2018年05月29日

露店


◎「犬を売る露店(断片)」など

「犬を売る露店」をよんだ。かれのものは大抵くりかえし
よんでいるが、どういうわけか「犬を売る露店」だけは、
よみたいよみたいとおもいながら、よみそびれてきた。はた
して、この作品はドンピシャリであった。

「落花生の主人は時には夜泣きうどんの車からうどんを運ば
せたりする。古本は南京豆の袋入りを買って鼻の下の祭りを
する。万年筆やインク消しは絶えず喋っているようだし、人
足を止めていることも美人絵葉書に次いでいる」はいい。

「しかし犬屋は、いつも厚司をはき、膝小僧を出し、冷たい
甃の上に寂しく立っていた」も文句がない。きっとよいだろう
と勘ははたらいていた。だがこれほどよいとは!「城のある
町にて」を何度目かよんでいたときもおもったのだった。

もう下手なものを書くことはない。ただよめばよい。それで
決心がついた。第8回までつづけた『月』の連載をやめること
にした。読者には申し訳ないとおもう。第9回はいちぶ書き
すすめていた。が、発表はむずかしいだろう。

ほとんどのことについて感覚があわなくなってきた。あわせる
気力もなくなりつつある。ことばをつうじさせるにも、ことばが
白化した珊瑚ではどうにもならない。死んだ珊瑚をもてあそんで
「生きている」というのは詐欺だ。

『月』は血塗られた荒れ野のふうけいを、たたなわる欺瞞の
ヴェールを剥ぎ剥ぎ、もうやめてくれと悲鳴をあげられるまでつ
づけるつもりであった。しかし、悲鳴はどんな悲鳴だったか。
よくわからない、こんなんじゃ売れません・・・ではないか。

わからぬというものに、無理にわからせてやるほどおせっかいで
はない。あきらめることだ。あきらめるべきである。

月と柿の葉.jpg
(Y.Sakai)








posted by Yo Hemmi at 16:39| お知らせ | 更新情報をチェックする