「変革の季節がすぎ、五〇年が経過してマルクスが読まれなく
なったのは、ひとが世界の可変性、その可塑性をもはや信じて
いないからでしょうか。あるいはただいっときの流行が過ぎ去
って、あらたなファッションの波が、極東の島国の岸辺をいく
たびも洗っていった結果にすぎないのでしょうか。」
熊野 純彦『マルクス 資本論の哲学』 (岩波新書)
文が腑に落ちるということは艶やリズムが然らしめるのではない。
文が自ずと奥底に孕む「蹉跌」のような、幽かな悲鳴が、読み手を
して却って得心させるのだ。加えて疲弊、懈怠。
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