2017年08月09日

ひどい夏


◎原爆はなぜそこに投下されなかったのか?

夏が毎年ひどくなっています。夏の天気の質が。夏の企画の
中身が。わかい優秀なお兄さんやお姉さんがこしらえる、毎夏恒例の
番組、つづきものの無残な劣化。

7.7は、すくなくともわたしの視圏では、特集されなかったようです。
80周年だったのですが。対中侵略戦争なんてなかったみたいです。東京裁判。
〈ひとは戦争を裁けるか〉だって。戦犯たちの罪を、「戦犯」の語感も知らない
後代のわかものたちがうすめてやっています。

原爆。何十回企画をかさねても、視点がさっぱりふかまらずに、むしろ
だんだん浅くなっています。被爆地のモノクロフィルムをデジタ
ル技術でカラーにしたからといって、原爆にまつわる内面のなにを解析
できたというのでしょうか。

「有史、先史を通じ、人類にとってもっとも重大な日はいつか
と問われれば、わたしは躊躇なく1945年8月6日と答える。
理由は簡単だ。意識の夜明けからその日まで、人間は『個として
の死』を予感しながら生きてきた。しかし、人類史上初の原子爆弾
が広島上空で太陽をしのぐ閃光を放って以来、人類は『種としての
絶滅』を予感しながら生きていかなければならなくなった」

「原子核というパンドラの箱を開けて以来、人類は借りものの
時間を生きている」。アーサー・ケストラーの指摘はただしい。かれは
その後に、「ヒロシマの名は陳腐な歴史用語になりさがり・・・」とも
書きました。では「陳腐な歴史用語」にしてしまったのはだれなので
しょうか。

すべては自明にみえて、自明なことなどなにもありません。被爆者の
多くは、広島と長崎を問わず、ひどい差別をうけました。朝鮮人被爆者は
死体まで差別されました。そのこととと、原発事故による福島からの
移住者への偏見と差別にはかんけいがないのでしょうか。

げんざいの天皇夫妻をしきりに賛美する記事と番組はこの夏も、いくら
でもあるそうです。いまやかれは、じじつじょうの「現人神」であり、
かのじょはニッポンの「聖母」になってしまいました。石牟礼さんまで
あのひとを公然と敬うようになったといいます。理由は自明ではありま
せん。大きな「変化」が生じています。なにが起きているのでしょうか。

原爆は、大元帥陛下の在所であったあそこに、なぜ投下されなかったの
でしょうか。これも、答えはまったく自明ではありません。原爆はなぜ
皇居に投下されなかったのかーーという企画はなぜ提案されないのでしょ
うか。その答えも自明ではありません。

ひどい夏ですね。









posted by Yo Hemmi at 17:37| 所感 | 更新情報をチェックする