカげている。ただたんに在るだけというのは、じつは酷薄なのである。ただたんに在るだけの現実世界には、仔細にみれば、なにか危ういものが刻々闌けてきている。それにたいし、ただ無害であるだけの(そう主観的におもいこんでいる)人間存在というのは、むしろ酷薄で冷酷であり、ほんとうはすこしも無害ではありえないのだ。ただたんに在るだけの民は、けっして無辜ではない。だんじて。無害で善なる民は、存在として、酷薄で冷酷なのだ。〈ひどく卑しいもの〉にこそ、みいだすべき自己存在のヒントがある。唐突だが、この点で、わたしは宮崎駿をいとう。その延長線上で、『時間』の「わたし」=堀田善衛のありようをしばしばいぶかる。〈悪〉の、〈善〉とみまがう多重構造が描ききれていないか、描くのを避けているかのようだ。結果、ニッポンはすくわれる。かれらは善の顔をした〈ふつうにナニゲにすこし卑しいもの〉であり、存在論的には〈ひどく卑しいもの〉よりも、より卑しいのではないか。妻子が日本兵に強姦され惨殺されたというのに、血の復讐ではなく、さかしげに「新しい価値」をかたり、マタイ受難曲を想う中国人の「わたし」というインテリは、たんに被害者をじにんする者または〈ふつうにナニゲにすこし卑しいもの〉であるがゆえに、〈ひどく卑しいもの〉なのであって、〈知的〉善面がだんだん鼻もちならなくなる。北海道議会の最大会派「自民党・道民会議」の議員が道議会決算特別委員会で、「アイヌが先住民族かどうかには非常に疑念がある。グレーのまま政策がすすんでいることに危機感をもっている」「われわれの祖先は無謀なことをアイヌの人にやってきてはいない。自虐的な歴史を植えつけるのはいかがなものか」などと述べた、という。ただたんに在るだけの現実世界に、人間がただたんに在るだけであるとすれば、〈だからどうしたの?〉ということである。しかし、わたしはこの発言は犯罪的というより、めいかくな犯罪だとおもう。慰安婦、強制連行、南京大虐殺……の史実ぬりかえにつらなる卑しい犯罪だ。「われわれの祖先は無謀なことをアイヌの人にやってきてはいない。自虐的な歴史を植えつけるのはいかがなものか」というロジックは、いま闌けてきているもっとも卑しく酷薄な気流と同質のものである。ただたんに在るだけの現実世界に、人間はただたんに在るだけでよいのか。宮崎駿ていどの口あたりのよい〈正義〉で、闌けてくるこの卑しさと戦えるか。できはしない。戦うからには、市民的安全圏をも戦線にするくらいの覚悟がなくてなにができるというのか。戦うからにはこちらも相応に傷つくしかない。このクニの卑しさはそうまで闌けてきている。どんどん悪擦れしてきている。エベレストにのぼった。峻険な右コースは心理的にも身体的にも無理になった。左コースをえらぶ。悔しい。(2014/11/12)

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・にもかかわらず、『時間』は貴重なテクストである。わたしのテクスト『時間』はいま手もとに2種類ある。ひとつは新潮文庫(昭和32=1957年発行、昭和48=1973年15刷)。そして集英社の昭和戦争文学全集第11回配本(第3巻)「果てしなき中国戦線」(1965年)所収の「時間」。箱入りの後者(350円)には、「時間」のほか、「生きている兵隊」(石川達三)や「審判」(武田泰淳)などが収載されているのに、オビには田村泰次郎の「春婦傳」のみが紹介されている。オビ文(惹句)は「日本兵達の欲情に泥まみれとなりながらも、朝鮮娘・春美は恋を知り、悩み、もだえた!」というのだから、まるで売らんかなのポルノ映画の宣伝文句みたいだ。担当編集者の見識がうかがえるとともに、時代であろう、なにかしら無防備な観がある。オビ文は通常、編集者が書く。他方、新潮文庫『時間』の裏表紙(表4)には、内容紹介とコピーを兼ねた短文が記してある。掘田さんはこれに目をとおしたかどうか知らない。わたしは考察にあたいする一文とおもうのだ。「日中戦争の初期、日本軍占領下の南京を舞台に、一人の中国人インテリが、権力の重圧のもと、血なまぐさい大虐殺を目撃しながら、ひたすら詩と真実を求めて苦悶する姿を、その手記の形でえがく。人間の運命が異常酷烈な試練をうけ、営みのいっさいが日常的な安定を失った戦時における人間存在の根本問題を鋭く追究して、戦後文学の潮流を象徴する力作長編小説」。おもしろい。文の綾がどうのというまえに、きょうびこれだけの表4 を書ける編集者はまずいまい。まじめで、過不足なくまとまっていて、品がよい。それが一点。しかし、万々一、今日、新潮文庫の表4にこれが書けたとしても、採用されるかどうか。それが第二点。まちがいなく「血なまぐさい大虐殺を目撃」がひっかかる。ニッポンでは朝野あげていま、南京で「血なまぐさい大虐殺」などなかったことにされていて、大手出版社がわれもわれもと嫌韓嫌中本刊行に大わらわなのである。南京大虐殺も慰安婦もきゃつらのデッチアゲで、わがほうの一部自虐史観との合作とされているのだから、この新潮文庫『時間』が新たに重版されるとしたら、それじたいが出版界にとってちょっとした内面的「事件」なのであり、もし重版されたにしても、表4は差し替えられるはずである。第3点目。新潮文庫『時間』の表4は、古き佳き時代の新潮文庫らしく、香りたかく、文としても目だった瑕疵はない。のだが、どうだろう、妙に抑制がききすぎてはいないか。なんだか、他人事のようなのである。「血なまぐさい大虐殺を目撃しながら、ひたすら詩と真実を求めて苦悶する姿」は、掘田がフィクショナルにつくりあげた中国人インテリなのであって、それが掘田じしんの内面につながると了解できるにせよ、南京大虐殺と「わたし」という、ほんらいもたれるべき当事者性が、やはり他人事のようにうすまっているのだ。身もふたもなく言えば、もともと加害者側として内省すべき者が、あれあれ、いつのまにか被害者側になって南京大虐殺をかたってるよ、ということだ。それが意識的になされたか無意識の巧知のせいだったかはよくわからない。言えるのは、戦争犯罪を戦争犯罪一般として他人事のように表現する、いかにも無責任な〈ニッポン的語り口〉は、現在のおおっぴらな歴史修正主義以前に、早くも1950年代からあったのだということだ。とうに退職されただろう新潮社の編集者たちをなつかしくおもいだす。仕事はさっぱりしなかったが、お世話になった。フーコーを送っていただいた。むかし、かのじょら、かれらと村上春樹について話題にしたことはあっても、『時間』について話したことはなかった。けふも『時間』を一頁一頁なめる。「素朴な――しかしわたしは都市の労働者よりも誰よりも、彼等(農民)の方がずっと残忍であるということも知っている」。農村出身の日本兵のほうが南京でだれより残酷だったというのだ。うーん、それはそうかもしれないが、掘田さん、そんなにしれーっとかんたんに言わないでくださいよ。とおもう。戦争にながくいっていた古山高麗雄さんに訊いたことがある。学歴のある兵士と学歴のない農民兵とでは、どちらが残忍でしたか?古山さんはそくざに、堀田善衛とまったくおなじことを答えた。ひそかに逆の答えを期待したのに。わたしは心のへんなところにへんな傷をこしらえてしまった。エベレストにのぼった。右コース。やっと。(2014/11/13)

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・東大ポポロ事件というのがあった。東大の学生団体「ポポロ劇団」が1952年、本郷の学内で松川事件をあつかった演劇『何時の日にか』の上演をおこなったさい、観客のなかに私服警官4名がいるのを学生が発見し、警官を拘束して警察手帳をうばい謝罪文を書かせた。それを口実に学生が逮捕、起訴される。これにより、憲法第23条が保障する「学問の自由」とそれを基本理念とする「大学の自治」が、この国ではじめて本格的に議論された。一審の東京地裁は「大学はがんらい、学問の研究および教育の場であって、学問の自由は、思想言論集会などの自由とともに、憲法上保障されている。これらの自由が保障されるのは、それらが外部からの干渉を排除して自由であることによってのみ、真理の探究が可能となり、学問に委せられた諸種の課題の正しい解明の道がひらかれるのである」「大学はそれじたい、一つの自治の団体であって、学長、教員の選任について充分に自治の精神がいかされ、大学の組織においても学長の大学管理権を頂点として自治の実態に沿うような構成がつくられている。これにくわえ、学生も教育の必要上、学校当局によって自治組織をもつことを認められ、一定の規則に従って自治運動を為すことが許されている」として学生らを無罪とした。いまからすれば、まるで夢のような名判決である。二審も一審を支持したため(!)、検察が上告。最高裁判所大法廷は、しかし、1963年(昭和38年)5月、原審を破棄し、東京地方裁判所に差し戻した。その理由は「本件集会は、真に学問的な研究と発表のためのものでなく……本件の集会に警察官が立ち入ったことは、大学の学問の自由と自治を犯すものではない」からという。これに全国の大学が怒り、学生も教員もデモをした。わたしは19歳で、ポポロ判決抗議のデモ中に公安条例違反で逮捕された。まだ血で血を洗う内ゲバも連合赤軍事件もないころである。1963年にはケネディが暗殺され、堀田善衛が『審判』を、大江健三郎が『性的人間』を上梓した。最近の京大キャンパスでのできごとと学生寮強制捜査で、そのポポロ事件をおもいだした。ただ、ポポロ判決のころは、大学の自治だけではなく、言論・思想の自由を蹂躙した旧治安維持法の再来という危機感が大学にも学生にもメディアにもあった。最高裁の判断にしても、大学の自治じたいは肯定していたのである。いまはどうか。言論・思想の自由がうばわれるという危機感はほとんどない。このたびの京大での事件を、秘密保護法とのかんけいで深刻視するむきはまことにすくない。しかし、ことはいわゆる〈過激派〉の問題ではなく、権力がいま、秘密保護法適用の予行演習をしている、ということである。「特定秘密」の対象になる情報は、「防衛」「外交」「特定有害活動の防止」「テロリズムの防止」などとされている。これら分野における政府方針に反対するうごきにも官憲の調査権がおよぶ。つまり範囲などはなにもない。わたしをテロリスト教唆とみなせば、いつだってしょっぴける。なんのことはない、治安維持法の再演である。「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」という治安維持法が、条文の範囲をむげんに拡大し、ひとびとを苦しめ、密告者を増殖し、思想をいかにゆがめたか。ポポロ判決のころはまだその記憶がのこっていたのだった。社会に嫌悪感があった。いまはどうだ。大学で高度の自治意識をもつところは皆無かきわめてすくなく、学生運動を暴力団とおなじ〈反社会勢力〉ときめつけて警察と積極協力してキャンパスからしめだすうごきばかりではないか。教員からも学生からも反権力、反権威の気概がすっかりなくなった。端的にいって、そういう社会はクソである。エベレストにのぼった。(2014/11/14)

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・『霧の犬 a dog in the fog』(鉄筆)の見本でき。スケジュールどおり。渡辺氏夫妻がレンタカーで待ち合わせ場所にもってきてくれる。当然ながら、写真やPCデータより実物のほうがよほどいい。この黒は名久井さんでなければつくれない独自の黒だ。50冊左手でサイン。むかし湖南省長沙で彫ってもらった印で落款した。夫妻が自宅まで送ってくれた。S君から久しぶりにメール。「ひとは存在するのではない。ひとはみずからを存在する」。わたしはみずからの存在を負わなくてはならない。エベレストにのぼらなかった。(2014/11/15)

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・NHKBS「ワルシャワ蜂起 70年目の“タイムw”」。正直、ひどくがっかりした。つまらなかった。まるでオコチャマ番組。悲しかった。テレビには大きな誤解がある。モノクロ映像を彩色したからといって歴史認識がふかまるというものではないのだ。かえって逆だ。映像から陰翳が消え、ふかみがなくなる。これでは重層的な歴史の平板化、単純化だ。あるしゅの「歴史修正」ともいえる、作り手の視線の浅さにおどろく。歴史観の浅さは人間観の浅さだ。なんだかむかっぱら腹がたつ。この連中が南京大虐殺事件のドキュメンタリーをつくったらどんなことになるのか。寝るまえにおもう。歴史が痩せ細ってきている。エベレストにのぼった。(2014/11/16)

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・昨夜NHKBS「ワルシャワ蜂起 70年目の“タイムW”」をみた空しさ、腹だたしさがけふも尾をひいている。なによりもまず、作り手にワルシャワ蜂起の知識とそれへのおもいいれが、まったくないか、きわめてうすいこと。ネット上のNHK番宣では「ことし、ポーランドで第二次世界大戦中に撮影されたモノクロ映像が、カラーでよみがえった。映るのは、ナチス占領下で祖国を取り戻そうと立ち上がったワルシャワの人たち。20万人が犠牲になったとされる〈ワルシャワ蜂起〉の様子が克明に記録されている。戦後、蜂起を無謀な作戦と非難するソ連の影響下で、長らく封印されてきたこの記憶。自由を求める長く厳しい闘いの軌跡を、カラー映像と生き残った人たちの証言でたどる」。ほう、そうだろうか。〈ワルシャワ蜂起〉の様子が克明に、だと?うそつけ。ソ連軍はポーランド国内軍とレジスタンスを捨て石にし、もともと抵抗運動を敵視していたのではなかったか。ソ連赤軍は自軍の損害をすくなくしようとポーランド国内のレジスタンス組織を利用、赤軍のワルシャワ進攻にあわせ武装蜂起せよと指示。決起予定日は1944年8月1日だったが、しかし、前日の7月31日からドイツ軍内に増援部隊が配備され、赤軍に被害がではじめる。それを口実に、ソ連軍はヴィスワ川東岸で進軍を停止。つまりレジスタンスへの背信。壮大な見殺しである。ワルシャワはドイツ軍の猛烈な「懲罰的攻撃」にさらされ、市民ら22万人以上が殺された。ソ連軍は翌年1月になってようやく進撃を再開し、かんぜんな廃墟となったワルシャワに入城。そして、あろうことかレジスタンス活動家らを逮捕しはじめ、醜いスターリン主義の本質をさらす。生きのこった活動家らはしかたなく地下水道などにかくれ、裏切ったソ連共産党とその協力者らへのテロで抵抗をつづける。『地下水道』、『灰とダイヤモンド』などポーランド映画“抵抗3部作”はこうした史実なしにはありえなかった。NHKの番組には、コラブもマーチェク・ヘウミツキも、もちろんだが、でてこない。かれらの雰囲気のかけらもなし。若い番組制作者はだいいち、『地下水道』、『灰とダイヤモンド』もみていないのかもしれないな。『地下水道』、『灰とダイヤモンド』はフィクションだし、モノクロ映画だけれど、彩色されたテレビ番組より1000倍もリアルで風景がふかい。テレビ番組では、ドイツ降伏後、ロンドン亡命政府系パルチザンとソ連共産党支配下のポーランド労働者党(ポーランド統一労働者党)との内訌がどれほど複雑で、熾烈だったかもさっぱりにおってこない。ワルシャワ蜂起70年後の今日、ポーランドはこんなにすばらしくなりました、とでも言いたいのか。コラブやマーチェクの怒り、悲しみ、思想的蹉跌を、番組制作者は想像しない。レジスタンスが、結局、ナチスとスターリニズムという「二重の敵」とたたかわざるをえなかったことの絶望的苦闘の痕跡も、番組では消えている。ユダヤ人も消えている。史実が漂白されている。作り手に苦悶がない。これではだめなのだ。ワルシャワ蜂起 は、NHKのすきな安手の感動物語ではありえない。ファシズムとスターリニズムによる挟撃という酷烈非情の歴史の象徴でもあったのだ。くわえて、ファシズムとスターリニズムへの協力者、内通者、二重スパイ……。いくえもの黒い影。あの時代が暗くて、いまは明るいとでもいうのか。ばかな。ところで、籾井、百田、長谷川某ら極右nutsどもは、まだいけずうずうしくNHK権力の座にいすわっているのだろうか。そのことと番組の質の劣化はかんけいがないのか、あるのか。NHK職員は首相Aがおくりこんだ極右nutsどもに腹がたたないのか。みずからなすべき抵抗を放棄した者どもにワルシャワ蜂起の悲劇がえがけるわけもない。エベレストにのぼった。(2014/11/17)














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2014年11月04日

日録1−7



私事片々
2014/11/04〜2014/11/10

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・『時間』を上着のポケットにいれて歯医者へ。犬はトリミングにいっている。晴天。なにごともない。なにごともなさそうだ。なにごともなさそうにみえる。ハナミズキの葉むらから小鳥たちの、ひとをはばかるということのない、鋭いさえずりが聞こえる。あれはヒヨドリではない。なんだろう。待合室。2か月前にきたときと空気がいれかわっていない。「……数は観念を消してしまうのかもしれない。この事実を黒い眼差しで見てはならない。また、これほどの人間の死を必要とし不可避的な手段となしうべき目的が存在しうると考えてはならぬ。死んだのは、そしてこれからまだまだ死ぬのは、何万人ではない、一人一人が死んだのだ。一人一人の死が、何万にのぼったのだ。何万と一人一人。この二つの数え方のあいだには、戦争と平和ほどの差異が、新聞記事と文学ほどの差がある……」。黒い眼差し。どういうことだろう。一人一人の死と何万人もの死。むずかしいアナロジーではない。「これほどの人間の死を必要とし不可避的な手段となしうべき目的が存在しうると考えてはならぬ」。それはそうである。わかりきったことだ。「戦争によって、日本人の運命と人間の運命が非情にためされ、人間のいとなみの一切が日常的な安定を失って問題化したとき、まともに、誠実にこの問題に対決しようという作家は、いやでも観念的にならざるをえなかった」と、堀田善衛の生前に、佐々木基一は文庫で『時間』を解説した。くだらない。じつにくだらない。掘田さんはおおようなひとだったのだろう。凡百の物書きが自著をあれこれ評するのをとくにこばみはしなかった。「問題化」「この問題」とはなんだ。「戦争によって、日本人の運命と人間の運命が非情にためされ、人間のいとなみの一切が日常的な安定を失って問題化したとき……」とは、よくもまあ、いけしゃあしゃあと言えたものだ。南京大虐殺とはそういう「問題」か。観念的にならざるをえなかった、だと? ばかな。政治家、教育者だけでなく文芸家までもがこのていどの認識だったから、みろ、いまや南京大虐殺などなかった、中国のでっちあげだ、という言説が堂々とまかりとおるようになったのだ。佐々木は南京大虐殺を戦争一般の「問題」とし、「日本人の運命と人間の運命が非情にためされ」たテーマとして、大虐殺のあまりにもリアルな事実をそっくり生き埋めにして、ものごとをエセ文芸的に処理しようとした。佐々木はその意味であざとく、政治的だった。『時間』は、じつのところ、すこしも観念的ではないのだ。掘田は酸鼻をきわめた事実から逃げてはいない。事実に分け入り、立場を入れ替え、思考の錘鉛を闇に深くおろしたのだった。逃げたのは評者らである。「……数は観念を消してしまうのかもしれない。この事実を黒い眼差しで見てはならない。また、これほどの人間の死を必要とし不可避的な手段となしうべき目的が存在しうると考えてはならぬ。死んだのは、そしてこれからまだまだ死ぬのは、何万人ではない、一人一人が死んだのだ。一人一人の死が、何万にのぼったのだ。何万と一人一人。この二つの数え方のあいだには、戦争と平和ほどの差異が、新聞記事と文学ほどの差がある……」。これは簡明でうごかざる真理ではないか。この簡明にして不動の真理を、敗戦後の社会が、天皇個人をふくめ、どれほど「わがこと」としてとらえたか、どれほど彼我の傷をわが手でなぞったか、記憶をどれほど必死で反芻したか、外形の傷を内面の生傷として、どれほど永く深い受傷として、感じつづけ、痛みつづけ、悼みつづけ、傷を傷としてもちつづけたのか、これらすべてを、どれほど切実に後代に語りついだのか。否。否だ。まったく否だ。名前をよばれた。診療室にはいる。まえかけをつけられる。口をアーンとあける。なにごともない。なにごともなさそうだ。なにごともなさそうにみえる。幼稚園児たちがいたのでエベレストにのぼらなかった。(2014/11/04)

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・『霧の犬 a dog in the fog』の装幀、昨日校了。鉄筆からデータがとどく。長谷川潔のエッチングが闇の奥によりくっきりとみえている。執筆時のイメージもだいたいこんなようなものだった。ブログの写真を差し替える。堀田善衛の『時間』にまだこだわっている。昨夜もおそくまでかんがえこんでいた。どうしてか。じぶんでもよくわからない。文庫がボロボロになってきた。すっかり黄変していた本が、左手だけで不器用に、しょっちゅう繰られるものだから、頁がたまらず、はずれかかっている。この小さな紙の束が、解体し崩壊しかかりながら、なお記憶の古層の肝心なところにまとわりつき、わたしをひどくゆさぶる。記憶の総括のやりなおしをせまってくる。1973年当時、たったの120円だった本。たいしたものだ!紙魚、黄変、湿気ったにおい。印字のうすれ。それらすべてが大事な記憶にかかわる。ニッポンとは、かつて、「イスラム国」だったのだ。のようなものだった。じつはもっと酷かったのだ。「シャー・リュエ・ジエン」。発音を聞くだけでドキドキする。顔が赤くなる。sha・lue・jian。殺・掠・姦。中国侵略日本軍は、日本では「皇軍」、中国では、べつに南京にかぎらず、「シャー・リュエ・ジエン」の「鬼」とみなされていた。「何万人、何十万人の不幸には、堪える方法がない、だから結局は堪えることが出来るということになる。小さな不幸には堪えることが出来ず、大きな不幸には堪える法がない」と、掘田は小説『時間』で書いた。そして、すぐにつづけて「人間は幸福か。」という疑問形をクエスチョンマークをつけずに配した。改行。「あれはたしか、去年、三七年の十二月十三日の午後だった。城の内外ともに集団的戦闘が終止したのは」。また改行。堀田善衛は書きつつ、ここでいったん息をとめたはずである。パラグラフの最後。「それから約三週間にわたる、殺、掠、姦――」。殺人、略奪、強姦。1行アケ。「シャー・リュエ・ジエン」。その音がどれほど内臓深くにつきささってくるものかをわたしは知っている。「シャー・リュエ・ジエン」の日本鬼子。知っていて、このわたしでさえ、忘れかけていた。なににわたしはこだわっているのか。あったかどうか。どれほどあったか。それもある。が、それよりも、記憶の根を断たれること。記憶の根を断たれたげんざいに平気で生きることの無意味にいらだつ。エベレスト登頂1回目失敗、2回目なんとか成功。登れなくなったら、それで終わり。(2014/11/05)

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・ひきつづき『時間』にうちのめされている。どうしてこうもゆりうごかされるのか、わからない。かんがえこむ。『時間』は小説である。フィクションだ。学術論文でも、歴史書でもない。だが、そんな分類が、いったいなんになるだろう。ここまで言ってもよいのものか、とわれながらとまどいもしつつ、あえて言いたくなる。だれにたいして、というのではない。若いひとたちとか後代のためにとか、口はばったいことをかたるべきでもない。わたしはたぶん、自身にむかって言っている。じぶんに抗議している。おまえは怠惰だったと。なにをしてきたのだ、と。世の中などもうどうでもよい。皆がこれを読んだほうがよい、読むべきだとはおもうが、そんなことはまたべつの話だ。歴史は、などと大上段にかまえるつもりもない。そうだ、こう言ったほうがいいかもしれない。歴史は万人のものではない。歴史は、あくまで〈わたし〉とのかかわりあいのなかで、記憶のかなたにたちあがる、究極的には普遍的風景ではなく〈わたしの風景〉である。フィクションかノンフィクションか、などたいした問題ではないのだ。不思議なことではある。細部。細部。どこまでも細部。ディテール。陰翳。におい。声。うめき。闇。風。それらのない漂白され脱臭され血抜きされた歴史など歴史じゃない。南京大虐殺にかんする本をこれまでずいぶん読んだ。映画もみた。数十年後の現場いったいをあるきまわり、ひとびとの話も聴いた。南京大虐殺の事実そのものを、せせらわらいながら、まるごと否定する者らの本も読み、言い分を聴きもした。事実を肯定し、紋切り型の正義をかたる者らの話も聴いた。死んだわたしの父の記憶が背負う南京がどんなものか、想像したこともある。だがしかし、あえて言う。けっきょく『時間』の風景が、わたしには既視感の確認のように、もっとも自然に体内にはいってきたのだ。「皇軍」の兵士がほしいままに殺戮をし、レイプをし、略奪をしたのは、中国を10年も勉強した者なら、だれでも知っている〈常識〉である。しかし、『時間』の〈画角〉をほんきでかえりみることは、なぜか、すくなかった。避けてきたのだろう。〈「皇軍」の兵士がほしいままに殺戮をしレイプをし略奪をした事実〉。これらの文言にディテールはない。ディテールのない歴史は歴史ではない。年表だ。カチンの森事件だってそうではないか。死者のみぞ知る、か。ちがう。カチンの森事件では、しかし、南京大虐殺にくらべれば、第三者機関をふくめた検証がなんどかなされた。カチンの森事件は〈幻〉ではないことがみとめられている。南京大虐殺はいまやリーベンでは〈幻〉あつかいである。殺、掠、姦。シャー・リュエ・ジエン。殺戮、掠奪、強姦。それはそうだ。あったのだ。『時間』によれば、あるときそれらは、じつに奇妙な動作の後におこなわれた。日軍(リージュン)の兵士らは、民家におしいり、目もあてられない狼藉をするまえに、ズボンをさげ、絨毯のうえに大便をした、というのだ。部屋にたちこめるものすごい異臭。そとには鎌のような月。やがて哀痛の声。銃声。あるいは日本刀が肉を斬る音。「一刀、饒命(じょうめい)の叫び、二刀、叫び声はようやく微かに、三刀、寂然として声なし」。ディテール。細部。細部。細部。細部……。こういうことをかたる者を、この国は「国賊」と言いはじめている。それならわたしはコクゾクになろう。エベレストにのぼらなかった。犬、コビトと東口ミスド。(2014/11/06)

サザンカ2014年11月.JPG

・「日本兵は、彼ら相互の間においてもそうだが、どうしてああも頭部及び特に顔を殴ることが好きなのか」。『時間』で描写された他の、おびただしくむごたらしい所業にくらべれば、ちょっとしたフェイントのようにもおもえるこの〈さりげない疑問形〉が、ずっと生々しく尾をひいている。わたしにはわかるようでいて、容易には答えられない。答えられないのだけれど、風景にはむかしからなじみがある。その風景はまちがいなく、わけのわからぬ湿土ニッポンどくとくのそれだった。いわゆるビンタ。ビンタとは抵抗のできない者、あるいは抵抗を禁じられた者への、一方的暴力である。富士正晴の文章にもビンタがよくでてくる。富士は「ビンタをとる」と書いた。五味川純平、古山高麗雄らのものにもしばしば登場した。その動作は「ビンタをとる」とも「ビンタを張る」とも言われた。だが、内村剛介や石原吉郎がシベリアのラーゲリでロシア人にビンタを張られていたとは、あまり聞かない。V. E. フランクルやP.レーヴィの著作にビンタはあったっけ。わたしが知らないだけかもしれないな。あったにせよ、けっして頻繁ではなかったはずである。ニッポンでは、まるで呼吸のように、しょっちゅうあった。その動作はひとつの〈日本的様式〉でさえあった。通常、被殴打者は直立不動でたたされる。直立不動のさきには不可視の天皇がいた。おもいきりビンタを張られ、倒れたり、からだがゆらいだりすると、再び直立不動を命じられ、またまた顔を殴られる。被殴打者による反撃は、どうやら、かんがえられもしなかったらしい。顔をなぐられて「ありがとうございます!」と言ったりする。言わされる。あれはニッポン様式でありニッポン的秩序でもあった。それがニッポンの思想の根にあった。ニッポン人はニッポン語で「バカヤロウ!」と罵り、ニッポン人だけでなく、中国人、朝鮮人の顔を、朝夕のあいさつのようになぐった。手だけでなくスリッパでなぐりもした。わたしの父も中国でやったらしい。しかし、「どうしてああも頭部及び特に顔を殴ることが好きなのか」と、ビンタというどくとくの暴力様式をとりあげて、ニッポン人が真剣に自問したことはひじょうにすくないかほとんどなかっただろう。だからわたしはギクリとしたのだ。ビンタという日本的暴力様式は、この社会が戦後もながくひきずってきた、一方的暴力による陰湿な秩序の形式でもあった。どこか胆汁質の天皇制ファシズム。教育現場をはじめひとが集合する場、スポーツ合宿あるいは家庭でさえ、ビンタは〈ふつうの動作〉であった。その、みなれた風景に、いまさらハッとする。ハッとしてしばらくぼーっとかんがえこむ。ビンタはいま、なにに変容しているのだろう。昨夜、歯を磨きながらテレビをつけた。むかし八百長プロレスの実況でオーバーなしゃべりをしていた、とても貧相な顔をした男が、あいかわらずそらぞらしく流ちょうになにやら話をしている。プロレスの実況とおなじ調子で、ヘラヘラとニュースをつたえている。ひとは変わらぬものだ。天皇主催の園遊会のニュース。プロレス実況男が、天皇夫妻はほんとうにご立派だ、としきりに感動している。女性のキャスターがなんどもうなずく。ふいにおもいだす。戦犯の絞首刑は、1948年(昭和21年)12月23日に執行された。すなわち、いまテレビにうつっている今上天皇の誕生日に。そして、東京裁判における戦犯の起訴は1946年4月29日、つまり昭和天皇の誕生日にかさなる。なぜか。なぜ解明しないのだ。なぜいま、かたられないのだ。なぜですか。なぜなのだ。日本人はなぜ顔をなぐるのがすきなのか。すきだったのか。なぜか。なして。おしえてたもれ。エベレストにのぼらなかった。(2014/11/07)

レッドフラワー.jpg

・コビトがよそゆきのかっこうをしてきた。銀色のドレスで。これからイタリア語のスピーチ発表会でおおぜいのコビトたちのまえでイタリア語を話すのだという。伊大使館後援とか。唖者がどうやって、と訊きかけたが、コビトについてはなにからなにまでウソと謎だらけなので問わずじまい。コビト、イタリア語のスピーチ草稿と楽譜をもっていた。みんなでうたうのだという。Bella Ciaoを。Una mattina mi son svegliato O bella ciao, bella ciao, bella ciao ciao ciao Una mattina mi son svegliato Eo ho trovato l'invasor O partigiano porta mi via O bella ciao, bella ciao, bella ciao ciao ciao……と、コビトが念波でうたう。ああ、そうか、第2次大戦のイタリア・パルチザンの歌だ。ニッポンではそのむかし、「さらば恋人よ」というタイトルで、よく歌声喫茶や民青の集会などでうたわれていたな。わたしはうたわなかった。すきではなかった。わたしはよく「ワルシャワ労働歌」をうたった。でも、なぜだか、Bella Ciaoの日本語の歌詞はだいたいおぼえている。〈ある朝目ざめて さらばさらば恋人よ 目ざめてわれは見る 攻めいる敵を……われをもつれゆけ さらばさらば恋人よ つれゆけパルチザンよ やがて死す身を……いくさに果てなば さらばさらば恋人よ いくさに果てなば 山に埋めてよ……埋めてやかの山に さらばさらば恋人よ 埋めてやかの山に 花咲く下に……道ゆく人びと さらばさらば恋人よ 道ゆく人びと その花めでん〉。いまおもえば、相当の歌詞ではないか。イヴ・モンタンのBella Ciaoはかっこうよかったよ。中国でも70年代にBella Ciaoを聞いたことがある。北朝鮮でも聞いたな。最近の香港でもデモ隊にうたわれたらしいね。コビトが問う。日本には日本のパルチザンの歌がないの?ない、と言下にわたし。パルチザンがなかったから、パルチザンの歌もない。どうしてパルチザンがなかったの?戦争に反対しなかったの?コビトは知っていて意地わるく訊く。「海行かば」がだいすきだからさ。おおきみのへがすきだからさ。わたしは胸のとおくに聞く。海ゆかば 水漬くかばね 山ゆかば 草生すかばね 大君の 辺にこそ死なめ かへりみはせじ(長閑には死なじ)……。ああ、なんという歌であろうか。かばねとは「屍」だ。気をつけ!バカヤロウ。もとい。満目累々と屍なのだ。恋人だのヘチマだのと言うな、バカヤロウ。いいか、大君の辺にこそ死なめ、だ。気をつけえ!右むけ右い!いいか、かへりみはせじ、だ。バカヤロウ。のどには死なじ、だ。それだけ。理屈もヘチマもない。文句あっか。コビト笑う。犬の背にのって、しゃなりしゃなりとでかけた。O bella ciao, balla ciao, bella ciao ciao ciaoと、うたいながら。掘田さんもBella Ciaoをうたったことがあるだろう。フランス語で。「海行かば」は、かつてうたったかどうか知らぬが、その凄絶といいますか、ドスというか、凄みは、はらわたでかんじていただろう。『時間』は1950年代に書かれた。これはくだらぬ疑問だけれど、もしも2014年にかれが生きていたとしたら、『時間』を書いただろうか。書けたか。かりに書いたとして、書けたとして、はたして、つつがなく出版できただろうか。『時間』は1950年代という時代の流れと浸透圧のなかで書かれたのではないか。赤報隊は、なぜ手がかりがないといわれているのだろう。『時間』はロシア語訳があるそうだ。だが、中国語訳があるのか知らない。エベレストにのぼった。内科。薬。ダフネ。(2014/11/08)

中庭のツバキ.jpg

・「テンペスト」を習ったことがある。川田先生の特別授業で。夜に川田先生の下宿に習いたい生徒がいくのだ。むずかしくてさっぱりわからなかった。川田先生は東北大の大学院でシェークスピアとサッカーをやって、わたしのいた高校に英語教師としてやってきた。無口でハンサムな先生だった。60年安保闘争後、1、2年しかたっていなかった。えらいものだ。授業後にじぶんの下宿で生徒にただでシェークスピアをおしえるのだから。ある夜、わたしと石田君が志望大学をきかれた。わたしが答え、つぎに石田君が答えた。とたんに、川田先生が顔色をかえて、裂帛の気合いで「やめた。でていけ!」と怒鳴った。レッドカード1発退場。わたしの「テンペスト」はそれでおわった。寒い夜道を石田君は泣いてあるいた。先生はわけを諄々と説くということをしなかった。あのころは〈諄々と〉ということをあまりしなかった。「やめた。でていけ!」。理不尽だなと、かんじた。理由をまったくわからないでもなかったけれども、先生の怒りのはげしさは、わたしの想定する理由とどうにもつりあわなかった。石田君はただ防衛大学校にいきたいと言っただけだったのだ。そのことをずっとおぼえている。きのう、大学でおしえている友人が、「保護者会」で学生の両親と面談し、つかれたとメールしてきた。いまどきは大学にも保護者会があるのか。おどろく。日本軍は南京攻略後に威風堂々の入城行進をした。軍楽隊が行進曲を演奏した。どんな行進曲を演奏したのか、しらべている。だいたい見当はつくのだが、確証はない。なんとなくあの夜の川田先生と石田君をおもいだす。最近の防衛大では、徒歩行進曲として旧大日本帝国陸軍分列行進曲「抜刀隊」を平気で演奏するらしい。平気の平左。知らないこちらがマヌケ。「抜刀隊」は1943年、東条英機が観閲した雨の明治神宮外苑競技場での学徒出陣壮行会でも演奏された、侵略と玉砕戦争のシンボルであり、自衛隊・防衛大ではそれをおもんぱかり、いちじ不使用だったらしいが、いまはまったく問題なし。首相Aが観閲した去年の自衛隊観閲式でも「抜刀隊」(それに軍艦マーチなど)が演奏された。防衛大生が儀礼刀を顔面にかかげ、宙を薙ぎおろす動作も、曲と同様、戦前戦中からのものだ。歌詞がすごい。〈敵の亡ぶるそれまでは 進めや進めもろともに 玉ちる劔(つるぎ)拔きつれて 死ぬる覚悟で進むべし……〉。玉ちる剣を抜きつれて、とはどういう意味か。なんという日本語か。でたらめ。死ぬる覚悟で進むべし、とはいくらなんでもあんまりではないか。めちゃくちゃである。ああ、川田先生の激怒のもとはこれか。「抜刀隊」は警視庁機動隊の行進曲でもある。いまはもうだれも遠慮しない。「抜刀隊」がながれるなか自衛隊・防衛大生らが行進すると市民がねつれつに拍手する。キャーッ、ステキ!1937年、南京入城のときの行進曲も「抜刀隊」ではなかったか。きっとそうだ。ところで、防衛大にも保護者会があるのだろうか。みんな顔が中学生のようにあどけなくなった。あどけない顔で、たぶん戦争の意味も知らずに、「抜刀隊」行進をしている。戦前――戦中――戦後――戦前……のながれにはまるで途切れがない。いまもおなじ黒い川がながれている。「戦争は宿命論的な感情をもっとも深く満足させる。平和とは、戦争がないという消極的な事柄であるよりも、むしろ、奴隷的な宿命論や、破滅的な人生観に屈従せぬということなのだ」(『時間』)。掘田は中国人の「わたし」にこう述懐させることで、堀田善衛じしんの(1950年代の)戦後観をかたったのだとおもわれる。そのとき、掘田はニッポンのいまをかけらほども予期しえなかったにちがいない。エベレストにのぼった。南京大虐殺のときに「抜刀隊」は演奏されただろう。すごい歴史だ。ニッポンはその血のどこかに「宿命論的感情や、破滅的な人生観」を、そうとはまったく自覚せずに、もちつづけているのではないか。川田先生は、福島大学の教授時代にいちどお目にかかったが、その後どうしていらっしゃるか。石田君は元気だろうか。(2014/11/09)

黄色の花2014年11月.jpg

・天皇は首相Aをひどくきらっているらしい。新聞記者たちが、わけしり顔でそう言う。中曽根政権のときもそうだった。中曽根がテレビに映ると、テレビを消しなさい、と侍従に命じたらしい。記者らは、まるでみてきたかのようにそう言う。前者は平成の天皇、後者は昭和天皇。ざんねんなことに確証はない。新聞記者がそう言うなら、ウラをとって記事にすればよいようなものだ。が、記事はひとつもない。ウラはとられたためしがない。新聞記者くらいうわさ話がすきな連中はいない。けれども、記者は命がけでウラをとる気もない。首相Aも中曽根も記者たちも、藤田省三のタームで言えば、このクニに蔓延する典型的な「天皇制的俗物」なのである。すなわち、たてまえは天皇の神聖をみとめながら、じっさいはそれを利用してみずからの個人的意思(野心)をつらぬくやから、ないし、そうしたニッポン根生いのいじましく卑怯な精神構造のもちぬしなのである。したがって、実在する天皇そして天皇制は、かれらの〈価値の究極目的〉ではさらさらなく、言説や感情・精神を権威づけるための、いわば培養基である。ヤクザ・ゴロツキ同然の与野党の政治屋にとってそうであるだけでなく、反権力をちらつかせるジャーナリズム、学芸、教育、文化界にとっても、げんざいますます神聖不可侵とされつつある〈象徴天皇制〉は、さりげない、しかし、異論をみごとに封じる、ニッポン的〈理想と正義〉の培地であるわけだ。はじめにもどれば、首相Aを厭う小心翼々たるサラリーマン記者たちが、みずからの口ではそうは言えずに、じつは天皇が首相Aをきらっているらしいという流言を小声でかたってはいっとき溜飲をさげ、他方、じぶんらが所属する新聞は大々的に天皇傘寿記念特集記事をくみ、首相Aの反動的諸政策にも反対しない、というしかけなのである。天皇制利用のこれがヌエ的本質であり、便利なところでもある。わたしはなぜこんなことを書くのか。なにをかくそう、わたしは1937年冬に南京でおきたこと(いや、自然災害ではないのだから、「皇軍」がひきおこした酸鼻の大犯罪とはっきり言おう)は、天皇または天皇制あるいはその心性となにもかんけいがないのか、あるのか、あるとすればどの点であるのか、ないとするならどの点でないのか……に少なからぬかんしんがある。堀田善衛もかんしんがあったにちがいない。わたしはそう確信する。しかし、『時間』に天皇は書かれていない。天皇ではなく、わずかに朝香宮が3字のみ記されているだけだ。おそまつきわまる佐々木基一の解説も、もちろん触れてはいない。なぜか。天皇と天皇制が南京の惨劇といかなるかかわりもないからなのか。中国をよく知る掘田はそうかんがえたか。ありえない。だんじてありえない。掘田は『方丈記私記』のときも、肝心要の天皇のスケッチをしておきながら、あきらかに描写の強度をおさえ、天皇にかんする掘田の思念、本音の吐露を手びかえている。そう、読みようによっては〈周到に〉〈過剰にならぬように〉手びかえた、筆をおさえたのだ。なぜか。なぜか。なぜか。南京アトロシティーズ(atrocoties)や東京大空襲と天皇・天皇制・それらの心性は、いかなる面でも縁がないからか。冗談ではない。天皇はかつて政治的主権者として万能の「君権」を意味し、天皇レジームは政治外的領野を基礎とした「神国」とされ、天皇家はかつてもいまもニッポンという「家族国家」の核であり範とされているのだ。ならば、南京の「皇軍」はその例外だったと言えるだろうか。南京侵攻日軍は「皇軍兵士」にあらず、「天皇陛下の股肱の臣」にあらず、と言えるか。掘田は知りすぎるくらい知っていた。「『東亜百年戦争』は昭和二十年八月十五日に終わった。……天皇は大元帥の軍服だけでなく、戦争イデオロギーとしての『神格化』と『優越民族観念』を脱ぎ捨てた。ともに戦争が終われば不用なものであったからだ」(『大東亜戦争肯定論』)と書いた林房雄は、よかれあしかれ、率直だった。戦争に負けるまでは神国ニッポンは上から下まで「優越民族観念」を保持していました、ということである。「優越民族観念」はまたぞろ息を吹きかえしつつある。掘田は日軍の「獣性」をひるまず書きはした。然り。だが、それは、しばしば、〈ひとと戦争〉というものにあって不可避的な死――生――性の一般的文脈で表現されすぎた。個別ニッポンの侵略軍があらわにした、とうてい名状不可能なまでの獣性の下地に、あまり類をみないどくとくの「優越民族観念」(まったくどうじに他民族蔑視)があったことには、言わずもがなとでも言いたげに、くわしくはふれていない。ここだ。天皇制の底流にある「優越民族観念」とその湿った襞にはりついているであろう和式の獣性について掘田は詳述はしなかった。佐々木基一の解説などまったく論外である。鈍感なのか。掘田も佐々木も「近代文学」も戦後民主主義もわれわれも、感覚が鈍いのか。そうかもしれないな。ニッポンというクニはかなり鈍感である。だがしかし、われわれは、こと天皇と天皇制については異様に敏感である。過敏である。ほとんど神経症である。これ以上書きこんだら、みえないテロがあるにちがいない、ということに。掘田はそれを知っていただろう。推測。掘田は右翼テロを怖れた。だから、ヒノマルのことを「白に赤玉の旗」とちゃかすていどでおさえたのかもしれないな。にしても、『時間』にはなにか尋常ではないエネルギーがつまっている。そのエネルギーをとてもなつかしくかんじる。なつかしく。ことばは、あのころ、まだしも在ったのだ。エベレストにのぼった。(2014/11/10)







posted by Yo Hemmi at 16:06| 私事片々 | 更新情報をチェックする

2014年10月28日

日録1―6



私事片々
2014/10/28〜2014/11/03

白いコスモス10月25日.jpg

・新刊『霧の犬 a dog in the fog』(鉄筆)のカバーデザイン(名久井直子さん)が送られてきた。文句なし。『眼の海』の海底ともつながる闇に、長谷川潔のエッチングが透かしみえる。気に入っている。著作権者も鉄筆も諒承。これにきまった。青黒い霧のむこうにヒトデ、サンゴ、巻き貝がうっすらみえる。こういう装幀がほしかった。であいがしらにぶつかったみたいで、おどろいている。風邪なおらず。エベレストにのぼった。(2014/10/28)

ハナミズキの実10月14日.JPG

・「社会の暴力団的段階」と言ったのは、アドルノやホルクハイマーたちで、1940年代だった。古典的ファシズムには、racket(ならず者、暴力団)がたしかに可視的に存在したが、その後の監視・管理社会には消えたかのようにおもわれている。ちがう。racketは言葉づかいのよい合法的なthe racketsになっただけのことだ。首相Aはthe racketsの頭目である。川内原発再稼働をみとめた議会・行政・群衆・メディアも、いわば合法的な暴力団のようなものだ。the racketsの諸個人は、なるほど、巻き舌ではない。バカ、アホウとののしりはしない。コンプライアンスとやらをいう。女性のかがやく社会とも。しかし、the racketsのかかげる人間の尊厳や誇りや約束は、ただのみせかけである。the racketsは尊厳をかたりながら尊厳を破壊する。国会議員は大半が、その本質において、暴力団なのである。the racketsには、派手な服を着た与野党女性議員、労働組合幹部、いわゆる識者らがふくまれる。「社会の暴力団的段階」は、すでに終わったのではなく、今日ますます熟してきている。こんごはさらに暴力化するだろう。エベレストにのぼらなかった。(2014/10/29)

ツワブキ.jpg

・晩餐会にちん入してはならない。そういうことになっている。だいいち、宮中ではちん入のしようがない。ちん入とは、おもえば、おもしろい動作であり身ぶりだ。バルザックにもユゴーにもシェークスピアにも、ちん入シーンはかならずといってよいほど登場する。「ビリディアナ」だってそうだ。物語はだからこそ成立しえたのだ。かつて、ちん入は、しばしばではないにせよ、ときにはありえたできごとであった。入ってはならないとされるある(場ちがいな)場所に、ことわりなしに、とつぜん入りこむこと。狼藉。当惑。狼狽。顰蹙。ざわめき。ちん入者の演説がはじまる。唐突な。見せ場だ。バルザック、ユゴー、シェークスピアはだからこそ出色たりえた。ちん入者が剣を抜き、テーブルに飛びのっていう。淑女、紳士のみなさま、ひとことお聴きいただきたい。この国の無残、貧困、とほうもない格差をよそに、あなたがたはいままさに貧者らの血税によりあがなわれた贅沢きわまる酒食を口にしている。淑女、紳士のみなさま、あなたがたのなかには、あろうことか、悪政の主導者首相Aもすまし顔でメインテーブルにおわせられる。立て、にっくきA。わしがここで成敗してくれん!……といった物語は消滅した。すなわち、そうした「抗う身ぶり」と発想が失われてしまったのだ。みずからの身ぶりをうしなった時代は、どうじにまた、その身ぶりにとりつかれてもいる、という。バルザックもユゴーもシェークスピアもない宮中晩餐会は、ただたいくつなだけである。たんなる税金ドロボー。宮中晩餐会にはちん入者がいなければおもしろくない。わたしたちは「抗う身ぶり」におどろいてみたいのだ。ちん入者たちが「ビリディアナ」のらんちき騒ぎを演ずる。もしくはピーター・グリーナウェイ風に、テーブルにおもいきりゲロを吐きまくるとか、王様のスピーチのさいちゅうにものすごい屁をするとか……。あんた、ばかなことを言ってないで、堀田善衛の「時間」でも読みなさい。コビトにメールで叱られる。エベレストにのぼった。1回目失敗、2度目になんとか成功。『デカローグ』DVD-BOX中古(5枚組)注文。 (2014/10/30)

ヒメツルソバ.jpg

・むかし、未来社に藤森さんという大学の先輩がいて、じつにたくさんのことをおそわった。お金もかりた。埴谷雄高のこと。埴谷の当時としては破格の稿料や小山内薫のこと。よく新劇の切符をもらった。宇野重吉のゴドーをみたのも藤森さんのおかげ。暴力学生のわたしに教養というものをつけさせようとしてくれたのだった。富士正晴や島尾敏雄を読むようにすすめたのも藤森さんだったとおもう。で、富士正晴がたしか31歳で応召したのが、わたしの生年の1944年で、南京や広州、桂林を行軍したことを知る。忘れもしないのが、そのときの富士正晴のじぶんへの「誓い」である。南京大虐殺のずっとあとのこと。ケツメドAは知るまい。知るはずもない。知りたくもなかろう。富士正晴はじぶんで「強姦はすまい」と誓ったのだった。まったく泣けてくる。二等兵で中国に行き、じぶんは強姦しないぞとわざわざ誓約したほど、そして、そう誓約するのが奇異におもわれるほどに、「皇軍」にあってはときに強姦がかならずしも犯罪ではなかった、ということだ。殺(殺人)掠(略奪)姦(強姦)。中国ではかつて、それが日本軍の表象だったのだ。だから「日本鬼子」とよばれた。富士が行軍させられた南京、広州、桂林のすべてにわたしは足をはこんだ。けふ、堀田善衛の『時間』を読みはじめる。昭和48年の新潮文庫、15刷。活字がちいさくてルーペがいる。老けたものだ。佐々木基一の解説はダメ。まるでいけない。『時間』は掘田の作品でもなぜか目だたない。なんとなく目だたないようにされたのだ。権力だけでない。しもじもも、南京大虐殺を(生体解剖も)なかったことにしようとした。じぶんは知らぬとおもいこんだ。ジャパンはそういふ、あるしゅ不気味な浸透圧の社会なのだ、むかしから。そこに歴史学も文学もジャーナリズムもあるといふのだから嗤うしかなひね。藤森さんに感謝します。エベレストにのぼった。もうみたのに、Z00がまたみたくなって注文。従軍慰安婦報道にかかわった元朝日新聞記者が非常勤講師をつとめる北星学園大が、来年度からその元記者を雇用しないことにするらしい。やっぱり。田村学長は「学生の安全と平穏な学習環境をまもることが最優先」と強調。大学祭などの警備に多額の費用がかかったこと、学生からの批判や受験生の保護者から問い合わせがあったことを理由にあげているとか。要すれば、〈わたしどもは右翼の暴力に屈することになりました〉ということだ。暴力に屈するということは、教育機関が、脅しや暴力の威力をみとめることにほかならない。それは教育機関じしんによる知の根本的否定だ。自治の放棄だ。腰抜けども!(2014/10/31)

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・「腰抜けども!」などと、えらそうに言うべきではなかった。すみません。そう言うことにはいかなる意味もない。いま、腰抜けでない者など、北星学園大にかぎらず、どこにもいない。いや、北星学園大にだって、こんどのことを深くなげき、悩み、かんがえこんでいる、どんな魅力的な個人がいるかわからない。きっといるだろう。長万部かなやのかにめしを、いま、そういうひとが食っていないともかぎらないのだ。きめつけてはならない。潜勢態のようなもの。腰抜けと言ったが、おもえば、これはわたしの趣旨に反する。腰抜け、無能、マヌケ、惰弱……は、わたしの友であり味方であり、ひっきょう、わたしじしんなのだから。非の潜勢力にひっそりと生きるひとは、それでも、ひとりでなにがしか抵抗することができるし、なにより「しないということができる」(G.アガンベン)。昨夜、丸の内にいた友人Mからいきなり電話があった。「なにかとくに異変があったわけではないのだけれど、通行人がみんなキチガイにみえてしょうがない」。わたし「……」。M「みんなキチガイにみえてしょうがないこちらが発狂しているのかもしれないし、医者が診たら、そう言うのかもしれない、いや、きっとそう言うにちがいないけれど……」。わたし「……」。M「みな、なにも問題ないみたいな顔してすましてあるいているし、愉しそうにあるいているのもいる……なんかひどい!信じられない……」。あのへんは時間によっては皇居の厩舎の馬糞のにおいがする。皇居だから、だれも文句を言わない。ありがたく嗅ぎたてまつる。馬糞でも人糞でも。Mはほとんど泣き声だった。馬糞のことではなひ。通行人がみんなキチガイにみえてしょうがない、といふこと。つまり、「だれひとりとくにこれといって風変わりな、怪奇な、不可思議な真似をしているわけでもないのに、平凡でしかないめいめいの姿が異様に映し出されるということはさらに異様であった」(石川淳「マルスの歌」)といふことじゃないか。「……ひとびとの影はその在るべき位置からずれてうごくのであろうか。この幻燈では、光線がぼやけ、曇り、濁り、それが場面をゆがめてしまう」ということだ。丸の内の通りがそうだ。北星学園大だってそうではないのか。ニッポン伝来のファシズムの幻燈がこれなのだ。ファシズムの被害者なのか加害者なのか、ぼんやりしていてはっきりしない。被害者でもあり加害者でもあり共犯者でもある。主体をかくすものだから答えられないのだ。エベレストにのぼらなかった。ああ、長万部かなやのかにめし弁当を、汽車にのって食ひたいものだ。犬といっしょに。あれは毛ガニかタラバか。毛ガニとタラバか。(2014/11/01)

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・新潮文庫の堀田善衛『時間』をもってダフネ1号店。頁をひらくも、店内が暗いからか、目がわるいからか、活字が読めない。昨夜、寝室ではルーペなしですこし読めたのだが。読書をあきらめる。窓ごしに曇り空をながめる。とうとつに、長江下りをおもいだした。1970年代末。いっしょに乗船したAFPの記者が、川面をゆびさし「body!」とさけんだ。屍体が浮いていると。冗談だった。みんなで大声でわらった。あのフランス人特派員は、わるいジョークにせよ、いつの、だれの、どんな屍体をおもって「body!」とさけんだのか。長江下りのときはかんがえもしなかったが、36年後のいま、ひょっとしたら、といぶかる。おそらく、『時間』を読んでいるせいだけではない。南京大虐殺記念館(「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」)の建設計画があるという情報をつかみ、記事を北京からテレックスでおくったのはわたしだった。南京に行った。話をあつめたが、あまり記事にはしなかった。「旧聞」とおもったのだ。おどろかなかった。大地をあるくと布団をふんでいるように、いつまでもフカフカした。たとえようもない異臭。足首までもぐるほど地面がゆるかった。トラックではしってもガタガタ揺れるのでなく、ぬかるんだ。数えきれないほどの人間の屍体がうまっていたから。長江河岸はどこにも水がみえなかった。屍体という屍体が水面をおおっていたから。わたしは生まれていない。ただ、既視感がある。南京大虐殺記念館の記事はたいした話題にも問題にもならなかった。ほう、そうですか。そのていど。南京大虐殺は、すくなくも1970、1980年代には、常識的な史実だったから。日中関係はわるくはなかった。北京の国際クラブのコートでよくテニスをした。駐北京日本大使館の阿南惟茂さんともテニスをした。わたしはたしか全敗。かれは有能な外交官で、人間的に中国当局の信頼をえていた。むろん、阿南惟幾陸軍大臣の六男であることは知っていたけれども、あまり意識したことはない。南京大虐殺の話もまったくしたことがない。ただ、コート上に汗をたらしながら、ああ、おれは旧侵略国の陸軍大臣の息子とテニスをしてるのだな、不思議だな、中国は太っ腹だな、阿南惟幾は陸軍人事局長時代の1937年12月に、南京を視察していたのではなかったか……などと、ボツ切れにおもったことはある。そのことに当時とくに戦慄はしなかった。いまはなにか感に堪えない。史実がかわったのではない。ひとびとの心がすっかりかわった。こんばんも『時間』を読むことにする。エベレストに2度のぼった。息があがる。(2014/11/02)

落花.jpg

・ダフネ1号店。晴れているせいか、昨日より目がみえる。『時間』を読んでいると、目はショボショボなのに、気分がいくぶんしずまる。どうしてだろう。古い文庫の紙のにおいだろうか。それもないでないな。堀田善衛の思考法、思考の速度、視線の角度、対象物との間、ほどよい距離……か。それらはけっして天才的でも超絶的でもない。どころか、よき知識人の、そこそこぶどまりのよい穏和な思念だろう。武田泰淳のように破綻はしない。そのことに若いときはいらだちもしたが、いまは、掘田のような〈健全な知性〉にも救いをかんじる。掘田たちはほうり投げるまえに、すくなくも手さぐりし、じぶんの頭でしきりにかんがえようとした。「日本」をなんとか対象化しようとした。歴史のるつぼのなかで、もみくちゃにされながら、〈現在〉の歴史的イメージをもとうとした。「わたしは本能的愛国心とか、愛国的な本能などというものを信じない。それはほとんど悪である。そしてその悪を組織したものが用兵学である」。『時間』のなかで、南京大虐殺直前、中国人の主人公にかたらせたことばは、中国人でも日本人でもないゼロ空間にいた掘田の本音だ。掘田が生きていたら、もちろん、首相Aに危険を嗅ぎ、はげしく嫌悪したはずだ。埴谷も武田も野間も梅崎も、AとA的なるものだけはきびしく拒絶しただろう。Aは敗戦後社会の産んだもっとも恥ずかしい愚昧だからだ。とんでもない落第生。落第生でも勉強家はいる。人格の高潔な落第生はいる。だが、Aはちがう。無知にいなおり、無知を仲間とし、無知を増殖し、無知を培養し、ひたすら無知にのみ依拠している。右でも左でもそのことに気づかぬ者は、かつてなら、いなかったろう。いまは右も左もほとんど死んだ。Aはものごとには際限がないこともある、ということを知ろうとしない。じぶんの尺度で世界には際限があるとおもっている。際限のない事象に、世界には際限があるとおもっている、額のきょくたんにせまい小物はいらだつ。思考に際限のあるものが、いけどもいけども、やれどもやれども、際限のないものを相手にできるわけがない。物理的にも形而上的にも、まったくかないはしない。漱石は「互殺の和」などといったが、中国相手に互殺はだんじてありえない。土俵中央でがっぷり四つはありえない。中国はたかだか直径4.55メートルの土俵から、ほとんど図体のぜんたいがはみでてしまう。掘田も武田も高見順もそのことを肌で知っていた。田中角栄だって本能的に知っていた。吉本さんはそれを知らずに亡くなった。中国は際限がない。たとえ滅んでも際限がない。エベレストにのぼった。(2014/11/03)









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2014年10月21日

日録1―5



私事片々
2014/10/21〜


センニチコウ.jpg

・沼気ふつふつとわきたつドブのような世界。まったくかたるにあたいしない。にもかかわらず、こちらとすぐ地つづきというのだから、どうにもならない。陋劣をあげつらうと、いつのまにか、こちらも陋劣になっている。黙っていても、意思することも意識することもなしに、忌まわしい大罪にまきこまれていく。しかし、罪とあやまちについては、他者のせいや共同責任にするのではなく、「個々人がみずから責任をおわなければならない」とレーヴィは言った。さもなければ、文明の痕跡がきえるから、と。そんなものはきえていい。だいいち、ほとんどない。「個々人がみずから責任を……」とは、たぶん、わたしがわたしの責任を、いま……ということだ。Aが平気で存在していられるのは、Aら他者たちの問題であるとともに、わたしの陋劣ともかかわる、ということだ。エベレストにのぼった。昨夜、「霧の犬 a dog in the fog」の著者校正と追加を鉄筆社に送る。けっきょく216枚ほどになった。つかれる。つかれるしかない。(2014/10/21)

きのうの花.JPG

・「早く首つれ朝鮮人!」「朝鮮人は呼吸するな!」「よい韓国人も悪い韓国人もどちらも殺せ!」「殺せ、殺せ、朝鮮人!」ーー。「朝鮮で売れない売春婦が日本にきて客をとった。それが慰安婦だ!」ーー。このしゅの演説やシュプレヒコールを「言論表現の自由」と言うのだろうか。首相Aは、表現の自由とのかかわりもあるという。首相Aがえらんだ国家公安委員長は、こうした醜悪なシュプレヒコール、街宣活動の実行責任者らと長年昵懇のあいだがらである。警察のトップが極右レイシストと親密なかんけいーーそれがこの国だ。国家公安委員長はカトリック信者にして神道政治連盟国会議員懇談会の幹部。靖国だいだいだいすき。聖歌もうたえば軍歌もうたう。日蓮宗系とも統一教会系ともかんけいあるとか。節操もなにもあったもんじゃない。朝鮮人死ねとさけぶレイシストたちのまえを、われかんせずととおりすぎる市民。良民。極右レイシストを黙ってささえる良民。ドイツでもネオナチのかくれた支持者は反ネオナチをよそおう市民という。良民はあやしい。「朝鮮人は呼吸するな!」という命令形日本語の奇抜な発想および含意とそうさけんだ者の、そうさけんだときに脳裡にうかんだ画像的イメージはどうだったのか。精査せよ。ことばと歴史と累代の気づかざる情念。関東大震災のとき、トビ口で朝鮮人を惨殺したイメージか消えていない。どす黒い悪気流の発生源には、Aとその仲間たちがいる。わたしたちはからだをはって極右レイシストたちとたたかう用意があるのか。極右レイシストたちは「天皇陛下万歳!」という。マスメディアとともに皇后傘寿をことほぐ。朝日新聞は皇室特集がとりわけだいすきである。天皇皇后は、おそらく意思に反し、異様なまでの神格化のストーリーにとじこめられている。これら諸現象の関係式をしめせ。なにがおきているのか。反吐がでないか。いつかコリアンの友人に酔って言ったことがある。あなたがたはおどろくほど寛大だ。わたしがコリアンだったら、일본사람を孫子の代までゆるしはしない。えっ、日本人のなにをゆるさないのか、と反問された。答えた。あの「声」だよ。モクソリ목소리だよ。友人に皮肉られた。「あの」じゃなく「この」でしょう。そうなのだ、チョウセンジンハ、コキュウスルナ、チョウセンジンハ、シネというときの不気味な抑揚、声調、それを音声としてとらえてしまうじぶんの聴覚と言語基盤がつくづくいやになる。ほんとうにいやだ。やつらはほんの少数の例外だ。わたしたちとなにもかんけいがない。そんなかんがえもいやになる。やつらの声はわれわれの昏い奥からのなんらかの派生なのだから。「声についてかたる必要があるとすれば、私はたったひとつの不在の声を選ぶであろう」と書いたのはだれだったか。沈黙、鳴りやんだ音の傷痕……についてかたろう。それはそうなのだけれど……。エベレストにのぼらなかった。(2014/10/22)

9月に見た花.jpg

・気配ということばを知らなかった。子どものころ、たぶん知らなかった。あるいは、ことばを知ってはいたのに、子どものあやつることばではなかったからか、つかいはしなかった。ことばをつかいはしなかったが、ありとある幽かな気配にとりかこまれてくらしていた。気配はふとかんじるか、なにもかんじないかの危うい識閾をかすめていくふたしかななにかであり、それゆえ、記憶にはのこらないか、かりにのこったとしても、ごくあいまいである。意識という作用がゆっくりとはたらきだしたり消失しはじめたりする境界。そうしたものがあるらしいと知ったのも、ずいぶん長じてからである。あの東北の大震災とくに大津波の気配と、海が黒くもりあがる情景を、半世紀もまえに、子どもの識閾でかんじていた。ほんとうなのだ。というと、わらわれるけれども、わらうな、とむきになるわけにもいかない。わらわれるしかないのだ。子どものころにはウスバカゲロウが意識の境をふらふらととんでいったりとんできたりした。ウスバカゲロウはいつもかすんでいた。ウスバカゲロウをウスバカゲロウとはよばず、カミサマトンボとよんでいた。カミサマトンボもいまおもえば気配であった。なにか不安定で危うい気配であった。あのころは麦の穂の影も潮騒もアリジゴクの巣も小鳥のさえずりも、たえずなにかを幽かにささやいていた。そういえば、きのう、ユキムシ(雪虫)のことをかいた短文をよんでいて、ヒヤリとした。どうしてかよくわからない。むかしはあれをたしかワタムシといっていた気がする。ワタムシもわたしにはなにかの気配だった。でも、ウスバカゲロウのような、よからぬ気配ではなく、どこか陽性の幻であった。短文には、ところが、「ためしに、ユキムシの翅をこすってみたら、白っぽい表のなかに黒っぽい裏が浮かんできました」とある。ぼうっとしていた識閾を小さな影がかすめた。わたしはワタムシをたなごころにとらえたことはある。そのまま死なせてしまったこともあるかもしれないな。わすれているのかもしれないな。だが、体長5ミリかそこらの小さな虫である。翅をこするまでしたことは、たしか、ない。それはおもいもつかなかった。数秒間落ちつきをうしない、ひと呼吸して、ああ、これは譬喩なのか、とおもいなす。やや当惑したまま。無垢そうでいたいけにみえるものにだって、仔細にみれば、暗ぐらとした「裏」がある。ということか。よくわからない。他者の経験の投影である。よくわかることができるはずもない。ワタムシの記憶をたぐる。それをみた海辺の集落は、津波にきれいにあらわれた。すっかりなくなってしまった。カミサマトンボだけでなく、ワタムシたちも50年後の災厄を聞こえない声でつたえていたのだろうか。このさき、ユキムシをみることはあるかな。おそらくあるまいな。まんまんいち、ユキムシをつかまえたとしても、翅をこすってみることもあるまいな。裏も表も、ユキムシのせいではない。一片の土地と小さな虫たちの苦痛。バルトークはそれこそを問題にした。わかるけれど、よくわからない。あやふやな識閾をユキムシとウスバカゲロウがとんでいる。ゆききしている。かすんでいる。でも、はっきりとわかっていることはある。ユキムシの「裏」じゃない。災厄はきているということだ。さらに大きな災厄がくる。なにも終わってはいない。Aは災厄そのものなのだ。気配は世界に充満している。エベレストにのぼらなかった。(2014/10/23)

バッタファック.jpg

・サルビアの花のうえでバッタが2組、おたがいにみせつけあいながら、ながいことファックしていた。後背位。そうしかやりようがないのだろう。背中のオスはメスの子どもほど小さい。コビトはオスのチンチンがみえるという。ほらほら、青いチンチンが、そこに!とさわぐ。わたしにはみえない。写真はボカシをいれた。エベレストにのぼった。昨日、鉄筆文庫版『反逆する風景』の見本届く。(2014/10/24)

コスモス10月25日.jpg

・「霧の犬」のつかれがとれない。公園。森や草地に勾配があるのか、じつはないのか、ぐらぐらしてわからない。座ると、おきるのに一苦労する。なぜ従軍慰安婦のかかわる歴史的事実をみとめることが「国の恥」であるのか。強制的につれてきたり、なかば強制的にハンティングした事実を、一報道機関のミスを奇貨として、これでもかこれでもかとおおさわぎしまくり、まるごとぜんぶなかったことにしようという黒い冷熱のようなエネルギーはどこからでてくるのか。かれらは借問しないのか。「国の恥」を言うなら、原爆を投下した米国にたいし、原爆投下は人道上の大いなる罪であった、といちどたりともみとめさせようとしないで、米国のただの飼い犬になっている歴史こそが真の恥ではないのか。日本の侵略戦争が大罪であったように、米国による原爆投下はゆるしがたい大罪であり、両者の罪はまったく相殺できない。という初歩的で基本的な歴史認識をAたちはもてない。エベレストにのぼらなかった。(2014/10/25)

10月25日の苔.jpg

・筑摩書房刊「戦後日本思想大系」の5『国家の思想』(1969年)の36頁上段に載せられた、とある男女の写真のキャプション。「敗戦直後、大元帥の軍装から背広に着換えた天皇と皇后」。このモノクロ写真がすべてをものがたる。笑顔。とくに男の破顔一笑。原爆2発投下からまだ半年もたっていないとき。なんの恥じらいもかげりもない、朗らかに白い歯をむきだした、邪気のない笑い顔。その男の髪によこからそっと手をやる女。悪びれもせず、屈託もない、ただ楽しげな男と女。これこそ、すべてを円滑に卑劣に無化してきたこの国の無思想、イカサマ文化のいしずえである。今日も明日もそれは有効である。「いま、〈大多数〉の感性が〈ワレワレハオマエヲワレワレノ主長(ママ)トシテ認メナイ〉というように否認したときにも、……〈ジブンハオマエタチノ主長ダカラ、オマエタチノタメニ祈禱スル〉と応えそれを世襲したとすれば、この……存在の仕方には不気味な〈威力〉が具備されることはうたがいない」(吉本隆明)。イカサマの極致。福島県知事選。開票後ただちに自民、公明、民主、社民が支援した候補が当選確実。なんのための原発事故、なんのための選挙、なんのための社民党か。争点がなかったのだという。争点がない?!おお、なんということだ。天国の堀内良彦君よ、見たか。エベレストにのぼらなかった。風邪。熱。(2014/10/26)

うろこ雲.jpg

・きのふ熱にうかされて、たわごと、うわごとをしゃべりつづけた。1時間くらい。焦げくさい納屋か厩舎(どちらかわからない)の暗がり。なにかが焼けているのではない。藁が焦げくさいのだ。藁はよい。藁くさいのはよい。藁の底で、星くずがよわよわしくひかっている。夢うつつだった。韓国まで元慰安婦の婦人たちにあいにいったとき、いわれた。「あんた、テンノーヘーカ、ここへつれてきなさい。うちの手をとって謝ってほしいのよ」。そのとき、かのじょがイメージしただろうテンノーヘーカはすでに病死していた。元慰安婦と元日本将兵と昭和天皇。将兵は「天皇陛下の赤子」とよばれ、大半がそう意識もしていた。かのじょらは陛下の赤子らを多数お世話した。慰安婦――日本将兵――昭和天皇。関係性は成立する。〈テンノーヘーカ、ここにつれてきなさい、手をとって謝ってほしい〉……という感情のばくはつは、したがって、短絡とはいえない。わたしは新聞連載でそのまま書いた。そのまま掲載された。社内からも配信先からも読者からも右翼からも、とくだんの抗議や脅しはなかった。かのじょらはこもごも「軍服姿の男につれられて」故郷をあとにした、とかたった。なんどもたしかめた。そのまま書いた。約20年前である。なにがかわったのか。なにかがまちがいなくかわった。時代が地滑りしている。テンノーヘーカはホーギョし、元慰安婦のハルモニたちも、かのじょらのお世話になった将兵たちも亡くなり、聞きかじりの一知半解の知識と極右思想ばかりがいまは大手をふっている。じつはお世話になりました。この最低限の感謝の意味をAは理解できまい。ひととしての最低限のエチケットをAはまるでわかっていない。戦争にかりだされた兵隊の多くが(「チョウセンジンハシネ」とさけんでいる若者たちの祖父たちも)、かのじょらにさんざお世話になったのだ。お世話になっておきながら、「国辱」とかなんとかいって開きなおる。居丈高になる。だから、卑怯、卑劣といわれるのだ。ハルモニたちは疲れきった「天皇陛下の赤子」たちといつしか恋におち、やさしくされ、慰安所にかよってきたかれらを、戦後、涙をながしてなつかしみもしていたのだ。またあいたいと。ひととはそういうものだ。そういうこともあるのだ。かのじょたちにはひととして見習うべきエチケットがある。わたしがあったかんじょたちはそうだった。人間がおとしめられ、見棄てられ、軽蔑すべき存在になっているのは、戦時もいまもかわらない。いや、いまのほうが陋劣である。手におえない。「今日の人間を支配している順応の過程が、つまるところ言語を絶する規模で……人間を畸形にしている」(アドルノ)。Aよ。きみはこんど戦争になったら、きみじしんがひとり銃をもって最前線にたて。天皇の「股肱の臣」としてズボンの前をあけて慰安所のまえに列をつくれ。慰安婦に赤チンとコンドームをくばれ。きみ以外の他の者にそれをやらせるな。エベレストにのぼらなかった。(2014/10/27)



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2014年10月13日

日録1―4



私事片々
2014/10/14〜2014/10/20

ピンボケ・ハナミズキの実.jpg

・放送大学で亀山郁夫さんがラスコーリニコフと現代のテロリズムのかんけいに言及していた。みたのは再放送分かも。だが、ジャーナリスティックにすぎて鼻白む(ドストエフスキーがそもそもジャーナリスティックなのだ)が、敷衍可能の原型がまったくないではない。わかりやすいっちゃ、わかりやすい。ただし、現代のテロリズムは、反テロ戦争をとなえる米国とその有志連合が一方的につくりだしたCG的イメージである。もっとも大量のテロを組織的にじっこうしてきたのは米国であり、テロをもっとも声高に非難するのも米国である事実は、ラスコーリニコフを現代のテロリズムにむすびつけるのが牽強付会であることをしめしている。テロリズムにはそれぞれ異質な100以上の「定義」があり、テロリズムとは、じっさいには定義のあたわない政治的なことばかレッテルにすぎない。反ナチ運動をナチスはテロリストとよび、中国の抗日ゲリラを、中国を侵略した日本軍はテロリストあつかいして「共匪」とよんだ。ひどいもんです。現代の最悪のテロリストはさしずめ金融資本と投機屋ではないか。それらを守るために反テロ戦争はある。貧乏人は資本の合法テロでかんたんに屠られる。イチコロ。このしくみは昔日よりげんざいのほうが非情でシステマティックだ。亀山郁夫さんの講義の資料でつかわれたロシア映画『罪と罰』は未見。みていて、馬殺しの夢をおもいだす。「霧の犬 a dog in the fog」でとうしょイメージしていた犬殺しのシーンを挿入しわすれたことにも気づく。わすれたのではなく、無意識に忌避したのだろうか。犬殺しのイメージはいつか別途かけばいい。生きていればだが。ところで、まいどAの話で恐縮ですが、Aは不快であり、ふひつようである。Aは最悪だ。Aはばかだ。Aはコンプレクスのかたまりだ。うらはらに不遜で傲慢だ。Aはみえすいている。Aはジンミンをじぶんよりもよほどアホで操作可能だとおもっている。チョチョイノチョイだと。Aはアナルだ。ケツメドだ。ケツメドが、でも、ジンミンを支配している。Aはますます図にのっている。ひとびとは、だからこそ、じつは、Aをとてもひつようとしているのではないか。ドイツ民衆がナチスをひつようとしたように。あとになってすべてをヒトラーのせいにするために、ヒトラーをひつようとしたように、われわれ卑怯なジンミンは、Aをいまひつようとしている。きったねえケツメドを。マヌケぶりを笑いたおし、いつかみんなで罵倒するために。すべてをAのせいにするために、Aをひつようとしている。「霧の犬 a dog in the fog」には、ほんの一例ですけど、そんなこともかいてあります。謎の猫背の小男「エンペ」も登場します。読んでね。鉄筆社がつぶれませんやうに!印税もらえますやうに!エベレストにのぼった。(2014/10/14)

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・わたしが詩をかき読者に曲をつけていただいて歌にする企画をすすめています。年内に完成のよていで。悲しい歌です。詳しいことはまたお知らせします。さて、みなさん、電話の調子がどうもおかしい。メールもおかすいです。たえず監視されているやうです。まえからそうでしたが、Aが政権をにぎってからは監視活動がとくにはげしい気がします。うんざりする。けれども、ほうってもおけない。ご存じのとおり、特定秘密保護法はとんでもない法律である。だれがなんと言おうと、反対です。そこでおもいだすのが「情報保全隊」。自衛隊に「情報保全隊」というのがある。これがですね、イラクへの自衛隊派遣(海外出兵)に反対したおおくのひとびと(市民運動関係者、記者、映画監督らをふくむ)を秘密りに調査・監視していたじじつは意外に知られていない。どころか、「情報保全隊」なる秘密監視機関の存在じたいが隠されていたため、いっぱんに監視活動も問題にされてはいなかった。民主党政権でも「情報保全隊」をあまり問題視せず、むろん改組もされなかった。その調査・監視活動は2013年の仙台地裁の判決で違法とされたが、組織は依然解体されていないはずだ。「情報保全隊」の活動が司法でとりあげられたのは、共産党への内部文書のていきょうからだといわれる。むろん、特定秘密保護法のない2007年ごろのことだ。秘密保護法下では自衛隊の情報収集活動そのものをいわゆる特定秘密とし、したがって、内部告発は「秘密漏洩」とされる。取材もヘチマもありゃしない。監視に抗議するとうぜんの活動も秘密保護に反する違法行為とされて、重罰を科されることになる。すべてが逆転する。主客が転倒するのである。悪名高いかつての治安維持法は、体制の変革、私有財産制度の否定を目的とする結社の組織者と参加者を処罰するためにあったが、じょじょに反政府、反国策的な思想や言論の自由の弾圧の手段として利用され、尾行、監視、予防検束、拷問が日常化していった。治安維持法は1945 年に廃止されたけれども、2014年12月10日に特定秘密保護法として生まれかわり、施行されることにあいなる。あきれることには、特定秘密保護法を可能ならしめたA政権特製の「情報保全諮問会議」なるインチキ会議の座長が、読売新聞グループのもうろく独裁者ナベツネ。特定秘密保護法はつまり、読売や極右・公安機関紙S紙などの全面的バックアップにより、いかにも民意を反映しているかのごとく登場するわけである。Aをただのアホだとおもってなめたらあかんぜよ。正真正銘のアホはアホですが、主要マスコミ各社のキンタマにをぎっている。主要マスコミ各社はA政権にキンタマにぎられてエヘエヘよろこんでいる。他にもAが特派したマルキ印NHK会長以下、経営委員会のサイコパスどもが特定秘密保護法を応援している。総元締めは憲兵隊長スガ。民主党は自民党予備軍。社民党はもはや完全絶滅危惧種。どちらをむいてもファシストばかり。大ヌッポン帝国はいままさに、「ふやけた戦時」なのでありますっ!総員起立、カシラー、右むけ右!クソタレ総理にむかって、ふかぶかと礼!じぶん、けふ、エベレストにのぼりませんでしたっ。(2014/10/15)

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・わたし「あの気管のよくない子、あれからどうしたかな?」。友人「ああ、あの子、午後、大ホールでちょっとみかけた気もしますけど……」。わたしと友人「………」。友人「あのう、そういえば、ことしの6月、庭のバラの木の巣に、ヒヨドリが卵産みました」。わたし「何個?大きい?」。友人「2個……、これ、写真」。わたし「わっ、すごい!こういうの早くおしえてくれなきゃ困るよ」。友人「………」。わたし「………」。そんな話をきのふ、した。うまく流れない。それでよい。そのほうがよひ。どうということはない。「……」は沈黙。あるいは空白、すき間。たぶん「あとから吃りつつなぞられる世界」(ツェラン)。下線部分はなんだかいやらしい。ジャーナリスティックでだめ。昼、感覚障害ひどい。つげ義春のまんがだ、まるで。必殺するめ固め。のまま、マックへ。このまえの女性いない。レジNO2。フィレオフィッシュ319円、アンコパイ124円、ミルク185円。計628円(内消費税46円)。旧喫煙コーナーへ。まえにもなんどかみたことのある白髪の老婆のとなりにすわる。老婆「こんにちは!」。わたし「こんぬちわわん!」。老婆「DVD注文したかね?」。わたし「どのDVD?」。老婆「じぶんのことだよ。あたしゃ知らない」。わたし「ああ、『死神の谷』か。まだ……」。老婆「それじゃないよ」。わたし「じゃ『M』かな」。老婆「いっしょにみようよ」。わたし「やだね……」。老婆「ふん、いろいろかすむかね?」。わたし「うん、かすむね」。老婆「たいてい、かすむわね」。帰ってヒヨドリのYouTubeみる。6月の卵だったら、もうとっくに巣だっているだろう。ダフネできのふの朝刊みかける。「信頼回復と再生のための委員会」発足、だと。なんのことだろうか。「新聞週間がはじまった。うしなった信頼を取り戻すため、身を切るような出直しに取り組む覚悟を新たにする」。悪文。これを写経しろといふのか。だれの、だれにたいする、どのような信頼が、なんのために、失われたのか。信頼はそもそもあったか。「身を切るような出直しに取り組む覚悟を新たにする」。くっせえクリシェ。鼻がまがる。歴史修正主義の怒濤におまえたちも呑まれた。極右政権とその提灯もちメディアに、偽善新聞が戦わずして惨敗したということだ。なぜそういえないのだ。「身を切るような出直しに取り組む覚悟を新たにする」だと。当方の知るかぎり、朝日の下っぱのだれもそんなことおもっちゃいない。だれも身を切る覚悟なんかない。その価値もないからだ。世間のみなさまに、ご心配、ご迷惑をおかけして、ほんとうに申し訳ありませんでした。礼。30秒。腹のなかでべーっと舌をだす。あれとおなじ儀式。予定調和。沈香も焚かず屁もひらない、どころか、ぜったいに波風たてない社外委員4人厳選。これが禊ぎのつもりか。首相Aはおのれのきったないケツを、トイレットペーパーがわりに、朝日で拭いたってことだ。そんなていど。「あとから吃りつつなぞられる世界」である。ヒヨドリの卵をおもう。エベレストにのぼった。(2014/10/16)

キンモクセイ2.jpg

・一本道をいく。だれもいない。あれはなんだろう。ゆくてに赤い点々がみえる。左手にフェンスにかこまれた更地があって、その縁のシイの樹のしたあたりに、むやみに大きなカラスがいて、こちらをみている。このところやつの気がたっているので、こちらは遠慮してとおまわりしている。よしよし、それでよし。カラスはまんぞくげだ。赤い点々にたどりつくまえに、背後からやわらかな風がふいてきて、いっしゅん、かぎなれたにおいをかぐ。あきあきするほどかぎなれた香り。そのなまえが、のどもとからもう半身をのぞかせているのに、いえない。赤い点々が気にはなるけれど、背後の植えこみにぎゃくもどり。きのふをおもいだす。きのふはウサギの目がパラパラと地面にちらばっていたのだ。風でおちたハナミズキの実たち。血の散乱。けふはもうない。植えこみの暗がり。木枝と葉むらにかくれて、なにかがいる。じっと息をひそめている。顔をちかづける。おかっぱのコビトだった。だまってたっている。ひとりだ。身長30センチほど。右の人差し指と親指でわざとらしく「コ」の字をつくっている。これは、どういうことなんだ。なにしてるんだ。答えない。そういう性格なのだ。むずかしい性格。たちさろうとすると小声で「ブルーノ・ベッテルハイム……」という。わたしがさっきかんがえていたことを、声でなぞったのだ。そうやって能力をみせつけようとする。とてもかなわない、とおもわせようとする。かんしんをひこうとする。コビトまたささやく。「スヌデ…スヌデ…」。やめろよ、とわたしはいう。「スヌデ…スヌデ…モウイイ…」と、コビトはけしかける。やりすぎだ。わたしは無視して一本道をあるきだす。赤い点々を目標にする。「セカイタイセンデハナク、センソウノセカイカナンデス……」「世界大戦ではなく、戦争の世界化なんです……」。植えこみの闇から声がきこえてくる。「モウ、スヌデ…スヌデ…」。キンモクセイの闇にコビトがたっている。わたしの気をひこうとして。赤い点々が大きくなる。「アカツメクサ…」。「センニチコウ…」。「スヌデ…スヌデ…」。うるさい、とおもふ。キンモクセイの闇からコビトの声。「ウルサイ…」。「ヒザ、イテエ…」。キンモクセイがにおう。エベレストにやっとのぼった。(2014/10/17)

センニチコウ.jpg

・きのふ、根津の中村さんから情報。指つめた、ニンチなりかけの、すごく小さいおじさんとか、交番とか、ホテル・サンコウとか、泪橋とか。若い巡査とか、根津ほんとはきらいだとか。理屈じゃねえんだよ、熱いお茶をいれてあげるかどうかなんだよ、とか。昔をおもいだす。南千住から根津にいったことがある。やりに。おやりになりに。チッタゴンのあとだったかまえだったか。はっきりしない。なにかんがえてたんだか。なにもかんがえてなかったんだか。三ノ輪駅から地下鉄で夜中に何回か根津にいった。キオスクでビタCドリンク買ったよ。南国のトウモロコシごちそうになった。甘かった。空の鳥かごがなかったかな。あったな、たしか。小鳥ではなく、キュートなリスがいて、なついたんだけど、逃げたの。落ちこんだわ。そう聞いたのではなかったか。かわいいリスよ。ニホンリスかタイワンリスか。わからない。チッタゴンの霧。そこには、たしかにいた。このことばこそおそろしい。3度言ったら、げんじつになる。2行の反歌。朝、暗いうちにかへる。かえってインスタントラーメン食って寝る。かよってたってわけじゃないんだけどさ。とおかったな。根津。でも、中村さんってだれだろ?あのトウモロコシ、中村さんがお茹でになった、ってことだろうか。まさかね。やったとか、やってないとか。どうでもいい。おもひだせない。おもひだせないくらひなら、さいしょからやるな、おやりになるなよ、ってことだ。トウモロコシはおぼえてるのだ。いや、トマトだったか。あおむいたとき頭上に垂れていたベージュのカーテン。カーテンのむこうの霧。チッタゴンの霧。神社、いかなかった。とおもふ。美術館なんか、あるのも知らなかった。夜ばっかりで、あんましおぼえてない。「シェルタリング・スカイ」。ビデオ返さなきゃ。でも、ひっこしでなくしました。すみません。返信する。いま、左膝が痛いのです、となきつく。とても痛いのです。右の脚もだめです。あと、ついでに、まんなかもだめです。根津に夜這いして罰当たりまひた。いまぜんぜん夜這いしてません。イザリですから。いちおう同情をかおうとしてみる。憐れみをこう。だめもと。やっぱり同情されない。いろいろランダムになきついてみる。肩も痛ひのです。ペインクリニックもだめでした。だめもときよみ。「とっとと死になさいよ……」と言われる。すごくしずかにゆっくりと。オ・ス・ニ・ナ・サ・ヒ・ヨ。英訳すっと、fuck you、asshole! けふ、えべれすとにのぼった。ゲラ、めんどくさい。(2014/10/18)

サザンカ2.jpg

・マックの旧喫煙室。ババアがいた。となりにすわる。そこしかあいていないから。右腰をボリボリかいている。痒いのか。訊く。知りたいわけじゃない。たんなる愛想。あいさつ。ババアなにか言ったが、聞こえない。におう。なんだかわからない。ああ、仏壇か。コーヒーうまいか訊かれる。下剤だよ。ババア笑う。エへへへへへ。また右腰をかく。仏壇のにおいが、そこからしてくる。そんなに痒いか。乾燥肌でね。右腰の粉がとんでくる。老い粉。息つめる。老い粉を避けようと、まえかがみになりボクシングのウィービングとダッキングをしているうち、左膝がまたガクリとはずれて激痛。イテテテ。左膝さする。ババアにいわれる。お風呂はいりなよ。いれたげよか。よけいなお世話だよ。ババア問う。ジョゼフ・ド・メーストルって煮ても焼いても食えない反動かね。そんなにひどいやつかね。知らないね。シオラン読むのやめたのかね。ああ。なして。うるさいな。こんどバコバコしようか。69とか。ごめんだね。老い粉入りコーヒーのむ。くそまずい。エベレスト。頂上にガキがいたのでのぼらなかった。(2014/10/19)

ダフネ帰りの黄色い花.jpg

・ダフネ1号店に行ったら、さかゑさんの顔がおかしい。目が青いのだ。青灰色。カラーコンタクトというやつか。ヤギみたいだ。アブサンたのんだら、「まずJSFさくっといこ!」ときた。膝が痛くて、と弱音をはくと、ほな、JSF温熱治療コース―しよ、というので、ビッコひきひきトイレへ。内鍵かけて使用中。さかゑさん左膝にまたがり、体重をかけずに左膝そのものをみずからに包摂する。膝がずぼずぼとめりこんでいく。熱い。たしかに温熱療法である。膝だけだったのがだんだん腿、ふくらはぎのあたりまで温熱の闇にのまれたとき、ほのかにサロメチールのにおい。「なかに湿布薬ぬりこんであるのよ」とさかゑさん。なるほど、痛みやわらぐ。¥2000。青い目のさかゑさん「医療行為はみとめられていないのでだまっててね」。エベレストにのぼった。おりたらまた膝痛。夜、肩痛も。(2014/10/20)








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2014年10月07日

日録1―3



私事片々
2014/10/07〜2014/10/13

金魚.jpg

・右脚をかばっていたら、ついに左膝をいためた。くそ、いてえ。びっこをひきひき生きてたら、はや10年間がたっていて、右だけでなく左もやばくなったということだね、と犬にはなしたら、さうだよ、おっちゃん、さういふことなのだよ、といわれた。けふも「神奈川大学評論」の原稿。「SはPである」の命題形式は「SはPであるべき」を意味せず、むしろ「SはPではない」の可能態をふくみもつ、てなことを書いたりした。繋辞「である」がすっかりだめになった。おれの膝みたいに。「げんじつは理性である」は、ほんらい、「げんじつは理性ではない」をおびているのに、「げんじつは理性であるべき」までいっちゃっている。A政権はたしかにげんじつではある。だがそれは「理性である」でも「理性であるべきである」でもない。たんにくつがえされるべきげんじつである。友人と横断歩道をわたる。友人になんとなくおいこされる。そのうち信号が赤になる。水たまりにたちんぼう。友人はわたりきっている。おいてけぼり。数分間の景色。微茫なながめ。あいまい。目のかすみ。不確定。なにも悪意はない。そのことをちゃんと書くのに、時間が50年ぶんいるかもしれない。そのことだけを書くのに。そんなものだ。「神奈川大学評論」の原稿は明日送ります。そのつもりです。エベレストにのぼった。(2014/10/07)

帰り道10月8日.jpg

・「神奈川大学評論」の原稿約18枚送る。うれしい。やれ、ウレジヤ共和国!なしてうれしいかというと、左膝をダメにして、痛くてひーこらいっていて、原稿どころじゃなかったのに、必死こいてかいたから。犬にもよくやったね、セニョール、っていわれた。かきたいようにかきました。載るかどうかわかりませんが、載ったらよんでね。たしか来月発行号。書店で売ってるか不明。神奈川大学って、若いころ取材でいったことがある。いまはどうかわからないが、自由で、苦学生がおおくて気に入った。おもしろい先生がいたっけ。けふは闇よりもっと深い闇のことをかいた。われわれがいま、前代未聞の戦争状態にあるってこと。「イスラム国」のこと。ぞくぞくするということ。説明不能の世界になったこと。A政権のおぞましさ。そういったことを気ままにかかせてもらった。だから、載るかどうか自信がなひです。もしも載らなかったら、当ブログにて全文発表します。にしても、膝があかん。膝って痛みがすごく深いです。右麻痺で左膝もパーならどうすりゃいいの、と犬に問うたら、犬、まいった魚は目でわかる、だって。いよいよますます本格的ヨイヨイです。ほとんどぶったおれそうになりながら、けふ、エベレストにのぼった。コビトが病院につれてくといっている。眼科、整形外科、消化器外科、放射線科、神経内科、ただの内科、泌尿器科……リンダ、もうわけわかんない。でも、ごくまれにではあるが、夜半にボッキしたりするのである。笑うしかなひ。ははは。(2014/10/08)

ハナミズキの実2014年10月9日.jpg

・「神奈川大学評論」の原稿を差し替える。ややふえる。なんてことないのに、こだわっている。なんてことないから、かえってこだわるのか。よいことだ。メールくる。「玉稿拝受」。ひざまずいてマガタマ2個を両のたなごころにのせて頭をたれる所作を連想。載るかどうかわからない。なにがあってもおかしくない。Aだけじゃない。すべてのケツメドが怪しい。きのふだったか、予算委員会でAがとつじょ気色ばみ「失礼じゃないか!」とさけんだ映像をみた。その形相。ファシストがあるがままのファシスト面をしただけなのに、いまさらドキリとしたのはなぜか。おもわず戦慄したのだ。地金をありていにさらしただけなのに。やっぱりなあ、このアホ本気でやるんだな、とおもったのだ。Aはほんとうはもっと凄みたいのだ。ひとびとを恫喝したいのだ。Aよ、やれよ。いばれよ。脅せよ。もっと尻尾をだせよ。凄みかたとそのタイミングがわからなかったら、チンパンジーの副首相にでもきくことだ。ハナミズキの実をみた。感嘆。こんなに赤いのができるんだな。去年もおなじことをいったらしい。いいじゃない、毎年新鮮で。コビトにいわれる。それから、あの世の話。あなたはひとにはまんべんなくきらわれてるから、ひとの天国にはいけない。それはきびしいね。でも、犬にはすかれてるから、犬の天国(犬天)にいけばいい。犬天で犬とはしりまわれば。どう、お尻のにおいかぎあえば。マクドにいった。あんこのはいったあげものみたいのを食った。顔色のあまりよくない女性が、手にもったパンをじいっとみながら半時間もそのパンを食べていた。が、そのパンはいっこうに減っているようすがない。胸を衝かれた。床屋にいった。エベレストにのぼった。ネットで「イスラム国」とかいただけで公安の自動検索にひっかかるらしい。かんがえたりしゃべったり妄想したりしただけでヤバいことになる。想像罪か。まして本格的に調べたり関係者に取材したりしたら、事情聴取に家宅捜索。ほう。イスラム国、イスラム国、الدولة الإسلامية‎、ad-Dawlah al-ʾIslāmiyyah、イスラーム国、イスラム国……。膝いてえ。(2014/10/09)

葉の露.jpg

・あの起訴はまっとうではない。しかしだ、毎度のことだけれども、どう読んでもジャーナリズムの筋をとおしているとはおもえない、いわゆるヨタ記事のたぐいを載せた事実上の極右・公安機関紙S紙が、おくめんもなく「言論の自由」をかたらって、被害者面、英雄面をしているのはどんなものか。あきれはてる。あれが言論の自由にあたいする立派な記事か、子どもにだってすぐにわかるだろう。低劣!ところが、秘密保護法でも集団的自衛権行使容認でも大した反対をしなかった公益社団法人・日本記者クラブが、このたびは、はげしくいきりたって韓国にたいし抗議声明をだす。日本新聞協会編集委員会とやらも「起訴強行はきわめめて遺憾であり、つよく抗議するとともに、自由な取材・報道活動が脅かされることを深く憂慮する」と、世にいう「上から目線」声明。カス番組ばかりながしている日本民間放送連盟もまた「表現の自由と報道の自由は民主主義社会に欠くことのできないものであり、韓国で取材活動をおこなう同じ日本の報道機関として、つよく懸念している」と、さもえらそうに報道委員長談話を発表。なーんだ、きみらはみんな嫌韓ファシストのお仲間だったってわけか。「表現の自由と報道の自由と民主主義社会」だと!?笑わせるなよ。この国のどこに「表現の自由と報道の自由と民主主義社会」があるのかね。「日本軍創設」を主張し、故土井たか子さんを「売国奴」よばわりする超反社会的 psychopath=極右連中がいまでもNHK経営委員に堂々といすわっている。のっとっている。ファシストたちのわが世の春だ。首相Aは「ヘイトスピーチとはいえ表現の自由とかかわりがある」とのたまい、国家公安委員長は嫌韓ファシスト団体と以前から文字どおり昵懇のあいだがら。昵懇だからこそ、Aにより国家公安委員長ににんじられたのだ。昵懇とは、ねんごろということだ。ねんごろとは、大辞林によれば、(サルの副首相よく聞け)@心のこもっているさま、手あついさまA親しいさま、とくに、男女がなれ親しむさまB程度がはなはだしいさま、度をこしているさま――である。首相Aおよび国家公安委員長、嫌韓ファシスト団体は、すなわち、「ねんごろなかんけい」ではないか。おまえたちはとりわけBの「程度がはなはだしいさま、度をこしているさま」に該当する。あれしきのヤジでAにすごまれて、キンタマちぢませてビビりあがった民主党よ、おまえらはファシスト2軍である。ヒトラーやドラキュラやチンパンジーや psychopathたちの国会。こいつらのために税金や受信料をはらうひつようがあるだろうか。ところで、申しおくれたが、「神奈川大学評論」の依頼でかいた原稿のタイトルは「デモクラシーとシデムシ」である。エベレストにのぼった。(2014/10/10)

ネコノヒゲ.jpg

・整形外科と眼科に。コビトつきそい。感謝。左膝レントゲン。散瞳。眼底写真。黄斑上膜と白内障。まだ手術するほどではない、と。鎮痛剤、湿布薬もらう。歩きはあいかわらずだめ。ボーッとしている。一昨日マックにいた女をけふもおもう。手にもったハンバーガーだけをじいっとみていた。ひとり。たぶん若い。貧しそうだ。おしゃれらしいおしゃれもしていない。眉毛がこい。まわりをみない。店内をみわたさない。携帯もみていない。手にしたハンバーガーから目を逸らさない。食べているようだったが、ハンバーガーはさっぱり減っていない。だとしたところで、べつにふしぎではない、とおもう。前歯で1ミリ食べては、手中のハンバーガーの微減のぐあいをしずかにかくにんしていただけなのかもしれない。かのじょには、ごくうすい笑みがうかんでいるようにも、まったく無表情のようにもみえた。なにかおかしい気もするが、とりたてておかしくもない。これが世界だ。世界があるとすればの話だが。カネッティの『眩暈』の冒頭は、「君、なにしてるの?」だ。こたえは「なんにも」。「君、なにしてるの?」はよけいなお世話なのだ。マックのスタッフ募集のポスター。「ここで生きる……」だったか。夜、テレビをつけて歯をみがく。一青窈というひとがはなしている。つまらない。たいくつ。消そうとしたら、「ハナミズキ」を作詞したきっかけを訊かれて、「9.11があって……」と言っている。えっ。編集されているから脈絡がよくわからない。脈絡なんかないのかもしれない。聞きちがいだろうか。ツインタワーにつっこんだひとたちのきもちをおもって……あのひとたちにだって家族がいたろうし……と話している。テロリストたちのことだ。ハイジャック機につっこまれて死んだ多数のひとびとのことは、たしか、ひとことも言わなかった。「ハナミズキ」の詩の文言は9.11となにもかんけいがないようだが。あの歌の下地に9.11とテロリストたちのことがあったと聞いて、かんがえがたぶん、身軽なのだな、メディアにあまりとらわれていないな、とおもう。9.11のテレビ映像をみながら、あの日、ネコをだいて泣いたというひとをおもいだす。乗客やツインタワーの犠牲者たちがかわいそうで泣いたのだとばかりおもったら、ではなくて、死を賭してつっこんだ犯人たちが哀れでかわいそうだから泣いたのだという。世界というものを「善」と「悪」で分割したり概括したりしない。世界的できごととのかかわりは、もっともらしく概括されたマスメディア製の正義からではなく、とらわれない「個」の、ふるえる感性でかんじる。それが不思議であやうくおもしろい。ハンバーガーに見入っていた女性、「ハナミズキ」と9.11、9.11の映像のまえで泣きながらだきしめるネコ……世界とひとの交錯とは、概括不能であるとき、説明不能とみとめるとき、正直な「個」が乱反射して、かえって生の風景が狂おしくたちあがる。エベレストにのぼらなかった。(2014/10/11)

カラスにおどされ別の道でみたフヨウ.jpg

・カシの樹のしたをとおったら、カラスに脅された。去年もだった。去年はカシの樹をはなれてもしつように追いかけられた。子犬ほども大きなハシブトガラス。カラスはおもしろい。先日はカーカーでなく「ゲロゲロ」と鳴いていた。ガマガエルがいるのかとおどろいて、みまわしたら、カラスだった。おかしい。どういうつもりかわからない。このところおちつきなくよく鳴く。せわしなく飛ぶ。けふは頭上すれすれを低空飛行。たぶん子育てのさいちゅうなのだろう。「ゲロゲロ」はひな鳥をあやしていた声か。あるいは赤ちゃんを笑わせていたのか。けっきょくはわからない。あのかのじょは手にしたハンバーガーになぜああも長時間じっとみいっていたのか。「ハナミズキ」と9.11のかんけいについて、一青窈がいったいなにをいいたかったのか。大したことではないだろう。大したことかもしれない。大したことの端緒かもしれない。けっきょくはよくわからないのだ。わたしもかのじょたちも。気が触れているといえば、気の触れていないものなどいない。「人間は、つねに人間的なもののこちら側か向こう側のどちらかにいる。人間とは中心にある閾であり……」(アガンベン『アウシュヴィッツの残りもの――アルシーヴと証人』)、人間の本質なるものは存在しない。エベレストにのぼった。「霧の犬」の決定稿を、あすまでつくらないといけない。しかし、いったんはなれてしまうと気がのらなくなる。よくかんがえれば、なにも無理してつくらなくてもよいのだ。これだって、じつは「しないでいられること」のひとつだ。いまやあらゆるひとびとが順応性という流れにのっている。市場も権力もひたすら順応をしいている。こんにち、国会議員のように生き生きと生きるのがいっしゅの精神の失調か異常である時代には、いやだからしないこと、できないこと、無力であること、無能なこと、しないでいられること……に居直る方法があってよい。手にもった120円ほどのハンバーガーを半時間もみつめ、さまざまなおもいをめぐらすこと。すばらしい。だが、権力は(Aだけではない。民衆や市民という痴呆権力も)かのじょをいつまでもそうはさせておかないだろう。反社会的不作為かサボタージュか施設に収容すべき患者とみなすだろう。しないでいられることから、人間をひきはなそうとする。凝視をやめさせる。思索と妄想を遮断する。「こうした無能力=非の潜勢力からの疎外は、何にも増して人間を貧しくし、自由を奪い去る」(「しないでいられることについて」『裸性』)。そうなっている。(2014/10/12)

ススキ.jpg

・さっき「霧の犬」最終稿送る。213枚。きりがない。疲れた。終わりの風景のヴァリアント。どこまでも果てがない。まったくきりがない。新刊『霧の犬 a dog in the fog』は来月、鉄筆社のハードカバー第1号として刊行される。内容は、@「カラスアゲハ」75枚A「アプザイレ」40枚B「まんげつ」10枚C「霧の犬 a dog in the fog」213枚――の4作品。配列もこのとおり。装幀は名久井直子さん。カバー、扉ふくめかんぜんにおまかせ。長谷川潔のエッチングを原画とさせていただく。ひとりではとてもできなかった。からだがボロボロだし。鉄筆社の渡辺浩章氏とコビト&gagaに、なにからなにまでたすけてもらった。『霧の犬 a dog in the dog』は『青い花』(角川書店)からずっとつづいている濃霧のながれだ。救いない濃霧。渡辺浩章氏とコビト&gagaは、執筆上のあらゆるわがままと冒険をゆるしてくれた。かきたいようにかいた。狂いたいように狂った。けっきょくは、すきかきらいか、だ。渡辺浩章氏とコビト&gagaは逃げない。鉄筆社はこれであえなくつぶれるかもしれない。つぶれたら、またさいしょから裸踊りだ。サンバカーニバルだ。ターラーラーラーラララーーラーラ・ターラーラーラーラララーラーラ・ラーラーラーラーラララー・サンバ・デジャネイロ・サンバ! うーっサンバ! エベレストにのぼらなかった。(2014/10/13) 









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2014年09月07日

日録1ー2



私事片々
2014/09/07〜

駅前の花.JPG

・エベレストにのぼった。犬のクッションを買った。イチジクを食った。JST朝、リベリアのながの君からメールがきた。写真2枚。疲れぬけない。きのう、はじめてゴキブリがでた。犬、雷におびえてゴキブリに反応せず。6割弱。(2014/09/07)

黄色い花.JPG

・逃れられないのである。正直、気が滅入る。憂うつである。どうしたらよいか、はっきりとはわからない。だが、このことにはとうてい無感覚ではいられない。逃れることはできない。このことを受けいれる、真に納得できる思想がもしあるのなら、触れてもみたい。できれば折り合ってもみたい。だが、ない。さがしてもない。これに関し納得できる思想はまったくないのだ。したがって、どうあっても折り合うことはできない。どうにかしなければならない。書かなければならない原稿がある。だが、ひとたびこの予感にとらわれると思考は停止する。思念のカタストロフィに全身が凍りつく。予感?それどころではない。ほんとうは確信である。これをくつがえすことのできる材料はいま、ひとつとしてない。あれば奇蹟である。新法相は死刑執行命令書に、いつでも勢いよくハンコを押すであろう。バン!死刑執行命令書の文面はつぎのとおり。「東京高等検察庁検事長 ××× 平成××年×月×日上申に係る×××に対する死刑執行の件は、裁判言渡しのとおり執行せよ。平成26年×月×日 法務大臣 松島みどり」。なんというひどい文章だろう。これ一枚でひとが縊り殺される。宇宙がひとつ消される。新法相はかつて「人権は被害者にあって、加害者にはない」「法務省は法で6ヶ月以内に(死刑を)執行すると明記してあるのに、なぜそれ通りに執行しないのか。法務省が法律違反をするなど、あってはならない」などと言いきっている。再審請求中の死刑囚にたいする死刑執行もやりかねない。命を処理したいのだ。抹消したいのだ。殺したいのだ。なんとかして生かしたいのではない。この女性は絞首刑執行命令をためらわないだろう。新法相は国家の名による殺人を少しも躊躇せずに貫徹するだろう。このクニの世論は、あろうことか、死刑執行をよろこぶ。バカげたことに、内閣支持率があがる。新法相はこれまで踏みこまなかった「領域」に足を踏み入れるといわれる。領域とは死の領域だ。それは年内にもあるだろう。どうすればよいのか。どうにかできないのか。どうもしなくてよいのか。どうもしなくてよいとおもわない。まったくおもえない。エベレストにのぼった。(2014/09/08)

9月9日の花.JPG

・……夫レ家ヲ愛スル心ト國ヲ愛スル心トハ我國ニ於テ特ニ熱烈ナルヲ見ル。今ヤ實ニ此ノ心ヲ擴充シ、人類愛ノ完成ニ向ヒ、獻身的努カヲ效スベキノ秋ナリ。惟フニ長キニ亘レル戰爭ノ敗北ニ終リタル結果、我國民ハ動モスレバ焦躁ニ流レ、失意ノ淵ニ沈淪セントスルノ傾キアリ。詭激ノ風漸ク長ジテ道義ノ念頗ル衰へ、爲ニ思想混亂ノ兆アルハ洵ニ深憂ニ堪ヘズ。然レドモ朕ハ爾等國民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等國民トノ間ノ紐帶ハ、終始相互ノ信ョト敬愛トニ依リテ結バレ、單ナル~話ト傳說トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現アキツ御ミ~カミトシ、且日本國民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル觀念ニ基クモノニモ非ズ。 朕ノ政府ハ國民ノ試煉ト苦難トヲ緩和センガ爲、アラユル施策ト經營トニ萬全ノ方途ヲ講ズベシ。同時ニ朕ハ我國民ガ時艱ニ蹶起シ、當面ノ困苦克服ノ爲ニ、又產業及文運振興ノ爲ニ勇往センコトヲ希念ス。我國民ガ其ノ公民生活ニ於テ團結シ、相倚リ相扶ケ、ェ容相許スノ氣風ヲ作興スルニ於テハ、能ク我至高ノ傳統ニ恥ヂザル眞價ヲ發揮スルニ至ラン。斯ノ如キハ實ニ我國民ガ人類ノ祉ト向上トノ爲、絕大ナル貢獻ヲ爲ス所以ナルヲ疑ハザルナリ。……御名御璽 昭和二十一年一月一日 1946年元旦、戦犯朕ニ、イケシャーシャート上記ノ事ドモヲ宣ワレ、嗚呼アリガタヤ、嗚呼アリガタヤ、ト感涙ニムセンダ我國バカマスコミ並ビニ爾等アホ國民ノ成レノ果テガ現在ノ爲體ナリ。今朝ハ沖縄弐紙ヺ除く日本國全紙ガ無批判提灯記事滿載、且戦犯朕々ヲ称揚、報道報國ノ實ヲアゲ、無恥卑劣厚顔ニシテ權力ノ走狗ノ傳統ニ恥ヂザルノ眞價ヲ發揮スルニ至レリ。馬鹿者ドモ、恥ヲ知レ。「今ヤ實ニ此ノ心ヲ擴充シ、人類愛ノ完成ニ向ヒ、獻身的努カヲ效スベキノ秋ナリ」トハ、朕サン、自他國民二千数百萬人ヲ殺シテオヒテ、能ク言ヘタモンダヨ。何ガ「人類愛ノ完成」ダ。廣島、長崎ピカドンカラ半年モ閲セズニ能クモマア言ッタモンダヨ。朕、恥ズカシクハナイヒノカ。イヤハヤ呆レタヨ。「詭激ノ風漸ク長ジテ道義ノ念頗ル衰へ、爲ニ思想混亂ノ兆アルハ洵ニ深憂ニ堪ヘズ」等ト、朕々、アンタニャ言ハレトウナヒ。吾、寧ロ、詭激ノ風遂ニ長ズルコトヲ待望スルナリ。今ヤ安倍戰爭政權ヲ倒スベキノ秋ナリ。爾等國民ニ告グ。起テ、起テ、安倍戰爭政權打倒ニ起テ。朕ハ起ツナ。天皇ヘーカ萬歳、萬萬歳。ケフ、エベレストニノボッタヨ。ナガノ君タチ、リベリア脱出、バルセロナ着。(2014/09/09)

キキョウ.JPG

・昨日悲しいことがあった。(2014/09/10)

薄桃色の花.JPG

・喪の気分のまま、9月30日「霧の犬 a dog in the fog」210枚を脱稿。一昨日まで多少の改稿、昨日ほぼ完成。ゲラでさらに1枚ほど追加予定。ほっ。激激激疲労。コビト&gagaにはかなりたすけられた。多謝。鉄筆社の刊行スケジュール(来月中旬)になんとかまにあいそう。装幀は『眼の海』などでもお世話になった名久井直子さん。長谷川潔のエッチングを原画にするらしい。最新小説集のタイトルを当初の「カラスアゲハ」から「霧の犬 a dog in the fog」に変更、鉄筆社も諒承。けふ、エベレストにのぼった(2014/10/04)

赤とんぼ.JPG

・「神奈川大学評論」の原稿、途中まで。狂気をじじつとしてみとめなければ、驀進する歴史のリアリティーはみえてこないだろう。近代的概念としての「主体」は爆砕された。そのことにより、まもるべき規範も破砕された。のこるは資本の法則のみである。もっとも暴力的なのがそれだ。エベレストにのぼらなかった。(2014/10/05)

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・「今日われわれは戦争状態にあり、われわれは皆そのことを、政治的なものの外へ失墜し、堕落しようという瀬戸際で感じている。われわれはすでに新しいタイプの戦争という零落の状態にあり、そこでわれわれはあらゆる理由において人間であることを恥ずかしく思っている」(ベルナール・スティグレール『象徴の貧困――ハイパーインダストリアル時代』新評論刊)。まったく同感。悪夢と現実がいれかわっている。「神奈川大学評論」の原稿つづき。明日締め切りだったっけ?体調不良。昼寝。犬が親のような目でみていた。S紙は公安機関紙だな。あれはもう新聞ではない。冷たいイカ刺しが食ひたひ。エベレストにのぼらなかった。(2014/10/06)



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2014年08月30日

日録1―1



私事片々
2014/08/30〜

空に咲く花 8月30日.JPG

・昨日朝、大腸内視鏡検査のための大腸洗浄液を病室で飲んでいるときに、2人に死刑が執行されたことを知る。いつも不意だ。だれか顔をかくした、たぶんまだ若い役人が、いい調子で「国家」を体現している。こうやって日常の虚を衝いてくる。梅ジュース味の溶液の入った紙コップをもつ手がふるえる。怒りからか。悲しみからか。いや、たぶん屈辱からだ。どうにもならない日常にいることの辱めからだ。日常はじつにうまくしくまれている。死刑の執行を知ったからといって、わたしは腸内洗浄をやめない。なんどもなんどもトイレにいく。じぶんをからっぽにする。だれも日常の手をやすめはしない。なんとなく死刑の共犯にされていく。それどころか、共犯とさえおもわない。死刑を生ゴミ処理ほどにも感じはしない。気にしない。だれもさほどにじぶんを恥じてもいない。みな、いつものようにランチを食うだろう。コーヒーを飲むのだろう。夕刻前には死刑など忘れるだろう。夜にはテレビのニュースでもやらない。日常はすこしも壊れやしない。わたしは数時間後、車椅子で内視鏡センターに運ばれ、血圧を測られ、麻酔の点滴をされ、検査台によこたわり、肛門にゼリーを塗られ、「それでははじめます」と告げられ、尻から黒く冷たい管を突っこまれる。「痛くないですかあ……」。ひとが2人、縊り殺されたというのに。「痛くないですかあ……」。「ガスだしてくださいよお……」。わたしはなにをしているのか。なにをされているのだろう。いったい、なにをしたくてこうしているのか。意識がうすれる。絞首刑にされた男たちは、もう遺体を浄めてもらっただろうか。荼毘にふされたか。執行担当刑務官は二日酔いか。吐いたか。音もない。におわない。なにも残らない。それで、みながたすかっているのだ。けふ午後、昨日の死刑について、ある善人が遠慮がちにつぶやいた。すこぶるつきの善人が。「だれかがやらなくちゃならないんですから……」。それにたいし、がまんしてなにも言いはしなかった。ただ、顔にみるみる残忍な怒気がわいた。たとえようもなく残忍な。それがじぶんでわかった。抑えなかった。怒気がわくにまかせた。悪意がないというのは手がつけられない。エベレストにのぼった。(2014/08/30)

死刑執行日のガード下.JPG

・せめて死者たちに聴かせてやれよ。だめだ?あの歌のなにがよくないというのだ。あのだみ声がわるいか。タバコくさいか。酒くさいか。シャブくさいか。なら、おまえは聴くな。とっとと帰れ。金勘定でもしとれ。A SONG FOR YOU . レオン・ラッセル。なにが悪い。みかが今朝、リベリアに発った。正解。おれも行きたかったな。誘ってくれてありがとう。中野君、会えなくてごめんね。ほんとうは会えたんだけど、気持がずいぶんたてこんでました。ハルさんは昨日、光化門広場に行った。ドットウの絵の話、よかった。新聞なんかじゃわからない。危機がほんとうに危機であるとき、それは危機を感じられなくなったとき。エベレストにのぼった。尾根で1970年のA SONG FOR YOUが聞こえてきただけのことだ。1970年の、だ。タバコをのんだ。深々と吸った。うまかった。しびれた。(2014/08/31)

今年最後のセミ.JPG

・鉄筆文庫版『反逆する風景』のまえがきを書く。送稿した。締め切りは3日。a song for youがまだ耳についている。なぜだ。声だ。いまはジジイのレオン・ラッセルが若かったころのあの声。憂うつな喇叭。なにが悪い?江ノ島のきったない岩にへばりついたフジツボのような、ダメな肛門にみまがう、おちょぼ口をした男Aに、つきしたがう者どもはどうぞつきしたがえばよい。フジツボ口とそれによってなされたかもしれない美しい国のクンニ(訓尼)についての連想を、詩なり俳句にする者はそうしろよ。ああ気色わるい。Aよ、おれは早く、いや即刻だ、おまえに消えてもらいたい。民主主義とかなんとか以前の、これは人間生理の問題だ。おれはおまへとおまへの仲間をどこまでも差別する。である以上、おまえたちもおれを徹底的に差別するだろう。結構。OK牧場。どちらかがぶっ倒れるまでやりませう。けふはレオン・ラッセルの声を耳から消去するべく四苦八苦。気がついたら、カート・コバーンのCome as You Areが耳にびったしはりついていた。そこで一句。訓尼するアホがあたまに屁をひられ。臭桜子。エベレストにのぼった。寝る前、キャメル3本喫った。うまひ。Take a rest, /as a friend, /as an old memoria,/memoria, memoria,memoria…(2014/09/01)

ムラサキシキブ9月1日.JPG

・黄色い柚子を1個、上着のポケットに入れて、イカを釣りにゆくのだ。真面目で冗談のない透明なマイカを。エンペラがうねうねし、ぴらぴら光る。わたしゃスルメイカを釣りにいきまする。イイダコの形の、赤い疑似餌は、むこうに用意してある。おれはまっ黄色の柚子を1個もっていけばいい。あとはぜんぶほっぽって(ここが肝心)、犬連れでイカを釣りにゆくのだ。ぜんぶほっぽって、ね。融通のきかないマイカちゃん。さっぱりもりあがらないマイカちゃん。サングラスかけ、くわえタバコでイカを釣る。ラークだ。海を見ながらラークを喫う。イカ釣りにはラーク。釣ったらすぐにさばいて塩辛。指にイカ墨。黄土色の肝。ペロペロ舐めます。うまひ!柚子かける。柚子入れる。ぽっぽ焼き用の七輪も醤油も日本酒もむこうにある。犬にはイカを食わせない。腰抜ける。もりあがらない話をぶつぶつ話す。けふ、エベレストの近くまで行ったが、清掃中だったため、のぼらなかった。清掃?だからどうしたというのだ。歯医者に行った。オタバコハオヤメニナッタホウガ……。やかましい。郵便局の青年が本を1冊届けてくれた。とびきりの笑顔で。白水社の新刊、マリオ・ジャコメッリ『わが生涯のすべて』。郵便局の青年、昨日の拙句をよっぽど気に入ってくれたか(なら、よい趣味だ)、満開のダリアのようにうれしそうだった。こんどダフネ1号店に誘おうかな。JSFに。午後、南口に爆撃があった。(2014/09/02)

疾走.JPG

・死者なお死す。ひとしきり窩主(けいず)買いの「窩」についてかんがえる。また、ローマ数字についておもふ。ex. XVIII。朝っぱらから電話。鶯谷でラブホテルをやってるW(67)から。地獄におちた夢を見たという。やっぱりな、とおれ。気がついたら、ゴールデンハムスターになって、閻魔様が裁判長の地獄法廷にいた。他にも被告ハムスターが2匹いた。閻魔様から3つのうち1つをえらべと厳かに命ぜられる。@おぼちゃんの「窩」Aタカエチサナヘの「窩」Bフジツボ男Aの「窩」ーーの3つの「窩」のうち1つを選択し、そこに頭から入れ。てな命令。そりゃふつう迷わず@をえらびますよね。うん、そうだな、そりゃ人情だな。Wおよび他の2匹、即@選択。したらば、これがひっかけつうか罠で、そういうスケベ根性だから地獄にくるんだ、アホども!とか言われて、A、すなわちタカエチの「窩」行き決定。Wをふくむハムスター3匹が順番にタカエチの穴に入ることになった。ひどい話だ。ずっとそこで暮らさなければならない。少なくとも、次の大ガス噴射ないし大排泄がなされるまでは。Bのケツは多忙のよしでアヴェイラブルではなかった。それは、ま、よかった。「窩」は音読みで「ka」。慣用で「wa」だが、閻魔様は「wa」と発音なされ、尻の窪みから肛門、直腸へとつづく暗く生温かい洞窟をいっかつして「窩」一字で表現されていたらしいが、おぼちゃんゆきを失敗したWは、もうただただ落胆するばかりだった。で、閻魔様に「おそれながら……」と泣き泣き願いでた。せ、せめて、わたくすぃめをタカエチさんのケツメドのいちばん外側にいさせてくださいませ。どうか、内側はご勘弁ねがひますっ!泣訴。ところが閻魔様、ひどいへそ曲がりだから、わざとWをサナヘさんのケツの闇の内側つうか一番奥に配置。死ぬほど臭いし熱いし、しかしながら、ここは地獄、勝手に死ぬこともゆるされない。Wクソまみれとあいなり、息もたえだえになって、ひょいと前の(つまり3匹のうち真ん中の)ハムスターの顔をみやれば、な、な、なんとそれはやはりクソまみれのわたしだった。だから、すぐにお報らせしなければ、と早朝の緊急電話となったんだと。そんなこと言われたって、どうすりゃいいんだ。Wしみじみいわく。「善行」をつむしかなひですねぇ。いやだ、まっぴらだ、とわたし。こうなったら、徹底抗戦だ、と啖呵を切る。電話を切る。だが、不吉な話が尾をひく。この破砕された「世界内」の位置とは、だれがどんなえらそうなことを言ったって、やつらのケツメドのなかということなのだ。どうあっても屈辱はまぬかれない。おぼちゃんの「窩」はもはや望むべくもない。タカエチかフジツボ男Aか、下手したら、次なるシニガミ・マツスマミドリのケツメドのなかといふ完全絶望的世界内で、ウンコにまみれてもがくしかないなんて!だが、これがコクミンの冷厳な現実だ。そうした世界内にあって、いったい、だれが、どんな根拠で、自由たりうるといふのだ。今朝ハルさんたちはチョンジュに発った。チョンジュには行ったことがない。もうイカ釣りにしか望みはない。柚子だ。それだけだ。左手でイカ釣り。すべて、すべて、ほっぽる。ほっぽります。死者なお死す。なんどでも死ぬ。「霧の犬」を書き上げて、ここから引っ越そう。なんとかして。「霧の犬」はいらだたせない。もういい。たくさんだ。こりごりだ。しおどきだ。おれは犬をつれてイカ釣りにゆく。金色に光る柚子を1個、買う。透明なイカよ。正直なマイカよ。キラキラ水の跳ねるのをまなうらにえがく。おれは静かにイカを釣る。それだけだ。もういい。エベレストにのぼった。へんにぬくい。おかしい。空気がただならない。あっ、ここも世界内=肛門なのだ。(2014/09/03)

花壇の蝶.JPG

・ぞっとした。松島みどり法相(元朝日新聞記者)が初閣議後の記者会見で「死刑執行に署名することも覚悟して、この職を引きうけました。議論は必要かもしれないが、国民の考えにもとづいた制度として必要だと考えています」と語り、死刑制度に肯定的な意見をしめした、というよりも、テレビで見ると、死刑執行をこれからもバシバシやります、といふ口ぶり。谷垣前法相は計11人の絞首刑執行を命じ、つまり、11人を国家の名において次から次へと縊り殺し、「死に神」として自民党幹事長に。松島は特定秘密保護法(実質上の治安維持法)の具体的運用にものりだす。およそファシスト政権で死刑と思想・言論統制に不熱心だった党などなかった。イカ釣りなんかしてる場合だろうか。コビトがきて、犬とともに中央口ミスドに。新商品麻婆麺たのむ。からひ。コビト、唖者なので念波で問うてくる。「あの女って、吸血鬼に、バンパイアに似てません?」。真っ赤な新法相マズシマのことだ。そう、似てる。いやな顔だ。が、ここは諭す。「これこれ、そんなことを言うものではないよ。マズシマさんもひとりのヌングェンなのだよ……」。コビト「あいつ、きっと来月までに死刑執行やりそう……。殺す気マンマンだよ。カクリョーたって、みんなチンカスか腐れマン✕ばっかしじゃん」。わたし「えっ?」。コビト「クサマンばっかりよ。あほくさっ!」。肉まんを1個追加オーダーした。わたしたちはみな、あいつらのケツメドで死ぬのだ。あいつらのケツメドのなかでクソまみれになり、税金をはらわされ、血を吸われ、さんざバカにされて死ぬのだ。それでいいのかどうか。それでいいというかんがえかたもありうる。いはゆる達観といふやつだ。ここをケツメドとおもわない思想をはぐくむ。ここはアベのケツメドなんかじゃなく、ほんとうは天国なのだ。ほら、うつくしい海があるよ。イカを釣ろう。柚子があるよ。すなおになろう。やさしいきもちになろう。冗談ではない。ここはケツメド以外のなにものでもなひ。エベレストにのぼらなかった。(2014/09/04)

白い花9月初旬.JPG

・ルドナヤプリスタニのことを少し書いた。声のこと。チョンジュからメールがあった。あれはたぶんチョンジュからだ。モンロビアからも短いメールがあった。エベレストにのぼった。草が刈られていた。夕刻までにからだが疲れきった。(2014/09/05)

タマムシ9月5日.JPG

・1匹の生きたタマムシがきのう午前コビトにひろわれた。水を飲まされた。タマムシは薄緑の液をひとつぶ吐いた。夕刻までは生きていた。けふ、昆虫ではなくひとの顔をした医者の病院にいく。エベレストにのぼらなかった。着替える。手紙なし。ソウルからメールがあった。2シーン以上書く。ヤマパンのエクレア食った。わちきにもくんなまし、といふので犬にひとかけらあげた。(2014/09/06)









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