2018年07月06日

ポアの日


◎1995/03/20ー2018/07/06

95年、まだ現職の記者だったころ。神谷町のワンルームマンシ
ョンにいた。よく酒をのんでいた。あの朝、日比谷線の神谷町駅で
たおれているひとびとをみて、ひとりを地上にはこびあげた。
パトカーも救急車もまだきていなかった。へんなかんじだった。

なにが起きているのかーーーと、切実にかんがえはしなかった。あまり
おどろかなかった。いつかこういうことはある。われわれはいつか
やられる。権力か擬似権力か社会の暗部によって、ある日とつぜん
に、斃され屠られる予感があった。いまもある。

オームは人気があった。吉本隆明さんも、かなりイカれていた。記者
のなかにもオーム・シンパがいて、なんにんかは上九一色がよ
いをしていた。麻原の人間的魅力を熱っぽくかたる社会部女性記者も
いた。

麻原の初公判を最前列で取材した。なにもすごみはなかったと記憶
する。ひとごとのように検察と弁護団のやりとりを聞きながして
いた。まったく関心がなさそうだった。肌つやがよくて、爪がきれいに
ととのえられていた。

麻原が、腿においた指を、モールス信号みたいにたたきはじめた。トン
ツー・トントンツー・ツー・・・。じっとみつめつづけた。信号ではなく
歌のようであった。トンツー・トンツー・・・。「また逢う日まで、逢える
ときまでー」

そして、けふ、2018年7月6日朝。えらばれた朝。麻原ら7人を絞首刑により
いっせい殺りく。皇室の慶事とバッティングしないように、選びぬかれた
日。婚約、退位、新元号、五輪前祝いムードに水をささないように。
死刑反対派はへりつづけているのだから、ぜんぜんかまいやしないと。

メディアの視線は95年当時よりも、さらにさらに浅くなっている。死刑制度
の是非を問う声はこの朝、皆無にひとしかった。なんということだろう。

ポピュリスト独裁政権はみずからの敵≠権力増強の肥やしにする。
つねに「例外状態」をたもとうとする。このニッポンではまた、死刑執行
によりアホメディアとドジン的民衆がわきかえり、死刑がいまやいっしゅ
の祝祭≠ニなっていることもわすれてはならない。

悪名たかいハンガリーのオルバーン・ポピュリスト政権はみずからの
体制をイリベラル・デモクラシー≠ニいってはばからない。語義矛盾
だが、実質的にはニッポンとおなじ「専制民主主義」だ。民衆は独裁者
オルバーンに自由をうりわたし、歓呼の声をおくる。そのハンガリーで
さえ死刑廃止国なのだ。

ニッポンは、こころあたたかく、人情に厚い、サッカーの試合後みんなで
ゴミ拾いをするほど公徳心がたかく、なによりも死刑のだいすきな、言論
表現の不自由を愛好する、異常国家なのである。明るくて、ひどく暗いクニ
だ、ニッポンは。

絞首刑執行をけさ担当させられた刑務官たちは、わずかばかりの特別手当
をもらい、これから酒をのみにいく。それぞれの光景と音とをわすれるた
めに・・・。











posted by Yo Hemmi at 16:49| お知らせ | 更新情報をチェックする