2019年04月08日

2019/04/08


2019/04/08

おかしなことだ。『母の前で』をくりかえし読むことで
なんとか落ちつきをえている。それは、まったく奇妙なことに、
ロープシンを読むことでえられる内側の感情(位置)に似ている。
わたしは母とパシェのようにむきあったことがいちどもない。

「まるで人間であるということは、どこか重すぎることで、それを
独りで支えるのは難しすぎることであるかのように。」(P79)

1時間ほどまえ、轟音がした。建物が揺れるほどの。犬が足もとに
きて顔をみあげ、それからいつもの待避場所に駆けていった。
布の家に。わたしはかのじょをとっさに「しゅんまく
ちゃん」と呼んだ。

『母の前で』から静けさと落ちつきをえるのは、それが関係という
ものの基本中の基本だからだ。悩乱も、もつれも。「言葉の外に
落ちる」ことも。「可能性としての内的言語」。


posted by Yo Hemmi at 15:10| お知らせ | 更新情報をチェックする