2019年11月03日
2019年10月17日
2019年10月16日
『純粋な幸福』
◎明日(17日)、急遽、新聞広告がでることに
大した話ではない。『純粋な幸福』(毎日新聞出版)の小っちゃな
広告(サンヤツ)が17日の朝日新聞朝刊1面にでることになった。
なぜか予定より早まった。なにかが起きるわけじゃない。なにも起
きはしない。ちょっとした違和感だけ。
無宿者の災害避難を拒否した役所の底しれぬ無知と酷薄。拒否した
ことを支持するネット世論。国会で答弁した安倍の面つきーー冷酷
と無関心。台風がむきだしてみせているもの・・・。
しかしながら、なにかが起きている。起きるはずのないことが。ふた
たび中島敦。「あらゆる重大なことは凡て『にもかかわらず(トロッ
ツデム)』起る、といった誰かの言葉を思い出した。」
posted by Yo Hemmi at 17:57| お知らせ
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2019年10月03日
香港革命
◎香港の決起にハンガリー革命を見る
国際的反スターリニズム運動の端緒は、1956年のハンガリー事件
(革命)であった。積年のスターリン体制の支配に反対してブダ
ペストなどで蜂起した市民たちの運動を、ソ連軍は「反革命」と
して戦車で弾圧し、当時の日本共産党中央もこの弾圧を支持した
のだった。
香港でのできごとは中国共産党による支配への抵抗であり、「香港
革命」と呼ぶにふさわしい。それは緒についたばかりなのであり、
長い曲折をへるにせよ、やがては中国全土を震撼させずにはおかな
いだろう。独裁者・習近平はきわめて「自覚的なスターリニスト」
であり、今後とも香港革命を弾圧するのに手段を選ばないはずだ。
近日中に『純粋な幸福』(毎日新聞出版)の広告がでる。朝日新聞
朝刊一面下のサンヤツ広告に注目されたい。担当編集者が練りに練
った文章は、朝日紙面にはややなじまないにせよ、それ自体が「作
品」と言えるかもしれない。請う、ご期待!
中島敦関連のエッセイを書いた。「胸骨を風にさらしてーー中島敦
という法外=v。神奈川近代文学館の館報第146号(2019年10月1日)
に掲載されている。
Max-Dと懇談。
posted by Yo Hemmi at 17:50| お知らせ
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2019年09月13日
2019年09月08日
純粋な幸福
◎担当編集者によれば・・・
などてか知らねども、『純粋な幸福』(毎日新聞出版)出足よい
とのこと。がんと脳出血の前からの、ながいながいつきあいの
編集者。今回も、いや今回はとくに熱をこめてやってくれている。
2つのがんで長期入院中も、一日も欠かさず見舞いにきてくれた。
かれといるとよく笑う。たぶん、いまわの際でも、かれがいれば
ゲラゲラ笑うだろう。ものまねが天才的。カン・サンジュンさん
の口まねはプロ級。わたしたちにはとくに共通点はない。しいて
言えば、「正義」をかたらない。人生をかたらない。まったく
語らない。関心がないから。
かれは『純粋な幸福』を枕もとにおいて寝るのだそうだ。
posted by Yo Hemmi at 23:45| お知らせ
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2019年08月30日
ひなさきおさねちゃん
◎『純粋な幸福』刊行秒読みといふのに、わちき眠ひのである
詩集『生首』刊行が2010年3月、『眼の海』が2011年
11月、そしてこのたびの『純粋な幸福』の奥付が2019
年の9月1日。著者はその間の内面の流れようと滞りかた
を、むろん知ってはいるのだが、ご説明するのは大儀だか
らやめとく。
一点のみ。3つの詩文集で笑ろたのは『純粋な幸福』だけ。
笑えたのだ。もっとも、怒りだすむきも少なくないにちが
いない。タコたちも、ひなさきおさねちゃんも、笑わば笑
へ、怒らば怒れ! 温厚なる担当編集者曰く「ハンシャ、
上等!」
表4
(クリックで拡大)
背
けふは、みども、眠ひのである。
posted by Yo Hemmi at 14:00| お知らせ
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2019年08月26日
見本OK!
◎『純粋な幸福』見本をみる。完璧!
けふ、毎日新聞出版の担当編集者M君が最新刊『純粋な幸
福』の見本をもってきてくれた。すばらしい造本に感激。
新刊見本を手にする前に、神奈川近代文学館からの依頼原
稿(中島敦関連)を仕上げ、気分を落ち着けてから見本と
対面。鈴木成一さんの大胆にして精緻なデザインに息をの
む。まったく文句なし!
読む。笑った。わろた。ゲラゲラ哄笑。自著でこんなに笑
うなんて。電車で読んだら乗りすごすだろう。M君の努力と
執着にあらためて感謝!
依頼原稿のタイトルは「胸骨を風にさらしてーー中島敦と
いう法外=v。神奈川近代文学館の中島生誕100年企画の
刷り物に載る。中島をずいぶん読みなおした。天才中の天才
とはこのひとのことだ。
犬が気になる咳をする。
posted by Yo Hemmi at 23:54| お知らせ
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2019年07月29日
レーヴィ全詩集
◎「汽車より悲しいものはない」
(『プリーモ・レーヴィ全詩集ーー予期せぬ時に』「月曜日」より)
鬱悶を読む。たどる。なぞる。うなる。『プリーモ・レーヴィ全詩集
ーー予期せぬ時に』(竹山博英=訳 岩波書店)。ここに、知ってい
るレーヴィと未だ知らぬレーヴィがいる。汽車より悲しいものがない
わけは、「決められた時刻に出発し、/発する声は一つしかなく、/
走る道も一つしかない。」からだ。
浮揚することはない。この重量にたえるか、押しつぶされるか。訳者
解説のなかの「レーヴィの詩論」――《パウル・ツェランについて》
が、もんのすごくきょうみぶかかった。ははーん、ふーむとおもふ。
(ついで、これは内緒だが、スターリニストの発想法について考えを
めぐらす。レーヴィはスターリニストではない、むろん。スターリニス
トは往々、みずからをスターリニストとは自覚しない。)
割の合わないことをやっている者こそさいわいあれ! でもさ、パシェ
の『母の前で』(根本美作子=訳)が、あれほど豊穣な文と思念の宝が
だよ、初版僅少部数だろうに、未重版とはなあ。にもかかわらず、
『母の前で』は、だれがなんといおうが、(わたしにとって)最上級の
1冊でありつづける。
割の合わぬことをやっている者にさいわいあれ!
一方、わが反社的℃黒カ集『純粋な幸福』(毎日新聞出版)は来月、
見本ができる。
posted by Yo Hemmi at 15:04| お知らせ
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2019年07月24日
2019年07月17日
2019年07月16日
2019年06月09日
2019年05月29日
『純粋な幸福』
◎詩文集『純粋な幸福』毎日新聞出版から刊行へ
最新詩文集『純粋な幸福』が毎日新聞出版から今夏、
刊行されることになりました。装幀は鈴木成一さん。
これにともない講演会などのイベントが企画されてい
ます。詳細は後日ご報告します。
拙著『月』について過日、歌人の加部洋祐さんから
じつに丁寧な感想文をちょうだいした。「先日、意を
決して拝読しはじめ、先ほど読了いたしました」のご
報告にどきどきし、あたまがさがった。
昨日、中野智明さんからメールあり、アフリカ踏破
53か国になり、残りはギニア・ビサウだけとなったと
いう。集合住宅の改修工事の騒音で音をあげている
当方のみみっちさよ。
風邪。
posted by Yo Hemmi at 13:51| お知らせ
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2019年05月11日
「世界の法則」
◎忘れないように記しておこう
わたしは『母の前で』になんども打ちのめされた。
たとえば、「入居者」たちの「言葉」を聞き、パ
シェは書く。「・・・わたしは気も狂わんばかりに同情
することと、無関心でいることのあいだで躊躇う。」
「それはだれしもが若いときからすでに慣れはじめる
不思議な状態だ。なぜならそれは世界の法則のような
ものだからだ。しかしそれを説明する言葉をわたした
ちは持ち合わせていない。」(根本美作子=訳 P160
〜161 傍線は辺見)
ジム。白髪のさなえが、むこうのグループからわたしを
見ていたように思う。たしかではない。わたしだって
加齢黄斑変性なのだ。なのに目があった気がする。いつ
もだ。さなえは100歳くらいか。さなえとわたしは愛し合
っているのかもしれない。
シャワーをあびる。犬がほえていた。
posted by Yo Hemmi at 18:38| お知らせ
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2019年05月10日
2019年05月01日
2019年04月27日
オートマティズム
◎なぜ救われるのか
『母の前で』がなぜぼくを落ち着かせてくれるのか・・・けふも
ジムでかんがえた。杖歩行の練習をしながら。マシーンを漕ぎ
ながら。わかっている。しかし、わからない。
「・・・その人間性は解体し、ばらばらになり、残存しているもの
だ。・・・残された人間性がオートマティズムにすぎないと、惰性で
考えてしまいたく なるけれど、考えてみればわたしたちの人間性
は、部分的には、まさにオートマティズムから成っていて、わた
したちはそうしたオートマティズムを習い、それに服し、それに
よって深く人間化され、欲動や本能の束縛から解放されたのだ」
(P154 傍線辺見)
けふもぼくのまわりにはたくさんの「母」がいた。ひどく古い
人形の目をした「母」たち。ぼくは見ないふりをしてかのじょら
を見た。「母」たちも見ないふりをしてぼくを見ていた。おたが
い磨りガラスの目で盗み見た。
posted by Yo Hemmi at 19:23| お知らせ
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2019年04月24日
2019年04月21日
2019年04月18日
2019年04月15日
2019年04月14日
「寂しいよ。」
◎二〇〇五年十二月三日の「誘発」または奇蹟
わたし(打ち明け話のしたい気分で):「寂しいよ。」
彼女:「わたしも。」
(ピエール・パシェ『母の前で』根本美作子=訳 P98 岩波書店)
パシェに作り話はない。やりとりは孤独な母子の会話のごとくなされ
たのだ。まるでかみあっているかのごとくに。「母」は加齢黄斑変性。
わたしも。
R君と話す。苦境が去るのを待つのでなく、このただなかで書くべき
ではないのか。どのみちいつまでも終わりはしないのだ。
犬が牛の乾燥ピズルを嚼んでいる。ピズルの臭いが部屋に充満してい
る。むせる。「目の下に隈ができている」と言われる。
「馬のなかの夜と港」は次の日曜日(21日)の新聞に掲載されるら
しい。み、アパさがし。またからぶり。
posted by Yo Hemmi at 18:06| お知らせ
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杖
◎杖歩行練習について
けふ、さはやかジムで、杖歩行に進歩がみられるとコーチに
ほめられた。左足が杖を追いこす要領をいくらかおぼえたの
かもしれないけれど、まだまだ。初の室外練習。
パシェはみずからを「二流の作家」と(おそらく謙そんでは
なく)かたったのだそうだ。訳者の根本美作子さんはこれに
かんれんし「・・・一つの不可能性としてではなく、彼の優れて
オリジナルな思考と在り方に由来しているように思える。実際、
ピエール・パシェほど個性的で分類できないような作家は、
なかなかいない」と書いている。
『母の前で』は、こう言ってよければ、とてもスリリングなの
だ。謙虚な知のゆらぎと〈ひと―言葉〉の原型。の破壊。
ネット接続ができずあわてる。たかがそんなことで落ちこむ。
はめられている。アホがアホにほふられている。アホが!
「・・・世界は存在することをやめてしまった、あるいは世界で
あることをやめてしまった(それは破裂し、互いに離れていく
断片となってその安定性を失い、そのままでありつづけるという
能力を失ってしまった)。」(P92)
posted by Yo Hemmi at 00:40| お知らせ
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2019年04月12日
傲然と、しかし明晰な
◎教えてください
『母の前で』なしには正気をたもつのがむずかしいほど。が、
いったい「正気をたもつ」ってなんだ?メメーヌの疑問はじつに
まっとうなのだ。
「わたしがだれにしゃべっているか教えてください。わたしが
だれだか教えてください。わたしをなにかの中に組み入れてくだ
さい、あるいはわたしをわたしから解放してください。」
「わたしは半分死んでいる、わたしは死にたい。この重みから
解放されたい。」・・・このように発語する者とそのようには発声
しないもの。境界はない。わたしは幻影の崖(事実)をずり落ち
てゆくだけだ。
己があるかぎり、静かにはなれないはずだ。住み処を変えても。
posted by Yo Hemmi at 17:45| お知らせ
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2019年04月11日
2019年04月08日
2019/04/08
2019/04/08
おかしなことだ。『母の前で』をくりかえし読むことで
なんとか落ちつきをえている。それは、まったく奇妙なことに、
ロープシンを読むことでえられる内側の感情(位置)に似ている。
わたしは母とパシェのようにむきあったことがいちどもない。
「まるで人間であるということは、どこか重すぎることで、それを
独りで支えるのは難しすぎることであるかのように。」(P79)
1時間ほどまえ、轟音がした。建物が揺れるほどの。犬が足もとに
きて顔をみあげ、それからいつもの待避場所に駆けていった。
布の家に。わたしはかのじょをとっさに「しゅんまく
ちゃん」と呼んだ。
『母の前で』から静けさと落ちつきをえるのは、それが関係という
ものの基本中の基本だからだ。悩乱も、もつれも。「言葉の外に
落ちる」ことも。「可能性としての内的言語」。
posted by Yo Hemmi at 15:10| お知らせ
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2019年04月06日
2019/04/06
2019/04/06 23:33
さわやかジム。やさしい目たち。いつくしみ。柔らかな手。
尖らない声。合唱。桃太郎さん。ハッピーバースデー!
拍手。全員参加。義務だから。慈愛のルーティン。
合成樹皮の顔の皮膚がふいにはがれる。皮のない顔が血管を
うきあがらせて歌っている。あんたがたどこさ・・・。
「つまりわたしの母だからわたしは行くのだ。」(P59)
posted by Yo Hemmi at 23:51| お知らせ
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2019年04月05日
2019/04/05
2019/04/05
反時代のパンセ64回PDFゲラもどす。アパート改修工事の騒音
あいかわらず。「わたしはかわいい娘だったけど、もう自分が
だれだかよくわからなくなっちゃったよ」(P49)。
間歇的で気まぐれにもおもえる騒音に殺意をおぼえるーー奇妙な
シンタックス。テロの文法に似た。たかからメール。しぶとく生
きていた。チャビーも元気らしい。
パシェに敬意をおぼえ、『母の前で』を刊行したひとびとに拍手を
おくるわけは、作家ー作品ー翻訳ー刊行のながれに、すがしいものを
感じるからだ。
改修工事は8月までだとか。引っ越しをかんがえざるをえない。R君
と話す(電話)。14日会うことにする。擬人。
posted by Yo Hemmi at 16:59| お知らせ
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2019年04月03日
2019年04月01日
2019年03月30日
問うた
◎ジムの分類
ジムでは人びとが分類される。アタマのおかしそうな人びと、
手足のぐあいがよくない人びと、精神の調子のかんばしくなさ
そうな者たち、記憶がうすれがちな連中・・・。興味深いことには、
それらは「上」が決めるのではなく、しぜんに、いわば「下」
から自主的に各グループが形成されてゆくのである。
わたしは当初アタマのおかしそうな成員といっしょにいたのだが、
徐々になんとなく手足のよくないグループにはいっていった。命
令はいっさいなく、忠告も警告もなかった。
けふわたしは、おしめをした小さなかわいらしい老人に、けふの
日にちをたずねたのだが、かれはわたしがこれまでの人生で経験
したどのような応答よりもやさしく、控えめな、わざとらしくない
調子で「30日ですよ、たぶん・・・」と言った。
『壊(え)』でもいいような気がしている。来月はじめから書き
だす。たぶん、書きつづける。
『母の前で』が重版するようにねがっている。どうじに、そんな
ことはどうでもいいともおもふ。
posted by Yo Hemmi at 22:31| お知らせ
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2019年03月29日
Werckmeister Harmonies
◎映画みた、未明に
『ヴェルクマイスター・ハーモニー』。きのう、R君と話した。
書いてみれば、『壊(え)』もわるくないと思ったり・・・。犬が
連日吠えすぎてぐったりとしている。パンセ第64回のタイトルは
「けっ、しゃらくせえ!」。きのう送稿。『母の前で』また読む。
なぜかはわからないが、だいたいわかっている。「孤独そのもの
と化している」。主語は?
posted by Yo Hemmi at 14:19| お知らせ
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