2017年12月21日

絞首刑の可視化を!


◎「国家」を演出するもの−こころの卑しいものたち

午前1回、昼1回。夕方はほぼなし。代が変わっても
おなじ。木で鼻をくくったような中身。死刑報道。
「絞首刑」とさえいわない。色、におい、音、こころ
・・・を徹底的に排除する。おまえらはひとじゃない。

皇室報道はこれでもかこれでもかとやる。なぜ絞首刑を
きちんと報じないのか。ひとりくらい変わり者はいない
のか。絞首刑執行状況の可視化を!テレビ中継を!
生中継を!お茶の間におとどけする絞首刑の現場!

洗練された映像美、映像と一体化する音、映像が鮮やか
に浮かびあがる4K高画質プロセッサー搭載の最新受像器
でみようじゃないか。美しい国ニッポンの、大迫力の絞首刑
シーンを!ん、それはできないだと?ならば、なぜ死刑執行
をつづけるのだ。

なぜ、刑務官に絞首刑執行を強いるのだ?なぜそのことを
論じあわないのだ。色、におい、音、こころ・・・を徹底的に
排除する。おまえらはひとじゃない。

このクニにジャーナリズムなどありゃしない。やつらは
国家と権力と「ニセの日常」を演出するだけの、こころの卑
しいものどもだ。

かれに音楽雑誌をさしいれたことがある。友人がさがして、
買ってくれた。クラプトンの表紙だったか。かれはすごく
よろこんだ。一日中独居房に立てかけてながめていたらしい。
かれは吊された。ヒクヒク痙攣して、死んだ。

雑誌のことをおもいだす。その友人を誇りにおもう。



posted by Yo Hemmi at 17:18| 所感 | 更新情報をチェックする