2018年07月20日

鉄西区


◎王兵という文学

ワンビンの作品をみるのは、すぐれた長篇を読むのに似ている。
みているうちに、これが現代文学なのか古典なのかわすれてしま
う。巨大怪獣の死体のような工場=廃墟。のなかを、臓腑にもぐ
りこむようにしてめぐりめぐる。映画的経験か文学的経験か、あ
るいは絵画的経験か・・・どちらでもよい。

posted by Yo Hemmi at 18:04| お知らせ | 更新情報をチェックする

2018年07月18日

処刑日の夕刊


◎マルクス・ガブリエルの記事(毎日)

7月6日といえば、7人一挙処刑という忘れがたい日だったが、
その日の毎日新聞夕刊特集面「政治に倫理は大事なもので
なくなった」は一読に値する。マルクス・ガブリエルへの
藤原章生さんのインタビュー記事。

「21世紀型ファシズム」について縷々述べており、わたしの
以前の発言も引用している。7人一挙処刑へのガブリエルの
感想も知りたかったが、記事は7・6前のものだったろうから
しかたがない。

7人一挙絞首刑も豪雨災害報道も「21世紀型日本ファシズム」
のあらわれにみえてしょうがないのだが・・・。
posted by Yo Hemmi at 17:43| お知らせ | 更新情報をチェックする

2018年07月17日

逝く


◎昼下がり、逝く

その方が13時40分に旅立たれた。というより、これでやっと
永遠に休めることになった。長いこと遷延性の昏睡におちいり、
わたしはずっと写真の寝顔≠みつづけた。『月』を書かせ
てくれたのは、あの方の不在のような実在だった。『月』の
脱稿をまっていたかのように、かれはひっそりと逝った。

意識がないとみなされるものの内面について、かれはわたしに
もっとかんがえるよう迫った。かれはなにひとつその身ではでき
ないのだった。発声も歩行もまばたきも。抱擁も殴打も排泄も。
指一本うごかなかった。痙攣のようなかすかな震え以外はなにも
うごきはしなかった。

夢をみているのかどうかも、しかとはわからない。家族は、みてい
ると主張したが、医師はまったく無関心だった。わたしはみている
と確信していた。それが「夢」というにふさわしいかどうかべつにし
ても。けっきょく、その方はさいごまで自己存在を主張しようとは
しなかったのだ。抗弁も自己弁護も、ついにしなかった。証そうと
すら。

かれは長く生と死のあわいにあった。もしくはそのようにみなされ
た。そうした位置づけを、わたしは大ざっぱすぎるとかんじていた。
生と遷延性の無意識と死。区切り方がこれでは乱暴である。とじた
瞼の下で、その方の眼球はぐりぐりとうごき、のどはなにごとか語ろ
うとして、のどぼとけをさかんに上下させた。

生と死とそのあわいのほかに、さまざまの存在的な領域があることを
おしえられた。透明度の高い、あるいは混濁した領域である。

その方はまた、わたしにこういうことをおしえた。うすれゆく意識の
がわからは、いったいなにがみえているのかーー視点の入れ替えがだ
いじなのだよ、と。つまり、なにも語らぬものに、わたしはどうみら
れているのか。寝姿はさらに、存在に意味と価値はつきものではない
・・・と、つよく示唆していた。わたしは『月』を書いて応答するしかな
かったのだ。

かれはもはや無用の生ゴミであった。尊厳もヘチマもありはしない。
無用の生ゴミには、屈辱をかんじるけんりもない。無用の生ゴミは
すでに弱者ですらない。無用の生ゴミは、おどろくべきことには、まっ
たく共感も同情ももとめないのであった。写真を、わたしはまいにちま
いにちみつづけた。意訳にすぎるかもしれない。〈ほっといてくれ!〉
ーーかれはそうつぶやいていた。

存在とはなにか。非在とはなにか。存在は非在にまさるか。非在は存在に
劣るか。その方はまいにちわたしに問うた。シャラーモフは最後には
憎しみがのこると書いたし、それはそれでわたしを魅入らせもしたのだが、
その方にはいつも律儀な愛がただよっていたようにおもう。かれはけふ
午後1時40分に発った。わたしは犬にそのことをつたえた。犬はおすわり
をし、神妙な目で聴いていた。悲しい目になった。

その方の「位置」はわたしをひきつけてやまなかった。その位置には、わた
しの問いへの切実な答えがあったからだ。まちがいなかろう。かれは『月』
の完了をまっていたのだ。かれの写真をみつめ、『月』を書きつつ、おもっ
たものだ。「無」にとっては、夢さえわずらわしいことだろう。『月』最終
回は今夕、校了した。奇しくも、というべきではない。ひとのなすことのす
べてが奇しきうんめいのなかにあるのだから。

宙づりの影のように、あれほど存在のかなしみをたたえたひとだったのに、
わたしはけふの不在にまったく慣れてはいなかった。備えがなかったのだ。
いまさら、うろたえている。
















続きを読む
posted by Yo Hemmi at 15:56| お知らせ | 更新情報をチェックする

2018年07月13日

むごい夏


◎処刑とクチナシの花

すでに配信されているとおもう。昨日、共同通信に「むごい夏
ーー処刑とクチナシの花」を寄稿した。約7枚。加盟各紙に掲載
されたらご一読いただければさいわいです。にしても、ひどい
夏だ。大量処刑の前夜、サイコパス政権幹部は飲めや歌えの大宴会
をやっていた。

どうすればよいのか。どうすれば? それぞれがそれぞれに身の振り
方をきめるしかない。友人がさいきん精神科病棟に収容されたらしい。
べつの友人は『八月の光』を精読しおえた。わたしは『月』最終回の
再校ゲラをけふ、もどした。

みなが狂いはじめた。当然の生体反応である。わたしたちはもっと狂う
べきだ。そして、もっと狂うはずである。さらに狂わなければならない。
もう気のきいたことなど、いおうとしないことだ。わたしは気のきいた
ことをいわない。和辻はいった。

しめやかな激情、戦闘的な恬淡。ヌッポンズンはもともとキの字
なのである。

続きを読む
posted by Yo Hemmi at 18:03| お知らせ | 更新情報をチェックする

2018年07月08日

暴力の母型


◎いま、なにが到来しているのか?

ニッポン型の大量処刑は、不可視であるがゆえに、幻想のなかに
あるしゅ爆発的なスペクタクルを展示してみせた。民主主義は、
そのなまえを僭称したまま、未聞かつ最悪の暴力的専制と化して
いることを、おそらくは故意にさらけだし、そうすることにより、
まつろわぬものたちをはげしく恫喝したのだった。

人民の多くは、国家による殺りくに酔いしれた。政治から排除さ
れているルンプロ的人民たちも、政権の英断≠ノ拍手をおくった。
いかなる抵抗も対抗も困難である。なぜなら、最悪の暴力的専制
は、あらゆるしゅるいの社会的同一性の解体後の砂漠にたちあらわ
れ、もっとも脆弱で貧しい人民をもみかたにつけているからだ。

死刑こそが国家暴力の母型である。それは戦争というスペクタクル
の、最小単位の顕示である。気づくものは、つとに気づいている。
戦後政治に比類ない、犯罪者集団でもあるこの政権は、なんでもでき
るようになった。そして、じじつ、やりたい放題である。9条覆滅
から軍事・警察国家の樹立まで。人民と民主主義の名において。











posted by Yo Hemmi at 17:15| お知らせ | 更新情報をチェックする

2018年07月07日

国家の殺人


A Hanging(1931)

もしも、若いひとびとが本ブログをみかけたら、先日の7人絞首刑
について、すこしでもいい、おもいをはせてほしい。あれは、世
界史的事件である。そして、その世界性において、その知の崩壊
ぶりにおいて、7人絞首刑は、相模原事件の「さとくん」の所業
にも相似することに注目してほしい。

政権はついに一線をこえた。そのことは措くとして、基本的参考
文献として、ジョージ・オーウェルのエッセイ「絞首刑」
(『オーウェル評論集』小野寺健=編訳 岩波文庫)に目をとおし
てもらえるだろうか。とくにつぎのパラグラフ。

「妙なことだが、その瞬間まで、わたしには意識のある一人の
健康な人間を殺すというのがどういうことなのか、わかっていな
かったのだ。だが、その囚人が水たまりを脇へよけたとき、わたし
はまだ盛りにある一つの生命を絶つことの深い意味、言葉では言い
つくせない誤りに気がついたのだった」

「これは死にかけている男ではない。われわれとまったく同じよう
に生きているのだ。彼の体の器官はみんな動いているーーーー腸は
食物を消化し、皮膚は再生をつづけ、爪は伸び、組織も形成を
つづけているーーーーそれがすべて完全に無駄になるのだ」

「爪は彼が絞首台の上に立ってもまだ伸びつづけているだろう、
いや宙を落ちて行くさいごの十分の一秒のあいだも、かれの目は
黄色い小石と灰色の塀を見、彼の脳はまだ記憶し、予知し、判断を
つづけていたーーーー水たまりさえ判断したのだった」

「彼とわれわれはいっしょに歩きながら、同じ世界を見、聞き、
感じ、理解している。それがあと二分で、とつぜんフッと、
一人が消えてしまうのだーーーー一つの精神が、一つの世界が」

これが原点である。そこからしずかにかんがえるしかない。




posted by Yo Hemmi at 18:19| お知らせ | 更新情報をチェックする

執行シール


◎サイコパス政権

あるテレビ局は、絞首刑執行の情報がはいるたびに、
確定死刑囚の顔写真に順次「執行シール」をはっていった
そうだ。戦慄する。現政権は7人一挙処刑をやっても支持率は
さがらないどころか、あがるとふんだのだろう。

ニッポンは最悪の「感情共同体」である。法も文化もありはしない。
天皇制のもとに国家権力と社会が感情的に睦みあい、睦みあわぬ
ものを感情的にはいじょする。「ニッポンの感情」を、質のわるい
メディア(しかないのだが)が日々注入する。

感情共同体を操作する現政権はすでにしてサイコパス・グループ
となっている。かれらはいわゆる「聖なる陰謀」をくわだてている。
すなわち「にんげんの、頭からの逃亡」だ。かんがえないこと。かん
がえさせないこと。ただ、たんじゅんに、かんじさせること。

暴力がむきだしてきた。たおすか、たおされるか、逃げるか。それ
とも、いっしょに「無頭人」になるか・・・。






posted by Yo Hemmi at 00:11| お知らせ | 更新情報をチェックする

2018年07月06日

ポアの日


◎1995/03/20ー2018/07/06

95年、まだ現職の記者だったころ。神谷町のワンルームマンシ
ョンにいた。よく酒をのんでいた。あの朝、日比谷線の神谷町駅で
たおれているひとびとをみて、ひとりを地上にはこびあげた。
パトカーも救急車もまだきていなかった。へんなかんじだった。

なにが起きているのかーーーと、切実にかんがえはしなかった。あまり
おどろかなかった。いつかこういうことはある。われわれはいつか
やられる。権力か擬似権力か社会の暗部によって、ある日とつぜん
に、斃され屠られる予感があった。いまもある。

オームは人気があった。吉本隆明さんも、かなりイカれていた。記者
のなかにもオーム・シンパがいて、なんにんかは上九一色がよ
いをしていた。麻原の人間的魅力を熱っぽくかたる社会部女性記者も
いた。

麻原の初公判を最前列で取材した。なにもすごみはなかったと記憶
する。ひとごとのように検察と弁護団のやりとりを聞きながして
いた。まったく関心がなさそうだった。肌つやがよくて、爪がきれいに
ととのえられていた。

麻原が、腿においた指を、モールス信号みたいにたたきはじめた。トン
ツー・トントンツー・ツー・・・。じっとみつめつづけた。信号ではなく
歌のようであった。トンツー・トンツー・・・。「また逢う日まで、逢える
ときまでー」

そして、けふ、2018年7月6日朝。えらばれた朝。麻原ら7人を絞首刑により
いっせい殺りく。皇室の慶事とバッティングしないように、選びぬかれた
日。婚約、退位、新元号、五輪前祝いムードに水をささないように。
死刑反対派はへりつづけているのだから、ぜんぜんかまいやしないと。

メディアの視線は95年当時よりも、さらにさらに浅くなっている。死刑制度
の是非を問う声はこの朝、皆無にひとしかった。なんということだろう。

ポピュリスト独裁政権はみずからの敵≠権力増強の肥やしにする。
つねに「例外状態」をたもとうとする。このニッポンではまた、死刑執行
によりアホメディアとドジン的民衆がわきかえり、死刑がいまやいっしゅ
の祝祭≠ニなっていることもわすれてはならない。

悪名たかいハンガリーのオルバーン・ポピュリスト政権はみずからの
体制をイリベラル・デモクラシー≠ニいってはばからない。語義矛盾
だが、実質的にはニッポンとおなじ「専制民主主義」だ。民衆は独裁者
オルバーンに自由をうりわたし、歓呼の声をおくる。そのハンガリーで
さえ死刑廃止国なのだ。

ニッポンは、こころあたたかく、人情に厚い、サッカーの試合後みんなで
ゴミ拾いをするほど公徳心がたかく、なによりも死刑のだいすきな、言論
表現の不自由を愛好する、異常国家なのである。明るくて、ひどく暗いクニ
だ、ニッポンは。

絞首刑執行をけさ担当させられた刑務官たちは、わずかばかりの特別手当
をもらい、これから酒をのみにいく。それぞれの光景と音とをわすれるた
めに・・・。











posted by Yo Hemmi at 16:49| お知らせ | 更新情報をチェックする

2018年06月21日

feng ai!


◎『疯爱』(フォン・アイ)

けふ、歯医者の診察台のうえでもおもいだしていた。『疯爱』。
春節の花火。斜め下の病棟廊下からみあげる、ショボい花火。
しめった音。うつろな目、目。「にんげん以下、動物未満」。
中国式パノプティコン。うす汚い回廊。影絵・・・。

なにも弁明しないものたち。

『疯爱』は、映画であり文学であり絵画であり、暗がりから
存在論を開示する最良の哲学書だ。「にんげん以下、動物未満」
ないし「にんげん以下、バケモノ未満」。にんげんとはけだし
、「にんげん以下」なのだ。

であえてよかった!感謝と敬意。

手術はようすみ。『月』最終回。まいどのことながら、現実を
うたがわざる鉄壁の常識人(アホ、反動、幸せもの)に意気阻喪し、
『疯爱』に勇気づけられる。そんなもんだぜ。クソでも舐めろ!

犬とマック。





 











続きを読む
posted by Yo Hemmi at 13:34| お知らせ | 更新情報をチェックする

2018年06月20日

よい!


◎厄介者たちへのまなざし

『瘋愛』はいい!とてもよい。邦題はよくない。思慮が足
りない。『瘋愛』には普遍性がある。『瘋愛』と『精神』を
同列でかたるのはバカげている。レベルがまったくちがう。

狂者と厄介者こそ、にんげんという現象の基本中の基本である。
盤石の常識人こそが、真性の異常者である。『瘋愛』にもしも
甘さがあるとすれば、後編の救い≠セ。なくもがなの救い
――そんなもの、もともとないのだから。

お幸せな常識人は、狂者のクソを舐めろ!『月』最終回。
posted by Yo Hemmi at 14:05| お知らせ | 更新情報をチェックする

2018年06月19日

Wang Bing


◎‘Til Madness Do Us Part

きいたふうな評言はいらない。これが他にまさるとか劣るとか
、言うもおろか。みいり、ただうちぬかれればいい。うちぬかれ
ないものは、うちぬかれなければよい。すぐにたちさればいい。
あるしゅの「未詳映像」である、これは。きいたふうな評言はい
らない。

コノテーションの無効。常套句はやめることだ。たちかえるべき
「場」を。『月』最終回。石井さんからメール。
posted by Yo Hemmi at 15:05| お知らせ | 更新情報をチェックする

2018年06月16日

ワンビン


◎注文した

おくればせながら。王兵『収容病棟』DVDを注文。
肩痛。 



続きを読む
posted by Yo Hemmi at 22:24| お知らせ | 更新情報をチェックする

2018年05月21日

訃報



◎消えるというのは


今朝、訃報に接した。逝くというのはどういうこと

なのか。よくわからない。どこも悲惨。ポラノンが

いる。




続きを読む
posted by Yo Hemmi at 14:15| お知らせ | 更新情報をチェックする

2018年04月14日


◎「筧の話」など

「海 断片」「温泉」「筧 の 話」などよむ。おどろく。
ポチ注文。




posted by Yo Hemmi at 18:10| 日録 | 更新情報をチェックする

2018年04月13日

ミュンヒハウゼン


ミュンヒハウゼン

きのう『月』第7回初校ゲラもどす。一昨日、

強風の日、打ち合わせ。『月』はあと2回か。

きのうミュンヒハウゼンのことをおもふ。底なし

沼から抜けだすのに、おのれの髪をひっぱりあげて

成功したというホラ話。アベよりよほどまし。

月7挿画.pdf


posted by Yo Hemmi at 18:06| 日録 | 更新情報をチェックする

2018年01月10日

エベレスト


◎N君と会った

約2年ぶりだという。そんなにたっていたのか。『月』
のこと、『夜の森』(堀田善衛 1955年)のこと、原一男
監督のこと、関君のこと、ナラティヴのこと、「赤い花」
(ガルシン)のこと・・・など。

エベレストのことを問われ、ギクリとした。のぼっていない
と、しょうじきに答えた。ゴーゴリのことを話したかどうか、
忘れた。N君の背丈がのびたようにおもった。
posted by Yo Hemmi at 17:40| メモ | 更新情報をチェックする

2018年01月09日

エンゲルス


◎『イギリスにおける労働者階級の状態』

19世紀のロンドンとマンチェスター。「イングランドの
ブルジョアにとっては、かねさえ稼げれば、自分の労働
者が餓死しようとしまいと、まったくどうでもよいこと
なのである。・・・かねにならないことはくだらないことで
あり、非実際的で、観念的である」

『極私的エロス 恋歌1974』みる。いつ以来だろう。
映画>実人生は、ただしい。ただしかった。モノクロ、
露光オーバーの存在論。

posted by Yo Hemmi at 16:27| メモ | 更新情報をチェックする

2018年01月08日

原一男監督


◎久しぶりに原一男監督の映画

新作『ニッポン国VS泉南石綿村』をみた。3時間半だから
2日にわけてとおもっていたが、一気にみた。ひじょうにお
もしろかった。『ゆきゆきて、神軍』(87年)以降のげんざい
(のダメさ)とは、こういうことなのだろう。

旧作をおさらい。けふ『さようならCP』(72年)3度目。
こんかいが、いちばん新鮮に感じた。なぜか。撮られるがわ
とその状況ー撮るがわーみるがわ。その位相の変化。総体的
退行。内面の劇的な後退。全存在の萎縮。「目」の退化・・・。

ちかく「キネマ旬報」のインタビューをうけることにした。
原一男さんと対談したのは地下鉄サリン事件直後の1995年
3月。2回計15時間。またお話しを聴きたくなった。

6日病院。心電図もんだいありで、来月エコー。めんどい。

えだのとかいうやつの尾籠な舌ベロとデカ耳がきわめて目障
りである。正月にだらしなく和服着てでてくるマヌケなおま
えも、権力の補完勢力以上ではない。うせろ。
posted by Yo Hemmi at 18:38| メモ | 更新情報をチェックする

2017年12月19日

絞首刑


◎さようなら、光彦君・・・

友人が殺されるというのは、つらいものだ。

今朝、光彦君らが死刑に処された。予感があったので
あまりおどろかなかったが、やはりくるしい。重い。
気圧や重力や光りの屈折のぐあいが、このところ、
どうもおかしい。

きみは〈やめてくれ!〉〈たすけてくれ!〉と泣き叫ん
だか。あばれくるったか。〈お母さん〉と叫んで大声で
泣いたか。刑務官をどれほど手こずらせたか。それとも、
お迎えがきて、あっけなく失神したか。まさか。

きみは何回、回転したか。ロープはどんなふうに軋んだか。宙
でタップダンスを踊るように、足をけいれんさせたか。鼻血を
まき散らしたか。舌骨がへし折られたときどんな音がしたか。
脱糞したか。失禁したか。目玉がとびでたか。首は胴から断裂
しなかったか。

けっきょく、再審請求も犯行時未成年も考慮されはしなかった。
考慮されたのは、「適正に殺す」ために、きみのせいかくな
体重とロープの長さくらいか。さて、なぜ、けふという日がえら
ばれたか、知っているか。平日。国会閉会中。皇室重大行事なし、
だからだ。国家は、ごく静かな朝に、ひとを「公式に」くびり殺す
のだ。

やんごとないかたがたのご婚約、ご成婚、ご懐妊発表の日には
絞首刑はおこなわれない。おことば発表の日にも、ホウギョの
日にも、絞首刑はおこなわれない。聖人天皇もマドンナ皇后も、
死刑はおやりにならないほうがよい、などというお気持ちのにじ
むおことばをお話しあそばされたことはいちどもない。なぜか。

連綿たる処刑の歴史のうえに、ドジンのクニの皇室はあるからだ。

ひとと諸事実(そして愛の)の多面性と多層性について、光彦君、
ずいぶんとおしえられたよ。ありがとう!ひとと諸事実(そして愛)
の多面性と多層性については、法律もジャーナリズムも、ほとんど
の文学も、まったくおいつかないことをとくと学んだよ。

災厄でしかない国家のなしうるゆいいつの善政とは、死刑の廃止
であった。死刑をつづける国家と民衆は、さいだいの災厄ー戦争を
かならずまねくだろう。にしても愚劣なマスコミ!

今夜はNirvanaを聴くつもりだ。さようなら、光彦君・・・。
続きを読む
posted by Yo Hemmi at 16:00| 所感 | 更新情報をチェックする

2017年12月15日

再々放送


「こころの時代」明日(土曜日)再々放送

ちょっとくどいかもしれませんが(笑)、ことし3月にNHKで放送
された「こころの時代」が、明日、2017年12月16日(土)昼13時〜14時、
Eテレで、再々放送される予定です。若いひとびとも視聴してくれます
ように!

このさい、わたしは以下のことをあらためて表明します。いうまでもないこ
とですけれども・・・。

・北朝鮮にたいする、どのような形の軍事・挑発・謀略行動にも反対する。
・朝鮮半島情勢を口実にした日本の軍備強化・拡大、いわゆる敵基地攻撃
 能力保有にも、つよくに反対する。これはあからさまな憲法違反である。
・在日コリアンとその子女への圧迫、差別、ヘイトスピーチにつよく反対する。
・マスメディアの対北朝鮮「悪意醸成報道・キャンペーン」に反対する。
・圧力・制裁ではなく、どこまでも対話をもさくすべきである。








続きを読む
posted by Yo Hemmi at 17:08| 放送 | 更新情報をチェックする

2017年12月12日

トマス・ネーゲル


◎そして、いかなる・・・

そして、いかなる国家も、警察国家でない国家はない。
では、さとくんは先の総選挙でどうしたか。かれは「期日前
投票」をしていたという。それをもってして民主主義が機能し
ているといえるかどうかべつにして、かれは「期日前投票」を
していた。

「現代の最大の犯罪は、公的犯罪である」というトマス・ネーゲル
のかんがえに共感する。マスメディアはほとんどのばあい、公的犯罪
の共犯者である。この共犯者集団は責任を問われないことを知悉して
いる点で、無自覚的にもっとも卑劣であり、手がつけられない。

委細かまわず『月』の第4回に着手。が、ちかく死刑執行の予感
つづく。「公的行為における無慈悲」。個人倫理と公的倫理の
不連続性の本質は、死刑と天皇制にもっともよくあらわれる。
posted by Yo Hemmi at 14:22| メモ | 更新情報をチェックする

2017年12月11日

クモ・警察国家


◎イエユウレイグモの件――警察国家の観点から

けふ、『月』第3回の著者校で「アシダカグモ」をすべて
「イエユウレイグモ」にさしかえた。すでに警察国家ではある
のだが、そのくらいのジユウはまだある。とおもふ。が、楽観
はできない。

公安当局が文中のなにを咎めてくるか、わかったものではない。
アシダカグモを、まぎわになってイエユウレイグモになおした
底意――これはかれらの関心をそそる。テロかんけい暗号名とし
ての「アシダカグモ」と「イエユウレイグモ」かいなか・・・が
チェックされる。うざい。

ついで、語感が吟味される。故意に御國をおとしめてはいないか。
クモにひっかけて、じつは不敬をはたらいていやしないか。
公序良俗紊乱の意図はないか。イエユウレイグモは不法ドラッグ
または爆発物の隠語ではないか・・・。

ムフフ・・・。困った。わたしは自首すべきだろうか。

あるひとから内々に提案されている。〈逃げよう〉と。どこに?
北欧に。しかしながら、提案者はわたしのつれあいについて言及
していない。故意にか? 脱出提案がジャスト・ジョークであるこ
とをさとらせるために、わざとつれあいに触れぬのか。

それとも、つれあいをすてて北欧に逃げようというのか。わからない。
提案者がたんに酔っぱらっていた、ということもかんがえられる。
要検討。つれあいといっしょならダツニチもありだろう。

タケシやタモリやツルベーたちが、この警察国家のまわしものとして、
どうにもならない日常の「毒抜き」にまいしんしている――。そんな
ようなことを、逃亡提案者はいう。みどもはかんしんがなひ。

わたしは、月内に死刑が執行されると予感している。
posted by Yo Hemmi at 17:27| メモ | 更新情報をチェックする

2017年12月10日

警察国家


◎「わたし」であるとはどのようなことか?

けっきょく、そこまでたちもどらないといけないようだ。
What is it like to be ――?を、気にする。とても気に
する。たとえば、ひとつの警察国家において、「わたし」
であるとはどのようなことか?
posted by Yo Hemmi at 18:56| メモ | 更新情報をチェックする

2017年12月09日

アンコール放送


◎明日未明「こころの時代」アンコール放送


3月に放送された「こころの時代」が明日10日午前5時
から1時間再放送されます。あれから何年かたった気がする
のはなぜでしょうか。時間よりもできごとの速度がはやいから
でしょうか。

だれが寒い朝の5時からあの番組をみるのでしょうか。ほんの
数十人。眠れないひと。生きるのに疲れたひと。じぶんに愛想
をつかしたひと。幽霊・・・。ということは、じぶんとほぼおなじ
なのだから、あらためていうまでもないことですね。

首藤君、中野さん、五味さんたちのことをおもいだしています。
かれらといると、息があまりみだれずにすみます。犬も吠えない。
世の中のことなんかどうでもいい。どこまでもダメになればいい。
ただ、ほんの一瞬の、ささやかな共感があれば、それでけっこう。

あとはいらない。ほんとうは共感なんかなくていい。それより、
けふ、『月』第3回のゲラをやっていて、「アシダカグモ」をぜんぶ
「イエユウレイグモ」にさしかえました。痩せた半透明のうつく
しいイエグモです。

死ぬと、かなり多くのひとがイエユウレイグモになるそうです。
番組にでてくる父も、どこかでイエユウレイグモになって天井でも
這っているのかな。なお、番組は今月16日午後1時から、再々放送
されるそうです。

イエユウレイグモたちは、うすぐらい明日朝5時にあの番組をみる
らしいです。





posted by Yo Hemmi at 17:14| 放送 | 更新情報をチェックする

2017年12月08日

アシダカグモ


◎イエユウレイグモのこと

『月』第3回で、アシダカグモについてすこし書いたけれども、
イエユウレイグモについては書こう書こうとおもっていたのに、
ついに書くのをわすれた。第4回で書くか書かないか、まだわ
からない。

そのとき、頭蓋の暗がりには小さなコウモリがいたのだった。
どのようにいたかというと、『コウモリであるとはどのような
ことか』というかっこうでいた。いきおい、『コウモリであると
はどのようなことか』の気分でアシダカグモのことを書こうと
して、途中でその気分をわすれたのだった。

月の写真を「女郎部屋からの眺め」というひとがいた。



posted by Yo Hemmi at 18:22| メモ | 更新情報をチェックする

2017年11月30日

こころの時代


◎再放送・再々放送のおしらせ

ことし3月にEテレで放送された「こころの時代」が、
下記のとおり再放送・再々放送されることになりました。

   番組名 こころの時代 父を問う−いまと未来を知るために
   
   出演  作家・辺見庸 
   
   再放送 2017年12月10日(日)朝5時〜6時 Eテレ  
   
   再々放送 2017年12月16日(土)昼13時〜14時 Eテレ
posted by Yo Hemmi at 15:12| 放送 | 更新情報をチェックする

2017年11月29日

「花火」


◎風邪で寝ていて・・・

ときどき目ざめて、ああ、かれと会わなければとおもう。
出所しているはずだから、会わなければ義理がたたない。
なにか特別なことをはなすのでなく、目礼だけでもよいの
ではないか・・・と気がせいた。かれは亡くなっているのに。

荷風の「花火」に目が洗われる。大正8年(1919年)には
思想、葛藤、含羞・・・などのことばと実感がまだあった。
日露戦争開戦を米国で知った荷風の「感激」と疑念。大逆
事件とドレフュス事件をかさね、併せておのれとゾラの
行動を比較していたく恥じいる荷風は、いまこそ読みでがある。

で、死んで出獄したかれに、むずかしい話はしたくないけれども、
「花火」は1919年12月の「改造」に載ったんだぜ。そのときの
「改造」は「階級闘争特集」だったんだよ!・・・と知ったかぶりを
したかったな。

荷風なら従軍慰安婦の問題をどう書くか。「最終的かつ不可逆的
に解決したはず」と書くか。まさか!政治は「下民のあずかり
しらぬこと」だけれど、あの女性らは父祖たちがとてもお世話
になったかたがたである。そんなことはなかった、金銭で最終的
かつ不可逆的に解決したはず」などというのは、人として
恥のきわみである・・・と書いたにちがいない。

恥の所在が逆なのだ。無知と無恥が大手をふってあるいている。
もっとも恥ずかしいのは、安倍よ聞け、やったのにやっていないと
しらをきることだ。


続きを読む
posted by Yo Hemmi at 18:27| 所感 | 更新情報をチェックする

2017年11月27日

再放送


◎Eテレ「こころの時代」再放送へ

ことし3月でしたか放送されたNHk・Eテレ「こころの時代」
が、来月10日に再放送されるようです。たしか朝5時(!)
からだとおもいます。あれからもう何年かすぎた気がします。
詳細はまたお知らせします。
posted by Yo Hemmi at 14:29| お知らせ | 更新情報をチェックする

2017年11月14日


◎『月』第2回の扉絵

連載小説『月』第2回の扉デザインがきまりました。
クリックしてみてください。今月下旬の月刊「本の
旅人」(角川書店)12月号に掲載されます。
ササキエイコさんのイラストです。


posted by Yo Hemmi at 17:45| 掲載予定 | 更新情報をチェックする

2017年11月11日

踊れ、うたえ!


◎「バカとの共生」および戦争

ジョイス『ダブリナーズ』新訳を買ったら、訳者の得意顔
がろこつで、げんなり。「孤高の天才翻訳者××××の画期的
新訳」のオビにはまいったね。『ダブリンの市民』はすんなり
読んだが、『ダブリナーズ』は気恥ずかしくなる。バカか。

ナチスの初期、少なからぬユダヤ人知識人がヒトラーをたかく評価
していた。ドイツ民衆とマスメディアの多くは40年代に入っても
危機感がうすかった。独ソ戰のさなかに、本国では金持ちがパーティ
ざんまい。戦場ではドイツ兵が飢えて人肉を食らっていた。

教育基本法改悪ー秘密保護法成立ー安保法成立ー集団的自衛権
行使OKー共謀罪成立ー武器輸出解禁・・・。ポイント・オブ・
ノーリターン。と、もう気どっているばあいじゃない。バカメディ
アがそらぞらしく「平和」をかたり、五輪と戦争をささえている。

「天皇主義宣言」をやらかしたバカ学者を、じじつ大バカだから、
雑誌にしょうじきに「バカ」という趣旨のエッセイをしたためたら、
読者から「狭量」と投稿で批判された。ほう、天皇主義を批判すると
「狭量」ねえ。両論併記≠フつもりか、投稿が大きく掲載される。
バカくさ。

オリパラ・バンザイ!戦争バンザイ!かってに踊れよ。うたえよ。





posted by Yo Hemmi at 15:17| 所感 | 更新情報をチェックする

2017年11月09日

反復


◎懈怠と戦慄

笠原十九司さんは「安倍政権は、確実に、日中戦争に至った
かつての道を再び歩んでいると思います」と断言する(「世界」12月号)。
安倍ー歴史修正主義ー憲法破壊ー戦争・・・の、ことばのならびは、もう倦怠
をさそうほどに、見なれ聞きなれてはいる。だが、わたしは戦慄すべきだ。

なんどでも戦慄すべきだ。あらためて、ふるえるべきだ。あしもとのリアルな
戦争〈前史〉を見つめるべきだ。

けふ『月』連載第2回pdfゲラをもどす。




posted by Yo Hemmi at 18:20| 日録 | 更新情報をチェックする

2017年11月07日

原稿


◎『月』第2回を送稿

月刊「本の旅人」(角川書店)で連載をはじめた
小説『月』の第2回原稿(約45枚)を昨日送稿。
11月下旬発売の「本の旅人」12月号に掲載されます。
最終的に4〜500枚になるか。

これだけは言えるのではないか。米国の売春宿のオーナー
(金髪)が来日して、ニッポンのパシリとゴルフをする。
メディアがよろこぶ。この光景につき、「まったく好み
でないもの」を忌避する方法とかんれんづけてかんが
えるのは無意味か、どうか。

また、このばあいの「絶対的な拒否」の今日的不可能性に
かんし、いつもより多く時間をかけて、おもいをめぐらすの
は徒労かどうか。
posted by Yo Hemmi at 16:58| お知らせ | 更新情報をチェックする

2017年10月30日

引っ越し


◎海苔をのどにつまらせないように、と言われた

死ぬから。そうやって死んだひとがいくらでもいる。「どこでも
いいのではなく、ここにいること。・・・あらゆるところで、どの
場所も、ここであるかのように」。判読不可能性。誤認可能性。

posted by Yo Hemmi at 16:57| メモ | 更新情報をチェックする

2017年10月24日

戦争の生成


◎発音できない〈悪〉

ポール・オースターは「白い空間」で書いた。未来形で。
「なにかがおきる、そしておきたとたん、もとにはもどれなくなる」。
しかし、なにかは、とっくの昔におきた、そしてもうもとにはもどれな
くなっている。

犯罪者が、じぶんの犯罪を帳消しにするために、国会を解散し、勝つの
をみこして総選挙にうってでた。そして勝った。このプロセスぜんたいが
犯罪を構成していることを、あのおとこは知っている。政治とは人民をま
きこんだ犯罪そのもの、またはその変形であることを、あのおとこは熟知
している。

目には見えないヘブライの〈神〉は、発音不能の名前だったらしい。
じっさいは100近くの名前があったのだが、どれをとっても「理解できないもの」
「語りえないもの」「目視できないもの」だった。それはわたしたちがいま眼前に
していながら、発音できないでいる〈悪〉とかぎりなく似ている。

この結果は、けっして狂気の産物ではない。戦争が、おどろくべきことに、
狂気の産物ではないように。これはむしろ知性と理性と文化の結合である。
暴力と知性と政治(的な意思)は三位一体となって、ますます戦争を生成する
だろう。ことばは、戦争の生成にまったく追いついていない。



続きを読む
posted by Yo Hemmi at 17:55| 所感 | 更新情報をチェックする

2017年10月21日

ゴリャートキン


◎皇室御用達のアホ

ミクリヤ。顔もひどいが、話はさらに最悪。希代の俗物。
無教養。皇居の馬糞を常食するヌッポン産カバ。なるほど
ミンシュシュギはすばらしい!犬のクソかネコのクソかを
投票でえらぶ権利があるのだから。

雨。病院。ドリヤン。インフル注射。薬局。マック。犬。
ヒューマニズムは反対者を糧にして生きる。「わたしは
ヒューマニストではない。それだけの話だ」
posted by Yo Hemmi at 16:49| メモ | 更新情報をチェックする

2017年10月20日

セージョー


◎「正常」とはなにか

ひとの世の「正常」とは・・・たえざる労苦とたたかい、永遠の試練と苦痛と自
省をさす、とあるひとは言った。これらに「発狂」をくわえてもよいだろう。
それでは「異常」とはなにか。かんたんだ。上記の反対である。〈いま〉で
ある。

ひとりで生活していると、物語るということがどういうことかわからなくなる
、とJ.Sは書いている。ひとりきりのおとこが笑いたくなるのは稀だとも。ひ
とりきりのおとこは、じぶんの狂いにきづかない。たぶん。

ふるえるてふてふ.jpg


続きを読む
posted by Yo Hemmi at 14:37| メモ | 更新情報をチェックする

2017年10月19日

冗談


◎中国が「社会主義」だと?!

マルクス・レーニン主義だと?冗談がすぎる。ニッポンコク首相が
犯罪者ではない、というくらいばかげている。習近平は「賃労働と
資本」も読んだことのない独裁者だ。罪だけが沈下する。いずこも
警察国家。陋劣な人民大衆と党。
続きを読む
posted by Yo Hemmi at 17:33| メモ | 更新情報をチェックする

2017年10月18日

大声


◎駅前の吸血鬼たち

19世紀中葉のペテルブルクには、ごくごくひかえめにいっても
「ろくでなし、吸血鬼、虱のタマゴめ!」のほか、「悪党、
毒虫、腐れあま!」といった罵りことばがあったと、かの大作
家が作中でなんども証言している。コンプライアンスとやらは
とくになかった。

いま、Японияの各駅前には上記の「ろくでなし、吸血鬼、虱の
タマゴ、毒虫、腐れあま」たちが、いれかわりたちかわりやってきて
は、卑しい大声をはりあげ、らちもつかぬことをわめいている。19世紀中葉の
ペテルブルクには、いまふうの(骨の髄まで腐った)ミンシュシュギは
なかった。

しかし、自由と教養と思想と圧政と暴力と、じつに適切な罵りことばが、
むろん、あるところにはだが、あったらしい。スゥカ!タコブツを買って
くださいと、ヘルパーさんにお願いした。かのじょの住む街に
けふ、毒虫の頭目と腐れあまの親玉がやってくるらしい。


続きを読む
posted by Yo Hemmi at 14:39| 所感 | 更新情報をチェックする

2017年10月16日


◎アゾルカ

ゆうべ、寝るまえ、犬のアゾルカと老人のことを、みてきたことの
ようにおもった。あの情景がすきだ。「ワシリエフスキー島6丁目」。
朝ジッピ―さん。原稿、立ち往生。本たのむ。T冊だけにした。九州か
写真。装具をつけさせられたひとの強制的「リハビリ」に動揺。

気味がわるい。ほとんどすべてが。しずかに、ぜんいんが狂っている。
先日、犬が吐いたのはスペアリブではなく、馬かダチョウのアキレス腱かも
しれない。

posted by Yo Hemmi at 15:03| メモ | 更新情報をチェックする

2017年08月09日

ひどい夏


◎原爆はなぜそこに投下されなかったのか?

夏が毎年ひどくなっています。夏の天気の質が。夏の企画の
中身が。わかい優秀なお兄さんやお姉さんがこしらえる、毎夏恒例の
番組、つづきものの無残な劣化。

7.7は、すくなくともわたしの視圏では、特集されなかったようです。
80周年だったのですが。対中侵略戦争なんてなかったみたいです。東京裁判。
〈ひとは戦争を裁けるか〉だって。戦犯たちの罪を、「戦犯」の語感も知らない
後代のわかものたちがうすめてやっています。

原爆。何十回企画をかさねても、視点がさっぱりふかまらずに、むしろ
だんだん浅くなっています。被爆地のモノクロフィルムをデジタ
ル技術でカラーにしたからといって、原爆にまつわる内面のなにを解析
できたというのでしょうか。

「有史、先史を通じ、人類にとってもっとも重大な日はいつか
と問われれば、わたしは躊躇なく1945年8月6日と答える。
理由は簡単だ。意識の夜明けからその日まで、人間は『個として
の死』を予感しながら生きてきた。しかし、人類史上初の原子爆弾
が広島上空で太陽をしのぐ閃光を放って以来、人類は『種としての
絶滅』を予感しながら生きていかなければならなくなった」

「原子核というパンドラの箱を開けて以来、人類は借りものの
時間を生きている」。アーサー・ケストラーの指摘はただしい。かれは
その後に、「ヒロシマの名は陳腐な歴史用語になりさがり・・・」とも
書きました。では「陳腐な歴史用語」にしてしまったのはだれなので
しょうか。

すべては自明にみえて、自明なことなどなにもありません。被爆者の
多くは、広島と長崎を問わず、ひどい差別をうけました。朝鮮人被爆者は
死体まで差別されました。そのこととと、原発事故による福島からの
移住者への偏見と差別にはかんけいがないのでしょうか。

げんざいの天皇夫妻をしきりに賛美する記事と番組はこの夏も、いくら
でもあるそうです。いまやかれは、じじつじょうの「現人神」であり、
かのじょはニッポンの「聖母」になってしまいました。石牟礼さんまで
あのひとを公然と敬うようになったといいます。理由は自明ではありま
せん。大きな「変化」が生じています。なにが起きているのでしょうか。

原爆は、大元帥陛下の在所であったあそこに、なぜ投下されなかったの
でしょうか。これも、答えはまったく自明ではありません。原爆はなぜ
皇居に投下されなかったのかーーという企画はなぜ提案されないのでしょ
うか。その答えも自明ではありません。

ひどい夏ですね。









posted by Yo Hemmi at 17:37| 所感 | 更新情報をチェックする

2017年08月08日

やまゆり


◎京都新聞の紙面

2017年8月5日付の京都新聞掲載エッセイです。友人に送ってもらいましたが、
横長の記事を縦になおせず、そのままはりつけます。すみません!
やまゆり・京都新聞.pdf
posted by Yo Hemmi at 13:59| お知らせ | 更新情報をチェックする

2017年08月03日

沖縄と国家


◎角川新書『沖縄と国家』間もなく発売

角川新書.jpg

目取真俊さんと辺見庸の対談『沖縄と国家』は、
角川新書として2017年8月10日、全国書店で発売
されます。

(版元コピー)
沖縄という傷口から噴きだす、むきだしの国家暴力。
基地問題の根底に横たわるこの国の欺瞞を、仮借ない
言葉で告発する!

だれも傍観者、忘却者であってはならぬーー。

もくじ

はじめに 国家による差別と暴力に抗う沖縄 目取真俊
第一章 沖縄から照射されるヤマトゥ
第二章 沖縄における基地問題
第三章 沖縄戦と天皇制
第四章 国家暴力への対抗
おわりに If I were you…
     一閃の青い彗星のような暴力 辺見庸
posted by Yo Hemmi at 14:16| 刊行予定 | 更新情報をチェックする