2018年07月31日

寄稿


再び処刑関連原稿

「人びとはこれを望んだのかーー気づかざる荒みと未来」と題する
一文(7枚)を寄稿しました。共同通信から各加盟紙に配信されます。
ご一読ください。原稿の末尾で、村上春樹氏の発言(7月29日付毎日
新聞)を批判しました。

氏は「『私は死刑制度には反対です』とは、少なくともこの件に関しては、
簡単には公言できないでいる。『この犯人はとても赦すことができない。
一刻も早く死刑を執行してほしい』という一部遺族の気持ちは、痛いほど
伝わってくる」と述べている。

被害者感情と処刑(死刑制度)を同一線上でかたるのは、よくありがちな
錯誤である。前者の魂は後者の殺人によっては本質的にすくわれない、と
わたしは書いた。

にしても、村上氏の文には正直おどろいた。
「・・・林泰男の裁判における木村裁判長の判断に関する限り、納得でき
ない箇所はほとんど見受けられなかった。判決文も要を得て、静謐な人の
情に溢れたものだった」

極刑判決をほめたたえる神経は、わたしにはとうてい理解不能だ。









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2018年07月28日

個人の孤立化


だからまた社会的戦争(透明の)

「つまり万人対万人の戦争が、ここでは公然と布告されている。
・・・人びとはたがいを役にたつ奴としか見ていない。だれもが
他人を搾取する・・・」

たいがいにしろ。もういいだろう。そらぞらしい。ここでは30人
を一挙に処刑しても暴動などおきないんだ。わかっている。

オウムについては『不安の世紀から』(角川文庫)であらかたいい
つくしている。一斉処刑をのぞけば。
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2018年07月27日

うるわしき首都


処刑愛好国の美しい首都をたずねて

西武球場には空調がない。西武がケチだからだ。タクシーの運転手は
言った。セキュリティ対策でクーラーボックスをもってけない。缶ビ
ール1缶だけ。以前はクーラーボックスいっぱいに飲み物を入れてっ
たんだ。処刑の話はしない。西武球場では公開処刑やってないし。

レストラン従業員がクッションをもってくる。よかったら背中にあてて
くださいね。はよ死ねよ、身障ジジイ、なんて言わない。昨夜、おもい
だした。「世界を救うために、世界を滅ぼす」。そのことをまたおもい
だす。もう滅んでるよ。

いっけん死刑に疑義をていするかのごとき新聞コラム2本みる。弱っちい
犬が股に尻尾はさんで後ずさりしながら吠えてるみたいな駄文。はっきり
と反対といわないかぎり、賛成とおんなじなんだよ、死刑ってのは。筆者
は知っている。卑怯者め。良心派≠無傷で気どりたいだけだろ。

『もの食う人びと』に、モスクワのオーム信者のことがちらりと書かれてい
る。じぶんが書いたのに、ちょっとおどろく。



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2018年07月26日

おかしくはないのか


「処刑愛好国」のコクミンであることについて

あなたがたはなぜ処刑をつづけるのか。そんなにも絞首刑がすき
あのか。なぜすきになれるのか。絞首刑を執行する生きた主体は
だれか。それは「かれら」ではなく、「われわれ」であり、この
「わたくし」ではないのか。

このクニはなぜ斯程までに処刑を愛好するのか。処刑愛好国のコク
ミンであるとはどういうことか。どんな目つきか。どんな語り口か。
どんな声音か。ごまかしてはならない。わたしたちは朝方の絞首刑
をこよなく愛するコクミンなのだ。

「夏休み子ども電話相談室」のとちゅうで、ふたたびの大量処刑を
知った。昆虫がテーマだったからだろう、ニンゲンにかんする質問は
なかった。「ニンゲンはなぜニンゲンを吊し首にして殺すのですか」
「昆虫はなぜ死刑をやらないのですか」ーーといった質問はなかった。

2度目の大量処刑について、寄稿の依頼があった。了承した。約7枚。
締め切りは31日正午。わたしは生きているあいだに、死刑について
なんかい原稿を書くのだろうか。なんだか恥ずかしいことのような気
がする・・・それは。とんでもない話だ。大量処刑について、わたしは
ついせんだって書いたばかりなのだ。

『鉄西区』みる。










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2018年07月25日

沖縄紙


琉球新報も掲載

「むごい夏ーー処刑とクチナシの花」は琉球新報も掲載した。
沖縄紙が載せてくれるとうれしい。むかしからそうだった。ホ
ンド紙よりはまだマシとおもっている。目取真俊さんは読んで
くれただろうか。

バカパソコンが勝手に再起動をくりかえすので買いかえを決心。
念のため修理センターに電話すると、さんざ待たされたけれど、
ハキハキした女性がでてきて修理方法をおしえてもらう。よう
わからんけど、電源ボタンを空押ししたり、デフォルトしたり、
設定をかえたり。

ひょっとしたら、直ったかも。こんなことで厭世観がちょっと変
わったりして、おめえ、アホじゃないか。でも、単行本『月』の
原稿加筆修正作業はつかいなれたパソコンでできるかもしれない。
テキストファイルは今週金曜日に入る予定。


また『鉄西区』のつづきみる。引きこまれたままだ。王兵作品は
中国観と世界観と人間観を土台から変えさせるちからをもってい
る。映画の概念がくつがえる。


posted by Yo Hemmi at 14:09| お知らせ | 更新情報をチェックする

2018年07月24日

「ともに、生きる」の政治性


きみらも犯人ではないか?

「ともに、生きる」になぜ虫酸がはしるのか。にこやかに微笑みながら
、重度障害者への社会的殺意≠ネどないですよと演出するその政治性が
きもちわるいのだ。きみらはだれにたのまれたのでもなく、ニッポンの
善≠謳う。戦前も戦中も戦後も一本調子でそうしてきた。こんごも
そうするだろう。

強制不妊手術の社会的承認(合意)も、やまゆりの犯人と虞犯者が、じ
つはおびただしい数にのぼることを示している。あなたがたは受信料を
とりたてて真相を隠ぺいしている。やまゆりの根の深さを、なぜ隠すの
か。

「重度重複障害者」と呼ばれる人々の存在論をどこまでも追究し模索しな
ければならない。
posted by Yo Hemmi at 18:37| お知らせ | 更新情報をチェックする

『月』10月刊行


『月』書籍化について

うちあわせ。暑いなかを編集者が都心から足をはこんでくれた。
『月』単行本は10月刊行(角川書店)とすることでまとまった。
入稿は8月8日ないし同20日。いくぶん手を入れる。ゲラのやり
とりなどで炎夏をしのげるか。

7人一斉処刑にかんするエッセイ「むごい夏」は、信濃毎日新聞
夕刊も掲載した。クリックしてみてください。

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2018年07月23日

「健全な国民意識」の形成


きみらがやっているすばらしいことーーでっちあげ

みひちゃんが言う。いま39度。アベとアソーに甲子園名物かちわり
氷を配らせろ。各戸に無料で。おれはいらない。あいつらの顔みと
ない。やつらを甲子園の内野に生き埋めにしたほうがいい。ベース
のかわりじゃない。そんなん気色わり。地中深くだ。

きみらにこのクニの「意識司令塔」をやってくれとたのんだおぼえ
はない。いったいだれにたのまれたんだ? おれはラジオの第二放送
「ポルトガル語ニュース」「韓国語講座」は聴くけど、テレビはほと
んどみない。金返せ。

9時のニュースはひどい。中学校の放送部か、あんたらは? 無批判
、無思想、無抵抗、問題意識ゼロ。野球のホームベースみたいな顔の
あんちゃん。なんだ、あんたの平穏顔は?世の中そんなに安泰かい?
そんなに楽しいかい。おれはラジオの第二放送「ポルトガル語ニュース」
「韓国語講座」は聴くけど、テレビはたまにしかみない。金返せ。

周年番組って、だいたいろくなもんじゃない。やまゆり2周年もひどい
もんだ。つくるまえから骨格ができている。フレームにあうように発言
を編集しまくる。T周年のときはおれもかりだされたのさ。インタビュー
2時間プラス収録現場まで往復1時間以上かけて、実際の放送は片言隻句
だけの5分未満。ノーギャラ。ばっかみたい。

世の中をなめている。暗部を消しさり、災害も障害者殺しもけっきょくは
ハートウォーミング・ストーリーにしたてあげる。でっちあげだ。身内に
重度重複障害者をもつ友人は怒り心頭だった。なにがリアルでなにがアン
リアルか、きみらはとりちがえている。故意にか無意識(アホだから)か。
重度重複障害者をもつ家族のすさまじい苦悩の劈開面をきみらは隠している。

きみらの先輩たちは営々としてニッポンという「健全な国民意識」の育成
にまいしんしてきた。世の中はすてたもんじゃない。善男善女だらけだ。
豪雨に地震に津波に熱波に戦争・・・そうだ、絆だ。ニッポンジンは手をとりあ
う。助けあう。佐藤直樹は書いた。「なぜ日本では略奪も暴動もおきないのか」
(『犯罪の世間学』青弓社 2015年)ーーすぐれた問題提起じゃないか!

佐藤は言う。「私の答えは簡単である。それは『世間』があるからだ」。
この世間には、のど自慢や紅白歌合戦やタモリ、ツルベら登場の徹底無思考
番組をこれでもかこれでもかとつくりあげているきみらがつつがなく包摂され、
きみらがさらに世間を再生産する。世間の心的頂点には、わかってるよね、
聖なる両陛下がおわしまする。

「ともに、生きる」をみていて腸が煮えくりかえった。うそをつくんじゃない。
でっちあげるんじゃない。きみらは苦しみと狂気がからまりあって、うなり声を
あげてのたうちまわるさまをみなかったのか。「ともに、生きる」の発想こそが
差別の淵源にあることがわからないのか。「ともに、生きる」が完ぺきに隠しと
おした(非在者≠ニされた)人々にこそ思考の端緒があるのがわからないのか。

ひきつづき『鉄西区』みる。なぎたおされる。








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2018年07月22日

やまゆり


「善」の「悪」

ゆうべNHKの「ともに、生きる」をみた。あまりにも予想どおりの
平板な中身にため息。どうしてかれらは現状をあんなにも懸命に肯定
したがるのか。

「ともに、生きる」は、いかにも善めかした悪の宣伝ではないのか。
まるで国策ドキュメンタリー。まるで、ではない。まさに厚労省推薦
にふさわしい反動的国策ドキュメンタリーだ。

19人を殺害したあの青年はけっきょく「だれ」だったのか。さとくん
は笑いながら遠ざかる。「ぼくはだれでしょうか・・・?」と言いつつ。
そう、きみはまだ負けていない。まだ。

ワンビンならどう撮ったか。いうもおろか。「ともに、生きる」のよう
にはせったいに撮らない。「ともに、生きる」なんて恥ずかしいタイト
ルをつけない。
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2018年07月20日

鉄西区


◎王兵という文学

ワンビンの作品をみるのは、すぐれた長篇を読むのに似ている。
みているうちに、これが現代文学なのか古典なのかわすれてしま
う。巨大怪獣の死体のような工場=廃墟。のなかを、臓腑にもぐ
りこむようにしてめぐりめぐる。映画的経験か文学的経験か、あ
るいは絵画的経験か・・・どちらでもよい。

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2018年07月19日

土下座甲子園


◎アラン・シリトーなら書くだろう

アラン・シリトーならまちがいなく書くだろうな。こんなクソ暑い日には、
首相、全閣僚が甲子園球場の内野に土下座して、全コクミンへの「お詫びの
ことば」を発表しなければならない。「こんなに暑くて熱中症で亡くなる
みなさんが続出しているのは現政権の悪政のせいです」。甲子園の土にひた
いをこすりつけて、30分間謝罪すべきである。「申し訳ありません!」

アラン・シリトーならまちがいなく書くだろう。両陛下ならびに皇族たちも
甲子園球場の内野に土下座し、コクミンに謝罪するのである。以下、ありが
たきおことば。「わたしたちだけが国税によって涼しくすごし、うまいもの
をたらふく食ってすまなんだ」「なんじ臣民、熱で死ね!」

「むごい夏ーー処刑とクチナシの花」は東奥日報も掲載しました。
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2018年07月18日

処刑日の夕刊


◎マルクス・ガブリエルの記事(毎日)

7月6日といえば、7人一挙処刑という忘れがたい日だったが、
その日の毎日新聞夕刊特集面「政治に倫理は大事なもので
なくなった」は一読に値する。マルクス・ガブリエルへの
藤原章生さんのインタビュー記事。

「21世紀型ファシズム」について縷々述べており、わたしの
以前の発言も引用している。7人一挙処刑へのガブリエルの
感想も知りたかったが、記事は7・6前のものだったろうから
しかたがない。

7人一挙絞首刑も豪雨災害報道も「21世紀型日本ファシズム」
のあらわれにみえてしょうがないのだが・・・。
posted by Yo Hemmi at 17:43| お知らせ | 更新情報をチェックする

遷延


◎通夜


遷延とは、長びくこと。のびのびになること。また、のびのびにすること
である。なら、そうかんたんにいえばよい。センエンとよべば存在の内実が
かわるわけでもないのに遷延というのはまやかしだ。わかったふりをしたい
だけである。通夜。

あの方の目には、なにがどうみえていたのか。みえていなかったのか。「在る」
にはまったく容赦がない。適度に在るなんて、ないのだ。「在る」はいつも常軌
を逸している。疲れる。そして、「疲労は存在するものによって存在することに
もたらされる遅延のごときものだ」

かくして、「この遅延が現在を構成する」。ほんとうだろうか。
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掲載状況


◎大分合同新聞、長崎新聞なども掲載

「むごい夏ーー処刑とクチナシの花」は、大分合同新聞、長崎新聞
なども掲載しました。今月6日の7人一挙処刑にわたしはこだわって
います。国家がなしうる数少ない善政は死刑の廃止です。わたしは
この国の首相や副首相、法相ら明白な犯罪容疑者らの絞首刑にさえ
反対します。

しかし、7人処刑の前夜に酒盛りをやっていたものたちの道義の廃れ
がみずから招きよせるであろう各種の悲劇には、なんらの責任ももち
えません。大量殺りくの前夜に酒宴に興じた品性は、それじしん、ま
ことに悲惨なのであり、あるいは不幸をやくそくされているとおもい
ます。

あの日から歌手は声がでなくなってあたりまえなのだ。





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2018年07月17日

掲載


◎河北新報などが掲載

共同通信からのれんらくでは、エッセイ「むごい夏ーー
処刑とクチナシの花」は河北新報や北日本新聞などが掲載
しているようです。

王兵『鉄西区』。英語字幕版。日本語字幕も。ワンビンの目は
昏くかなしげで、しかもたとえようもないほど圧倒的である。
王兵をだれかと比較しようとするのは無意味だ。
posted by Yo Hemmi at 17:29| お知らせ | 更新情報をチェックする

逝く


◎昼下がり、逝く

その方が13時40分に旅立たれた。というより、これでやっと
永遠に休めることになった。長いこと遷延性の昏睡におちいり、
わたしはずっと写真の寝顔≠みつづけた。『月』を書かせ
てくれたのは、あの方の不在のような実在だった。『月』の
脱稿をまっていたかのように、かれはひっそりと逝った。

意識がないとみなされるものの内面について、かれはわたしに
もっとかんがえるよう迫った。かれはなにひとつその身ではでき
ないのだった。発声も歩行もまばたきも。抱擁も殴打も排泄も。
指一本うごかなかった。痙攣のようなかすかな震え以外はなにも
うごきはしなかった。

夢をみているのかどうかも、しかとはわからない。家族は、みてい
ると主張したが、医師はまったく無関心だった。わたしはみている
と確信していた。それが「夢」というにふさわしいかどうかべつにし
ても。けっきょく、その方はさいごまで自己存在を主張しようとは
しなかったのだ。抗弁も自己弁護も、ついにしなかった。証そうと
すら。

かれは長く生と死のあわいにあった。もしくはそのようにみなされ
た。そうした位置づけを、わたしは大ざっぱすぎるとかんじていた。
生と遷延性の無意識と死。区切り方がこれでは乱暴である。とじた
瞼の下で、その方の眼球はぐりぐりとうごき、のどはなにごとか語ろ
うとして、のどぼとけをさかんに上下させた。

生と死とそのあわいのほかに、さまざまの存在的な領域があることを
おしえられた。透明度の高い、あるいは混濁した領域である。

その方はまた、わたしにこういうことをおしえた。うすれゆく意識の
がわからは、いったいなにがみえているのかーー視点の入れ替えがだ
いじなのだよ、と。つまり、なにも語らぬものに、わたしはどうみら
れているのか。寝姿はさらに、存在に意味と価値はつきものではない
・・・と、つよく示唆していた。わたしは『月』を書いて応答するしかな
かったのだ。

かれはもはや無用の生ゴミであった。尊厳もヘチマもありはしない。
無用の生ゴミには、屈辱をかんじるけんりもない。無用の生ゴミは
すでに弱者ですらない。無用の生ゴミは、おどろくべきことには、まっ
たく共感も同情ももとめないのであった。写真を、わたしはまいにちま
いにちみつづけた。意訳にすぎるかもしれない。〈ほっといてくれ!〉
ーーかれはそうつぶやいていた。

存在とはなにか。非在とはなにか。存在は非在にまさるか。非在は存在に
劣るか。その方はまいにちわたしに問うた。シャラーモフは最後には
憎しみがのこると書いたし、それはそれでわたしを魅入らせもしたのだが、
その方にはいつも律儀な愛がただよっていたようにおもう。かれはけふ
午後1時40分に発った。わたしは犬にそのことをつたえた。犬はおすわり
をし、神妙な目で聴いていた。悲しい目になった。

その方の「位置」はわたしをひきつけてやまなかった。その位置には、わた
しの問いへの切実な答えがあったからだ。まちがいなかろう。かれは『月』
の完了をまっていたのだ。かれの写真をみつめ、『月』を書きつつ、おもっ
たものだ。「無」にとっては、夢さえわずらわしいことだろう。『月』最終
回は今夕、校了した。奇しくも、というべきではない。ひとのなすことのす
べてが奇しきうんめいのなかにあるのだから。

宙づりの影のように、あれほど存在のかなしみをたたえたひとだったのに、
わたしはけふの不在にまったく慣れてはいなかった。備えがなかったのだ。
いまさら、うろたえている。
















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2018年07月13日

むごい夏


◎処刑とクチナシの花

すでに配信されているとおもう。昨日、共同通信に「むごい夏
ーー処刑とクチナシの花」を寄稿した。約7枚。加盟各紙に掲載
されたらご一読いただければさいわいです。にしても、ひどい
夏だ。大量処刑の前夜、サイコパス政権幹部は飲めや歌えの大宴会
をやっていた。

どうすればよいのか。どうすれば? それぞれがそれぞれに身の振り
方をきめるしかない。友人がさいきん精神科病棟に収容されたらしい。
べつの友人は『八月の光』を精読しおえた。わたしは『月』最終回の
再校ゲラをけふ、もどした。

みなが狂いはじめた。当然の生体反応である。わたしたちはもっと狂う
べきだ。そして、もっと狂うはずである。さらに狂わなければならない。
もう気のきいたことなど、いおうとしないことだ。わたしは気のきいた
ことをいわない。和辻はいった。

しめやかな激情、戦闘的な恬淡。ヌッポンズンはもともとキの字
なのである。

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2018年07月10日

ゲラ


◎『月』最終回初校ゲラもどし、その他

わたしじしんはちっとも再起動しないのだが、PCがかってに再
起動をくりかえすやうになったので、『月』最終回初校ゲラをさ
っき急いでもどした。といっても、かなり手をいれた。あれだけの
こと(処刑)をやっておきながら、もう、なんにもなかったかのよ
うな顔つき。

残虐なことが、がくめんどおり殘虐なこととしてつたわらない。そ
れこそがなによりも殘虐なのだ。ことごとく切実さがぬきとられる。
リアルはたちまちアンリアルに変じる。漫才のかたわれが大量処刑
賛成だという。だれもが最低限のつつしみさえ失いつつある。だから
こそであろう、さらにおぞましい「凶」を予感する。

国家による殺りくにかんし、原稿の依頼があり、OKした。締め切り
は金曜午前。いきづまったら、ツェランをよむ。それしかない。「死」
にことばの翳りをあたえて。


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2018年07月08日

暴力の母型


◎いま、なにが到来しているのか?

ニッポン型の大量処刑は、不可視であるがゆえに、幻想のなかに
あるしゅ爆発的なスペクタクルを展示してみせた。民主主義は、
そのなまえを僭称したまま、未聞かつ最悪の暴力的専制と化して
いることを、おそらくは故意にさらけだし、そうすることにより、
まつろわぬものたちをはげしく恫喝したのだった。

人民の多くは、国家による殺りくに酔いしれた。政治から排除さ
れているルンプロ的人民たちも、政権の英断≠ノ拍手をおくった。
いかなる抵抗も対抗も困難である。なぜなら、最悪の暴力的専制
は、あらゆるしゅるいの社会的同一性の解体後の砂漠にたちあらわ
れ、もっとも脆弱で貧しい人民をもみかたにつけているからだ。

死刑こそが国家暴力の母型である。それは戦争というスペクタクル
の、最小単位の顕示である。気づくものは、つとに気づいている。
戦後政治に比類ない、犯罪者集団でもあるこの政権は、なんでもでき
るようになった。そして、じじつ、やりたい放題である。9条覆滅
から軍事・警察国家の樹立まで。人民と民主主義の名において。











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2018年07月07日

国家の殺人


A Hanging(1931)

もしも、若いひとびとが本ブログをみかけたら、先日の7人絞首刑
について、すこしでもいい、おもいをはせてほしい。あれは、世
界史的事件である。そして、その世界性において、その知の崩壊
ぶりにおいて、7人絞首刑は、相模原事件の「さとくん」の所業
にも相似することに注目してほしい。

政権はついに一線をこえた。そのことは措くとして、基本的参考
文献として、ジョージ・オーウェルのエッセイ「絞首刑」
(『オーウェル評論集』小野寺健=編訳 岩波文庫)に目をとおし
てもらえるだろうか。とくにつぎのパラグラフ。

「妙なことだが、その瞬間まで、わたしには意識のある一人の
健康な人間を殺すというのがどういうことなのか、わかっていな
かったのだ。だが、その囚人が水たまりを脇へよけたとき、わたし
はまだ盛りにある一つの生命を絶つことの深い意味、言葉では言い
つくせない誤りに気がついたのだった」

「これは死にかけている男ではない。われわれとまったく同じよう
に生きているのだ。彼の体の器官はみんな動いているーーーー腸は
食物を消化し、皮膚は再生をつづけ、爪は伸び、組織も形成を
つづけているーーーーそれがすべて完全に無駄になるのだ」

「爪は彼が絞首台の上に立ってもまだ伸びつづけているだろう、
いや宙を落ちて行くさいごの十分の一秒のあいだも、かれの目は
黄色い小石と灰色の塀を見、彼の脳はまだ記憶し、予知し、判断を
つづけていたーーーー水たまりさえ判断したのだった」

「彼とわれわれはいっしょに歩きながら、同じ世界を見、聞き、
感じ、理解している。それがあと二分で、とつぜんフッと、
一人が消えてしまうのだーーーー一つの精神が、一つの世界が」

これが原点である。そこからしずかにかんがえるしかない。




posted by Yo Hemmi at 18:19| お知らせ | 更新情報をチェックする

無礼の儀


◎両陛下、この際おたずね申しあげる

無礼の儀、この際ご海容たまわりたい。あなたがたは、にんげん7人
にたいしニッポン国の名のもとになされたおそるべき殺りくを、どう
おかんがえか。大量処刑の日どりが、もっぱら皇室行事とのかねあいで
きめられたことをご存知か。

絞首刑に処されたものは、絞縄が頸骨をへしおってから、かんぜんに
絶命するまで、平均で14分間も痙攣、吐血、失禁などの生体反応をつ
づけることについて、両陛下はお聞きおよびか。刑場の明度と静謐、
空気のとどこおりは、あたかも皇居の深部のそれに似ているといわれ
る。なぜか?

両陛下、あなたがたは死刑制度に賛成ですか。反対ですか。天皇制に
賛成ですか。反対ですか。われわれはそれらを知るけんりをもち、
あなたがたは、国税で生きるひととして、それらを語る義務があると
おもうが、いかがか。

以上、おそれながら、この際おたずね申しあげる。







posted by Yo Hemmi at 15:29| お知らせ | 更新情報をチェックする

執行シール


◎サイコパス政権

あるテレビ局は、絞首刑執行の情報がはいるたびに、
確定死刑囚の顔写真に順次「執行シール」をはっていった
そうだ。戦慄する。現政権は7人一挙処刑をやっても支持率は
さがらないどころか、あがるとふんだのだろう。

ニッポンは最悪の「感情共同体」である。法も文化もありはしない。
天皇制のもとに国家権力と社会が感情的に睦みあい、睦みあわぬ
ものを感情的にはいじょする。「ニッポンの感情」を、質のわるい
メディア(しかないのだが)が日々注入する。

感情共同体を操作する現政権はすでにしてサイコパス・グループ
となっている。かれらはいわゆる「聖なる陰謀」をくわだてている。
すなわち「にんげんの、頭からの逃亡」だ。かんがえないこと。かん
がえさせないこと。ただ、たんじゅんに、かんじさせること。

暴力がむきだしてきた。たおすか、たおされるか、逃げるか。それ
とも、いっしょに「無頭人」になるか・・・。






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2018年07月06日

ポアの日


◎1995/03/20ー2018/07/06

95年、まだ現職の記者だったころ。神谷町のワンルームマンシ
ョンにいた。よく酒をのんでいた。あの朝、日比谷線の神谷町駅で
たおれているひとびとをみて、ひとりを地上にはこびあげた。
パトカーも救急車もまだきていなかった。へんなかんじだった。

なにが起きているのかーーーと、切実にかんがえはしなかった。あまり
おどろかなかった。いつかこういうことはある。われわれはいつか
やられる。権力か擬似権力か社会の暗部によって、ある日とつぜん
に、斃され屠られる予感があった。いまもある。

オームは人気があった。吉本隆明さんも、かなりイカれていた。記者
のなかにもオーム・シンパがいて、なんにんかは上九一色がよ
いをしていた。麻原の人間的魅力を熱っぽくかたる社会部女性記者も
いた。

麻原の初公判を最前列で取材した。なにもすごみはなかったと記憶
する。ひとごとのように検察と弁護団のやりとりを聞きながして
いた。まったく関心がなさそうだった。肌つやがよくて、爪がきれいに
ととのえられていた。

麻原が、腿においた指を、モールス信号みたいにたたきはじめた。トン
ツー・トントンツー・ツー・・・。じっとみつめつづけた。信号ではなく
歌のようであった。トンツー・トンツー・・・。「また逢う日まで、逢える
ときまでー」

そして、けふ、2018年7月6日朝。えらばれた朝。麻原ら7人を絞首刑により
いっせい殺りく。皇室の慶事とバッティングしないように、選びぬかれた
日。婚約、退位、新元号、五輪前祝いムードに水をささないように。
死刑反対派はへりつづけているのだから、ぜんぜんかまいやしないと。

メディアの視線は95年当時よりも、さらにさらに浅くなっている。死刑制度
の是非を問う声はこの朝、皆無にひとしかった。なんということだろう。

ポピュリスト独裁政権はみずからの敵≠権力増強の肥やしにする。
つねに「例外状態」をたもとうとする。このニッポンではまた、死刑執行
によりアホメディアとドジン的民衆がわきかえり、死刑がいまやいっしゅ
の祝祭≠ニなっていることもわすれてはならない。

悪名たかいハンガリーのオルバーン・ポピュリスト政権はみずからの
体制をイリベラル・デモクラシー≠ニいってはばからない。語義矛盾
だが、実質的にはニッポンとおなじ「専制民主主義」だ。民衆は独裁者
オルバーンに自由をうりわたし、歓呼の声をおくる。そのハンガリーで
さえ死刑廃止国なのだ。

ニッポンは、こころあたたかく、人情に厚い、サッカーの試合後みんなで
ゴミ拾いをするほど公徳心がたかく、なによりも死刑のだいすきな、言論
表現の不自由を愛好する、異常国家なのである。明るくて、ひどく暗いクニ
だ、ニッポンは。

絞首刑執行をけさ担当させられた刑務官たちは、わずかばかりの特別手当
をもらい、これから酒をのみにいく。それぞれの光景と音とをわすれるた
めに・・・。











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2018年07月05日

自失


◎おいていかれること

『月』最終回を送稿後、よそうはしていたのだが、『月』に
おいてけぼりにされた気分。ちょっと自失。かなり呆然。
あれを書いていたのだが、あれにしがみついていた。あれし
かたよるものがなかった。居場所も、あそこにしかなかった。
身の振り方をかんがえなければ・・・。

いま、かれら≠なつかしくおもう。

「語ることじたいが存在を消去していくような恐怖」「なに
をつくることが、すでに悪の一部を構成してしまう時代」
「もう観客(読者)の気に障ることは不可能なのか」ーーと
Iさんはいっていた。

口内炎。一昨日から。講演会の日程提案あり。




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存在


従命反応と存在
  1. 自力移動が不可能。
  2. 自力摂食が不可能。
  3. 糞・尿失禁がある。
  4. 声をだしても意味のある発語が不可能。
  5. 簡単な命令にはかろうじて応じることもできるが、ほとんど意思疎通が不可能。
  6. 眼球はうごいていても認識することはできない。

上記規定にはもんだいがある。存在者がわからの視界を遮断か無視。従命とはなにか。






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2018年07月04日

送稿


◎『月』最終回を送稿

16時ごろ『月』第10回(最終回)約62枚を送稿。ぜんぶで
500枚をこえている。PCがかってに再起動をくりかえすので
あせった。寿命がきているかもしれないので、脱稿を急いだ。
いつかはおとしまえをつけなければならないとおもっていた。

これでおとしまえがついたか、わからない。そうしようとした
ことだけはまちがいない。気がついたら、爪がひどくのびていた。
爪をきる。


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2018年07月02日


◎目ざめているのは夜じしんか?

右肩、右腕、右手痛つづく。わたしじしんの存在の
輪郭もあいまいになり、闇にとけだす・・・としたら、
それはねがってもないことではないのか。意識が夜と
とけあうのは、むしろのぞましくはないか。

意味はとっくのむかしに、すべてはく奪されている。
いま充満しているのは無ー意味だけである。PCトラ
ブルつづく。「在る」というのは、気づいていても気づ
かなくても、ひっきょう屈辱にまみれることだ。

『月』ふんばる。血の川をわたる。

ゆうべ、ふと、大道寺さんをおもった。
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2018年06月30日

最終回


◎『月』および講演のことなど

『月』最終回は8、9割がたできつつあります。ご感想、エール
、ありがとうございます! 心身ボロボロなれども、いつまでも
おまたせするわけもいかず、来年1月の講演要請をおうけすること
にしました。

それまで生きていること。あるけないにしても、発話能力・意欲
を保持すること。講演テーマは、『月』どうように、「痛み」にな
りそうです。くわしいことは後日おしらせいたします。痛むひとびと
のご参集を! 無痛者に祝福を! 祝福の屁を!

犬とマック。

昼の月.jpg
(Y.Sakai)

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2018年06月22日

デンパ・ジャンボ


◎デンパ・フェス

記号資本主義の主要な生政治作用は、認知活動の支配である。
うん、OK牧場。言語動物の表現能力を、資本と市場の永続
的ダイナミズムに従属させること。うん、そだね。とっくに
そだね。

さとくんは「生産阻害因子」を消そうとしたんですかあ?
そかね? イエユウレイグモモドキの屁。『月』第10回。
最終回。ホンキ汁のモドキ汁。
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2018年06月21日

feng ai!


◎『疯爱』(フォン・アイ)

けふ、歯医者の診察台のうえでもおもいだしていた。『疯爱』。
春節の花火。斜め下の病棟廊下からみあげる、ショボい花火。
しめった音。うつろな目、目。「にんげん以下、動物未満」。
中国式パノプティコン。うす汚い回廊。影絵・・・。

なにも弁明しないものたち。

『疯爱』は、映画であり文学であり絵画であり、暗がりから
存在論を開示する最良の哲学書だ。「にんげん以下、動物未満」
ないし「にんげん以下、バケモノ未満」。にんげんとはけだし
、「にんげん以下」なのだ。

であえてよかった!感謝と敬意。

手術はようすみ。『月』最終回。まいどのことながら、現実を
うたがわざる鉄壁の常識人(アホ、反動、幸せもの)に意気阻喪し、
『疯爱』に勇気づけられる。そんなもんだぜ。クソでも舐めろ!

犬とマック。





 











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2018年06月20日

よい!


◎厄介者たちへのまなざし

『瘋愛』はいい!とてもよい。邦題はよくない。思慮が足
りない。『瘋愛』には普遍性がある。『瘋愛』と『精神』を
同列でかたるのはバカげている。レベルがまったくちがう。

狂者と厄介者こそ、にんげんという現象の基本中の基本である。
盤石の常識人こそが、真性の異常者である。『瘋愛』にもしも
甘さがあるとすれば、後編の救い≠セ。なくもがなの救い
――そんなもの、もともとないのだから。

お幸せな常識人は、狂者のクソを舐めろ!『月』最終回。
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2018年06月19日

Wang Bing


◎‘Til Madness Do Us Part

きいたふうな評言はいらない。これが他にまさるとか劣るとか
、言うもおろか。みいり、ただうちぬかれればいい。うちぬかれ
ないものは、うちぬかれなければよい。すぐにたちさればいい。
あるしゅの「未詳映像」である、これは。きいたふうな評言はい
らない。

コノテーションの無効。常套句はやめることだ。たちかえるべき
「場」を。『月』最終回。石井さんからメール。
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2018年06月18日

映画


◎『瘋愛』

ことばを抜かれる。かたることができない。深部崩壊。



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2018年06月17日

する


◎みる

王兵『瘋愛』みる。「ーーをする」とはなにか。
「する」とは。
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2018年06月16日

ワンビン


◎注文した

おくればせながら。王兵『収容病棟』DVDを注文。
肩痛。 



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2018年06月14日

見世物


◎トランプのすばらしい、偉大な貢献!

トランプはおしえてくれた。女郎屋の下品な強欲オーナー
にだって国際政治がしきれることを。トランプがトランプ
であったからではない。政治とは、もともとそのていどの
ものなのだ。

「罪人が刑場にひきたてられ、あるいは処刑されるのを眺め
ようと走ってゆくときの人の激しい欲望は、(高尚な)演劇
をみにゆくときをしのぐ」・・・カントだったか。

売春宿の金髪オヤジと栄養過多系デブの演じる見世物(スペ
クタクル)に異常こうふんするメディア。上記のことばをお
もいだす。で、「嘲笑せず、嘆かず、呪わず、理解する!」は
無理だ。逆。

デブの義務―まず死刑をやめて、それから美食をひかえ、貧者
と弱者をおもうこと。

『月』第9回再校ゲラもどし。






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2018年06月13日

再構成


◎Fuck Trump、De Niro said. 

デ・ニーロがトランプを「クソ野郎!」よばわりしたというから
、てっきりassholeかなとおもったら、Fuck Trump!だった。
あとでわびたというけど、わびるひつようはない。

犬はヒトによって再構成されたオオカミだという。では、ヒトは
なにによって再構成されたサルなのだろうか?資本と市場によって
完ぺきに再構成されたバカザルである。

金髪の「クソ野郎」の極東におけるパシリ・アベの支持率は30
%をこえているらしい。ジンミン大衆はすなわち「クソ野郎」ど
もがひりちらかすクソ以下である。

なぜ、わからないのか?ごくかんたんだ。わかりたくないからだ。

レジス・ドブレとジャン・ジーグラーの対談『屈服しないこと』
(《リキエスタ》の会=発行、2001年)は改訳、再版されたの
だろうか。あれはとてもよいテキストだ。今日があらかた予見され
ていた。

たしか、岩波、晶文社、みすず、白水社、平凡社の気鋭の編集者
が損得ぬきでかんけいしたのではなかったか。損得ぬきで!主体は
みすずだった、とおもふ。「知性」がまだかすかにのこっていたころ。
対談は1995年ごろだった。

いま、いずこをむいても、カスと独裁者ばかり。あるいは独裁者と
カスばかり。時代は筆舌に尽くしがたい悲劇をまちのぞんでいる。
そして、それはやってくるだろう。かくじつに。

けふ犬とマック。きのふもシオカラもろた。一気食いしそうに
なって、おもひとどまる。

『月』最終回。

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2018年06月12日

歴史


◎死者たちを嗤う

現在が過去を嗤う。カラカラと笑う。死者たちを嗤う。
へえ、なんのために死んだのかね?現在は歴史を嗤う。
死者を土足でころがして、エヘエヘと笑う。けものと
にんげんとダニたちが乱交する、常時「例外状態」の
、いまとその壮大な空疎よ!(死すべき)金髪の至福
者よ、独裁者よ、笑え、嗤え、わらへ、久遠に。

『月』第9回初校PDFゲラをもどす。再校はあさって。

ずっとひっかかっていた。「犬を売る露店(断片)」の
犬たちはなぜ売られていたのだろう。たしか「あか犬」
もいた。食料≠ニしてではなかったのか。

オババがベンチにすわっていた。視線をおとして。よこに
荷物があった。歩きだした。追いぬかれた。


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posted by Yo Hemmi at 17:52| お知らせ | 更新情報をチェックする

2018年06月11日

生首


◎フマニタス

とらえがたい、不在のもの。「残ることができないもの」
「場をあとにすることができなないもの」ーそれらのはざ
まにある、宙づりの、生首。
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2018年06月10日


◎『ホワイト・ノイズ』

「ジャック、世界には二種類の人間がいるように、私には思われる。
殺人者と瀕死者だ。・・・」

犬とマック。毎日がテロである。発作と痙攣。そして、遷延性意識
障害。雨。こぬか雨。





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2018年06月09日

ポケットチーフ


◎イチゴジャムのコッペパン

ヘルパーさんが、ちがう町からイチゴジャムのコッペパン
を買ってきてくれる。おいしい。この町ではクリームの
コッペパンしかない。イチゴもときどきあるが、すぐに売
り切れるらしい。

アイスキャンデー食う。犬が、わちきにもおくんなましと
いうので、木のバーをなめさせてやる。食ってたらもう一本
食いたくなり、冷蔵庫にとりにいって(歩行練習)、また
食う。

『月』第10回(最終回)着手。

むかし、記者は立派なスーツなんか、よほどのバカでないかぎり
着なかったものだ。歌手じゃないんだから、ポケットチーフ
などしなかった。いまは、言うこと書くことはスカスカでも、
身なりだけはいい。

後藤というひともさうだ。このひとには、なにを語っても怒り
がない。哀しみもない。だいたい、真実味がないんだよ、あんた
は。自民党のゲスどもとちゃらちゃらして「取材」とかえらそうに
いうんじゃないよ。共同にいたときもポケットチーフなんかして
たっけ?

筑紫哲也さんの話は、水で割りすぎの水割りだった。でも怒りが
顔にでた。軽べつもあまり隠さなかった。なによりテレビを
恥じていた。会うと口癖のように「いや、もうやめますよ」と
言っていた。



posted by Yo Hemmi at 17:04| お知らせ | 更新情報をチェックする

2018年06月08日

『月』続行


◎『月』第9回について

いろいろあってちょっともたつきましたが、『月』第9回を
きのう送稿しました。約46枚。左手いっぽんで、これで計450
枚。終着まであと1割弱です。なんとなくほぼ終わったような
気分になり、いまぐったりとしています。眠りの浅瀬で夢を
たくさんみました。

8回で断念しかかったとき、意外にもいろいろな方から続行
希望の声をかけていただきました。まさか読まれていると
おもっていなかっただけにおどろき、うれしかったです。
なかでも、親子ふたりで『月』を読みつづけている友人が、
どのようなかたちででも完遂せよと激励してきたり・・・。

言語閾、物語閾ということをかんがえます。両者ともあらかた
こわれているのですが、こわれてはいないかのように装われて
います。とりわけ、記者や編集者らにはその自覚がないように
おもわれます。大半の作家もそうなのですが。

言語の空前の焼け野原で、いったいなにをなすべきなのか。
なにができるのか。とつおいつしつつ『月』の迷路にはいって
10か月。なにかがほのみえてきたことはじじつです。身内に
きわめてはげしい痛みと怒りをかかえているひとほど、『月』
に近づいてくる。著者としてこれほど光栄なことはありません。

『月』を「つき」とすべきか「にくづき」とするかは、まだ迷って
います。

『月』第9回掲載の「本の旅人」(角川書店)は今月27日の
発売です。10回で完結、書籍化の予定です。


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2018年06月01日

不正必勝


◎不正はかならず勝つのだ!

あのクソのなかのクソ野郎が不起訴だと!不正は正義である。
虚偽は真実である。89年夏のダナンをおもいだす。小田実と
会った。食事した。わたしは天安門事件の話をした。小田は
パクパク食いかつ朗らかにいった。「きみね、正義はかならず
勝ちますよ!」

わたしは吐いた。ゲロゲロ。爾来ずっと吐きつづけだ。愚鈍と
縒れた冗談の安っぽい合金・・・。小田実はあのとき、たわんだジョ
ークを披露したのではない。しんじがたいことに、かれは本気
だったのだ。食いカスを飛びちらせていったものだ。「きみね、
正義はかならず勝ちますよ!」




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2018年05月31日

F


◎おもひで

Fと会う。ハノイとプノンペンのおもひでを話す。街灯ひとつない
夜について。ネズミ、ケジラミ、コウモリの糞、娼婦、地雷・・・メン
タムの缶ほどの。うずむ闇。加瀬さんからのメール、感じ入った。

「なにかある。ほんとうになにかがそこにある。と言ってその気持
を口に出せば、もう空ぞらしいものになってしまう」
たかをくくられている。相模原のじけんは、舐められている。
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2018年05月30日

石原吉郎


◎もっとも暗黒な時代

石原吉郎がこう記したのはたしか1972年ごろであった。
「いまは人間のこえはどこへもとどかない時代です」。
あれから46年がすぎた。「じぶんの声はどこへもとどか
ないのに、ひとの声ばかりがきこえる時代です」。70年
代につくづく同感した。

日本がもっとも暗黒な時代にあってさえ、ひとすじの
声は、厳として一人にとどいたと私は思っています。いま
はどうか。とどくまえに、はやくも拡散している」。若い
ころ、ここを気にした。いまは、きっとそうなのだろうと
おもうのみ。

暗黒な時代にあってさえ、ひとすじのことばは他者にとどい
たのだが、いまはとどくまえに、はやくも拡散してしまう。
つまりは、さらにもっと暗黒の時代に突入した。石原は民主
主義にその因をもとめたりしたが、ちょっとちがうだろう。
資本だ。資本の運動がことばをことごとく白化させ、無効に
した。

(曠野を一頭の馬が疾駆する。馬上のものがおとこかおんなか
わからない。騎手はひとしれず狂う。朝焼けにむかって走る。
馬上で、ときどき凪ぐ。ときどき狂う。黙って口をむすんで。
馬上のものは狂人である。だれにそれがわかるというのか・・・)

いまは戦時期よりも内面が廃れているとすれば、石原のいうと
おりなのだ。ヘルパーさんがジャム入りのコッペパンを買って
きてくれた。きのう、塩辛もろた。石原はスマホをもたずに
すんだ。ひとつのパスワードももたずにすんだ。それだけでも
しあわせだった。












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2018年05月29日

露店


◎「犬を売る露店(断片)」など

「犬を売る露店」をよんだ。かれのものは大抵くりかえし
よんでいるが、どういうわけか「犬を売る露店」だけは、
よみたいよみたいとおもいながら、よみそびれてきた。はた
して、この作品はドンピシャリであった。

「落花生の主人は時には夜泣きうどんの車からうどんを運ば
せたりする。古本は南京豆の袋入りを買って鼻の下の祭りを
する。万年筆やインク消しは絶えず喋っているようだし、人
足を止めていることも美人絵葉書に次いでいる」はいい。

「しかし犬屋は、いつも厚司をはき、膝小僧を出し、冷たい
甃の上に寂しく立っていた」も文句がない。きっとよいだろう
と勘ははたらいていた。だがこれほどよいとは!「城のある
町にて」を何度目かよんでいたときもおもったのだった。

もう下手なものを書くことはない。ただよめばよい。それで
決心がついた。第8回までつづけた『月』の連載をやめること
にした。読者には申し訳ないとおもう。第9回はいちぶ書き
すすめていた。が、発表はむずかしいだろう。

ほとんどのことについて感覚があわなくなってきた。あわせる
気力もなくなりつつある。ことばをつうじさせるにも、ことばが
白化した珊瑚ではどうにもならない。死んだ珊瑚をもてあそんで
「生きている」というのは詐欺だ。

『月』は血塗られた荒れ野のふうけいを、たたなわる欺瞞の
ヴェールを剥ぎ剥ぎ、もうやめてくれと悲鳴をあげられるまでつ
づけるつもりであった。しかし、悲鳴はどんな悲鳴だったか。
よくわからない、こんなんじゃ売れません・・・ではないか。

わからぬというものに、無理にわからせてやるほどおせっかいで
はない。あきらめることだ。あきらめるべきである。

月と柿の葉.jpg
(Y.Sakai)








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2018年05月27日

講演


◎講演の依頼

来年はじめに講演をしてくれないかと打診というか
依頼が会った。まだ返事してない。半年以上も先の
じぶんをみとおすのはむずかしい。生死さえ。

posted by Yo Hemmi at 14:11| お知らせ | 更新情報をチェックする

2018年05月22日


◎ヌー


「何故在ったか。無くても良かったろうに。

何故在るか、無くても良いだろうに。」

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2018年05月21日

訃報



◎消えるというのは


今朝、訃報に接した。逝くというのはどういうこと

なのか。よくわからない。どこも悲惨。ポラノンが

いる。




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2018年05月20日

コッペパン


すぐ売り切れるパン

コッペパン(クッキー&ビスケット入りクリーム)は
おいしい。150円である。消費期限18日のをけふ食った。
「わちきにも、ねえ、おくんなましな・・・」。犬が上目づ
かいでいうけれど、あげない。

犬はダメもとでねだっているだけだ。あるしゅの習慣として。
ヘルパーさんによると、コッペパンはすぐに売り切れる。
とくにイチゴジャムのコッペパンはすぐになくなる。

オーヴィネンの「嫌いなことば」リストには、そういえば
「自己責任」はないみたいだ。それを書く。
posted by Yo Hemmi at 16:52| お知らせ | 更新情報をチェックする