2018年11月29日

金子ふみ子


墓から発掘したのは遺骨ではなく土葬された遺体

亀田博さんからひとを介し金子ふみ子の墓発掘にかんする貴重な
ご教示があった。「生活と自治」の連載で、わたしは金子ふみ子
の遺骨が布施辰治弁護士らにより発掘されたという趣旨のことを
書いたが、それは遺骨ではなく土葬された遺体であった。

金子の死因究明については、布施弁護士も努力したが、亀田さんに
よると、「医師、遺族、朝鮮と日本のアナキストたち」が尽力した
のだという。また、朴烈の兄と甥がじぶんたちの土地に埋葬するため
東京にきたが、遺骨は警察に管理され、朝鮮の地元警察に送られて
しまった、と亀田さんは指摘している。

亀田さんの文章「忘れ得ぬ面影」によると、1926年7月27日に金子
の「冷たくなった身体が、栃木県宇都宮刑務所栃木支所の監房の
窓際に発見された。ふみ子はその前日26日の暁方、数え年23歳の
真夏、この世に永遠の訣別をとげて了ったのだ」

同月31日の明け方、ふみ子の母親と布施弁護士、馬島医師がたちあい、
十数名で栃木町はずれの合戦場墓地に仮埋葬されたふみ子の遺体発掘
にとりかかった、という。「数輪のエゾ菊を手向けたばかりの墓所を
揆いて、地下四尺の湿地の中から」金子ふみ子の遺体はでてくる。

「水気にふくらんで、ブヨブヨにはれ上がり、腐乱したふみ子の
屍体」「むくれ上がった広い額と、厚く突出した唇、指をふれればスル
スルと顔面の皮がはがれた腐乱体・・・」ーーーー。しっかりと読ませていただ
いた。亀田博さんと元木知子さんに感謝申し上げる。
posted by Yo Hemmi at 17:38| お知らせ | 更新情報をチェックする