2017年08月26日

死者の列

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◎生体と制度の軋み

「私が見た最後の将司くんは、その姿とは裏腹に明るく前向きで、正月休み
を返上して見守ってくれた医師、看護師、刑務官に感謝しているようでした」。
「キタコブシ」177号に、大道寺ちはるさんが書いています。ことし2月の、
まだ意識がはっきりとしていたころの、かれのスケッチです。

ああ、そうなんだろうな、とすなおに納得します。おちついたかれのまなざしが目に
うかびます。「正月休みを返上して見守ってくれた医師、看護師、刑務官に
感謝・・・」。よくわかります。かれはこころからありがたいとかんじていたこと
でしょう。ちはるさんの記述はフェアだとおもいます。

拘置所の医師、看護師、刑務官らが一生懸命に、重篤のかれに対処したことも
うたがいません。獄外の大病院のようにはいかなかったにせよ、拘置所として
できることは、すべてやったのではないでしょうか。かれらかのじょたちは、
全員ではないでしょうが、かなしみをたたえた深い目の色をしていたでしょう。

ここで、鉄の楔のようなものが胸にうちこまれます。だとしたら、死刑とは
なんなのでしょうか。死刑執行とは?死刑「確定」とは?死刑がカクテイしたと
される病者への、誠実な治療行為とは、いったいなにを意味するのでしょうか。
人間生体と制度のあいだの、とてつもなく不気味な軋みが聞こえてきます。

死者の列にくわわった大道寺さんの静かなまなざしがみえるようです。死ぬべく
定められながら、どうじに生かされること。そのことを深くかんがえるのを
はばむともなくはばむ「末人」たちの圧倒的な空気。大道寺さんに絞首刑は執行
されなかった。かれは「病死」した。しかし、ほんとうにそうなのでしょうか。
これも刑死とはいえないでしょうか。

逮捕以来42年がたちました。Somewhere Over the Rainbow...ほんとうでしょうか、
かれはこの歌がすきだったといいます。けれども、虹はついにかからずに、ひとびとは
ぞろぞろと死者の列を歩くのみです。それだけが約束されています。







posted by Yo Hemmi at 17:11| お知らせ | 更新情報をチェックする