2017年11月11日

踊れ、うたえ!


◎「バカとの共生」および戦争

ジョイス『ダブリナーズ』新訳を買ったら、訳者の得意顔
がろこつで、げんなり。「孤高の天才翻訳者××××の画期的
新訳」のオビにはまいったね。『ダブリンの市民』はすんなり
読んだが、『ダブリナーズ』は気恥ずかしくなる。バカか。

ナチスの初期、少なからぬユダヤ人知識人がヒトラーをたかく評価
していた。ドイツ民衆とマスメディアの多くは40年代に入っても
危機感がうすかった。独ソ戰のさなかに、本国では金持ちがパーティ
ざんまい。戦場ではドイツ兵が飢えて人肉を食らっていた。

教育基本法改悪ー秘密保護法成立ー安保法成立ー集団的自衛権
行使OKー共謀罪成立ー武器輸出解禁・・・。ポイント・オブ・
ノーリターン。と、もう気どっているばあいじゃない。バカメディ
アがそらぞらしく「平和」をかたり、五輪と戦争をささえている。

「天皇主義宣言」をやらかしたバカ学者を、じじつ大バカだから、
雑誌にしょうじきに「バカ」という趣旨のエッセイをしたためたら、
読者から「狭量」と投稿で批判された。ほう、天皇主義を批判すると
「狭量」ねえ。両論併記≠フつもりか、投稿が大きく掲載される。
バカくさ。

オリパラ・バンザイ!戦争バンザイ!かってに踊れよ。うたえよ。





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2017年11月08日

必読!


◎「日本はすでに戦争の〈前史〉を歩んでいる」

「世界」12月号の笠原十九司さんインタビューに深く同感。
タイトルは「戦争の〈前史〉と〈前夜〉」。戦争にはかならず
〈前史〉と〈前夜〉があり、〈前夜〉までくると、戦争阻止は
不可能。これはかれの近著『日中戦争全史』上下巻にもくわしいが、
インタビューは要点をうまくまとめている。

笠原氏は「政権中枢が南京事件などの史実を否定する歴史修正主義
に染まっていることの異常性については、どれほど強調しても強調
したりない・・・」とかたり、この歴史修正主義は、政権中枢からジャー
ナリズム、教育分野にかくだい、中国・北朝鮮脅威論をあおりたてて
いると指摘。

笠原氏の結論は「日本はすでに戦争の〈前史〉を歩んでいる」で、
戦争回避が不可能となる〈前夜〉になるまえに手をうたないと
たいへんなことになる、と言う。必読!

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2017年10月24日

戦争の生成


◎発音できない〈悪〉

ポール・オースターは「白い空間」で書いた。未来形で。
「なにかがおきる、そしておきたとたん、もとにはもどれなくなる」。
しかし、なにかは、とっくの昔におきた、そしてもうもとにはもどれな
くなっている。

犯罪者が、じぶんの犯罪を帳消しにするために、国会を解散し、勝つの
をみこして総選挙にうってでた。そして勝った。このプロセスぜんたいが
犯罪を構成していることを、あのおとこは知っている。政治とは人民をま
きこんだ犯罪そのもの、またはその変形であることを、あのおとこは熟知
している。

目には見えないヘブライの〈神〉は、発音不能の名前だったらしい。
じっさいは100近くの名前があったのだが、どれをとっても「理解できないもの」
「語りえないもの」「目視できないもの」だった。それはわたしたちがいま眼前に
していながら、発音できないでいる〈悪〉とかぎりなく似ている。

この結果は、けっして狂気の産物ではない。戦争が、おどろくべきことに、
狂気の産物ではないように。これはむしろ知性と理性と文化の結合である。
暴力と知性と政治(的な意思)は三位一体となって、ますます戦争を生成する
だろう。ことばは、戦争の生成にまったく追いついていない。



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2017年10月18日

大声


◎駅前の吸血鬼たち

19世紀中葉のペテルブルクには、ごくごくひかえめにいっても
「ろくでなし、吸血鬼、虱のタマゴめ!」のほか、「悪党、
毒虫、腐れあま!」といった罵りことばがあったと、かの大作
家が作中でなんども証言している。コンプライアンスとやらは
とくになかった。

いま、Японияの各駅前には上記の「ろくでなし、吸血鬼、虱の
タマゴ、毒虫、腐れあま」たちが、いれかわりたちかわりやってきて
は、卑しい大声をはりあげ、らちもつかぬことをわめいている。19世紀中葉の
ペテルブルクには、いまふうの(骨の髄まで腐った)ミンシュシュギは
なかった。

しかし、自由と教養と思想と圧政と暴力と、じつに適切な罵りことばが、
むろん、あるところにはだが、あったらしい。スゥカ!タコブツを買って
くださいと、ヘルパーさんにお願いした。かのじょの住む街に
けふ、毒虫の頭目と腐れあまの親玉がやってくるらしい。


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posted by Yo Hemmi at 14:39| 所感 | 更新情報をチェックする

2017年08月16日

ボケ


◎8.15の大ウソ――反復と麻痺

きのう、ニッポン中が恒久平和を誓いあった、という大ウソは
小学生ならゆるされるにせよ、いっぱんにはコルサコフ症候群
かなにかでみられる病的な「作話」でしかありません。そうおも
いませんか? 作話をあくことなくくりかえし、大ウソにすっか
り麻痺しているのですから、ニッポンという名のニンチ症はそう
とう進行していると言わなくてはなりません。

かんがえてもみてください。共謀罪法、戦争法、秘密保護法をさしたる
抵抗もせずにとおしておいて、なにをいまさら平和の誓いでしょうか。
このクニはいま、かつてよりも歴然とした戦時体制をつくりつつありま
す。朝鮮有事は「仮定」ではなく、「前提」になっています。政権はやる
気まんまんです。朝鮮有事をあおればあおるほど、現作話政権は強固にな
るのですから。

わたしたちはかなりボケてきています。まるでボケをボケとどうしてもみ
とめない患者です。壇上で凝然とたちつくしたあのひとを、ボケとは報じず、
〈感慨にふけっておられた〉などと故意にミスリードするやりかたも、
作話がかならずしも国家に強いられたものではなく、知っていて知らぬふり
をする、ボケなりに身についた作法ということなのでしょうか。

この夏もまた、ニッポンは戦争被害者≠ぬけぬけと演じきりました。
たいしたものです!佯狂なのか真性のボケなのか、わたしにはよくわかりま
せん。
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2017年08月15日

穴論


◎日本共産党と天皇制

伊藤晃さんをあまり知りません。北海道生まれのひとで、わたしより3つ
としうえです。そのくらいしか存じあげません。たいへん重要な著作
『「国民の天皇」論の系譜――象徴天皇制への道』(社会評論社)も、わかい
友人からおしえてもらったのです。文章も装幀も派手ではありません。ですが、
ここにはいまかんがえるべき基本的なテーマが記されています。

たとえば、同著第九章「戦後再建期の日本共産党と中野重治」の第二節
「反天皇制を迂回する共産党」には、以下のようなことが書いてあります。

「天皇制問題は戦前共産党にとって最大の難問である。コミンテルンが
、日本人民に反天皇制のエネルギーが存在すると想定して、天皇制への
正面攻撃を日本共産党に命じたとき、日本側はこれに従ったとはいえ、
心中、無理な注文と感じたのであった。もともと日本の共産主義者の信念に
おいては天皇制は当然敵であらねばならなかった。」

「しかし彼らの理論的実践的水準は、何をどうすれば天皇制と戦ったこと
になるのかを理解できないところに止まっていた。そこでこれもまた
当然の認識として、人民の圧倒的な天皇崇拝のなかでは、天皇制廃止の
方針をとれば孤立するだろう、と危惧したのだが、その危惧を根拠をもって
コミンテルンに伝え、天皇制権力への直接的な攻撃に代わる案を提示する
ことができなかったのである。」

「こうして日本共産党においては、その外面と内面が対立することとなった。
一方ではコミンテルンに従って、また自分の信念からも、天皇制廃止を掲げね
ばならないと思う。けれどもそこに至る具体的政策がわからないから、ただ
旗印にのみ天皇制廃止を記し、目をつぶって権力の正面に飛び出すという
暴勇になった。他方、心中にはこのスローガンへのためらいもある。この
戦野での無理な闘争から後退したいという気持ちは、のちの転向思想の一因に
なった。」

 ここから、1930年代のなだれうつ大量転向→天皇問題の究明放棄という歴史
につながるのだとおもわれます。上記の文脈に、わたしはべつの側面もみざるを
えません。それは、日本共産党は天皇制を徹底的に厭う「生理と論理」をついに
かくりつも伝播もできなかった――ということです。いまにいたるもそうではな
いでしょうか。そのことはマスメディアと民衆の今上天皇賛美と無関係ではない
でしょう。

「コクミンの天皇」崇拝と現政権打倒のスローガンがすんなり両立してしまう
アンビヴァランスは、けっきょくは、現行のファシズムを下支えしているとおも
います。さて、いったい、「エンペの穴」に落ちなかったものなど、このクニに
ひとりでもいるでしょうか。その穴は忌むべき空無であるとともに、ハラカラに
とって安住の場所でもあるのでしょう。
posted by Yo Hemmi at 19:31| 所感 | 更新情報をチェックする

2017年08月13日


◎小林正樹の「東京裁判」

一昨日と昨日は、小林正樹の「東京裁判」(1983年)をみました。
部分的にはもうみていたのですが、4時間半以上一気にむきあうと
印象がちがいました。最大の関心は「天皇」のとりあつかいでした。
新発見はとくにありませんでした。でも、みてよかったです。
どっと疲れましたが。

「応答に抑揚低き日本語よ 東洋の暗さを歩み来しこゑ」(宮柊二『小紺珠』)
を、またもおもいました。武士道はウソですね。サムライ・ジャパンなんて、
「東京裁判」をみたら言えなくなります。いじましく、さもしく、みすぼらしく、
、うそ寒く、無責任で卑怯・・・。A級戦犯らだけでなく、(米国主導のシナリオで)
法廷にたつのをまぬかれた、すめろぎじしんがそうなのです。

法廷におけるかれの不在を、映画はつよく意識させます。われらはあの
卑怯者の赤子なのです。あれから70年、ニッポンジンのビヘイビアは
基本的にかわっていません。小林正樹も、あれまあ、紫綬褒章、勲四等旭日
小綬章をもらい、世間もそれを奇妙とおもってはいません。「人間の条件」の
小林正樹さんも、しきたりどおり、穴におちたのです。

このクニには、みえない黒い穴があります。戦前も戦中も戦後もいまも。
底なしの穴です。そのなまえは「エンペ」といいます。たいていのものが、
その穴におちます。おなじ穴の狢になります。
posted by Yo Hemmi at 18:45| 所感 | 更新情報をチェックする

2017年08月11日

「こゝろ」


◎階段

アパートの階段をおりて、またのぼります。けふはひとと
あいませんでした。下りには左側に手すりがありますが、上りにはあ
りません。鉄柵に左手でつかまってのぼります。ほぼまいにちくりかえ
します。「日々はなんの理由もなく、日々につけくわえられる」

スーパーマーケットの階段でもやります。さっぱりうまくはなりません。
いや、下手になりました。以前は手すりにたよらなかったのですから。
いまはひとりでダフネにもいけません。それを悔やむべきではありません
が、「しかし選ばなくてはならない。生きるか、物語るか」

きのう犬が吠えました。二度。なぜかわかりませんでした。あとでわかり
ました。玄関のそとに、死にかかったセミがいたのでした。ときおり蘇生
しては窒ばたつかせる音を、犬は不審がりました。けっきょく、セミを
くわえて部屋にもちこみ、死なせてしまいました。解体されたアブラゼミが
ベッドにありました。

妻とともに明治天皇の「大葬」の日に「殉死」した乃木希典の心性と
漱石と天皇制ファシズム――について、階段をのぼりながら、なにごとか
おもいましたが、すぐに忘れました。手におえません。饐えたスープみたい
にしけった空気。どのみち戦争はあるでしょう。わたしは階段をおりて、
またのぼるでしょう。

「こゝろ」を、エチオピアの山中で読んだことがあります。どきどきしま
した。天皇制ファシズムは血だらけです。どろどろした、ねばっこい血です。
やまゆり園事件の暗がりの奥の奥に、かすんでみえるものはなんでしょうか。
posted by Yo Hemmi at 17:44| 所感 | 更新情報をチェックする

2017年08月10日

エンペ


◎時間の芯の腐蝕

この夏、かつての夏もそうだったのですが、メディア最大の企画は
「かれはなぜ裁かれなかったのか」であるべきでした。あるいは
「父祖たちはなぜかれを裁かなかったのか」であるべきでした。
東京裁判の核心的問題は、裁いたことではなく、かれを裁かなかった
ことにあります。

70年以上すぎても、時間の芯がくさっているのは、そのせいです。
石牟礼さんはそのことをよくご存知だったはずです。ミッチーが
どれほどりっぱなひとかをかたることより、戦争、原爆、水俣、原発
をつうじ、くさった時間のながれがいまも滔々とながれている、その
ことを、かつてのようにおっしゃるべきでした。

時間の芯の腐蝕と天皇家賛美には、なんらかのかんけいがあるとおもい
ます。満州事変から敗戦の詔勅まで、すべてにかかわった人物とその
一族、万歳をさけびつづけた民衆にかんし、新しい物語をつくる
うごきに加担してはならないとおもいます。








posted by Yo Hemmi at 19:05| 所感 | 更新情報をチェックする

2017年08月09日

ひどい夏


◎原爆はなぜそこに投下されなかったのか?

夏が毎年ひどくなっています。夏の天気の質が。夏の企画の
中身が。わかい優秀なお兄さんやお姉さんがこしらえる、毎夏恒例の
番組、つづきものの無残な劣化。

7.7は、すくなくともわたしの視圏では、特集されなかったようです。
80周年だったのですが。対中侵略戦争なんてなかったみたいです。東京裁判。
〈ひとは戦争を裁けるか〉だって。戦犯たちの罪を、「戦犯」の語感も知らない
後代のわかものたちがうすめてやっています。

原爆。何十回企画をかさねても、視点がさっぱりふかまらずに、むしろ
だんだん浅くなっています。被爆地のモノクロフィルムをデジタ
ル技術でカラーにしたからといって、原爆にまつわる内面のなにを解析
できたというのでしょうか。

「有史、先史を通じ、人類にとってもっとも重大な日はいつか
と問われれば、わたしは躊躇なく1945年8月6日と答える。
理由は簡単だ。意識の夜明けからその日まで、人間は『個として
の死』を予感しながら生きてきた。しかし、人類史上初の原子爆弾
が広島上空で太陽をしのぐ閃光を放って以来、人類は『種としての
絶滅』を予感しながら生きていかなければならなくなった」

「原子核というパンドラの箱を開けて以来、人類は借りものの
時間を生きている」。アーサー・ケストラーの指摘はただしい。かれは
その後に、「ヒロシマの名は陳腐な歴史用語になりさがり・・・」とも
書きました。では「陳腐な歴史用語」にしてしまったのはだれなので
しょうか。

すべては自明にみえて、自明なことなどなにもありません。被爆者の
多くは、広島と長崎を問わず、ひどい差別をうけました。朝鮮人被爆者は
死体まで差別されました。そのこととと、原発事故による福島からの
移住者への偏見と差別にはかんけいがないのでしょうか。

げんざいの天皇夫妻をしきりに賛美する記事と番組はこの夏も、いくら
でもあるそうです。いまやかれは、じじつじょうの「現人神」であり、
かのじょはニッポンの「聖母」になってしまいました。石牟礼さんまで
あのひとを公然と敬うようになったといいます。理由は自明ではありま
せん。大きな「変化」が生じています。なにが起きているのでしょうか。

原爆は、大元帥陛下の在所であったあそこに、なぜ投下されなかったの
でしょうか。これも、答えはまったく自明ではありません。原爆はなぜ
皇居に投下されなかったのかーーという企画はなぜ提案されないのでしょ
うか。その答えも自明ではありません。

ひどい夏ですね。









posted by Yo Hemmi at 17:37| 所感 | 更新情報をチェックする

2017年08月08日

書きえぬこと


◎「わたしたちの殺りく」

やまゆり園事件のことをおもうと、ドストエフスキーもチェーホフも
テネシー・ウィリアムズも、アーレントも、レーヴィでさえも、こな
ごなにくだけちります。書きえないのです。

Uが実行した重度障害者の殺りくを、わたしはどこかで「わたしたちの
殺りく」と、たしかにおもってはいるのですが、書きぬけないのです。
あれはみためは「単独正犯」だったけれども、より本質的には、われわれも
からむ「共同正犯」でもあったのではないでしょうか。

あの青年は、施設でのみずからの経験と社会に伏在する集合的無意識を
むすびつけ、かさねあわせて、果敢にも世界をひとりで代表し、晴れやかな
善行≠ニして、あれだけの凶行におよんだ可能性があります。
でなければ、まったく無力のひとびとを屠りつづける、痛苦にみちた、
そして反復的なあの時間と動作を持続できるものではありません。

かれは賛嘆の声を幻聴しつつ、努力し、殺りくを達成したのです。それは
あながち幻聴とは言えず、いくえにも反転し屈曲した、げんじつにある歓声
だったのかもしれません。そして、1年前の事件が、死刑制度とその執行と
まったくむかんけいと言いきることもできません。重度重複障がい者とその
関係者へのまなざしは、まだまだ浅かったことをみとめないわけにはいきません。

ふたたび、それらを存在させている存在そのものの、意味または無意味について
おもいます。価値と無価値ー意味または無意味(=ことば)より先に、それらの
存在(身体)と、それらを存在させている存在(差別・排除の意識と無意識)が、
すでにして、わたし(たち)とわかちがたくあるのだと感じています。














posted by Yo Hemmi at 17:13| 所感 | 更新情報をチェックする

2017年08月05日

残酷


◎もっとも残酷でグロテスクな誓約

「かながわ県のたより」2017年7月号に、
重度障害者殺傷事件再発防止を願って
「策定」されたという「かながわ憲章」が
載っています。すばらしいです!すば
らしく残酷でグロテスクです。

一ー私たちは、あたたかい心をもって、すべての人のいのちを大切にします
一ー私たちは、誰もがその人らしく暮らすことのできる地域社会を実現します
一ー私たちは、障がい者の社会への参加を妨げるあらゆる壁、いかなる偏見や差別も排除
します
一ー私たちは、この憲章の実現に向けて、県民総ぐるみで取り組みます

各項末尾は、読者の脳裡でしぜんに反転し、それぞれ
「大切にしません」「実現しません」「排除しません」
「取り組みません」と読める仕掛けになっています。
起草者は、(キリーロフふうに言えば)じぶんがこれらを
「信じていないということも信じていない」でしょう。

ルーティンワークでこしらえたこの憲章は、もっともウソ
くさく、残酷で、グロテスクです。まことに、この社会の
実質にふさわしく。
 
posted by Yo Hemmi at 15:12| 所感 | 更新情報をチェックする

2017年08月03日

シャブゴク


◎シャブ極道

先日、『シャブ極道』(細野辰興監督)をみました。とても
おもしろかったです!笑いました。凝りがほぐれました。げ
んざいが、どれほどひどいジンミン(製)ファシズムか、
よーくわかりました。

役所広司が熱演。『赤い橋の下のぬるい水』(今村昌平)より
よっぽどよかったです。

「オワコン」なることばがあるとおしえてもらいました。
「オワコン」も、もう終わっているそうです。

けふ午後、エベレストにのぼりました。死ぬものぐるいで。

ピュアな幸せ.jpg
posted by Yo Hemmi at 15:02| 所感 | 更新情報をチェックする