2017年11月14日


◎『月』第2回の扉絵

連載小説『月』第2回の扉デザインがきまりました。
クリックしてみてください。今月下旬の月刊「本の
旅人」(角川書店)12月号に掲載されます。
ササキエイコさんのイラストです。


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2017年11月11日

踊れ、うたえ!


◎「バカとの共生」および戦争

ジョイス『ダブリナーズ』新訳を買ったら、訳者の得意顔
がろこつで、げんなり。「孤高の天才翻訳者××××の画期的
新訳」のオビにはまいったね。『ダブリンの市民』はすんなり
読んだが、『ダブリナーズ』は気恥ずかしくなる。バカか。

ナチスの初期、少なからぬユダヤ人知識人がヒトラーをたかく評価
していた。ドイツ民衆とマスメディアの多くは40年代に入っても
危機感がうすかった。独ソ戰のさなかに、本国では金持ちがパーティ
ざんまい。戦場ではドイツ兵が飢えて人肉を食らっていた。

教育基本法改悪ー秘密保護法成立ー安保法成立ー集団的自衛権
行使OKー共謀罪成立ー武器輸出解禁・・・。ポイント・オブ・
ノーリターン。と、もう気どっているばあいじゃない。バカメディ
アがそらぞらしく「平和」をかたり、五輪と戦争をささえている。

「天皇主義宣言」をやらかしたバカ学者を、じじつ大バカだから、
雑誌にしょうじきに「バカ」という趣旨のエッセイをしたためたら、
読者から「狭量」と投稿で批判された。ほう、天皇主義を批判すると
「狭量」ねえ。両論併記≠フつもりか、投稿が大きく掲載される。
バカくさ。

オリパラ・バンザイ!戦争バンザイ!かってに踊れよ。うたえよ。





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2017年11月09日

反復


◎懈怠と戦慄

笠原十九司さんは「安倍政権は、確実に、日中戦争に至った
かつての道を再び歩んでいると思います」と断言する(「世界」12月号)。
安倍ー歴史修正主義ー憲法破壊ー戦争・・・の、ことばのならびは、もう倦怠
をさそうほどに、見なれ聞きなれてはいる。だが、わたしは戦慄すべきだ。

なんどでも戦慄すべきだ。あらためて、ふるえるべきだ。あしもとのリアルな
戦争〈前史〉を見つめるべきだ。

けふ『月』連載第2回pdfゲラをもどす。




posted by Yo Hemmi at 18:20| 日録 | 更新情報をチェックする

2017年11月08日

必読!


◎「日本はすでに戦争の〈前史〉を歩んでいる」

「世界」12月号の笠原十九司さんインタビューに深く同感。
タイトルは「戦争の〈前史〉と〈前夜〉」。戦争にはかならず
〈前史〉と〈前夜〉があり、〈前夜〉までくると、戦争阻止は
不可能。これはかれの近著『日中戦争全史』上下巻にもくわしいが、
インタビューは要点をうまくまとめている。

笠原氏は「政権中枢が南京事件などの史実を否定する歴史修正主義
に染まっていることの異常性については、どれほど強調しても強調
したりない・・・」とかたり、この歴史修正主義は、政権中枢からジャー
ナリズム、教育分野にかくだい、中国・北朝鮮脅威論をあおりたてて
いると指摘。

笠原氏の結論は「日本はすでに戦争の〈前史〉を歩んでいる」で、
戦争回避が不可能となる〈前夜〉になるまえに手をうたないと
たいへんなことになる、と言う。必読!

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2017年11月07日

原稿


◎『月』第2回を送稿

月刊「本の旅人」(角川書店)で連載をはじめた
小説『月』の第2回原稿(約45枚)を昨日送稿。
11月下旬発売の「本の旅人」12月号に掲載されます。
最終的に4〜500枚になるか。

これだけは言えるのではないか。米国の売春宿のオーナー
(金髪)が来日して、ニッポンのパシリとゴルフをする。
メディアがよろこぶ。この光景につき、「まったく好み
でないもの」を忌避する方法とかんれんづけてかんが
えるのは無意味か、どうか。

また、このばあいの「絶対的な拒否」の今日的不可能性に
かんし、いつもより多く時間をかけて、おもいをめぐらすの
は徒労かどうか。
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2017年11月01日

모란봉악단!


◎アナクロニーとアトピー

非時間性と非場所性。セカイはひとつ。ウイルスでひとつ。
모란봉악단はなんだかおもしろい。歴史的パースペク
ティヴはもうどこにも存在しない。ノートンT年延長。
まるで脅迫だぜ。トランプより모란봉악단にきてほし
い。皇居でうたって、おどってほしいね。トランプよ
りモランボンがまだまし。うその飽和。

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2017年10月30日

引っ越し


◎海苔をのどにつまらせないように、と言われた

死ぬから。そうやって死んだひとがいくらでもいる。「どこでも
いいのではなく、ここにいること。・・・あらゆるところで、どの
場所も、ここであるかのように」。判読不可能性。誤認可能性。

posted by Yo Hemmi at 16:57| メモ | 更新情報をチェックする

2017年10月29日

数独


◎きのう獣医に診てもらう

数独は、そのことばも知らなかった。ものもらいと心臓病。
大事にいたらず。もっとも大事な本10冊。新しい本1冊。
「翼状頸」につき、さらにおもう。赤いおんなのこと。犬の
ものもらい、ほぼなおった。
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2017年10月28日

『月』


◎『月』連載はじまる

連載小説『月』の第1回が、KADOKAWAの「本の旅人」
11月号に掲載されました。きのうから店頭にあるそうです。

月 扉.jpg
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2017年10月27日

世事


◎世事にかかわらないこと

「翼状頸」について、ひとしきりかんがえる。「対比」について。
死戦期呼吸にかんし。犬の目。ものもらいなおらず。

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2017年10月24日

戦争の生成


◎発音できない〈悪〉

ポール・オースターは「白い空間」で書いた。未来形で。
「なにかがおきる、そしておきたとたん、もとにはもどれなくなる」。
しかし、なにかは、とっくの昔におきた、そしてもうもとにはもどれな
くなっている。

犯罪者が、じぶんの犯罪を帳消しにするために、国会を解散し、勝つの
をみこして総選挙にうってでた。そして勝った。このプロセスぜんたいが
犯罪を構成していることを、あのおとこは知っている。政治とは人民をま
きこんだ犯罪そのもの、またはその変形であることを、あのおとこは熟知
している。

目には見えないヘブライの〈神〉は、発音不能の名前だったらしい。
じっさいは100近くの名前があったのだが、どれをとっても「理解できないもの」
「語りえないもの」「目視できないもの」だった。それはわたしたちがいま眼前に
していながら、発音できないでいる〈悪〉とかぎりなく似ている。

この結果は、けっして狂気の産物ではない。戦争が、おどろくべきことに、
狂気の産物ではないように。これはむしろ知性と理性と文化の結合である。
暴力と知性と政治(的な意思)は三位一体となって、ますます戦争を生成する
だろう。ことばは、戦争の生成にまったく追いついていない。



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posted by Yo Hemmi at 17:55| 所感 | 更新情報をチェックする

2017年10月21日

ゴリャートキン


◎皇室御用達のアホ

ミクリヤ。顔もひどいが、話はさらに最悪。希代の俗物。
無教養。皇居の馬糞を常食するヌッポン産カバ。なるほど
ミンシュシュギはすばらしい!犬のクソかネコのクソかを
投票でえらぶ権利があるのだから。

雨。病院。ドリヤン。インフル注射。薬局。マック。犬。
ヒューマニズムは反対者を糧にして生きる。「わたしは
ヒューマニストではない。それだけの話だ」
posted by Yo Hemmi at 16:49| メモ | 更新情報をチェックする

2017年10月20日

セージョー


◎「正常」とはなにか

ひとの世の「正常」とは・・・たえざる労苦とたたかい、永遠の試練と苦痛と自
省をさす、とあるひとは言った。これらに「発狂」をくわえてもよいだろう。
それでは「異常」とはなにか。かんたんだ。上記の反対である。〈いま〉で
ある。

ひとりで生活していると、物語るということがどういうことかわからなくなる
、とJ.Sは書いている。ひとりきりのおとこが笑いたくなるのは稀だとも。ひ
とりきりのおとこは、じぶんの狂いにきづかない。たぶん。

ふるえるてふてふ.jpg


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posted by Yo Hemmi at 14:37| メモ | 更新情報をチェックする

2017年10月19日

冗談


◎中国が「社会主義」だと?!

マルクス・レーニン主義だと?冗談がすぎる。ニッポンコク首相が
犯罪者ではない、というくらいばかげている。習近平は「賃労働と
資本」も読んだことのない独裁者だ。罪だけが沈下する。いずこも
警察国家。陋劣な人民大衆と党。
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posted by Yo Hemmi at 17:33| メモ | 更新情報をチェックする

2017年10月18日

大声


◎駅前の吸血鬼たち

19世紀中葉のペテルブルクには、ごくごくひかえめにいっても
「ろくでなし、吸血鬼、虱のタマゴめ!」のほか、「悪党、
毒虫、腐れあま!」といった罵りことばがあったと、かの大作
家が作中でなんども証言している。コンプライアンスとやらは
とくになかった。

いま、Японияの各駅前には上記の「ろくでなし、吸血鬼、虱の
タマゴ、毒虫、腐れあま」たちが、いれかわりたちかわりやってきて
は、卑しい大声をはりあげ、らちもつかぬことをわめいている。19世紀中葉の
ペテルブルクには、いまふうの(骨の髄まで腐った)ミンシュシュギは
なかった。

しかし、自由と教養と思想と圧政と暴力と、じつに適切な罵りことばが、
むろん、あるところにはだが、あったらしい。スゥカ!タコブツを買って
くださいと、ヘルパーさんにお願いした。かのじょの住む街に
けふ、毒虫の頭目と腐れあまの親玉がやってくるらしい。


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posted by Yo Hemmi at 14:39| 所感 | 更新情報をチェックする

2017年10月17日

執筆中


◎『月』第2回執筆中

季刊「福祉労働」を2冊買った。その他資料いろいろ。
問題のコアにせまりえているものはない。善≠フ病を
故意にみおとすからだ。ことばのウソと無効に、知らぬふ
りをするからだ。

書きえない。が、書かないといけない。書きおえるまでに
朝鮮半島でなにもおきていないとはおもえない。肩が痛い。

月 扉.jpg

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2017年10月16日


◎アゾルカ

ゆうべ、寝るまえ、犬のアゾルカと老人のことを、みてきたことの
ようにおもった。あの情景がすきだ。「ワシリエフスキー島6丁目」。
朝ジッピ―さん。原稿、立ち往生。本たのむ。T冊だけにした。九州か
写真。装具をつけさせられたひとの強制的「リハビリ」に動揺。

気味がわるい。ほとんどすべてが。しずかに、ぜんいんが狂っている。
先日、犬が吐いたのはスペアリブではなく、馬かダチョウのアキレス腱かも
しれない。

posted by Yo Hemmi at 15:03| メモ | 更新情報をチェックする

2017年10月15日

吐く


◎スペアリブ

犬が3日前、スペアリブを食い、昨日午後、しばらく咳をし、
それからグエーグエーとうなって、白い泡とともに骨を1本吐きだした。
骨は長さ10センチほど。おどろいた。まさか骨ごとのみこんでい
たとは。まったく苦しそうな様子はなかったのだが・・・。

本ブログへのアクセス数はふつうは1日2000〜3000だが、きのうから
突然、たったの2件になった。なぜかはわからない。面妖。


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posted by Yo Hemmi at 16:06| メモ | 更新情報をチェックする

2017年10月14日


◎連載小説『月』の扉デザイン

連載小説『月』の扉デザインが添付のようにきまりました。
今月下旬発売の月刊誌「本の旅人」(11月号 角川書店)
に第1回が掲載されます。原画はジャクソン・ポロック。

月 扉.jpg
(クリックで拡大)





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2017年10月06日

病院


◎病院

早朝おきて病院。採血、診察後、食堂で牡蠣フライを食べました。
歩き最悪。12月CTの予定。
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2017年10月05日

連載小説


◎小説『月』連載へ

小説『月』が、角川書店の月刊誌「本の旅人」で連載されます。
第1回は10月27日発売の同誌11月号で、43枚。毎月連載の
予定で、最終的に300〜400枚になるみとおしです。
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2017年08月29日

北朝鮮


◎かれらの心理

弾道ミサイルが飛翔するその下にあるひとびとの、茫漠たる
不安と脅威は想像にかたくありません。しかし、ニッポンをとびこえてゆく
ミサイルを発射したがわの思想と心理はどうでしょうか。そこに歴史はどの
ようにきざまれているのでしょうか。植民地(被)支配の歴史意識ないしル
サンチマンが、ミサイルの軌道に反映してはいないのでしょうか。

かれらは知っているのでしょうか。核と弾道ミサイルの脅威が大きくなればな
るほど、ニッポンの政権基盤がかたくなることを。核・弾道ミサイル
実験と誇示は、かつての宗主国のタカ派ををおおいによろこばせています。
起死回生の暴力的契機をあたえています。そのことをかれらは知っているので
しょうか。

核による破局の脅威は、ほかでもない、この危険を永続させている
勢力を保護している――というパラドクスを、かれらは知っているでしょう
か。とうぜん知っているでしょう。かつてオーバードーファーの
『二つのコリア』を読んだとき、かれらの逸脱がたんなる狂気にもとづく
ものではないことをおしえられました。

「挑発」という主観的かつ恣意的表現は、権力と一体化した戦争報道の
悪しき特徴です。わたしたちはまずもって、かれらについてあまりにも
知らないのです。


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2017年08月26日

死者の列

.
◎生体と制度の軋み

「私が見た最後の将司くんは、その姿とは裏腹に明るく前向きで、正月休み
を返上して見守ってくれた医師、看護師、刑務官に感謝しているようでした」。
「キタコブシ」177号に、大道寺ちはるさんが書いています。ことし2月の、
まだ意識がはっきりとしていたころの、かれのスケッチです。

ああ、そうなんだろうな、とすなおに納得します。おちついたかれのまなざしが目に
うかびます。「正月休みを返上して見守ってくれた医師、看護師、刑務官に
感謝・・・」。よくわかります。かれはこころからありがたいとかんじていたこと
でしょう。ちはるさんの記述はフェアだとおもいます。

拘置所の医師、看護師、刑務官らが一生懸命に、重篤のかれに対処したことも
うたがいません。獄外の大病院のようにはいかなかったにせよ、拘置所として
できることは、すべてやったのではないでしょうか。かれらかのじょたちは、
全員ではないでしょうが、かなしみをたたえた深い目の色をしていたでしょう。

ここで、鉄の楔のようなものが胸にうちこまれます。だとしたら、死刑とは
なんなのでしょうか。死刑執行とは?死刑「確定」とは?死刑がカクテイしたと
される病者への、誠実な治療行為とは、いったいなにを意味するのでしょうか。
人間生体と制度のあいだの、とてつもなく不気味な軋みが聞こえてきます。

死者の列にくわわった大道寺さんの静かなまなざしがみえるようです。死ぬべく
定められながら、どうじに生かされること。そのことを深くかんがえるのを
はばむともなくはばむ「末人」たちの圧倒的な空気。大道寺さんに絞首刑は執行
されなかった。かれは「病死」した。しかし、ほんとうにそうなのでしょうか。
これも刑死とはいえないでしょうか。

逮捕以来42年がたちました。Somewhere Over the Rainbow...ほんとうでしょうか、
かれはこの歌がすきだったといいます。けれども、虹はついにかからずに、ひとびとは
ぞろぞろと死者の列を歩くのみです。それだけが約束されています。







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2017年08月25日

うつろい


◎「キタコブシ」のことなど

「キタコブシ」177号がとどきました。編集後記に「次号で終刊にします」
とあり、うろたえました。大道寺将司さんはずっと熱、転倒、床ずれに
悩んでいました。5月8日のメモには「朝アレンドロン服用せよ!タッパ洗え」と
あり、5月11日のメモには「パンツ、Tシャツ、パジャマ着替える」などと
記してあったといいます。同月24日に、かれは逝きました。享年68。

アレンドロンは骨粗鬆症の治療にも用いられるようです。多発性骨髄腫にも
薬効があるのでしょうか。いずれにせよ、絶え間のない激痛のなかで、かれは
生きようとしていた、なんとしても生きるよう自身に命じていたようにおもわ
れます。ずっとまえからかれはそうでした。死刑「確定」と重病という
二重の絶望的条件のなかで、「軛(くびき)」が現前し、うごかしがたいものだ
からこそ、「死」よりも「生」を確信的にえらんでいたのでしょう。

「キタコブシ」編集部にれんらくして、次号に原稿を書かせてくださいとお願いし
、了承をえました。最終号は3か月後くらいにでるそうです。逝去時に共同通信
から配信された拙稿(西日本新聞など掲載)を参考のため再添付します。ことしは
時間のうつろいがずいぶん重くゆっくりだなと、けふ階段練習をしながらおもいま
した。それに、よくひとが亡くなります。

西日本新聞2日朝刊.JPG






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2017年08月20日

末人


◎こんにちは!みなさん。

けふ、階段練習をしていて、ふとおもひました。ハトの
糞のちらばる踊り場で。「末人」について。そして、その
ことをれんさいエッセイで書くことにしました。それはく
だりの練習中のことでした。のぼりのときは、もう息があ
がってしまい、わすれていました。
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2017年08月19日

新書


◎『沖縄と国家』紹介記事

目取真俊さんとの対談『沖縄と国家』(角川新書)の紹介記事が、
今朝の日経新聞に載りました。短信ていどの紹介ですが、簡にし
て要をえるとはこのこと。贅言はいらないのです。売れなくて
結構。読むひとは読み、読まないひとは読まなくてよいのです。
対談での目取真さんの印象とともに、この記事も気に入りました。
「暴力」はミスリードではありません。

沖縄と国家 日経紹介.JPG





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2017年08月16日

ボケ


◎8.15の大ウソ――反復と麻痺

きのう、ニッポン中が恒久平和を誓いあった、という大ウソは
小学生ならゆるされるにせよ、いっぱんにはコルサコフ症候群
かなにかでみられる病的な「作話」でしかありません。そうおも
いませんか? 作話をあくことなくくりかえし、大ウソにすっか
り麻痺しているのですから、ニッポンという名のニンチ症はそう
とう進行していると言わなくてはなりません。

かんがえてもみてください。共謀罪法、戦争法、秘密保護法をさしたる
抵抗もせずにとおしておいて、なにをいまさら平和の誓いでしょうか。
このクニはいま、かつてよりも歴然とした戦時体制をつくりつつありま
す。朝鮮有事は「仮定」ではなく、「前提」になっています。政権はやる
気まんまんです。朝鮮有事をあおればあおるほど、現作話政権は強固にな
るのですから。

わたしたちはかなりボケてきています。まるでボケをボケとどうしてもみ
とめない患者です。壇上で凝然とたちつくしたあのひとを、ボケとは報じず、
〈感慨にふけっておられた〉などと故意にミスリードするやりかたも、
作話がかならずしも国家に強いられたものではなく、知っていて知らぬふり
をする、ボケなりに身についた作法ということなのでしょうか。

この夏もまた、ニッポンは戦争被害者≠ぬけぬけと演じきりました。
たいしたものです!佯狂なのか真性のボケなのか、わたしにはよくわかりま
せん。
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2017年08月15日

穴論


◎日本共産党と天皇制

伊藤晃さんをあまり知りません。北海道生まれのひとで、わたしより3つ
としうえです。そのくらいしか存じあげません。たいへん重要な著作
『「国民の天皇」論の系譜――象徴天皇制への道』(社会評論社)も、わかい
友人からおしえてもらったのです。文章も装幀も派手ではありません。ですが、
ここにはいまかんがえるべき基本的なテーマが記されています。

たとえば、同著第九章「戦後再建期の日本共産党と中野重治」の第二節
「反天皇制を迂回する共産党」には、以下のようなことが書いてあります。

「天皇制問題は戦前共産党にとって最大の難問である。コミンテルンが
、日本人民に反天皇制のエネルギーが存在すると想定して、天皇制への
正面攻撃を日本共産党に命じたとき、日本側はこれに従ったとはいえ、
心中、無理な注文と感じたのであった。もともと日本の共産主義者の信念に
おいては天皇制は当然敵であらねばならなかった。」

「しかし彼らの理論的実践的水準は、何をどうすれば天皇制と戦ったこと
になるのかを理解できないところに止まっていた。そこでこれもまた
当然の認識として、人民の圧倒的な天皇崇拝のなかでは、天皇制廃止の
方針をとれば孤立するだろう、と危惧したのだが、その危惧を根拠をもって
コミンテルンに伝え、天皇制権力への直接的な攻撃に代わる案を提示する
ことができなかったのである。」

「こうして日本共産党においては、その外面と内面が対立することとなった。
一方ではコミンテルンに従って、また自分の信念からも、天皇制廃止を掲げね
ばならないと思う。けれどもそこに至る具体的政策がわからないから、ただ
旗印にのみ天皇制廃止を記し、目をつぶって権力の正面に飛び出すという
暴勇になった。他方、心中にはこのスローガンへのためらいもある。この
戦野での無理な闘争から後退したいという気持ちは、のちの転向思想の一因に
なった。」

 ここから、1930年代のなだれうつ大量転向→天皇問題の究明放棄という歴史
につながるのだとおもわれます。上記の文脈に、わたしはべつの側面もみざるを
えません。それは、日本共産党は天皇制を徹底的に厭う「生理と論理」をついに
かくりつも伝播もできなかった――ということです。いまにいたるもそうではな
いでしょうか。そのことはマスメディアと民衆の今上天皇賛美と無関係ではない
でしょう。

「コクミンの天皇」崇拝と現政権打倒のスローガンがすんなり両立してしまう
アンビヴァランスは、けっきょくは、現行のファシズムを下支えしているとおも
います。さて、いったい、「エンペの穴」に落ちなかったものなど、このクニに
ひとりでもいるでしょうか。その穴は忌むべき空無であるとともに、ハラカラに
とって安住の場所でもあるのでしょう。
posted by Yo Hemmi at 19:31| 所感 | 更新情報をチェックする

2017年08月13日


◎小林正樹の「東京裁判」

一昨日と昨日は、小林正樹の「東京裁判」(1983年)をみました。
部分的にはもうみていたのですが、4時間半以上一気にむきあうと
印象がちがいました。最大の関心は「天皇」のとりあつかいでした。
新発見はとくにありませんでした。でも、みてよかったです。
どっと疲れましたが。

「応答に抑揚低き日本語よ 東洋の暗さを歩み来しこゑ」(宮柊二『小紺珠』)
を、またもおもいました。武士道はウソですね。サムライ・ジャパンなんて、
「東京裁判」をみたら言えなくなります。いじましく、さもしく、みすぼらしく、
、うそ寒く、無責任で卑怯・・・。A級戦犯らだけでなく、(米国主導のシナリオで)
法廷にたつのをまぬかれた、すめろぎじしんがそうなのです。

法廷におけるかれの不在を、映画はつよく意識させます。われらはあの
卑怯者の赤子なのです。あれから70年、ニッポンジンのビヘイビアは
基本的にかわっていません。小林正樹も、あれまあ、紫綬褒章、勲四等旭日
小綬章をもらい、世間もそれを奇妙とおもってはいません。「人間の条件」の
小林正樹さんも、しきたりどおり、穴におちたのです。

このクニには、みえない黒い穴があります。戦前も戦中も戦後もいまも。
底なしの穴です。そのなまえは「エンペ」といいます。たいていのものが、
その穴におちます。おなじ穴の狢になります。
posted by Yo Hemmi at 18:45| 所感 | 更新情報をチェックする

2017年08月11日

「こゝろ」


◎階段

アパートの階段をおりて、またのぼります。けふはひとと
あいませんでした。下りには左側に手すりがありますが、上りにはあ
りません。鉄柵に左手でつかまってのぼります。ほぼまいにちくりかえ
します。「日々はなんの理由もなく、日々につけくわえられる」

スーパーマーケットの階段でもやります。さっぱりうまくはなりません。
いや、下手になりました。以前は手すりにたよらなかったのですから。
いまはひとりでダフネにもいけません。それを悔やむべきではありません
が、「しかし選ばなくてはならない。生きるか、物語るか」

きのう犬が吠えました。二度。なぜかわかりませんでした。あとでわかり
ました。玄関のそとに、死にかかったセミがいたのでした。ときおり蘇生
しては窒ばたつかせる音を、犬は不審がりました。けっきょく、セミを
くわえて部屋にもちこみ、死なせてしまいました。解体されたアブラゼミが
ベッドにありました。

妻とともに明治天皇の「大葬」の日に「殉死」した乃木希典の心性と
漱石と天皇制ファシズム――について、階段をのぼりながら、なにごとか
おもいましたが、すぐに忘れました。手におえません。饐えたスープみたい
にしけった空気。どのみち戦争はあるでしょう。わたしは階段をおりて、
またのぼるでしょう。

「こゝろ」を、エチオピアの山中で読んだことがあります。どきどきしま
した。天皇制ファシズムは血だらけです。どろどろした、ねばっこい血です。
やまゆり園事件の暗がりの奥の奥に、かすんでみえるものはなんでしょうか。
posted by Yo Hemmi at 17:44| 所感 | 更新情報をチェックする

2017年08月10日

エンペ


◎時間の芯の腐蝕

この夏、かつての夏もそうだったのですが、メディア最大の企画は
「かれはなぜ裁かれなかったのか」であるべきでした。あるいは
「父祖たちはなぜかれを裁かなかったのか」であるべきでした。
東京裁判の核心的問題は、裁いたことではなく、かれを裁かなかった
ことにあります。

70年以上すぎても、時間の芯がくさっているのは、そのせいです。
石牟礼さんはそのことをよくご存知だったはずです。ミッチーが
どれほどりっぱなひとかをかたることより、戦争、原爆、水俣、原発
をつうじ、くさった時間のながれがいまも滔々とながれている、その
ことを、かつてのようにおっしゃるべきでした。

時間の芯の腐蝕と天皇家賛美には、なんらかのかんけいがあるとおもい
ます。満州事変から敗戦の詔勅まで、すべてにかかわった人物とその
一族、万歳をさけびつづけた民衆にかんし、新しい物語をつくる
うごきに加担してはならないとおもいます。








posted by Yo Hemmi at 19:05| 所感 | 更新情報をチェックする

2017年08月09日

ひどい夏


◎原爆はなぜそこに投下されなかったのか?

夏が毎年ひどくなっています。夏の天気の質が。夏の企画の
中身が。わかい優秀なお兄さんやお姉さんがこしらえる、毎夏恒例の
番組、つづきものの無残な劣化。

7.7は、すくなくともわたしの視圏では、特集されなかったようです。
80周年だったのですが。対中侵略戦争なんてなかったみたいです。東京裁判。
〈ひとは戦争を裁けるか〉だって。戦犯たちの罪を、「戦犯」の語感も知らない
後代のわかものたちがうすめてやっています。

原爆。何十回企画をかさねても、視点がさっぱりふかまらずに、むしろ
だんだん浅くなっています。被爆地のモノクロフィルムをデジタ
ル技術でカラーにしたからといって、原爆にまつわる内面のなにを解析
できたというのでしょうか。

「有史、先史を通じ、人類にとってもっとも重大な日はいつか
と問われれば、わたしは躊躇なく1945年8月6日と答える。
理由は簡単だ。意識の夜明けからその日まで、人間は『個として
の死』を予感しながら生きてきた。しかし、人類史上初の原子爆弾
が広島上空で太陽をしのぐ閃光を放って以来、人類は『種としての
絶滅』を予感しながら生きていかなければならなくなった」

「原子核というパンドラの箱を開けて以来、人類は借りものの
時間を生きている」。アーサー・ケストラーの指摘はただしい。かれは
その後に、「ヒロシマの名は陳腐な歴史用語になりさがり・・・」とも
書きました。では「陳腐な歴史用語」にしてしまったのはだれなので
しょうか。

すべては自明にみえて、自明なことなどなにもありません。被爆者の
多くは、広島と長崎を問わず、ひどい差別をうけました。朝鮮人被爆者は
死体まで差別されました。そのこととと、原発事故による福島からの
移住者への偏見と差別にはかんけいがないのでしょうか。

げんざいの天皇夫妻をしきりに賛美する記事と番組はこの夏も、いくら
でもあるそうです。いまやかれは、じじつじょうの「現人神」であり、
かのじょはニッポンの「聖母」になってしまいました。石牟礼さんまで
あのひとを公然と敬うようになったといいます。理由は自明ではありま
せん。大きな「変化」が生じています。なにが起きているのでしょうか。

原爆は、大元帥陛下の在所であったあそこに、なぜ投下されなかったの
でしょうか。これも、答えはまったく自明ではありません。原爆はなぜ
皇居に投下されなかったのかーーという企画はなぜ提案されないのでしょ
うか。その答えも自明ではありません。

ひどい夏ですね。









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2017年08月08日

書きえぬこと


◎「わたしたちの殺りく」

やまゆり園事件のことをおもうと、ドストエフスキーもチェーホフも
テネシー・ウィリアムズも、アーレントも、レーヴィでさえも、こな
ごなにくだけちります。書きえないのです。

Uが実行した重度障害者の殺りくを、わたしはどこかで「わたしたちの
殺りく」と、たしかにおもってはいるのですが、書きぬけないのです。
あれはみためは「単独正犯」だったけれども、より本質的には、われわれも
からむ「共同正犯」でもあったのではないでしょうか。

あの青年は、施設でのみずからの経験と社会に伏在する集合的無意識を
むすびつけ、かさねあわせて、果敢にも世界をひとりで代表し、晴れやかな
善行≠ニして、あれだけの凶行におよんだ可能性があります。
でなければ、まったく無力のひとびとを屠りつづける、痛苦にみちた、
そして反復的なあの時間と動作を持続できるものではありません。

かれは賛嘆の声を幻聴しつつ、努力し、殺りくを達成したのです。それは
あながち幻聴とは言えず、いくえにも反転し屈曲した、げんじつにある歓声
だったのかもしれません。そして、1年前の事件が、死刑制度とその執行と
まったくむかんけいと言いきることもできません。重度重複障がい者とその
関係者へのまなざしは、まだまだ浅かったことをみとめないわけにはいきません。

ふたたび、それらを存在させている存在そのものの、意味または無意味について
おもいます。価値と無価値ー意味または無意味(=ことば)より先に、それらの
存在(身体)と、それらを存在させている存在(差別・排除の意識と無意識)が、
すでにして、わたし(たち)とわかちがたくあるのだと感じています。














posted by Yo Hemmi at 17:13| 所感 | 更新情報をチェックする

やまゆり


◎山梨日々新聞掲載記事

共同通信配信の拙稿がどの新聞に掲載されたか、
ぜんぶは把握できません。おなじ内容ですので
紹介はこのへんにしておきます。書いても書いても
書き足らず、非力をさとるのみです。

やまゆり・山梨日々.jpg
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配信記事


◎中国新聞掲載エッセイ

重度障害者殺りくにかんする拙稿を中国新聞が
掲載しました。2017年8月6日(日)原爆記念日
の紙面です。

やまゆり・中国新聞.jpg
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やまゆり


◎京都新聞の紙面

2017年8月5日付の京都新聞掲載エッセイです。友人に送ってもらいましたが、
横長の記事を縦になおせず、そのままはりつけます。すみません!
やまゆり・京都新聞.pdf
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2017年08月05日

残酷


◎もっとも残酷でグロテスクな誓約

「かながわ県のたより」2017年7月号に、
重度障害者殺傷事件再発防止を願って
「策定」されたという「かながわ憲章」が
載っています。すばらしいです!すば
らしく残酷でグロテスクです。

一ー私たちは、あたたかい心をもって、すべての人のいのちを大切にします
一ー私たちは、誰もがその人らしく暮らすことのできる地域社会を実現します
一ー私たちは、障がい者の社会への参加を妨げるあらゆる壁、いかなる偏見や差別も排除
します
一ー私たちは、この憲章の実現に向けて、県民総ぐるみで取り組みます

各項末尾は、読者の脳裡でしぜんに反転し、それぞれ
「大切にしません」「実現しません」「排除しません」
「取り組みません」と読める仕掛けになっています。
起草者は、(キリーロフふうに言えば)じぶんがこれらを
「信じていないということも信じていない」でしょう。

ルーティンワークでこしらえたこの憲章は、もっともウソ
くさく、残酷で、グロテスクです。まことに、この社会の
実質にふさわしく。
 
posted by Yo Hemmi at 15:12| 所感 | 更新情報をチェックする

2017年08月04日

相模原事件


◎相模原事件の共同通信配信原稿

仮タイトルは「共同体の見えない異界
ーー相模原事件1年後の視座」です。
本日あたりから掲載がはじまるとのこと
です。


posted by Yo Hemmi at 15:19| お知らせ | 更新情報をチェックする

カバー


◎新書カバー

角川新書『沖縄と国家』のカバー写真がとどきました。

沖縄と国家カバー2.jpg

沖縄と国家カバー.jpg
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2017年08月03日

シャブゴク


◎シャブ極道

先日、『シャブ極道』(細野辰興監督)をみました。とても
おもしろかったです!笑いました。凝りがほぐれました。げ
んざいが、どれほどひどいジンミン(製)ファシズムか、
よーくわかりました。

役所広司が熱演。『赤い橋の下のぬるい水』(今村昌平)より
よっぽどよかったです。

「オワコン」なることばがあるとおしえてもらいました。
「オワコン」も、もう終わっているそうです。

けふ午後、エベレストにのぼりました。死ぬものぐるいで。

ピュアな幸せ.jpg
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沖縄と国家


◎角川新書『沖縄と国家』間もなく発売

角川新書.jpg

目取真俊さんと辺見庸の対談『沖縄と国家』は、
角川新書として2017年8月10日、全国書店で発売
されます。

(版元コピー)
沖縄という傷口から噴きだす、むきだしの国家暴力。
基地問題の根底に横たわるこの国の欺瞞を、仮借ない
言葉で告発する!

だれも傍観者、忘却者であってはならぬーー。

もくじ

はじめに 国家による差別と暴力に抗う沖縄 目取真俊
第一章 沖縄から照射されるヤマトゥ
第二章 沖縄における基地問題
第三章 沖縄戦と天皇制
第四章 国家暴力への対抗
おわりに If I were you…
     一閃の青い彗星のような暴力 辺見庸
posted by Yo Hemmi at 14:16| 刊行予定 | 更新情報をチェックする

2017年08月02日

やまゆり


◎やまゆり園

昨日、やまゆり園にいきました。それじたいに、別種の罪を感じました。
だれもいませんでした。ただ、音のない暗がりに、ひとびとの声が詰まって
いました。帰り、ひどい雨になりました。

事件については以前も寄稿しました。本日、新しい原稿が共同通信から
配信されたはずです。書いても書いても、書ききれるものではありません。
深さはもとめられないし、望まれていない気がします。

殺されたものの眼にはなにがみえていたのか、みえていなかったのか…
どしゃ降りのなかで、かんがえました。「それらを存在させる存在そのもの」
の意味と有無をおもいました。

この世の「普通」と「善意」ーーにこそ、真性の狂気があるのではないで
しょうか。




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2017年07月28日

最終回


◎連載詩篇「純粋な幸福」が完結

2017年7月下旬発売の「現代詩手帖」(思潮社)
8月号が連載詩篇「純粋な幸福」第4回〈明滅〉を
掲載しました。これで完結です。

純粋な幸福4.jpg

posted by Yo Hemmi at 17:01| お知らせ | 更新情報をチェックする