2025年03月17日

『漆黒の馬』

黒馬を見たり.jpg

で、須藤さんと話していた際、高橋和巳は何が好きかと
訊かれた。埴谷雄高をして「苦悩教」と言わしめた高橋
和巳についてはほとんどが好きな(好きだった)のだが、
電話のことゆえ詳しくは話さなかった。例えばロープシン
の『漆黒の馬』。翻訳は工藤正廣さん、〈『漆黒の馬』の意
味〉と題する解説が高橋和巳で、これは小粒だけれどけだし
名品である。須藤さんにはそのことは言わなかった。

若いころわたしは『漆黒の馬』をいつも匕首のように持って
歩いた。「歴史的必然を、徹底した自己犠牲による確信的
殺人によって自由へと転化しようとするテロリストの苦悩
と、そしていかなる意図があるにせよ一たび手を血に染めて
よりのちははてしなくくずれてゆくテロリストの内面・・・」
といった和巳の語調には大方の作家が持つ悪擦れした得意も
衒いもなかった。

「やむをえない苦しみ」からはじまりながらも、やがて
全き無駄」へと墜落してゆくテロリストの宿命。そして
「絶望的な懐疑」へ。和巳がふとため息をつくように漏ら
した「精神はほんらい空虚をいとうものなのだ」という
文言。これらすべては赤く発光するイトミミズのように
いまもわたしの躰の闇を這っている。

ここまで書いたら、野田さんからメール。月の子は引っ越し
たらしい。猫のエイリアンとともに。

そうだ、高橋和巳の書斎を、和巳の死後訪う機会を得た。
重い香と湿気った褞袍のような匂いをまだ憶えている。


posted by Yo Hemmi at 21:50| お知らせ | 更新情報をチェックする