死刑は決まって金曜日の午前に前置きなく執行される。お昼の
ニュースで報じられる。午後には、まるで何事もなかったかの
ように、報道皆無。死刑の是非が論じられることもない。法務
省と報道機関は事実上、結託している。この問題に関しては、
その秘密性と非道さ残虐性において、日本は中国や北朝鮮と変
わるところがない。
人びとは想像力を閉ざし、日常を途切れなく継続し、平気で物を
食む。「国家による殺人」をまったく抽象的、観念的ににとらえ、
他人事として受け流す。そのようにしつけられている。矯(た)
められている。抵抗しない。
メディアは死刑執行の事実を法務省の発表どおり無機質に伝える
のみで、それがギロチンか銃殺か電気椅子かさえ報じない。
今朝の執行は絞首刑だったのであり、被執行者は即死はせず、眼
球を飛びだたせ、失禁し、絶命するまでに数分間、宙でもがき、
ヒクヒクと痙攣し続けたはずである。絞首刑は臭う。生体最期の
証として臭気を放つ。記者はそれを取材しようとしない。
死刑反対は票にならないという。したがって国会で議論されること
もない。寂しい国だ、日本は。酷薄な社会だ、ニッポン・チャチャ
チャは・・・。
にしても、高市早苗と死刑の不思議な親和性≠ヘどうだ。
2026年08月21日
死刑とメディア、社会の堕落
posted by Yo Hemmi at 15:13| お知らせ
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