2024年01月01日
言葉
以下の言葉がすきです。なぜでしょうか?発話者の痛み、辛さ・・・
それではないでしょうか。それらが言表を詩に変えているからでは
ないでしょうか。躯の痛みを、辛うじて言葉が救っているからでは
ないでしょうか。躯という時間体に開いた「黒い穴の苦痛」を言葉
が程よく埋めているからではないでしょうか。なにより語りに強ば
りがないからではないでしょうか。
「言葉を発するよりもむしろ、言葉に包まれて、あらゆる始まりの
彼方へと運ばれてしまえばよかったのに。私が話し始めるずっと前
から名を持たぬ一つの声が私に先んじていたことに気づいていたら
よかったのに。そうすれ ば 私は、まるでその声の一瞬の中断によっ
て合図をもらったかのように、話をつなぎ、話を続け、人に気づか
れることなく話の隙間に住まうだけでよかったでしょう。そうなれば、
始まりなどないことになるでしょう・・・」(ミシェル・フーコー
『言説の領界』)
posted by Yo Hemmi at 15:06| お知らせ
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