
いくつかの新聞が袴田事件報道の過ちにつき謝罪≠オた。
しかし、誰が誰に何を謝ったのか。どうやって過ちを償うの
か。誤った主体は誰なのか。主体とは人間的
責任主体のことである。まったき「個」である。
新聞は今回もまた体のよい謝罪≠ナ自らの大罪を消そうとして
いる。カポーティの小説『冷血』の末尾を想いだす。たしか、
何人かの人間が死に、新聞は部数を増やした・・・ではなかったか。
権力は恣に冤罪をでっちあげ、マスコミは権力の排泄物を喰らい、
読者は読者ででっちあげ記事に狂喜する。
何も変わっていない。