2018年07月23日

「健全な国民意識」の形成


きみらがやっているすばらしいことーーでっちあげ

みひちゃんが言う。いま39度。アベとアソーに甲子園名物かちわり
氷を配らせろ。各戸に無料で。おれはいらない。あいつらの顔みと
ない。やつらを甲子園の内野に生き埋めにしたほうがいい。ベース
のかわりじゃない。そんなん気色わり。地中深くだ。

きみらにこのクニの「意識司令塔」をやってくれとたのんだおぼえ
はない。いったいだれにたのまれたんだ? おれはラジオの第二放送
「ポルトガル語ニュース」「韓国語講座」は聴くけど、テレビはほと
んどみない。金返せ。

9時のニュースはひどい。中学校の放送部か、あんたらは? 無批判
、無思想、無抵抗、問題意識ゼロ。野球のホームベースみたいな顔の
あんちゃん。なんだ、あんたの平穏顔は?世の中そんなに安泰かい?
そんなに楽しいかい。おれはラジオの第二放送「ポルトガル語ニュース」
「韓国語講座」は聴くけど、テレビはたまにしかみない。金返せ。

周年番組って、だいたいろくなもんじゃない。やまゆり2周年もひどい
もんだ。つくるまえから骨格ができている。フレームにあうように発言
を編集しまくる。T周年のときはおれもかりだされたのさ。インタビュー
2時間プラス収録現場まで往復1時間以上かけて、実際の放送は片言隻句
だけの5分未満。ノーギャラ。ばっかみたい。

世の中をなめている。暗部を消しさり、災害も障害者殺しもけっきょくは
ハートウォーミング・ストーリーにしたてあげる。でっちあげだ。身内に
重度重複障害者をもつ友人は怒り心頭だった。なにがリアルでなにがアン
リアルか、きみらはとりちがえている。故意にか無意識(アホだから)か。
重度重複障害者をもつ家族のすさまじい苦悩の劈開面をきみらは隠している。

きみらの先輩たちは営々としてニッポンという「健全な国民意識」の育成
にまいしんしてきた。世の中はすてたもんじゃない。善男善女だらけだ。
豪雨に地震に津波に熱波に戦争・・・そうだ、絆だ。ニッポンジンは手をとりあ
う。助けあう。佐藤直樹は書いた。「なぜ日本では略奪も暴動もおきないのか」
(『犯罪の世間学』青弓社 2015年)ーーすぐれた問題提起じゃないか!

佐藤は言う。「私の答えは簡単である。それは『世間』があるからだ」。
この世間には、のど自慢や紅白歌合戦やタモリ、ツルベら登場の徹底無思考
番組をこれでもかこれでもかとつくりあげているきみらがつつがなく包摂され、
きみらがさらに世間を再生産する。世間の心的頂点には、わかってるよね、
聖なる両陛下がおわしまする。

「ともに、生きる」をみていて腸が煮えくりかえった。うそをつくんじゃない。
でっちあげるんじゃない。きみらは苦しみと狂気がからまりあって、うなり声を
あげてのたうちまわるさまをみなかったのか。「ともに、生きる」の発想こそが
差別の淵源にあることがわからないのか。「ともに、生きる」が完ぺきに隠しと
おした(非在者≠ニされた)人々にこそ思考の端緒があるのがわからないのか。

ひきつづき『鉄西区』みる。なぎたおされる。








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2018年07月22日

やまゆり


「善」の「悪」

ゆうべNHKの「ともに、生きる」をみた。あまりにも予想どおりの
平板な中身にため息。どうしてかれらは現状をあんなにも懸命に肯定
したがるのか。

「ともに、生きる」は、いかにも善めかした悪の宣伝ではないのか。
まるで国策ドキュメンタリー。まるで、ではない。まさに厚労省推薦
にふさわしい反動的国策ドキュメンタリーだ。

19人を殺害したあの青年はけっきょく「だれ」だったのか。さとくん
は笑いながら遠ざかる。「ぼくはだれでしょうか・・・?」と言いつつ。
そう、きみはまだ負けていない。まだ。

ワンビンならどう撮ったか。いうもおろか。「ともに、生きる」のよう
にはせったいに撮らない。「ともに、生きる」なんて恥ずかしいタイト
ルをつけない。
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2018年07月20日

鉄西区


◎王兵という文学

ワンビンの作品をみるのは、すぐれた長篇を読むのに似ている。
みているうちに、これが現代文学なのか古典なのかわすれてしま
う。巨大怪獣の死体のような工場=廃墟。のなかを、臓腑にもぐ
りこむようにしてめぐりめぐる。映画的経験か文学的経験か、あ
るいは絵画的経験か・・・どちらでもよい。

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2018年07月19日

土下座甲子園


◎アラン・シリトーなら書くだろう

アラン・シリトーならまちがいなく書くだろうな。こんなクソ暑い日には、
首相、全閣僚が甲子園球場の内野に土下座して、全コクミンへの「お詫びの
ことば」を発表しなければならない。「こんなに暑くて熱中症で亡くなる
みなさんが続出しているのは現政権の悪政のせいです」。甲子園の土にひた
いをこすりつけて、30分間謝罪すべきである。「申し訳ありません!」

アラン・シリトーならまちがいなく書くだろう。両陛下ならびに皇族たちも
甲子園球場の内野に土下座し、コクミンに謝罪するのである。以下、ありが
たきおことば。「わたしたちだけが国税によって涼しくすごし、うまいもの
をたらふく食ってすまなんだ」「なんじ臣民、熱で死ね!」

「むごい夏ーー処刑とクチナシの花」は東奥日報も掲載しました。
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2018年07月18日

処刑日の夕刊


◎マルクス・ガブリエルの記事(毎日)

7月6日といえば、7人一挙処刑という忘れがたい日だったが、
その日の毎日新聞夕刊特集面「政治に倫理は大事なもので
なくなった」は一読に値する。マルクス・ガブリエルへの
藤原章生さんのインタビュー記事。

「21世紀型ファシズム」について縷々述べており、わたしの
以前の発言も引用している。7人一挙処刑へのガブリエルの
感想も知りたかったが、記事は7・6前のものだったろうから
しかたがない。

7人一挙絞首刑も豪雨災害報道も「21世紀型日本ファシズム」
のあらわれにみえてしょうがないのだが・・・。
posted by Yo Hemmi at 17:43| お知らせ | 更新情報をチェックする

遷延


◎通夜


遷延とは、長びくこと。のびのびになること。また、のびのびにすること
である。なら、そうかんたんにいえばよい。センエンとよべば存在の内実が
かわるわけでもないのに遷延というのはまやかしだ。わかったふりをしたい
だけである。通夜。

あの方の目には、なにがどうみえていたのか。みえていなかったのか。「在る」
にはまったく容赦がない。適度に在るなんて、ないのだ。「在る」はいつも常軌
を逸している。疲れる。そして、「疲労は存在するものによって存在することに
もたらされる遅延のごときものだ」

かくして、「この遅延が現在を構成する」。ほんとうだろうか。
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掲載状況


◎大分合同新聞、長崎新聞なども掲載

「むごい夏ーー処刑とクチナシの花」は、大分合同新聞、長崎新聞
なども掲載しました。今月6日の7人一挙処刑にわたしはこだわって
います。国家がなしうる数少ない善政は死刑の廃止です。わたしは
この国の首相や副首相、法相ら明白な犯罪容疑者らの絞首刑にさえ
反対します。

しかし、7人処刑の前夜に酒盛りをやっていたものたちの道義の廃れ
がみずから招きよせるであろう各種の悲劇には、なんらの責任ももち
えません。大量殺りくの前夜に酒宴に興じた品性は、それじしん、ま
ことに悲惨なのであり、あるいは不幸をやくそくされているとおもい
ます。

あの日から歌手は声がでなくなってあたりまえなのだ。





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2018年07月17日

掲載


◎河北新報などが掲載

共同通信からのれんらくでは、エッセイ「むごい夏ーー
処刑とクチナシの花」は河北新報や北日本新聞などが掲載
しているようです。

王兵『鉄西区』。英語字幕版。日本語字幕も。ワンビンの目は
昏くかなしげで、しかもたとえようもないほど圧倒的である。
王兵をだれかと比較しようとするのは無意味だ。
posted by Yo Hemmi at 17:29| お知らせ | 更新情報をチェックする

逝く


◎昼下がり、逝く

その方が13時40分に旅立たれた。というより、これでやっと
永遠に休めることになった。長いこと遷延性の昏睡におちいり、
わたしはずっと写真の寝顔≠みつづけた。『月』を書かせ
てくれたのは、あの方の不在のような実在だった。『月』の
脱稿をまっていたかのように、かれはひっそりと逝った。

意識がないとみなされるものの内面について、かれはわたしに
もっとかんがえるよう迫った。かれはなにひとつその身ではでき
ないのだった。発声も歩行もまばたきも。抱擁も殴打も排泄も。
指一本うごかなかった。痙攣のようなかすかな震え以外はなにも
うごきはしなかった。

夢をみているのかどうかも、しかとはわからない。家族は、みてい
ると主張したが、医師はまったく無関心だった。わたしはみている
と確信していた。それが「夢」というにふさわしいかどうかべつにし
ても。けっきょく、その方はさいごまで自己存在を主張しようとは
しなかったのだ。抗弁も自己弁護も、ついにしなかった。証そうと
すら。

かれは長く生と死のあわいにあった。もしくはそのようにみなされ
た。そうした位置づけを、わたしは大ざっぱすぎるとかんじていた。
生と遷延性の無意識と死。区切り方がこれでは乱暴である。とじた
瞼の下で、その方の眼球はぐりぐりとうごき、のどはなにごとか語ろ
うとして、のどぼとけをさかんに上下させた。

生と死とそのあわいのほかに、さまざまの存在的な領域があることを
おしえられた。透明度の高い、あるいは混濁した領域である。

その方はまた、わたしにこういうことをおしえた。うすれゆく意識の
がわからは、いったいなにがみえているのかーー視点の入れ替えがだ
いじなのだよ、と。つまり、なにも語らぬものに、わたしはどうみら
れているのか。寝姿はさらに、存在に意味と価値はつきものではない
・・・と、つよく示唆していた。わたしは『月』を書いて応答するしかな
かったのだ。

かれはもはや無用の生ゴミであった。尊厳もヘチマもありはしない。
無用の生ゴミには、屈辱をかんじるけんりもない。無用の生ゴミは
すでに弱者ですらない。無用の生ゴミは、おどろくべきことには、まっ
たく共感も同情ももとめないのであった。写真を、わたしはまいにちま
いにちみつづけた。意訳にすぎるかもしれない。〈ほっといてくれ!〉
ーーかれはそうつぶやいていた。

存在とはなにか。非在とはなにか。存在は非在にまさるか。非在は存在に
劣るか。その方はまいにちわたしに問うた。シャラーモフは最後には
憎しみがのこると書いたし、それはそれでわたしを魅入らせもしたのだが、
その方にはいつも律儀な愛がただよっていたようにおもう。かれはけふ
午後1時40分に発った。わたしは犬にそのことをつたえた。犬はおすわり
をし、神妙な目で聴いていた。悲しい目になった。

その方の「位置」はわたしをひきつけてやまなかった。その位置には、わた
しの問いへの切実な答えがあったからだ。まちがいなかろう。かれは『月』
の完了をまっていたのだ。かれの写真をみつめ、『月』を書きつつ、おもっ
たものだ。「無」にとっては、夢さえわずらわしいことだろう。『月』最終
回は今夕、校了した。奇しくも、というべきではない。ひとのなすことのす
べてが奇しきうんめいのなかにあるのだから。

宙づりの影のように、あれほど存在のかなしみをたたえたひとだったのに、
わたしはけふの不在にまったく慣れてはいなかった。備えがなかったのだ。
いまさら、うろたえている。
















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2018年07月13日

むごい夏


◎処刑とクチナシの花

すでに配信されているとおもう。昨日、共同通信に「むごい夏
ーー処刑とクチナシの花」を寄稿した。約7枚。加盟各紙に掲載
されたらご一読いただければさいわいです。にしても、ひどい
夏だ。大量処刑の前夜、サイコパス政権幹部は飲めや歌えの大宴会
をやっていた。

どうすればよいのか。どうすれば? それぞれがそれぞれに身の振り
方をきめるしかない。友人がさいきん精神科病棟に収容されたらしい。
べつの友人は『八月の光』を精読しおえた。わたしは『月』最終回の
再校ゲラをけふ、もどした。

みなが狂いはじめた。当然の生体反応である。わたしたちはもっと狂う
べきだ。そして、もっと狂うはずである。さらに狂わなければならない。
もう気のきいたことなど、いおうとしないことだ。わたしは気のきいた
ことをいわない。和辻はいった。

しめやかな激情、戦闘的な恬淡。ヌッポンズンはもともとキの字
なのである。

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2018年07月10日

ゲラ


◎『月』最終回初校ゲラもどし、その他

わたしじしんはちっとも再起動しないのだが、PCがかってに再
起動をくりかえすやうになったので、『月』最終回初校ゲラをさ
っき急いでもどした。といっても、かなり手をいれた。あれだけの
こと(処刑)をやっておきながら、もう、なんにもなかったかのよ
うな顔つき。

残虐なことが、がくめんどおり殘虐なこととしてつたわらない。そ
れこそがなによりも殘虐なのだ。ことごとく切実さがぬきとられる。
リアルはたちまちアンリアルに変じる。漫才のかたわれが大量処刑
賛成だという。だれもが最低限のつつしみさえ失いつつある。だから
こそであろう、さらにおぞましい「凶」を予感する。

国家による殺りくにかんし、原稿の依頼があり、OKした。締め切り
は金曜午前。いきづまったら、ツェランをよむ。それしかない。「死」
にことばの翳りをあたえて。


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2018年07月08日

暴力の母型


◎いま、なにが到来しているのか?

ニッポン型の大量処刑は、不可視であるがゆえに、幻想のなかに
あるしゅ爆発的なスペクタクルを展示してみせた。民主主義は、
そのなまえを僭称したまま、未聞かつ最悪の暴力的専制と化して
いることを、おそらくは故意にさらけだし、そうすることにより、
まつろわぬものたちをはげしく恫喝したのだった。

人民の多くは、国家による殺りくに酔いしれた。政治から排除さ
れているルンプロ的人民たちも、政権の英断≠ノ拍手をおくった。
いかなる抵抗も対抗も困難である。なぜなら、最悪の暴力的専制
は、あらゆるしゅるいの社会的同一性の解体後の砂漠にたちあらわ
れ、もっとも脆弱で貧しい人民をもみかたにつけているからだ。

死刑こそが国家暴力の母型である。それは戦争というスペクタクル
の、最小単位の顕示である。気づくものは、つとに気づいている。
戦後政治に比類ない、犯罪者集団でもあるこの政権は、なんでもでき
るようになった。そして、じじつ、やりたい放題である。9条覆滅
から軍事・警察国家の樹立まで。人民と民主主義の名において。











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2018年07月07日

国家の殺人


A Hanging(1931)

もしも、若いひとびとが本ブログをみかけたら、先日の7人絞首刑
について、すこしでもいい、おもいをはせてほしい。あれは、世
界史的事件である。そして、その世界性において、その知の崩壊
ぶりにおいて、7人絞首刑は、相模原事件の「さとくん」の所業
にも相似することに注目してほしい。

政権はついに一線をこえた。そのことは措くとして、基本的参考
文献として、ジョージ・オーウェルのエッセイ「絞首刑」
(『オーウェル評論集』小野寺健=編訳 岩波文庫)に目をとおし
てもらえるだろうか。とくにつぎのパラグラフ。

「妙なことだが、その瞬間まで、わたしには意識のある一人の
健康な人間を殺すというのがどういうことなのか、わかっていな
かったのだ。だが、その囚人が水たまりを脇へよけたとき、わたし
はまだ盛りにある一つの生命を絶つことの深い意味、言葉では言い
つくせない誤りに気がついたのだった」

「これは死にかけている男ではない。われわれとまったく同じよう
に生きているのだ。彼の体の器官はみんな動いているーーーー腸は
食物を消化し、皮膚は再生をつづけ、爪は伸び、組織も形成を
つづけているーーーーそれがすべて完全に無駄になるのだ」

「爪は彼が絞首台の上に立ってもまだ伸びつづけているだろう、
いや宙を落ちて行くさいごの十分の一秒のあいだも、かれの目は
黄色い小石と灰色の塀を見、彼の脳はまだ記憶し、予知し、判断を
つづけていたーーーー水たまりさえ判断したのだった」

「彼とわれわれはいっしょに歩きながら、同じ世界を見、聞き、
感じ、理解している。それがあと二分で、とつぜんフッと、
一人が消えてしまうのだーーーー一つの精神が、一つの世界が」

これが原点である。そこからしずかにかんがえるしかない。




posted by Yo Hemmi at 18:19| お知らせ | 更新情報をチェックする

無礼の儀


◎両陛下、この際おたずね申しあげる

無礼の儀、この際ご海容たまわりたい。あなたがたは、にんげん7人
にたいしニッポン国の名のもとになされたおそるべき殺りくを、どう
おかんがえか。大量処刑の日どりが、もっぱら皇室行事とのかねあいで
きめられたことをご存知か。

絞首刑に処されたものは、絞縄が頸骨をへしおってから、かんぜんに
絶命するまで、平均で14分間も痙攣、吐血、失禁などの生体反応をつ
づけることについて、両陛下はお聞きおよびか。刑場の明度と静謐、
空気のとどこおりは、あたかも皇居の深部のそれに似ているといわれ
る。なぜか?

両陛下、あなたがたは死刑制度に賛成ですか。反対ですか。天皇制に
賛成ですか。反対ですか。われわれはそれらを知るけんりをもち、
あなたがたは、国税で生きるひととして、それらを語る義務があると
おもうが、いかがか。

以上、おそれながら、この際おたずね申しあげる。







posted by Yo Hemmi at 15:29| お知らせ | 更新情報をチェックする

執行シール


◎サイコパス政権

あるテレビ局は、絞首刑執行の情報がはいるたびに、
確定死刑囚の顔写真に順次「執行シール」をはっていった
そうだ。戦慄する。現政権は7人一挙処刑をやっても支持率は
さがらないどころか、あがるとふんだのだろう。

ニッポンは最悪の「感情共同体」である。法も文化もありはしない。
天皇制のもとに国家権力と社会が感情的に睦みあい、睦みあわぬ
ものを感情的にはいじょする。「ニッポンの感情」を、質のわるい
メディア(しかないのだが)が日々注入する。

感情共同体を操作する現政権はすでにしてサイコパス・グループ
となっている。かれらはいわゆる「聖なる陰謀」をくわだてている。
すなわち「にんげんの、頭からの逃亡」だ。かんがえないこと。かん
がえさせないこと。ただ、たんじゅんに、かんじさせること。

暴力がむきだしてきた。たおすか、たおされるか、逃げるか。それ
とも、いっしょに「無頭人」になるか・・・。






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2018年07月06日

ポアの日


◎1995/03/20ー2018/07/06

95年、まだ現職の記者だったころ。神谷町のワンルームマンシ
ョンにいた。よく酒をのんでいた。あの朝、日比谷線の神谷町駅で
たおれているひとびとをみて、ひとりを地上にはこびあげた。
パトカーも救急車もまだきていなかった。へんなかんじだった。

なにが起きているのかーーーと、切実にかんがえはしなかった。あまり
おどろかなかった。いつかこういうことはある。われわれはいつか
やられる。権力か擬似権力か社会の暗部によって、ある日とつぜん
に、斃され屠られる予感があった。いまもある。

オームは人気があった。吉本隆明さんも、かなりイカれていた。記者
のなかにもオーム・シンパがいて、なんにんかは上九一色がよ
いをしていた。麻原の人間的魅力を熱っぽくかたる社会部女性記者も
いた。

麻原の初公判を最前列で取材した。なにもすごみはなかったと記憶
する。ひとごとのように検察と弁護団のやりとりを聞きながして
いた。まったく関心がなさそうだった。肌つやがよくて、爪がきれいに
ととのえられていた。

麻原が、腿においた指を、モールス信号みたいにたたきはじめた。トン
ツー・トントンツー・ツー・・・。じっとみつめつづけた。信号ではなく
歌のようであった。トンツー・トンツー・・・。「また逢う日まで、逢える
ときまでー」

そして、けふ、2018年7月6日朝。えらばれた朝。麻原ら7人を絞首刑により
いっせい殺りく。皇室の慶事とバッティングしないように、選びぬかれた
日。婚約、退位、新元号、五輪前祝いムードに水をささないように。
死刑反対派はへりつづけているのだから、ぜんぜんかまいやしないと。

メディアの視線は95年当時よりも、さらにさらに浅くなっている。死刑制度
の是非を問う声はこの朝、皆無にひとしかった。なんということだろう。

ポピュリスト独裁政権はみずからの敵≠権力増強の肥やしにする。
つねに「例外状態」をたもとうとする。このニッポンではまた、死刑執行
によりアホメディアとドジン的民衆がわきかえり、死刑がいまやいっしゅ
の祝祭≠ニなっていることもわすれてはならない。

悪名たかいハンガリーのオルバーン・ポピュリスト政権はみずからの
体制をイリベラル・デモクラシー≠ニいってはばからない。語義矛盾
だが、実質的にはニッポンとおなじ「専制民主主義」だ。民衆は独裁者
オルバーンに自由をうりわたし、歓呼の声をおくる。そのハンガリーで
さえ死刑廃止国なのだ。

ニッポンは、こころあたたかく、人情に厚い、サッカーの試合後みんなで
ゴミ拾いをするほど公徳心がたかく、なによりも死刑のだいすきな、言論
表現の不自由を愛好する、異常国家なのである。明るくて、ひどく暗いクニ
だ、ニッポンは。

絞首刑執行をけさ担当させられた刑務官たちは、わずかばかりの特別手当
をもらい、これから酒をのみにいく。それぞれの光景と音とをわすれるた
めに・・・。











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2018年07月05日

自失


◎おいていかれること

『月』最終回を送稿後、よそうはしていたのだが、『月』に
おいてけぼりにされた気分。ちょっと自失。かなり呆然。
あれを書いていたのだが、あれにしがみついていた。あれし
かたよるものがなかった。居場所も、あそこにしかなかった。
身の振り方をかんがえなければ・・・。

いま、かれら≠なつかしくおもう。

「語ることじたいが存在を消去していくような恐怖」「なに
をつくることが、すでに悪の一部を構成してしまう時代」
「もう観客(読者)の気に障ることは不可能なのか」ーーと
Iさんはいっていた。

口内炎。一昨日から。講演会の日程提案あり。




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存在


従命反応と存在
  1. 自力移動が不可能。
  2. 自力摂食が不可能。
  3. 糞・尿失禁がある。
  4. 声をだしても意味のある発語が不可能。
  5. 簡単な命令にはかろうじて応じることもできるが、ほとんど意思疎通が不可能。
  6. 眼球はうごいていても認識することはできない。

上記規定にはもんだいがある。存在者がわからの視界を遮断か無視。従命とはなにか。






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2018年07月04日

送稿


◎『月』最終回を送稿

16時ごろ『月』第10回(最終回)約62枚を送稿。ぜんぶで
500枚をこえている。PCがかってに再起動をくりかえすので
あせった。寿命がきているかもしれないので、脱稿を急いだ。
いつかはおとしまえをつけなければならないとおもっていた。

これでおとしまえがついたか、わからない。そうしようとした
ことだけはまちがいない。気がついたら、爪がひどくのびていた。
爪をきる。


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2018年07月02日


◎目ざめているのは夜じしんか?

右肩、右腕、右手痛つづく。わたしじしんの存在の
輪郭もあいまいになり、闇にとけだす・・・としたら、
それはねがってもないことではないのか。意識が夜と
とけあうのは、むしろのぞましくはないか。

意味はとっくのむかしに、すべてはく奪されている。
いま充満しているのは無ー意味だけである。PCトラ
ブルつづく。「在る」というのは、気づいていても気づ
かなくても、ひっきょう屈辱にまみれることだ。

『月』ふんばる。血の川をわたる。

ゆうべ、ふと、大道寺さんをおもった。
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