2019年04月27日

オートマティズム


なぜ救われるのか

『母の前で』がなぜぼくを落ち着かせてくれるのか・・・けふも
ジムでかんがえた。杖歩行の練習をしながら。マシーンを漕ぎ
ながら。わかっている。しかし、わからない。

「・・・その人間性は解体し、ばらばらになり、残存しているもの
だ。・・・残された人間性がオートマティズムにすぎないと、惰性で
考えてしまいたく なるけれど、考えてみればわたしたちの人間性
は、部分的には、まさにオートマティズムから成っていて、わた
したちはそうしたオートマティズムを習い、それに服し、それに
よって深く人間化され、欲動や本能の束縛から解放されたのだ」
(P154 傍線辺見)

けふもぼくのまわりにはたくさんの「母」がいた。ひどく古い
人形の目をした「母」たち。ぼくは見ないふりをしてかのじょら
を見た。「母」たちも見ないふりをしてぼくを見ていた。おたが
い磨りガラスの目で盗み見た。

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2019年04月24日

詩文集


詩文集『純粋な幸福』刊行へ

詩文集『純粋な幸福』が6月中にも刊行されるみとおしに
なった。詳細はおってご報告します。
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2019年04月21日

エッセイ


本日の日経が随想「馬の中の夜と港」掲載

馬カラー.jpg
(クリックで画像拡大)


「彼女は死の感覚を失った(また別の仮定)」(P132)
「・・・母が孤独のあまり、他者性の、他者の現実への感覚
を失っていったという推論・・・」(同)

偉大な本である。パシェ『母の前で』(根本美作子=訳)
は。わたしの「聖書」。得るよりも喪うことの清き輝き。
無痛の激痛!






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2019年04月20日

エチゾラム


凶悪な音つづく

朝、ベランダに入ってきた作業員を怒鳴る。実直そうな眼鏡の
おとこ。ニッポンジン。ヘルメットに電灯みたいなものがつい
ている。犬、はげしく吠える。犬もわたしもぐったりと疲れる。
大道寺さんのことをおもう。寝不足。

デパスとエチゾラムはちがう薬なのだらうか。エチゾラムはデ
パスの後発医薬品だとおもうのだが、デパスのジェネリックは
ないと薬局で言われる。薬局には手のひどく汚れたロボット
いる。バカくさいとおもう。

ノイズでマヒこうじる。絶体絶命。だれもがいま絶体絶命、気息
奄々なのだとじぶんにいいきかせたとてなんになろう。改修工事に
くわえて選挙の騒音。静かに殺し、黙って死ぬべきだ。

また『母の前で』。言葉。ホロホロ。剥落。「視線を囲繞する
世界というものは、一人の人にとって、それも脆い人にとっては、
たしかに過剰だ。」(P129)

なにかをなつかしんでいる。なにかはわからない。ただなつかしん
でいる。悔やんでもしかたのないことを、なつかしんでいる。

「この空虚に身を投じること・・・」(P124)

Kさんとご子息、それからMさん、明日の日経新聞を読んでくださ
いね。

ポコからメール。救われる。

NHKスペシャル自衛隊派兵・軍拡関係。問題意識の浅さよ。危機感
のなさよ。歴史観のうすさよ。怒りのなさよ。「極めて徐々に、し
かし極めて確実に、それは少しずつ降りてくる」






posted by Yo Hemmi at 17:14| メモ | 更新情報をチェックする

2019年04月19日

空虚


これをどう読むか

「しかしわたしが感じるのは、観察者として感じるのは、
だれだかわかるということは、ある種の空虚のようなもの
に身を投じることを前提としていることだ。それは人と人
のあいだの空虚だ。それは、この空虚がそれとわかることで
あると同時に、その空虚を頭で構成できることだ。・・・」
(P124)

ひどい生き物だ、人間とは。空虚はそここに在るものである
とともに、わたしたちの頭がたえずつくりだしているのだか
ら。そこに、透明なテロルのイメージをもちだすのは筋違い
でしょうかね、あの世のパシェさん。

拙文「馬の中の夜と港」は21日(日)の日経新聞文化面に
掲載される予定。

おまえ、はよ死ね、はよ消えてくれろ・・・と呪いながら背中
をさすってやり、そうしながら、やがて、うっすらとなんだ
か愛のようなものもつい感じてしまうとき、さすられていた
おとこの首がこちらをむいているので、ぎょっとする。いや
になる。つくづく、こいつが。

124頁は大事だ。

posted by Yo Hemmi at 17:46| メモ | 更新情報をチェックする

2019年04月18日

神田川


なにをしているのだろうか?

神田川がドブくさかった。不動産屋の若いおとこはわたしと
目をあわせなかった。「物件」をみた。マヒがこうじ、杖も
、あれほど練習したのに、つかいものにならなかった。「物件」
の2階の階段からこけた。ミスドがしょぼかった。

「文学」2008年3−4月号「パシェ小特集」とどく。わたしは
なにかとんでもないまちがいをしてきたのではないだろうか。
どんなまちがいか、はっきりとはわからない。すでに手遅れで
あることだけは、はっきりとわかっている。

たぶん、最果てにいる。
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2019年04月15日

しかし


静かな場所

なんてありはしないだろう。作り話をしないなんてことも
ありえないだろう。発話はことごとく作話なのだから。こち
らのストレスが伝染し、犬が痩せた。5時半まで工事はつづ
く。悪意でも善意でもなく、「きまり」として。暴力はたい
てい「きまり」だ。

犬にわびる。
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2019年04月14日

「寂しいよ。」


二〇〇五年十二月三日の「誘発」または奇蹟

わたし(打ち明け話のしたい気分で):「寂しいよ。」
彼女:「わたしも。」
(ピエール・パシェ『母の前で』根本美作子=訳 P98 岩波書店)

パシェに作り話はない。やりとりは孤独な母子の会話のごとくなされ
たのだ。まるでかみあっているかのごとくに。「母」は加齢黄斑変性。
わたしも。

R君と話す。苦境が去るのを待つのでなく、このただなかで書くべき
ではないのか。どのみちいつまでも終わりはしないのだ。

犬が牛の乾燥ピズルを嚼んでいる。ピズルの臭いが部屋に充満してい
る。むせる。「目の下に隈ができている」と言われる。

「馬のなかの夜と港」は次の日曜日(21日)の新聞に掲載されるら
しい。み、アパさがし。またからぶり。




posted by Yo Hemmi at 18:06| お知らせ | 更新情報をチェックする


杖歩行練習について

けふ、さはやかジムで、杖歩行に進歩がみられるとコーチに
ほめられた。左足が杖を追いこす要領をいくらかおぼえたの
かもしれないけれど、まだまだ。初の室外練習。

パシェはみずからを「二流の作家」と(おそらく謙そんでは
なく)かたったのだそうだ。訳者の根本美作子さんはこれに
かんれんし「・・・一つの不可能性としてではなく、彼の優れて
オリジナルな思考と在り方に由来しているように思える。実際、
ピエール・パシェほど個性的で分類できないような作家は、
なかなかいない」と書いている。

『母の前で』は、こう言ってよければ、とてもスリリングなの
だ。謙虚な知のゆらぎと〈ひと―言葉〉の原型。の破壊。

ネット接続ができずあわてる。たかがそんなことで落ちこむ。
はめられている。アホがアホにほふられている。アホが!

「・・・世界は存在することをやめてしまった、あるいは世界で
あることをやめてしまった(それは破裂し、互いに離れていく
断片となってその安定性を失い、そのままでありつづけるという
能力を失ってしまった)。」(P92)
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2019年04月12日

内面の占拠


彼女の内面性は・・・

「『占拠』され、寄生され、他者の耳の及ばないところで
自らを修復することのできるような守られた場所ではもはや
ない。」(P90)

しかし、「占拠」されず、寄生されず、自己修復する内面など
ない。つまり、この「母」以外のだれが、ただしくかんがえ、
話しているというのか。

わたしたちは言葉をはなすことができる。囈言をしゃべること
ができる。あるいは譫言を。

Mさんからメール。


posted by Yo Hemmi at 23:53| お知らせ | 更新情報をチェックする

傲然と、しかし明晰な


教えてください

『母の前で』なしには正気をたもつのがむずかしいほど。が、
いったい「正気をたもつ」ってなんだ?メメーヌの疑問はじつに
まっとうなのだ。

「わたしがだれにしゃべっているか教えてください。わたしが
だれだか教えてください。わたしをなにかの中に組み入れてくだ
さい、あるいはわたしをわたしから解放してください。」

「わたしは半分死んでいる、わたしは死にたい。この重みから
解放されたい。」・・・このように発語する者とそのようには発声
しないもの。境界はない。わたしは幻影の崖(事実)をずり落ち
てゆくだけだ。

己があるかぎり、静かにはなれないはずだ。住み処を変えても。
posted by Yo Hemmi at 17:45| お知らせ | 更新情報をチェックする

またはだった


◎「わたしはあたまのいい女だーーまたはだった

「・・・そしてこんなんなっちゃった」(P153)。名訳である。

posted by Yo Hemmi at 00:25| お知らせ | 更新情報をチェックする

2019年04月11日

アパート探し


終日アパート探し、からぶり

久しぶりに電車に乗る。うろうろとアパートを探し、うろうろぶりに、
黄昏のなか顔をゆがめて自嘲する。日粉さんからメール。うれしかった。
このかたはわたしのかけがえのない「重心」である。みと犬。

静かなところで、静かなきもちで、静かなものを書きたいだけなのだ。
ただそれだけ。わたし流の「テロ」とはそういうことだ。眠るように
静かなこと。

けふ、言いのこすべきことのあらましをつたえた。
posted by Yo Hemmi at 19:49| お知らせ | 更新情報をチェックする

2019年04月08日

2019/04/08


2019/04/08

おかしなことだ。『母の前で』をくりかえし読むことで
なんとか落ちつきをえている。それは、まったく奇妙なことに、
ロープシンを読むことでえられる内側の感情(位置)に似ている。
わたしは母とパシェのようにむきあったことがいちどもない。

「まるで人間であるということは、どこか重すぎることで、それを
独りで支えるのは難しすぎることであるかのように。」(P79)

1時間ほどまえ、轟音がした。建物が揺れるほどの。犬が足もとに
きて顔をみあげ、それからいつもの待避場所に駆けていった。
布の家に。わたしはかのじょをとっさに「しゅんまく
ちゃん」と呼んだ。

『母の前で』から静けさと落ちつきをえるのは、それが関係という
ものの基本中の基本だからだ。悩乱も、もつれも。「言葉の外に
落ちる」ことも。「可能性としての内的言語」。


posted by Yo Hemmi at 15:10| お知らせ | 更新情報をチェックする

2019年04月06日

2019/04/06


2019/04/06 23:33

さわやかジム。やさしい目たち。いつくしみ。柔らかな手。
尖らない声。合唱。桃太郎さん。ハッピーバースデー!
拍手。全員参加。義務だから。慈愛のルーティン。

合成樹皮の顔の皮膚がふいにはがれる。皮のない顔が血管を
うきあがらせて歌っている。あんたがたどこさ・・・。

「つまりわたしの母だからわたしは行くのだ。」(P59)
posted by Yo Hemmi at 23:51| お知らせ | 更新情報をチェックする

2019年04月05日

2019/04/05


2019/04/05

反時代のパンセ64回PDFゲラもどす。アパート改修工事の騒音
あいかわらず。「わたしはかわいい娘だったけど、もう自分が
だれだかよくわからなくなっちゃったよ」(P49)。

間歇的で気まぐれにもおもえる騒音に殺意をおぼえるーー奇妙な
シンタックス。テロの文法に似た。たかからメール。しぶとく生
きていた。チャビーも元気らしい。

パシェに敬意をおぼえ、『母の前で』を刊行したひとびとに拍手を
おくるわけは、作家ー作品ー翻訳ー刊行のながれに、すがしいものを
感じるからだ。

改修工事は8月までだとか。引っ越しをかんがえざるをえない。R君
と話す(電話)。14日会うことにする。擬人。
posted by Yo Hemmi at 16:59| お知らせ | 更新情報をチェックする

2019年04月03日

2019/04/03


2019/04/03

わたしはR君との約束のようなものをまもるつもりでいる。

posted by Yo Hemmi at 20:23| お知らせ | 更新情報をチェックする

自制力


排尿と言葉

「排尿に対する自制力の衰えは・・・言葉に対する自制力・・・が衰えるのと
同時なのではないかと。」(P48)



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2019年04月01日

犬糞


皇国史観の復活を祝ひませう!

新元号は「犬糞(けんぷん)」にきまったそうだ。悦べ、アホども、
犬のクソども。菅ってやつは特高警察か公安の親玉の顔をしている。
きもちがわるい。

『壊(え)』第1回書きはじめ。


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