2017年12月19日

絞首刑


◎さようなら、光彦君・・・

友人が殺されるというのは、つらいものだ。

今朝、光彦君らが死刑に処された。予感があったので
あまりおどろかなかったが、やはりくるしい。重い。
気圧や重力や光りの屈折のぐあいが、このところ、
どうもおかしい。

きみは〈やめてくれ!〉〈たすけてくれ!〉と泣き叫ん
だか。あばれくるったか。〈お母さん〉と叫んで大声で
泣いたか。刑務官をどれほど手こずらせたか。それとも、
お迎えがきて、あっけなく失神したか。まさか。

きみは何回、回転したか。ロープはどんなふうに軋んだか。宙
でタップダンスを踊るように、足をけいれんさせたか。鼻血を
まき散らしたか。舌骨がへし折られたときどんな音がしたか。
脱糞したか。失禁したか。目玉がとびでたか。首は胴から断裂
しなかったか。

けっきょく、再審請求も犯行時未成年も考慮されはしなかった。
考慮されたのは、「適正に殺す」ために、きみのせいかくな
体重とロープの長さくらいか。さて、なぜ、けふという日がえら
ばれたか、知っているか。平日。国会閉会中。皇室重大行事なし、
だからだ。国家は、ごく静かな朝に、ひとを「公式に」くびり殺す
のだ。

やんごとないかたがたのご婚約、ご成婚、ご懐妊発表の日には
絞首刑はおこなわれない。おことば発表の日にも、ホウギョの
日にも、絞首刑はおこなわれない。聖人天皇もマドンナ皇后も、
死刑はおやりにならないほうがよい、などというお気持ちのにじ
むおことばをお話しあそばされたことはいちどもない。なぜか。

連綿たる処刑の歴史のうえに、ドジンのクニの皇室はあるからだ。

ひとと諸事実(そして愛の)の多面性と多層性について、光彦君、
ずいぶんとおしえられたよ。ありがとう!ひとと諸事実(そして愛)
の多面性と多層性については、法律もジャーナリズムも、ほとんど
の文学も、まったくおいつかないことをとくと学んだよ。

災厄でしかない国家のなしうるゆいいつの善政とは、死刑の廃止
であった。死刑をつづける国家と民衆は、さいだいの災厄ー戦争を
かならずまねくだろう。にしても愚劣なマスコミ!

今夜はNirvanaを聴くつもりだ。さようなら、光彦君・・・。

posted by Yo Hemmi at 16:00| 所感 | 更新情報をチェックする