2018年07月08日

暴力の母型


◎いま、なにが到来しているのか?

ニッポン型の大量処刑は、不可視であるがゆえに、幻想のなかに
あるしゅ爆発的なスペクタクルを展示してみせた。民主主義は、
そのなまえを僭称したまま、未聞かつ最悪の暴力的専制と化して
いることを、おそらくは故意にさらけだし、そうすることにより、
まつろわぬものたちをはげしく恫喝したのだった。

人民の多くは、国家による殺りくに酔いしれた。政治から排除さ
れているルンプロ的人民たちも、政権の英断≠ノ拍手をおくった。
いかなる抵抗も対抗も困難である。なぜなら、最悪の暴力的専制
は、あらゆるしゅるいの社会的同一性の解体後の砂漠にたちあらわ
れ、もっとも脆弱で貧しい人民をもみかたにつけているからだ。

死刑こそが国家暴力の母型である。それは戦争というスペクタクル
の、最小単位の顕示である。気づくものは、つとに気づいている。
戦後政治に比類ない、犯罪者集団でもあるこの政権は、なんでもでき
るようになった。そして、じじつ、やりたい放題である。9条覆滅
から軍事・警察国家の樹立まで。人民と民主主義の名において。











posted by Yo Hemmi at 17:15| お知らせ | 更新情報をチェックする