
「ロルボンはもう存在していなかった。完全に存在していなかった。
もし彼の骨が多少残っていても、それはまったく独立に、骨自体で存
在しているのであって、もはや塩分と水を含んだ少しばかりの燐酸塩
と炭酸石灰にすぎないのだった。」
アミはハローワークに行った。水商売でも断るな、ありがたいと思へ、
と言ってやった。映画『月』のDVDと称するディスクは、そもそも
空だったようだ。こういうことで何時間も費やすのはたまらない。
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「『南京虐殺』という『言語に絶するもの』に対して、言語表現が絶え
たままでいるのは『小説』ないし『文学』のあるべき姿である、という
認識が、既に戦後日本文学史に関する代表的な言説の暗黙の了解となっ
たのではないかと思われる。」(明治大学文学部『文芸研究』第百五十号
20頁下段)。王中忱氏の指摘のとおりである。
逆に言えば、戦後という手前勝手な「暗黙の了解」を、まったく遅ればせ
ながら、了解せず、拒否すること。『1★9★3★7』執筆のそもそもの動機
はそこにあった。
日中戦争とウクライナ戦争は、同列に比較できない嵐である。どちらがより
酸鼻を極めたか・・・も、ナンセンスな問いに違いない。それを承知で言えば、
日本の対中侵略の惨劇は質量ともにウクライナ戦争をはるかに凌ぎ、幾度で
も蒸し返され問い直されて当然なのだ。忘れたふりはよくない。