2019年06月17日


どこからどこへか

ここにいるのは必然でも必要があってでもないので、転居の
提案があったとて、はて、どこからどこへという釈然とせぬ
心もちになる。どこからどこへの失見当識は、いつからいつへ
という時間認識の惑いをひきずってくるのみであり、結局疲れて
しまうだけなのだ。そうやって、あたら残りの時間を消して
ゆく。いっそそれでいいような気もする。遺言を書くようにやん
わりとほのめかされる。
posted by Yo Hemmi at 16:48| メモ | 更新情報をチェックする